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うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

国指定の天然記念物:三春の滝桜

2025-04-19 16:00:00 | 名所

福島県三春町のしだれ桜は日本三大桜ともいわれ、多くの観光客をあつめる。

開花情報をたよりに、平日の晴れた日をねらって行ってみた。

片道約3時間弱

 

 

樹種はエドヒガンという。

推定樹齢1000年以上らしいが。。

江戸時代から保護されていて、大正時代に始まった天然記念物制度の最初に登録された3本のうちの1本である。

 

雪で折れたりしたそうだが、樹勢回復工事でなどで今は元気なように見える。

周囲にも桜を植えたり、菜の花畑をつくったり、交通整理に多くの要員をやとったりと、市にとっての経済効果は大きいものと思われる。

2011年3月の原発事故の時は桜祭りが中止になったので、東電に損害賠償を3272万円請求しているという。安すぎないか?

 

駐車場はただだが、入園料は500円。

福島名物の売店なども出ていて、平日ながら結構な人出だった。

 

 

往復6時間の運転だったが、みごとな桜を楽しんだ。

 

ではまた、ぶらり。

 

往復6時間の運転は

 


樹齢118年のソメイヨシノは小学校のど真ん中

2025-03-30 17:00:00 | 名所

茨城県土浦市の真鍋小学校は明治10年創立という

その校庭に明治42年(1907年)植栽のソメイヨシノがある。

樹齢118年!

校庭の真ん中に5本も並んでいる。

土浦市の名所にもなっていて、桜のころには校庭が解放される。

なかなかタイミングあわず行く機会がなかったが、ようやく訪れることができた。

 

 

ソメイヨシノは寿命が短いといわれる中、100年を超える桜はきれいに咲き誇る

ふつうなら根元付近は入れないように柵などで保護されているが、近くによって幹に触ることもできる。

もっともグランドなので、子供たちはこの機の周りで走り回っているのだろう。

きちんと管理されているのは苦労が多いと察する。

 

入学るすると全校生徒で「お花見集会」をやるのが恒例とHPにはある。

校舎には夜桜用の照明までセットされている

検索すると、森山直太朗がこの桜の下で歌っている映像があった。

ここの小学校の卒業生は日常の活動に多少不自由を感じても、この桜を誇りに思っているとおもう。

 

 

樹木の中では日本人に最も愛されている桜の木もここにあって幸せだろう。

 

ではまた、ぶらり。

 


津軽海峡は公海:上空から

2024-11-24 09:00:00 | 名所

北上する飛行機で津軽海峡を見わたした。

本州の青森県竜飛岬の上空。その先には北海道の渡島半島南端が見える。

 

この辺りは太宰治の小説に出てくる。

 

さらに数分後、下北半島があらわれる。

恐山は緑がない。

そして下北半島の突端の向こうには函館がのぞく。

 

その距離わずかである。

ここは国際海峡となっていて、断りなくだれでも通れる。

ロシアや中国の艦隊も通過できる。

日本の生活圏のすぐ目の前。

当然、日本政府やたぶん米軍も監視している。

そして、函館山と市内がきれいに見えてきた。

魚介のおいしい観光都市でもある。平和な日本。

 

 

これだけ狭いので、日本の領海とすることはできるらしい。

ただし政府は公海と位置付けている。

 

その経緯はwikipediaにのっている。

「公海部分は核兵器を搭載した外国の軍艦を含め自由に通過することができる[注釈 5]。」

「これについて日本政府は「重要海峡での自由通航促進のため」と説明しているが、複数の元外務事務次官から得た証言として共同通信社が2009年6月21日に配信した記事では、1977年施行の領海法の立法作業に当たり、外務省は宗谷、津軽、大隅、対馬海峡東水道、同西水道の計5海峡の扱いを協議し、1960年の日米安保条約改定時に密約を交わし、核兵器を積んだ軍艦の領海通過を黙認してきた経緯から、領海幅を12カイリに変更しても米国政府は核持ち込みを断行すると予測した。そこで領海幅を3カイリのままとして海峡内に公海部分を残すことを考案し、核艦船が5海峡を通過する際は公海部分を通ることとし「領海外のため日本と関係ない」と国会答弁できるようにした、と報じている[5]。」

 

こういう事態にならないことを祈るのみである。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 


日比谷公園工事中:ユリが見ごろに

2024-06-23 14:00:00 | 名所

日比谷公園が工事中だ

緑の絵を書いた囲いが噴水の南にひろがり通行止めになっている。

いつもは芝生とバラが咲いているはずだが。

 

一部が透明で中をのぞけるようになっていた。

好奇心を満たしてくれる。

全部表土をはがして袋に詰めてあるらしい。

 

 

工事説明の看板によると段差をなくしてバリアフリーにするという

 

ついでに広場も増やすようだ。

明治神宮外苑のもめごとがあるからか、樹は残す、

または動かすが、一本も切らないとうたっている。

 

そんな工事の先に、ユリがたくさん咲いている。

まだ白いユリがほとんどで、これから色のあるユリが咲きそうだ。

 

ユリの遠景が新しくできた高層ビルなのはやはり東京の景色。

ちょっと寂しくもあるが、高原に来たような気分を一瞬感じさせてくれる。

 

足早に先を急ぐ人たちが多く、都会のオアシスは目に入らないのだろう。

今週からは都知事選の選挙カーも行きかうかもしれない。

咲き誇るユリは東京の時間をまとわず静かに咲くだけだ。

 

ではまた、ぶらり。


松戸市戸定亭:水戸徳川の個人邸

2024-05-04 18:00:00 | 名所

水戸藩第11代藩主であった徳川昭武(将軍徳川慶喜の弟)が江戸川を越えた松戸に1884年(明治17年) に作ったお屋敷と庭園

慶喜や皇族たちがたびたび遊びに来たという。

松戸駅から歩いて10分ほどで入口につく。

 

坂を上るとひなびた門があるが、当時のものかどうかわからない

現在となりにある千葉大園芸学部のキャンパスも含まれていたそう。

相当大きかったそうだが、現在は母屋周辺しか残っていない。

昭和30年代まで子孫が住んでいたという。

多いときは20人ほどの使用人を使っていたが、経済的には楽ではなかったのだろう。

離れの建物などを切り売りしている。

その後、母屋も解体されて売られてしまった。

その家を探し出して再移築している。

 

昭武の趣味は写真撮影や狩猟、陶芸だったそうで、優雅に暮らした様子がわかる。

 

 

使っている木材も最高級品で、太く長い無節の柱に、扉は屋久杉の一枚板

 

庭はきれいに手入れされて緑がまぶしい

 

庭に出ると頻繁に常磐線の電車の音が聞こえる。

庭のすぐ下に線路が通っていてうるさい。

常磐線の開通を調べると、1896年(明治29年)。

日本鉄道により田端 - 水戸間が開通とある。当時は蒸気機関車。

うるさかったとおもうが、文明開化で発展の象徴で誇らしかったのかも。

一日に何本も通らなかっただろうし。

 

 

当時の優雅な生活に興味はないが、残っている優美な工芸品や居室のたたずまいを見ると、売却されなくてよかったと思う

それに、手入れされてこその価値、古いものは貴重であるが、維持管理は難しい

 

ではまた、ぶらり。