うしくの辺り:魅力度最下位? 茨城県の南部

茨城県の牛久市を中心に、散歩やドライブで見つけた素敵な場所や不思議に思ったことをつづった。魅力度最下位茨城の地味な魅力。

北小金:日蓮宗本土寺

2022-03-05 19:00:00 | 神社仏閣

常磐線で千葉の松戸市、北小金に友人を訪問。

はじめての北小金駅。

この駅は常磐線の快速や中長距離電車は通過するためホームがない。

千代田線乗り入れの各駅停車専用の駅である。

そんな駅なのでほとんど関心はなかった。

 

友人との用事がすんだ。

駅近くで一緒に昼食後、彼が日蓮宗本土寺を案内してくれた。

1277年に建てられたという。

日蓮の直系の流れの3大寺の1つ(朗門の三長三本というらしい)。

江戸末期には末寺4院6坊75寺を数えたという。そのためか境内は広い。

千葉県松戸市平賀63

 

参道には並木道があり、土産物屋もあった。

明治の廃仏毀釈と日蓮宗の不受不施派寺院であったため衰退したという。

不受不施(ふじゅふせ)とは、日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという(wikipedia)。

宗教としては原理主義。

宗教に詳しい友人はいろいろ説明しくれるが、よくわからなかったので、wikipediaでしらべた、

日蓮宗は江戸時代に幕府のもとで厳しい権力争いがあったようだ。

(宗教はどこも内部の主導権争いがつきものね)

 

そんなことを感じさせないのどかな昼下がりであった。

 

 

ちなみに、不受不施だったはずが、今はアジサイ寺として、季節には繁盛しているらしい。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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大角豆天満宮:つくば市ささぎ地区

2022-02-12 19:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部、つくば市の並木地区。

産業総合研究所(産総研)や公務員宿舎として開発された区画。

この辺りは昔から大角豆(ささぎ)と呼ばれている。

そこに筑波研究学園都市開発エリアに「並木」という町名を大角豆の一部にかぶせた。

「並木」という陳腐な名前はいかにもデベロッパーがつかいそう。

そのため、並木○○丁目〇-〇の周辺を大角豆○○〇番地が囲っている。

 

 

大角豆天満宮は大きな農家がたち並ぶ集落の一角にある。

正月にはお灯明も点けられ大事にされているもよう。

 

しかし、この地には昔、西光院という寺があったそう。

でもご多分にもれず歴史にもまれ、最後には廃仏毀釈で荒れたという。

平成になって、散逸した墓標を集め、黒御影の立派な石碑と墓標供養が作られた。

 

 

 

先週の日待塔もそうであるが、新しい住民には伝わってこない集落の人々の強い絆がうかがわれる。

(これを作る費用は相当と思われ、この出費も絆になるのだろう)

 

そんな集落にも最近数戸単位の新しい分譲地が切り売りされ、雰囲気の違う家が建ってモザイクになりつつある。

新しい人たちとはお互いあまり干渉しないらしい。

歴史や住民のつながりはこの辺りでふたたび途切れてしまうのだろうか。

そして数百年後、誰かがこの石碑を発掘する日が来るのだろうか。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

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日待塔:イオンの近くにひっそりと

2022-02-06 20:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部、つくばイオンの近くに石碑があった。

イオンに行く時にときどき使う旧道。

ふつうは車で通過するだけなので気づかなかった。

 

散歩をかねて歩いてイオンに向かったとき道沿いの神社で見つけた。

古くて字のかすれた石碑。その横に御影石の立派な解説つき。

両者が御影石のステージに乗っている。

このステージができる前は、頭がかけた石碑が道端で傾いていたのだろう。

 

碑文によると西暦1595年(文禄4年)のもの。

日待は決められた日の夜、地域の仲摩がお堂や家に集まって、豊作祈願や人々の幸運を祈って神仏に礼拝し、翌日の日の出を拝む太陽崇拝にもとづくもので、ここでは9人の施主が3年間の日待供養を成就した記念に碑が建てられた。

 

ネットで調べると、日待は少なく、月待がたくさんヒットする。

県内の月待の碑を集めたブログを見た記憶がある。

日待、月待は江戸時代に流行った風習らしいが今はすたれて詳細はわからないという。

 

 

メソポタミアの石碑とは比べものにならないかもしれないが、酔狂な9人衆の作った石碑は地元にとって十分価値のある存在だ。

そして、たまには歩いてイオンに行くのもよいものだ。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

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雨引観音:アジサイとクジャク

2021-06-19 19:00:00 | 神社仏閣

茨城県南部。筑波山の北に続く山すそのに

「雨引観音(あまびきかんのん)」がある。

板東24番札所になっていて、584年に開かれたずいぶん古いお寺だ。

聖武天皇、光明皇后、嵯峨天皇などの名前が出てくる。

足利尊氏や徳川家康からも大事にされた歴史が書かれている。

安産、子育てに霊験があるそう。

あまびきというので、雨乞いかと思うが、特に説明はない。

 

今の時期はアジサイがきれいで、夜はライトアップまでされている。

平日ながら天気が良かったせいか、そこそこの人出。

皆さん、ちょうど盛りのアジサイの写真を撮っている。

 

境内の奥に行くと、掘っ立て小屋があって、金網の中にクジャクがいた。

つがいのようだ。

 

 

また、境内あちこちにアヒルが歩いていたり、

池で水浴びをしている。

ちょっと変わったお寺さんである。

 

土産物などのある売店をでると、クジャクがの大きな尾をゆすりながら、そりのそりと歩いているではないか。

さっきのクジャクとは別のようだ。

店の縁側で中の様子をうかがっている。

参拝客もびっくりしながらも、しだいにスマホで写真を撮り始めた。

クジャクと同じような柄の服を着たお姉さんはそっと近寄りツーショット。

 

店の人に聞くと、夕方になるとえさをもらいにやってくるそうだ。

決して中には入らないかしこいクジャクだという。

 

バードランド雨引観音であった。

 

ではまた、ぶらり。

 

 

 

 

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香取神宮:下總國一之宮 、檜皮葺の屋根がきれい

2021-02-27 12:00:00 | 神社仏閣

県境をこえてしまうが、利根川の対岸、香取神宮は鹿島神宮に近い。

成田方面への高速にのって佐原香取ICでおりてすぐ。

下の道でもすいていれば15分程度のようだ。

 

以前は特別な神社だけが「神宮」と呼ばれた。

それは伊勢神宮、鹿島神宮、香取神宮のたった3社しかなかった。

香取神宮も行くしかない。

参道は土産物屋がならび、どこも同じような観光地の雰囲気。

 

少し登って左に折れ、階段を上ると、社殿が。

檜皮葺がとても美しい。

 

古い神社で神武天皇18年に創基とある。

神武元年が西暦の紀元前660年とされているので、紀元前642年になる。

(この辺りの年代の議論は江戸時代から多事争論というwikipediaの記事)

正確な年はともかく、昔々からこの地にあったのだろう。

本殿や楼門などは元禄13年(西暦1700年)造営で国の重要文化財。

 

「ブラタモリ」では、鹿島、香取は北の蝦夷に睨みをきかせるために作られたと紹介されていた。

国家は最強パワーを置いたのだろう。

今でもパワースポットと呼ばれて人気がある。

 

お詣り後、駐車場へ向かう横の道を通ると、

天真正伝神道流始祖、飯篠長威斎(いいざさちょういさい)の墓への案内板があった。

将軍足利義政に使えたというので、1400年代後半ころの人。

道を左にそれて少し進むと、緑泥片岩の素朴な墓があった。

緑泥片岩は緑色をした広域変成岩で、庭石などに好まれる(三波石など)

(岩石を語るなど、ブラタモリのようになってきた)

この墓石の上部がばっさりと切ったようにかけている。

墓前には新しいヒサカキが供えられ、手入れは行き届いき、今も大事にされている。

 

 

ではまた,ぶらり。

 

香取神宮

35.886088, 140.528805

35.884820, 140.526633

 

 

 

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