うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

筑波山知足院中善寺大御堂:千手観音菩薩

2024-06-16 18:00:00 | 神社仏閣

筑波山神社の横に大御堂がある。

筑波山にはなんども行ったが、初めて寄った。

 

延暦元年(782)年に建立されたとある。

山岳信仰で筑波山中腹に位置し、信仰を集めたようだ。

江戸になると徳川綱吉のバックアップで発展したそうだ。

江戸に別院までつくられたという。

しかし、明治政府の廃仏毀釈で廃寺に追い込まれた。

 

その後、昭和初期に筑波山大御堂として復興にされ、

東京文京区の真言宗豊山派護国寺の別院という。

令和2年には新しいお堂ができた。

まだ新しく、ピカピカしている。

中の千手観音菩薩(千手千眼観自在菩薩)はピカピカである。

(残念ながら撮影禁止でした)

 

振り返るとつくば市方面が眼下に。

 

ちなみに、ここは坂東三十三観音第25番霊場

御朱印ももらえるらしい

 

この横の道が筑波山登山口の近道なので(神社を迂回)、そこそこの人が通っている。

でも、ここに立ち寄る人は少ないようだ。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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千勝神社:猿田彦大神

2023-01-07 04:00:00 | 神社仏閣

牛久沼の突端はつくば市。

そこに千勝神社がある。

適度な大きさで地元の人たちがお詣りする。

 

 

けっこう古い神社だそうで武烈天皇(502年)に奉斎されたとある。

(神仏を謹んでお祀りすることを奉斎というそうだ)

以前は下妻市(20kmくらい北)にあったのを昭和39年に移転されたそうだ。

 

 

猿田彦大神が祀られている。

導きや道開きの神様だそうで、迷える私たちには御利益あるかも。

また、世界平和を願っていて、今のロシアーウクライナ戦争を思うと願わずにはいられない。

 

 

各種お守りやお札がテントの下に並んでいる。

好きなのをとって巫女さんのいる会計の窓口にもってお金をはらう。

勝手にもって行く人もいそうだが、神様の前で悪さはできないはずと信じているのだろう。

良い神社とおもう。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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筑波山神社のスギの御神木

2022-12-03 18:00:00 | 神社仏閣

筑波山神社のご神木の一つにスギの大木がある。

もちろんこの大きさなので、樹齢数百年。

外からはわからないが、まだ中身もしっかりしていそう。

筑波山神社の創建年は不明らしい。

奈良時代の万葉集にもつくばは歌われているというので、西暦3桁代だ。

相当古い神社なので、関東平野の山岳信仰として作られたものと思われる。

 

そのとなりに杉本屋さんというお食事処。

その名の通り、昔からここで営業されているのでしょう。

客は少ないようにみえるが、一等地にある食堂だ。

ご神木も、このお店もかなり年季が入っていそうですが、どちら様も末永く残ってください。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

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出島の椎:かすみがうら市の古木

2022-09-11 13:00:00 | 神社仏閣

出島村。長崎ではない。茨城県。

今はかすみがうら市。

「出島の椎(しい)」と呼ばれるスダジイの老木がある。

すれ違い不可の狭い道を行くと、山門が立派な長福寺がある。

その横にこんもりとした樹がそれだ。

茨城県の天然記念物になっている。

入り口の山門は立派だが本堂はふつうの民家風。

それでも、シイは特別な存在のようで、この集落の大切にされているようだ。

この時期、ちょうど白いお札がペタペタ貼られていた。

このシイの周りを一回りすると、四国48箇所霊場を回ったことになるそうだ。

檀家さんの名前が入ったお札はそれにあやかったのだろうか?

 

ならんでいるお地蔵さんはかなり風化しているものもある。

江戸時代から並んでいるのだろう。

 

シイの木の横にある小屋をのぞいてみると、いらっしゃいました。

どなた様でしょう。

真言宗のお寺です。空海でしょうか。

 

さびれた山村風景であるが、かつては大きなお寺だったという。

市のHPには「万葉集の研究家で知られる恵岳(えがく)は、この寺の住職であったといわれています。」

「コトバンク」によると、

恵岳:1719-1789 江戸時代中期の僧。享保(きょうほう)4年生まれ。真言宗。江戸弥勒(みろく)寺の恵教に師事。常陸(ひたち)(茨城県)の長福寺をへて,宝暦4年常陸楽法寺の住職となり,同寺を再建。和歌や書道にすぐれ,「万葉集」の研究で知られる。

だそうです。

夏の終わりの霞ヶ浦周辺ドライブであった。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

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さきたま古墳群:修復と大発見

2022-08-07 12:00:00 | 神社仏閣

先週の続きであるが、圏央道にのって埼玉古墳群に。

古墳はいまでこそ大事にされているが、受難の時代があったようで、土取場として削られた。

ここの稲荷山古墳も前方後円墳の片方は第二次大戦中1937年に完全になくなっている。

写真の下、三角の分は撤去された。

掘り返すと、層状に土(たぶん関東ローム)を固めてあったそうだ。

 

その後、1978年に円墓のてっぺんから埋葬された骨と剣が見つかる。

剣は国宝になるほど素晴らしいものだった。

ということで? 2004年に復元されたそうである。

この部分↓はレプリカです。

戦争中に前の部分も壊されなくてよかった。

しかし、よくも1500年近く掘り返されずに残っていたものである。

後円墳の山頂に様子が記されている。

 

この鉄剣は公園の博物館で見られるが、金の刻印がみごとである。

稲荷山古墳出土鉄剣(国宝)

埼玉県立さきたま史跡の博物館

全部で115文字も記されている。

発掘されたのは奇跡に近い。

 

にわか考古学ファンになって古墳にこうふんした一日であった。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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