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時の関守

この世を生きる

昨日の夜から、中尾彬(あきら)さんが亡くなられたというニュースが流れていました。
朝のテレビもその話題でした。
眠るように、池波志乃さんに見守られてのことのようですね。
終活、おしどり夫婦、そのような映像がながれるのを見ながら、ちょうど私が今考えていることとだぶっている感じがして、身につまされました。

この世に生きて、この世に生きてないかのように生きる。
なぜかわかりませんが、つい先日そう心に浮かんできました。
この言葉は、だいぶ前に読んだ「神との対話」という本に書かれていたように記憶しています。
すごいなぁ、とは思いましたが、自分にそんな生き方ができるとは、とても思えないので、とくに考えもしていませんでした。

でも、最近その言葉が頭のなかに浮かんできて…
私がこれから生きるということは、そのように生きなきゃいけないんだろうなぁと、わけもわからず思いました。
理由はありません。

コメンテーターのかたが、中尾彬さんについて、こんなことを言っていました。
「中尾彬さんが、役者なんて面白くもなんともないよ。と言っていました。でも、その突き放しところが、かれの役者としての味になっていたんじゃないでしょうか。」(私のおおざっぱな記憶によるものなので、正確な言葉ではありませんので、ご容赦ください。)

人はこの世に生きて、この世に溺(おぼ)れてはいけない。
溺れてもいいけど、どうせなら自分がよくよく考えて、選択したものに溺れるべきなのだろう。もしくは、それとはまったく逆に、直感にしたがってもいい(のかもしれない)。

大谷選手が日本中の人々の心をとらえているのは、プロスポーツ選手のスーパースターというよりも、彼の生き方、ある種(しゅ)いさぎよさに負(お)うところが大(だい)であるように思うのは私だけなのでしょうか。
彼こそ、この世に生きてるのに、この世を生きていないかのように生きている。
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