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民主主義と外国人参政権・押し問答

2005年11月26日 | 民主主義と人権問題
> 市民権と国籍は完全に同一です。アメリカの市民権を取得することは、アメリカの国籍を取得することを意味します。

えっと(^^ゞ
五番街さんのコメントなので、まじめにお答えします(笑)

これは(私の言っている「市民権」と「国籍」と言う概念の違いとは)まさに五番街の言うところの「市民権(出生地主義)」と「国籍(血統主義)」の違いの事を指してます。

たとえば欧米では市民権を得たからと言って、日本で言うところの「日本人」になったわけではありません。アメリカの市民権を持つ○○人です。その血統は大切にそれぞれのアイデンティティーとして社会も個人も尊重されます。

そうした意味で「市民権」と「国籍」と言う概念は明確に異なります。

> いや、私はこのようなことを述べてはいません。
> 私が書いたことは、市民権=国籍であり、新生児が市民権=国籍を獲得する方法として、アメリカでは出生主義、日本では血統主義にもとづいて手続が行われる、ということです。市民権と国籍を別のものとする見方は、全く示していません。

ですから、私が言っている概念の違いとはまさに出生地主義と血統主義に由来するものです。と言っているのであり、五番街さんがそういっていると言っているのではないです。

> いや、日本人がアメリカの市民権=国籍を獲得することは、日本で言うところの「日本人」になった、ことと全く違いはないと思います。たたえば、アメリカ人が日本国籍を獲得して【「日本人」になった】場合と、日本人がアメリカ国籍を獲得して【「アメリカ人」になった】場合、いったいどんな違いがあるのでしょうか?

帰化したアメリカ人を日本では米系日本人とは言いません。せいぜい説明的に○○出身でいついつ帰化した日本人、というような言い回しをするくらいでしょう。

> 日本国籍=市民権を獲得したアメリカ人は、たしかに、一般的な日本人と同様な見方をされることはないでしょうが、それは、国籍の問題ではなく、人種・民族の違いが解消できないからです。

いや(^^;
ですから、その「一般的な日本人と同様」と言うのが問題なのです。帰化によって制度上法律上同等の権利を得たとしても「一般的な日本人」ではないとする観念が出来上がるのが【国籍】です、一般的ではないものに対する排外主義があります。一方市民権は人種・民族に関わらず一般的ではなくてもそれを尊重します。

たとえば帰化した黒人に日本では部屋を貸さない大家が居ないとはいえないでしょう。
言葉の意味も国籍とシチズンシップではまるで意味が違います。

> 【アメリカの市民権を持つ○○人です】という考え方は、たとえば日系アメリカ人(Japanese American)のような場合を指しているのでしょう。この考え方は「国籍」ではなく、「人種・民族」をベースした見方ですね。国籍と人種・民族は異なる概念です。日系アメリカ人の国籍はアメリカです。

もう、わかりました(^^;
その通りな事はわかりきっていることでしょう、その上で市民権と国籍の概念の違いを説明しているのです。

> このような分類あるいは区分は、アメリカ国内の人種構成などを知る上では重要でしょうが、法的あるいは社会的には、このような分類・区分は存在しません。

社会的に存在しているのです。法的にもかなり人権を侵害してます。「籍」と言う制度がその根源なのです。

> 市民権と国籍という概念は同一ですが、とほほさんが無理矢理に引き離そうとしているのです。とほほさんの言う「国籍」は、「人種・民族」の意味だと思います。

引き離すことによって、問題点を見えやすくしているわけです。

> > 自国籍を持ってなくとも「市民権」があれば選挙権もある、と理解してますが(だから国籍などと言う概念はアメリカにはない、と言っているのにわからん人だ)
> 国籍と市民権のこのような関係は、じっさいに存在するのでしょうか?ある者が、ある国の国籍を持たないが、市民権は持っているという状態はあり得るのでしょうか?

ありうるのですよ(^^;
国籍など持たなくても市民権を持つ人はいるのですよ。国籍と市民権という概念が違うのですからあたりまえでしょう?
私のおばさんもアメリカの市民権を持ちますが、日本人であることにはなんら代わりがないのですよ。

> ただし、国籍を保有しないが、永住権を保有することは可能であり、国によっては永住権者に投票権を与えている場合もあります。(たしか、オーストラリアがそうですが、もっと多くの国が投票権を認めているはずですが、思い出せません。)投票権は市民権の一部ですから、永住権者に市民権の一部を認めていることになります。

ですから、話の根本が違うのです。
民主主義は「永住権を持つ外国人に参政権を与えるべきか?」という議論なのですね。
そしたら、「そういう国家がどこかにあるなら教えてくれ」と相手が言うわけですよ。
そこで「知りません、アメリカとかがそうなのではないですか?」と答えているのです。違うなら違うで一向に構わないわけですよ。

なので、関係もないことに突っ込んできても意味がないのです。

>>社会的に存在しているのです。法的にもかなり人権を侵害してます。「籍」と言う制度がその根源なのです。
>これも同様です。以前はともかく、現在の日系アメリカ人が「法的に」「人権を侵害されている」とは考えられません。日系アメリカ人の国籍は、他のアメリカ人と同じく、「アメリカ」です。

これは私が間違えました、アメリカではなく日本の「籍」という制度・概念に問題があるといっています。

ゴマかさんでくださいよ(^^;
単純に考えてください。「日本の市民権を与える」と「日本人になる」という意味が明確に日本語の上で異なることがわかりますでしょう?これがもしわからないというのであれば最初から日本の同化政策や在日問題・植民地支配を書き込んでいかなくてはならないのですが。

> これらの施策をとった場合でも、永住外国人に対して一律に参政権を与えることがひつようなのでしょうか。在日の方々のレスをお願いします。

ほぼ全面的にタラリさん、五番街さんのご意見に同意します。が、権利と言うものはしかるべき者にしかるべく保障されねばならないものであり、保障されるべきと結論したのであれば、当事者の要求の有無に関わらず保障されねばならないと思います。「私は人権は必要ありません」と言って人権を放棄することはできないのです。

あわせて、すでに憲法解釈により外国人参政権(国政含む)を否定することは論理破綻していると思います。問題は国籍法であり国籍法の改正は必要であると思います。2重国籍を認めることのどこに不都合があるのか?ご意見を伺いたいと思います。

私の主張は既出の通りであり思考錯誤より若干修正引用します。

>とほほさんのスタンスとしては、国籍法上、日本国籍を取得する際、重国籍を認めていないので、その条件を緩和して日本国籍を与え重国籍を認めた上で外国籍も持つ人に国政、地方を問わず選挙権を与えるということでよろしいでしょうか?

これも問答でちょっとした議論になっているのですが、まあそういうことです。しかも「国籍」と言う言葉を使わずに「市民権」で良いと思います。
憲法は国民の要件を定めてませんから、市民権を持つものは国民である、と言うことですね。

国籍と市民権と言うのは制度上全く同じ機能を持つものですが「漢字」や「言葉の意味」と言うものの持つインパクトは大きいです。


リーさんへ>

一点ですね、「日本の憲法は国民の基本的人権を保障しているのであり、外国人の基本的人権を保障しない」と言うのは誤りです。これは最高裁の結論として既出であり指輪さんが提示していると思いますので指輪さんの投稿を参照されてみてください。ただ、リーさんに指摘されてみて確かに誤解を受けやすい表現であり私自身も違和感を感じることがこれまでにもありましたので改正の必要はあると思います。

「日本国は国内に居住するすべての者の基本的人権を保障する」とすべきであると思っています。

>【わが国の永住権を持ち、わが国で出生あるいはわが国に住みはじめて満20年を経過しその間他国(=わが国以外の国)の参政権を一度も行使したことがない】という条件で私は日本国籍を持たない外国人の参政権を認めてよいと考えています。

結論が一っ飛びに飛躍してます。
「人権」と言う概念は「他者の人権を侵害しない限り」無条件に保障されねばならない概念なのです。
ですからまず「無条件在住外人国参政権」のどこに不都合があるのかを議論し、それの他者への人権侵害が認められて初めて制限することができるのですから、そこから議論を始めねばなりません。

日本は「世界人権宣言」に批准していることを忘れてこの議論をすることは決してできません。

> ちょっと、ちょっと。私と五番街さんへの気遣いから「同意します」と言われたのかも知れませんが、私と五番街さんは「現時点では参政権を一律に与えられない」ですから、このように書くと無用の混乱を生じます。

いえいえ、ほとんどのご意見に同意してますので、結論は出ていると言うことです。ただ一点タラリさんとの意見の違い「重国籍を認めるか、否か」で結論が異なってますのでその点をお伺いしているのです。まず私が同意した点を列挙しましょうか?

五番街さん
○全然わかってないんだねぇ、ここで私が言いたいのは、定住外国人が国民と同一の義務を課せられ、それを履行しているのに参政権が与えられないのはおかしい、ということだよ。

つまり、こうした事も考えると定住外国人に参政権がないのはおかしい、と言う主張であり「納税しているから権利がある」と言う主張ではない、理解しました。

タラリさん
○民族的アイデンティティの否定または放棄に近いことが要求されています。
○日本人一般の意識として外国人は帰化しても「外人」として処遇されたりする風土があります。
○私の解決案の第一は、永住外国人に対して参政権を一律に与えるのでなくして、国籍法における障壁を低くして、参政権をとりやすくすることです。

全く意義はありませんので、同意したのですが、不愉快でしたでしょうか?(^^ゞ

> 「憲法解釈上、参政権を否定することが論理破綻である」というためには自らの憲法解釈を示さなければなりませんが、今までのとほほさんの書き込みには示されていないように思います。

私が示さなくても指輪さんが示しておりますし、一応1行レスで既に示しております(笑)つまり私からしてみれば他に解釈の余地のない自明なことなのです。

○憲法では「国民の要件」を定めていない、国民の要件は法で定める、としているわけですから、定住外国人を国民である、と法で定めることにより十分に対応可能であり、少なくとも「憲法解釈上、参政権を否定することは論理破綻である」は自明に成立すると思いますが、この論理に何か盲点がありますか?

> とほほさんの主張は「永住者という条件が満たされれば、一律に日本市民権(=社会権+出入国の自由+参政権)を与える」と解されます。「国籍」という言葉をなぜ忌避するのか、今もってわかりませんが、日本国籍という言い方も廃絶するということでしょうか。

「籍」と言う言葉が人間をカテゴライズするものだからです。だから私が嫌うだけでありますが、かといってこの私の主張が通らないことは私が他者と同意できない理由にはならないのです。「重国籍の問題」で解決が可能なのです。

「民主主義は外国人参政権を認めるべきか」と言う思考をする上で、国民とは何か?ではなく、外国人とは何か?と言う風に考えるのですね。というより、民主主義はそういう風に思考すべきなのです。なぜなら、リーさんがおっしゃっているように「非国民」と言う概念が発生してしまうのです。

さてこうした場合、二通りの考え方ができるわけです。
1、日本国民ではないものが「外国人」である。
2、外国籍(市民権)を有する、もしくは無国籍の者が外国人である。

国民国家論的思考では、1での概念が当たり前のように刷り込まれてしまっているので議論が理解しにくいのです。しかし2の立場での思考も明確に外国人を定義しているわけでこの立場に立って考えるとわかりやすいと思います。しかも2の立場での思考を否定する根拠はどこにもないはずです、いかがでしょうか?

> とすれば、永住外国籍保有者は日本国内では日本国籍者とまったく違いがない、ただ、出国のさいは保有する外国籍のものとみなされ、その国のパスポートを携行するという点でのみ違うということになります。

いろいろなパターンが考えられると思います。
○「国籍」と「市民権」と言う二種の「基本的人権」を保障する。
この場合に少なくとも重国籍と言う問題は生じません、もっとも実質的重国籍でありますので「重国籍のどこに不都合があるのか」と言う議論の必要性を否定はしません。

> とほほさんの主張は「国籍と市民権は違う」、「しかし、機能は同じだ」ということですから、上記の内容でよいのだとするなら、五番街さんともようやく議論可能となります。

ですから、同意してます。
一点「重国籍であることの何らかの不都合に対して、検討することに異議はない、と申しているわけです」

以上は、問答有用での議論のうち私の発言分です。

*コメントは思考錯誤まで