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昼行灯(だった)トキの大雑把なひとりごと

クレヨンしんちゃんよりもユルく生きていた(当面過去系)私の備忘録と、大雑把なひとりごと。時々細かく語ることも。

語りあうこと

2016-03-26 22:42:39 | Weblog
小山田いく作品は、少年時代の親友を連れて来てくれた。
私が小学校で「すくらっぷ・ブック」を読んでいると、彼は声をかけてきた。
彼は「星のローカス」派だっが。
以後、大学生くらいまで、彼は最も親しい友人だった。

今は、彼と疎遠になっている。というか全ての友人と疎遠なのだが。
従って,小山田先生の訃報について語り合える人がいない。

2ちゃんねるのスレッドが思いのほか伸びている。みんな、印象的な台詞や場面をよく覚えている。
それを読みふける。そして切なくなる。

時は日々失われてゆく。現在は過去となりそして消える。
結局は、「今を生きている」ということを不断に繰り返すしかないのだ。
クリシュナムルティが結局は正しいのだ。

青春のお手本

2016-03-26 08:54:33 | Weblog
私にとっての青春のお手本は「すくらっぷ・ブック」と「まんが道」だ。


私が「すくらっぷ・ブック」を読んでいたのは小学生時代。
中学生になるとあんな感じの生活が待っているのかと思っていた。
しかし、もちろん、そんなことはなかった。
身体がでかいので一目置かれてはいたが、自分はどちらかというと内向性グループに属し、リア充連中とは一線を画していた。
いじめられたこともあるし、喧嘩もしたことがある。
小学生のころから漠然と思っていた「いつか自分を蛇蝎のごとく嫌う女子が現れるだろう」という予感が現実化したのもこの時。
どちらかというと、中学時代は暗黒時代。
高校も似たようなもの。男子校だから女子との交流なんてなし。自分はアイドルオタだった。

「すくらっぷ-」な感じに近かったのは、大学時代後半。色々なことがあり、楽しかった。
今では年賀状のやりとりぐらいで疎遠と言っていいが、同期7人は皆よい仲間だったと今も思う。
あの頃、研究室に入り浸り勉強をしていた時間は「まんが道」で漫画家諸氏がトキワ荘に集うイメージに近い。
恋愛の入り口みたいなものもこの時期だった(自分世代にしては遅い。しかしリア充でなかったのだから仕方ない)。
飲酒や喫煙なども絡み、実に芦ノ原中学生の青春描写に近い生活だった。

就職した後に連載が始まったのが「むじな注意報!」。「すくらっぷ-」の面々が大人になった時代の物語。
自分も「青春」から抜けていった日々。
そして何十年がすぎ、つい3年前、小諸聖地巡礼をようやく果たしたばかり。
その2年前には「まんが道」の聖地巡礼で富山県高岡市を訪れている。

いま、この卒業の時期に、小山田先生が逝ってしまった。
「ここからは、君たちの手で!」が、永遠のものとなった。

青春があり、仕事に行き、結婚して、仕事に疲れ果て今に至る。
今の自分の魂は、また「すくらっぷ・ブック」の頃に戻っている。
悲しむにも体力が必要なのだ。悲嘆するには自分は疲れすぎている。脱ぎ捨てられたボロ衣のような自分がここに居る。