80年代少年ジャンプの伝説的編集者 鳥嶋氏のインタビュー記事より。
(引用元:http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima)
――堀井さんのゲーム特集コラムは、プレゼントページにくっつく形で始まったものなんですか?
鳥嶋氏:
そう。
ちょうどその頃、パソコンが売られだして、家庭用ゲーム機もどんどん出てきたんだよ。トミー、タカラ、バンダイあたりまで出していた時代だったからね。そこでジャンプでもパソコンゲームの特集から始めてみたんだね。
佐藤氏:
そんなことをジャンプがやっていたんだねえ……。でも当時といえば、団塊ジュニアの子たちが小学生5・6年生でしょう。そうなるとPCを買ってもらっていた子は……あれ、いたのかな?
鳥嶋氏:
いや、買えなかったと思うよ(笑)。当時のジャンプの読者は小学校高学年、中学生のあたりだもん。それなのに国産のパソコンなんて一番安いPC60シリーズでも、まともに周辺機器を揃えようとしたら20万円を超えていたでしょう。絶対に、ムリムリ。
一同:
(笑)
――じゃあ、ゲーム仲間でジャンプ誌面を乗っ取ってパソコンゲームの宣伝をしたようなものじゃないですか、ひどい(笑)。
鳥嶋氏:
でも、記事の評判は良かったんだよ。
と、書かれている。
ゲームウォッチが流行ったのは、団塊ジュニア世代の私が小学3〜5年生頃。
そして、その頃には、もう小学生には定価10万円を切るパソコン(当時は「マイコン」という呼び方が一般的)の情報が入っていた。
切っ掛けは多分、コロコロコミック。ゲームをやっていた子供は同誌の「ゲームセンターあらし」を知っていた、そして、作者・すがやみつる氏の書くホビー入門書(ラジコンなど)も手にしていた。その一つに『こんにちはマイコン』があった。
同書で紹介されていたのはNEC製のPC−6001。「パピコン」の愛称で武田鉄矢氏が宣伝していた。定価89,800円。
これを私は買ってもらった。もちろん大ねだりしてだが。
これに拡張RAMとプログラム読み込み様の安いカセットデッキを買ってもらい、モニタは自宅にある古い14型TVと、3万円程の白黒モニタを併用していた。これで、黎明期のパソコンゲームを遊んでいた。
そして、私の他にも、クラスで数人は、パソコンを持っていた。この後、鳥嶋氏のいう通り、トミーやバンダイなどのおもちゃメーカー、カシオなど計算機メーカー、ヤマハといった楽器メーカー、そしてソニーなど、きわめてバラエティに富んだメーカーが廉価パソコン市場に参入する。その中でも、友人たちは、10万円台前半のものを購入していたように記憶している。仲の良かったある友人はソニーのXシリーズを買ってもらっており、その高スペックがうらやましかったものだ。
70年代後半からのテレビゲームブームは、こうして一時、パソコンゲームのブームへと繋がった。そして、そこに小学生の消費者は確かにいた。1本3,000〜5,000円のカセットテープに記録されたゲームプログラムを購入し、遊んでいた。その時代が終わるのは、ファミコンの登場によってである。
この後、コンピュータゲーム「プレイヤー」は、ファミコンに流れた。私は中学生になっており、ファミコンには興味を持てなかった。すがやみつる氏の『こんにちはマイコン』には、BASICによるプログラミングの基礎が紹介されていた。私はすでに「プログラミング」の方に興味が移っており、ゲーム自体への関心は薄れていた。
同様に、ゲーマーでないパソコンユーザーは、たぶん多くがDTMなどの作曲分野やコンピュータグラフィックといった、パソコンでしか出来ないクリエイティブな趣味へと流れていったのだと思う。
私自身は、パソコンをお遊び程度には使っていたものの、日進月歩の世界でPCー6001の性能ははすぐに陳腐化、ファミコンの登場により廉価PCという市場自体がなくなり、時代は20万円前後のミドルスペックパソコンが中心となっていく中で、趣味としてのパソコンからは遠ざかった。PC−9800シリーズが全盛となる頃には、恐らく思春期を迎えたパソコン少年達がエロゲーに群がるようになっていったと認識している。
その後、私がパソコンに復帰するのは、就職後、Mac(Performa)を購入してからだ。まだ初代iMacが登場する前の話である。
(引用元:http://news.denfaminicogamer.jp/projectbook/torishima)
――堀井さんのゲーム特集コラムは、プレゼントページにくっつく形で始まったものなんですか?
鳥嶋氏:
そう。
ちょうどその頃、パソコンが売られだして、家庭用ゲーム機もどんどん出てきたんだよ。トミー、タカラ、バンダイあたりまで出していた時代だったからね。そこでジャンプでもパソコンゲームの特集から始めてみたんだね。
佐藤氏:
そんなことをジャンプがやっていたんだねえ……。でも当時といえば、団塊ジュニアの子たちが小学生5・6年生でしょう。そうなるとPCを買ってもらっていた子は……あれ、いたのかな?
鳥嶋氏:
いや、買えなかったと思うよ(笑)。当時のジャンプの読者は小学校高学年、中学生のあたりだもん。それなのに国産のパソコンなんて一番安いPC60シリーズでも、まともに周辺機器を揃えようとしたら20万円を超えていたでしょう。絶対に、ムリムリ。
一同:
(笑)
――じゃあ、ゲーム仲間でジャンプ誌面を乗っ取ってパソコンゲームの宣伝をしたようなものじゃないですか、ひどい(笑)。
鳥嶋氏:
でも、記事の評判は良かったんだよ。
と、書かれている。
ゲームウォッチが流行ったのは、団塊ジュニア世代の私が小学3〜5年生頃。
そして、その頃には、もう小学生には定価10万円を切るパソコン(当時は「マイコン」という呼び方が一般的)の情報が入っていた。
切っ掛けは多分、コロコロコミック。ゲームをやっていた子供は同誌の「ゲームセンターあらし」を知っていた、そして、作者・すがやみつる氏の書くホビー入門書(ラジコンなど)も手にしていた。その一つに『こんにちはマイコン』があった。
同書で紹介されていたのはNEC製のPC−6001。「パピコン」の愛称で武田鉄矢氏が宣伝していた。定価89,800円。
これを私は買ってもらった。もちろん大ねだりしてだが。
これに拡張RAMとプログラム読み込み様の安いカセットデッキを買ってもらい、モニタは自宅にある古い14型TVと、3万円程の白黒モニタを併用していた。これで、黎明期のパソコンゲームを遊んでいた。
そして、私の他にも、クラスで数人は、パソコンを持っていた。この後、鳥嶋氏のいう通り、トミーやバンダイなどのおもちゃメーカー、カシオなど計算機メーカー、ヤマハといった楽器メーカー、そしてソニーなど、きわめてバラエティに富んだメーカーが廉価パソコン市場に参入する。その中でも、友人たちは、10万円台前半のものを購入していたように記憶している。仲の良かったある友人はソニーのXシリーズを買ってもらっており、その高スペックがうらやましかったものだ。
70年代後半からのテレビゲームブームは、こうして一時、パソコンゲームのブームへと繋がった。そして、そこに小学生の消費者は確かにいた。1本3,000〜5,000円のカセットテープに記録されたゲームプログラムを購入し、遊んでいた。その時代が終わるのは、ファミコンの登場によってである。
この後、コンピュータゲーム「プレイヤー」は、ファミコンに流れた。私は中学生になっており、ファミコンには興味を持てなかった。すがやみつる氏の『こんにちはマイコン』には、BASICによるプログラミングの基礎が紹介されていた。私はすでに「プログラミング」の方に興味が移っており、ゲーム自体への関心は薄れていた。
同様に、ゲーマーでないパソコンユーザーは、たぶん多くがDTMなどの作曲分野やコンピュータグラフィックといった、パソコンでしか出来ないクリエイティブな趣味へと流れていったのだと思う。
私自身は、パソコンをお遊び程度には使っていたものの、日進月歩の世界でPCー6001の性能ははすぐに陳腐化、ファミコンの登場により廉価PCという市場自体がなくなり、時代は20万円前後のミドルスペックパソコンが中心となっていく中で、趣味としてのパソコンからは遠ざかった。PC−9800シリーズが全盛となる頃には、恐らく思春期を迎えたパソコン少年達がエロゲーに群がるようになっていったと認識している。
その後、私がパソコンに復帰するのは、就職後、Mac(Performa)を購入してからだ。まだ初代iMacが登場する前の話である。