野老の里

奥武蔵をメインに日帰りの山歩きを中心としたブログです

奥武蔵へようこそ 平成27年10月31日 ウノタワから大持山を経て浦山ダム

2015年11月04日 | 奥武蔵へようこそ
(ウノタワへ登る途中にある苔生した石)

当ブログもあと少しで丸5年となる。奥武蔵の山歩きも当ブログの分だけで50回を超えた。それで以前の記事を読んでみると、あまりまともな山歩きをしていないなと感じた。バリエーションルートというのは歩いている分には楽しいのだが、ひとつの山旅としてみると、どうしても蛇足に感じてしまうところがある。「奥武蔵へようこそ」という副題を付けている以上、もう少し山旅らしい山歩きをしよう。そこで今回は名郷からウノタワに登り、紅葉を楽しみながら小持山まで縦走する。下山はエアリアで破線ルートになっている高ワラビ尾根・タワノ尾根を下り、うわごう道を経て浦山ダムへと至る予定だ。盛り沢山だが、それだけに充実の山旅になるに違いない。

一年ぶりに名郷へとやって来た。噂には聞いていたのだが、バス停の位置が変更されていた。以前はちょっと奥に行きすぎていたので、ちょうど良い位置に変更されたのではないだろうか。意外にも乗客の大半が名郷で降りたので、今日は山中賑やかになりそうだ。名郷集落を流れる入間川沿いの木々は麓にもかかわらず色付いていた。桜の木が多いのかもしれない。周囲の準備が遅いので、珍しく早く出発したのだが、大場戸橋に着く頃には皆に抜かれてしまった。でものんびり独りで歩くのも悪くない。

(名郷バス停 以前はもっと奥にあった)


(色付く名郷集落)

昨年見かけた山中手前のヘアピンカーブにある水場は今日も良く出ていた。ここで1.5リットルほど水を汲む。車道歩きが長い分、ここで水が汲めるのは大きい。ヘアピンカーブを登りきると横倉林道が分かれる山中に到着。今まではここから妻坂峠へと登っていたのだが、今日は初めて横倉林道に入る。林道に入るとすぐに建物の土台らしき石積みが見えてくる。かつては二軒の住居があったらしい。山中からウノタワの登山口までは8つのヘアピンカーブがあり、単調な車道歩きの目標にはちょうど良い。登り始めは暗い植林帯だったのだが、標高を上げるにつれて黄色く色付いた雑木林へ変わっていく。気持ちの良い道だ。

(山中の集落跡)


(上部に行くにつれて雑木林が多くなる)


(横倉林道にも水場がある)

林道の終点は駐車スペースになっていて、先行者のクルマが置いてある。ウノタワ入口と書かれた立札から山道に入り、丸太橋で沢を渡る。沢沿いに付けられた道は荒れていて所々踏み跡が消えている。テープが多いので迷うことはないが、奥武蔵の一般ルートとしてはあまり人が入っていない印象を受ける。雑木林の谷を渡渉しつつ登っていき、ハシリドコロの看板が立つ支流沿いに急斜面を登っていく。すると木に看板が括り付けられており、ウノタワへ45分とある。



(登り始めは渡渉しながら高度を上げていく)


(ハシリドコロの看板が立つ分岐)

埼玉県は日本一晴天率が高く、実際住んでいてもあまり雨が多くない。そんな所なのだが、この支流沿いには苔生した石がゴロゴロとしている。北側の湿った急斜面なので、苔が干からびてしまわないのだろう。周辺は杉の植林が少なく、雑木林が優勢だ。曇り空にもかかわらず林床は明るい。そういえば苔は適度な日光も必要なので、ここが杉林だったらこんなに苔生すこともなかったのかもしれない。950mを過ぎた辺りで沢を離れて急斜面の尾根を登っていく。すると左手に苔生した石が大量に転がっている。「好日奥武蔵」の山人さんが載せていた写真はここのことだったのか。それにしてもこれだけ大量の石が転がっているだけでも不思議なのに、それが苔生しているとなるとなんとも幻想的な光景だ。雨の日ならもっと似合いそうだ。そういえば先ほどから雨が降るようなザーっという音が聞こえるが、どうやら伏流となった沢音のようだ。



(沢沿いを行く 苔生した石が多い)


(苔生した石が大量にある)

消え勝ちな踏み跡を追っていくと傾斜が緩んでくる。上部からは登山者のものらしき鈴の音も聞こえてくる。そろそろ稜線が近いのだろう。周囲は色付きの進んだ落葉樹が多い。葉を見るとカエデの類が多いようだ。道は左にカーブし、ウノタワの縁に出る。ウノタワは広い窪地になっていて、今はその北側の縁の上に立っている。杉だか檜だかの林の向こうに緩やかな窪地が見えているが、まずはこの縁をぐるっと回って東の鞍部へ下りてみよう。縁の部分は落葉樹の雑木林で緩やかに盛り上がっている。地形図には図根点があるが、標石らしきものは無かった。







(ウノタワが近づくと色付きも進んでいた)


(ウノタワの縁に出る この近くに案内板が倒れていた)


(1091のピークの辺り)

1091のピーク付近から東へ緩やかに下るとウノタワの窪地へ続く鞍部へ下ってくる。この鞍部は東の急斜面へ下っているようなので、この辺りが落ち葉の吹き溜まりにならないのだろう。鞍部から西へはすり鉢状に下っている。それにしてもウノタワの窪地は下草が殆どない。人の手が入っているのか、それとも鹿が皆食べてしまうのか、あるいは水の溜まらない地質と関係があるのか。いずれにせよ気持ちの良い空間であることに変わりはない。葉が既に茶色く変わったカラマツ林を抜けると芝草の広場に出る。男性が丸太に腰かけていたので、ボクも少し休憩していこう。木陰に100円ショップで買った座布団を敷いて遅い朝食を取る。紅葉を観ながら朝食とは何と贅沢なことか。

(縁の部分は大半が雑木林)




(鞍部から窪地へと下っていく)


(カラマツの林)






(窪地の広場)


(カラマツ林を振り返る 登山者は多かった)

いつまでも居たい所だが、あまりのんびりもしていられない。縦走路脇の道標の所まで行くとやや年上の男性がいる。何処まで行くのか聞いてみると武甲山までとのこと。奥武蔵で一番オススメのコースはどこかと聞かれたら、ボクはウノタワから小持山までを挙げる。問題はどうやってここまでやって来るか、だ。ウノタワを目指すなら山中からのコースはベストだと思うが、白岩・鳥首峠まわりも悪くない。他方小持山へはクルマがあれば別として、生川からシラジクボを経るコースも武甲山を越えてくるコースもかなり長丁場だ。今日歩こうとしている高ワラビ尾根・タワノ尾根コースは有力な候補となるだろうか?まずは比高70mの急斜面を上がる。ジグザグに切った道の南西側は雑木林で、ちょうど紅葉の盛りを迎えている。この辺りは奥武蔵でも一、二を争う紅葉のスポットだ。

(ウノタワで一番低い所 奥に縦走路がある)




(急斜面の登り際の紅葉)

紅葉に慰められながら急斜面を登ると稜線の上に出る。東側の眺めが良い展望地があるのだが、曇天ということもあり、遠くの景色は雲に隠れてしまっている。ウノタワ周辺の紅葉を上から見られただけでも良しとしよう。横倉山周辺は分県ガイドでも紅葉の名所として紹介されているけれども、実際はウノタワ南のピークから小持山までで紅葉が楽しめる。ただ横倉山周辺は緩やかな尾根なので、じっくりと紅葉を楽しむにはちょうど良い所だ。

(展望地から)












(横倉山へ向かって 緩やかな尾根を彩る紅葉)


(横倉山)

横倉山を越えると大持山への登りに取り掛かる。比高はウノタワから登ったときと同じくらい。ただ傾斜はこちらのほうがきつい。東側が開けてくると大持山の肩に出る。ここは東側の眺めが良い所だが、登ってきたときは真っ白だった。肩の部分には雲が晴れるのを待つ人が多く、あまりのんびりとしていたい気分ではない。大持山の山頂へ向かおうとしたところ、「あっ、晴れてきた」との声を聞いて引き返す。前武川岳の平たい山頂とその右側に台形の伊豆ヶ岳、鋭鋒の古御岳を望むことができた。前武川岳辺りもだいぶ色付きが進んでいるようだが、伊豆ヶ岳・古御岳にはまだ及んでいないようだ。

(大持山の肩へ向かって)


(大持山の肩からの眺め)

穏やかな紅葉の尾根をゆっくりと登ると大持山(1294.1)の山頂に出る。こちらは先行の登山者が一人いたが、ボクが登ってきたと同時に小持山へと向かっていった。山頂からは大平山辺りの眺めが良かったはずだが、薄らとしか見えない。どうやら小持山から鳥首峠辺りまでが最も雲が掛かっているらしい。大持山から小持山へは細い岩尾根が続く。標高が高いせいか、紅葉もやや見頃を過ぎている所がある。雨乞岩の岩場を東から巻いて上がると大持山の東尾根が赤茶に染まっている。西側に突き出した岩に乗り上げると眼下に紅葉の山並が広がる。よく目を凝らすと杉檜の林と雑木林でツートンカラーに分かれた山の右の麓に家が建っている。地図と照らし合わせるとおそらく武士平集落であろう。右手に見える尾根は高ワラビ尾根とタワノ尾根で、急激に高度を落とす辺りがかなり厳しい道のりであることを予想させる。

(大持山頂上)




(雨乞岩へ向かって 岩場が多いが紅葉もなかなか)


(中央は武川岳 左は蔦岩山)


(大持山の東尾根)


(雨乞岩)


(雨乞岩からの眺め)

雨乞岩で眺めを楽しんでいると初老のご夫婦がやって来た。何処まで行くのか尋ねると生川までとのこと。クルマで来たのなら、武甲山・大持山・妻坂峠という周回コースがベストだとボクも思う。浦山ダムへ行くことを告げると高ワラビ尾根・タワノ尾根は最近登りに使ったという。歩いている人がいるのならちょっとは安心できる。雨乞岩を過ぎると所々で東側の眺めが得られる。武川岳から二子山の縦走をしたことがある人なら天気の良い日にこの尾根を歩くと色々と感慨深いものがあるに違いない。岩場を二か所越えると小持山(1273)に着く。灌木に囲まれた狭い山頂だが、頭上が明るく暖かいので、ここで昼食を取る。

(小持山へ向かって 途中武甲山が何度か見える)


(右の双耳峰は二子山)


(アップダウンは結構きつい)


(手前は蔦岩山から焼山 すぐ後ろに二子山)


(大持山を振り返る)


(小持山頂上)


(小持山からの武甲山)


(周辺はツツジ類が多い)

昼食を取り終わるとちょうど正午を回ったところだった。空は暗いが、高ワラビ尾根・タワノ尾根を下るには十分な時間がある。武甲山方面へ少し下ると武士平分岐、つまり高ワラビ尾根・タワノ尾根への分岐だ。以前根元から倒れていた道標もしっかりと立て直されていた。分岐からまずは急斜面の下り。比高は70mくらいなので、大持山の肩の斜面を同じくらいと考えていい。横倉山辺りと比べると雑木林の範囲が小さいので、尾根上は曇天も相俟ってやや暗く感じる。急斜面を下りきると先ほど見かけたのと同じような道標が立つ。ここに来てようやく雑木林が優勢になってきた。傾斜は緩やかになったが、尾根は大持山から小持山の間よりも細い。踏み跡が尾根の縁を通るので、急斜面を転げ落ちないように進む。

(高ワラビ尾根の下り始め)


(急斜面を下りきると道標がある)


(尾根の縁を通る 踏み跡もやや消え勝ち)


(あまり雑木林は多くない)

尾根を横断する大きな岩を乗り越えると岩棚のある展望地に着く。いつもお世話になっている「画廊天地人」のyasuhiroさんによると、地形図上では米粒のような形をした小さなピーク辺りらしい。ここは905のピークが真横から見える位置にある。右手から下ってきている尾根はやはりタワノ尾根だ。雲が晴れて遠望が利くとここの展望の良さが際立つのだろうね。

(岩棚 のぞき岩と呼ばれているとか)


(岩棚からの眺め)

岩棚を過ぎ、1160のピーク辺りは馬酔木の道になっている。伊豆ヶ岳近くの高畑山もこんな感じになっていたし、岩尾根は馬酔木が成長しやすいんだろうか?1160のピークを下ると顕著な鞍部に下り立つ。鞍部というと風が収斂しやすいのだが、ここは南が杉檜の植林、北は雑木林に覆われていて、思ったよりも風は強くない。そろそろタワノ尾根の下降点であるピークに着くはずだ。鞍部から細い尾根に上がり、次の小広いピークに上がると予想通りタワノ尾根の下降点であった。「画廊天地人」の記事で道標の存在を知っていたのだが、間近で見るとやはり安心する。

(馬酔木の道)


(鞍部 近くに大きな岩がある)


(タワノ尾根下降点)

タワノ尾根の下りはスタートの時点で踏み跡が薄い。高ワラビ尾根も踏み跡は薄かったが、傾斜は緩かったし、尾根もはっきりとしていた。こちらは比高250mくらい急傾斜が続くので、尚更条件は悪い。尾根っぽい所を直線的に下った後は、急斜面を九十九折で下っていく。周囲は一面の杉林で曇天も合わさり、かなり暗い。踏み跡を度々見失い、不安感が増していく。一度斜面を下り過ぎたときはこの急斜面を登り返さなければならないかと絶望したが、右手に顕著な尾根が見えていたので助かった。テープ類もここはそれほど多くないので、下りに採る際には一番気を付けなければならない所だろう。

(タワノ尾根の下り始め まだ踏み跡ははっきりしている)

急斜面を下り続けていると五色岩滝への分岐を示す道標が現れる。五色岩滝はヤマレコに唯一の記録があるだけの幻の滝で、踏み跡は殆ど無いに等しい。片道15分ほどで行けるらしいが、今日は流石に寄って行く気がしない。次回以降鳥首峠越えをしたときにでも寄るか考えておこう。ここの分岐を過ぎて10分ほど歩けばやや平坦な尾根となる。踏み跡もはっきりとしてきたので、もう危険な所はなさそうだ。屋号がペイントされた辺りは尾根が東西に分かれる所で、東へ整備された檜の林を下ると雑木林へと変わる。そろそろ武士平から大谷の集落を結ぶうわごう道に下りられるはずだ。

(五色岩滝分岐)


(だいぶ傾斜が緩んでくる)


(この辺り平坦な尾根になっている)


(この雑木林を下りきれば…)

再び檜の林に入ると前方の尾根が上っていっている。ということはうわごう道の通る鞍部まで下ってきたということだろう。鞍部へ近づくと間違いなく道が通っている。道へ下りると「たわの尾根」と書かれた道標が立ち、馬頭観音らしき小さな石仏が佇んでいた。いよいよ長年目標としてきたうわごう道を歩くことができる。ボクがこの道の存在を知ったのは、丸石のエンペラーという自転車で奥多摩や秩父の道を走っていた頃のこと。「良太郎の『自転車で街道をゆく』」というHPで見かけて以来、いつか歩いてみたいと思っていたのだ。うわごう道がどこを通っているのかはよくわからないが、「画廊天地人」のyasuhiroさんの考察によると浦山ダムに沈んだ「した道」に対しての「うわごう道」なので、大神楽から大谷までを指すものと思われる。今回は大神楽と武士平へは寄らないので、うわごう道の3分の2を歩くことになる。

(うわごう道に着いた!)


(道標と石仏)

鞍部に造られた小さな切通を通ってまずは茶平方面へ下る。集落を結ぶ道だっただけのことはあり、使う人はいなくなったとしても歩きやすいようにできている。ただ周りは只管杉林なので、13時を回ったくらいだというのにかなり暗い。斜面をトラバースして下っていくと丸太橋の掛かる沢がある。丸太橋かと思ったものは壊れた橋で、丸太の上を通るのはちょっと危険だ。橋を直していないところをみると歩く人はいないのだろう。沢を渡渉すると茶平と大谷との分岐になっている。道標には有坂と書かれていた。

(切通)


(トラバースしながら下る ここは良い道)


(壊れた橋)

大谷方面を進むと最初こそは踏み跡がはっきりとしているのだが、伐採地に入った途端藪に覆われる。何となく踏み跡だったのではないかという所を進むと一軒の廃屋が現れた。どうやらこの辺りが有坂集落なのだろう。廃屋には炬燵や布団が散乱している上、何やら嫌な臭いもする。地形図ではこの奥にもう一軒建物があるようなのだが、この廃屋より先に進む気にはならない。往路を戻り、茶平方面へ下る。こちらは沢沿いの広い道で最初は良く整備されている。しかしすぐに藪や倒木が邪魔をする荒れた道となる。立派な道標が立っている割には道の整備状況はあまりよろしくない。

(有坂の廃屋)


(茶平へ)

橋を渡るとクルマが通れそうな広い道になる。下っていくと東電の作業小屋らしきものがある。どうやら送電鉄塔の解体作業に入っているらしい。間野富士山を歩いたときにも見かけたが、最近山間地の鉄塔を撤去する動きがあるようだ。廃屋らしき建物が沢向こうに見えてくると茶平集落への分岐がある。古い地形図だとこの辺りは反映されていないのだが、地理院地図はよく再現されている。警ら箱と書かれたポスト脇の山道を登っていくと数軒の廃屋が建つ茶平集落だ。立入禁止の張り紙がどの建物にもされていたので、無断侵入する廃墟マニアが相当多いのだろう。そういえばこのうわごう道沿いの集落はサイレンというプレイステーションのゲームソフトのモデルとなったとか。

(茶平)

ピンクテープに導かれて集落上部へ行くとうわごう道に復帰する。尾根を越える辺りに黒い傘で雨避けが掛けられたお地蔵様と馬頭尊がある。こんな手間をかけるのは地元の人くらいだろう。集落をつなぐトラバース道は踏み跡がはっきりとしている。細く傾いているものの、山慣れている人なら歩きやすく感じるのではないだろうか。高度を変えることなく、くねくねと曲がる道を行くと古い石造りの道標が立つ分岐に着く。来し方には茶平、上に延びる方には有坂・武士平・大神楽方面とあり、下り坂には嶽・日向・大谷を経て影森・秩父に至ると彫られている。地元の人にはこうした道標は必要ないはずだから、これは在りし日の旅人のために置かれたものなのだろう。そして今ボクはまさに旅人としてこの道標を頼りに歩いている。

(傘で雨避けしたお地蔵様)


(大谷方面を示す道標 暗くなり写真のブレが酷い)

分岐からは少し登りがある。尾根を越える所に大黒天と聖徳太子の碑がある。ここは東に下る尾根がはっきりとしているのでつい引き込まれそうになるが、送電鉄塔の管理道として使われてるだけだ。尾根を越していく道はやや荒れているが、しばらくすれば踏み跡がはっきりしてくる。やがて竹林が見えてくると間もなく嶽集落だ。六体のお地蔵様と馬頭観音の碑が出迎えてくれる。カラフルなべべを着せたお地蔵様を見ると定期的に管理はされているようだ。石碑の脇にある看板によると大きな地蔵があったそうなのだが、盗難に遭ってしまったという。お地蔵様に小屋掛けしているのは管理していることを示すためなのかもしれない。

(大黒天と聖徳太子の碑)


(嶽集落へ向かって 何故か自転車をフェンス代わりにしている)


(六地蔵と馬頭観音の碑)


(石碑脇にあった看板によるとこの辺りで火事が起きたらしい)


(嶽集落の廃屋)

崩壊寸前の廃屋のそばでは休憩する気にもなれず、先へ進む。すると道が広くなり、クルマの轍もある。そろそろうわごう道も終わりが近い。暗い杉林を抜けるとロープで囲った野原の脇に出た。同年代の男性が草刈りをしている。ロープの向こうにある看板を見ると練馬区のキャンプ場とのことだ。もう特に見所はないかと思っていると見晴台と書かれた看板がある。林の中の丘に登るとフェンスが見えてきた。フェンスに駆け寄ると小さな切り開きから湖の対岸に架かる橋が見える。まあ良い景色だけれども…。そばにあるベンチにザックを置こうと振り返るとちょうどダム施設が見えるように伐採がされている。なるほどこれは展望台といえる。

(草原のキャンプ場 もちろん立入禁止)


(日向の見晴台から 人が歩いているのが見える)


(浦山ダムを望む)

展望台で少し休憩を取り、あとは浦山ダムまで一気に行ってしまおう。見晴台を過ぎると道は舗装路になる。西側に開けた集落に出た。日向集落だ。集落上部の道を進めば大谷へと行くことが出来そうだ。車道からは大久保谷へ向かって展望が得られる。谷の上部に当たる長沢背稜は厚い雲に覆われている。大持山辺りはあれでもマシなほうだったのだろう。車道が下り始める手前の丘の上に神社らしき建物がある。建物は八坂神社・稲荷神社・諏訪神社・天満天神社・大山祇神社を合祀したもので、中にはそれぞれ祭壇が設けてあった。



(日向集落 もう柑橘類が生る季節なんだなぁ)


(五社を合祀した建物)

浦山小学校跡地から大きなヘアピンカーブを下っていくと秩父さくら湖の周回道路に下り立つ。すぐそばの集落が大谷だ。秩父市営バスのバス停があり、湖を見下ろす駐車スペースもある。ここからしばらくは怠い車道歩きを我慢しなければならない。閉まったままの蕎麦屋などを過ぎると道明トンネルが見えてくる。「画廊天地人」では道明石からうわごう道が延びていたという。ということはこのトンネルの辺りから先をうわごう道と呼んでいたのだろうか。

(大谷)


(駐車スペースからの眺め)


(ダムの巡視船)

トンネルを抜け、次の後台トンネルの手前から浦山ダムへの遊歩道が延びている。遊歩道はダム防災資料館「うららぴあ」の開館時間内だけ通ることができる。管理事務所の脇を抜けると浦山ダムの堤防の上に出られる。流石にここまで来ると観光客が多い。堤防の北側からは秩父の街と長尾根丘陵、そして背後には御荷鉾山から城峯山、破風山辺りが見えるようだ。浦山川を見下ろすと恐ろしく高い。堤高は150m以上あるという。

(ダムが見えてきた)


(浦山川を見下ろす)


(堤防から北側の眺め)


(南側の眺め)


(位置をずらすと蓑山も見える)

さてあとは浦山口駅まで帰るだけなのだが、駅は下に見える浦山川沿いにある。本来は更に車道を下らなければならないところなのだが、浦山ダムには一気に下まで下れるエレベーターがあるのだ。有り難くエレベーターを使わせてもらうと着いた先でダム内部を少しだけ見ることができる。外へ出ると左岸に設けられた駐車場に出る。振り返ると実に巨大だ。脇には外階段が付いているが、ここを登る挑戦者はどのくらいいるのだろう?ダムを下ってしまえば旅はもう終わり。浦山川沿いに車道を下り浦山口駅に着く。蛇足になるような寄り道をしなかったせいか、久しぶりにのんびりと山旅を満喫できた。次もこんな山旅を期待したいものだ(なお、訳あってこの後西武秩父駅まで歩いたが、山旅とは関係ないので割愛した)。

(左岸の駐車スペースからダムを見上げる)


(浦山川に架かる橋から浦山ダム)


(影森付近から武甲山)

DATA:
飯能駅(国際興業バス)名郷8:05~8:53山中~9:56ウノタワ10:18~10:40横倉山~10:57大持山~11:38小持山12:02~12:46タワノ尾根下降点~13:22うわごう道~13:47茶平~14:26日向見晴台~14:47大谷~15:08浦山ダム15:28~15:45浦山口駅~16:32西武秩父駅

地形図 正丸峠 秩父

トイレ 大谷バス停近く 浦山ダム

水場 横倉林道分岐手前のヘアピンカーブの辺り

関連HP 浦山ダム

タワノ尾根はピンクテープ等の目印になるものはありますが、踏み跡は消え勝ちなので、山慣れた人向けです。一応コンパス・地形図は持参してください。高ワラビ尾根は尾根を外さなければ迷うことはないでしょう。転落にだけは注意してください。

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