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時の関守

この世を生きる (2)

異論はあるかとは思いますが、人はこの世に、何か目的をもって生まれて来ている。
それは、もしかすると、前世でやりのこした宿題だったのかもしれない。
神様からちょっと、用事をたのまれたのかもしれない。

ちよっと前、確かスーパーボランティアの尾畠(おばた)さんというかたがいましたよね。
誰にもまねできない、その生き方に尊敬こそすれ、ばかにするような方はいないでしょう。
この世を上手(じょうず)に生きることはできても、見事に生きることはなかなかできないということが(尾畠さんを見れば)わかります。

この世を見事に生きるためには、この世のしがらみをいったんは捨てなければならないのだと思います。
チャンスは必ず何度かあるはずです。でも、しがらみがあると難しいでしょうね。
しがらみというか、生存するために人は必死に生きている。
この身体(からだ)を維持しようと、食べるために必死に生きている。
そのことを否定しません。

でも、それは生きるために生きているのであって、生きる目的ではありません。
よく、自分は人に言えない苦労をした。こんな苦労をしましたよ、と言うかたがおりますが…
それはすごいと思いますが、自分のための苦労は、自分がその報酬をうけとっているので、人に言いたい気持ちはわかりますが、褒(ほ)めてもらう必要はないのだと思います。

ただ、自分のためではなく、人のために尽くす行為は、他人からみても見事だし、天の知るところとなるのだと思います。

天は地(を知り)、地は人なりと聞かせていだだいたことがあります。
天から見て、天から知られるようになったとき、または、天から知られるぐらいの行動によって、人はその目的(使命)を果たしたと言えるのかもしれません。

この世に生まれてきたという、その目的です。

コメント一覧

tokinosekimori-kitaiwahara
小春日和さんは、私がブログをはじめたころから、フォローさせていただいていましたので、とても、うれしく思います。
私たちが人生のなかで、経験したあらゆる出来事、瞬間を天は見守り、全てを知っている。
また、その意味で、私たちの霊はその(全ての)責任を負っている。
最近私はそう思っています。
ですから、私たちの霊というものが、本当に(この世でその)目的をはたすということは、これからなのです。
還暦を越えて、それからがやっと本番なのです。
今までは、たましいの出る幕がなかったのですから。
だって、たましいとか霊とか、私たちはあることさえ知らかったのですから。
心の望むところ、自由に、心が本当に満足することにチャレンジしてください。
hiromi1011
還暦直前になって、私の人生はこれで良かった
神様が「あなたは、これ」ってくださった宿題、mission
神様!やり抜きました♪だから、もう遊んでいい?これからは楽しく生きていかせてね😊
そんな気持ちです
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