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民主主義と外国人参政権(3)

2005年11月20日 | 民主主義と人権問題
この記事は2004/8に追い出せ強のトリと言うサイトの掲示板で行われた議論の一部です。
尚、論文中に日本の国籍法の経緯について不明な点がありますが、最近ペルーの元大統領の件で詳細を掲載している掲示板を発見しましたのでそちらに興味のある方は【こちら】をご覧ください。

この議論全体に興味のある方は【署名協力願い】小学校6年生の拘禁+送還と言うページで一望できるようにしてます。
どれみ氏の愉快なおつむと言うページでこれまでの とほほ と どれみ氏 の問答集を作っておりますのでご笑覧ください。(^.^)


> アメリカでかつて奴隷として連れてこられた黒人は遠い祖国を思いながら祖国の国籍を持ったままアメリカの市民権を得ることを主張しましたか?

奴隷になんの主張ができたのですか?奴隷がアメリカへ来たのは「自由意志」ですか?
奴隷に市民権選挙権があったのですか?

現代の事についておっしゃっているのであれば、すでに何世代にも渡ってアメリカに住んでますし奴隷としてどこからつれてこられたのかさえわからないでしょう。が、そのルーツを知ろうと言う黒人たちは多勢いるようですよ。

黒人の参政権運動のことを指しているのであれば彼らが要求したのは市民権(人間として当たり前の権利)であり国籍などではありません、黒人差別に対し黒人であることに誇りを持とうとする運動も盛んであり、黒人とはよばずアフリカ系アメリカ人とマスコミが書くのはそうした黒人差別への配慮でありアフリカ人であるとの彼らの示威行為です。しかも数世代に渡る強制移住によりもはや彼らに帰るべき母国はありません。

アフリカに国民国家なる体制を押し付けたのは植民地主義時代を引きずる戦後の欧米です。その為にアフリカ、中東諸国で紛争が絶えないのはご存知の通りです。

「カラーパープル」と言うスピルバーグの映画はご存知ですか?
アメリカ社会の黒人差別、さらにその黒人社会の中にある女性差別を描こうとする映画ですが、主人公の妹が主人公の夫に家をたたき出されアフリカへ移住しアフリカからアメリカへの帰国の際アメリカ人として認められずにいたところを主人公の夫が移民局へアメリカの市民である事を証明しに行く感動的なシーンがありますが、その際の妹の立場と言うのはつまり無国籍だったわけですね。

日本にも非常によく似た環境にある在日外国人も多いです。
どれみさんの言うところの「自由意志」で来日した人々は大日本帝国の唱える五族協和を信じて朝鮮人として来日してます。日本の国籍を押し付けられる謂れはありません。

> 与える正当的な理由が何一つありません。

与えるとか与えないとか傲慢な権限を民主国家日本は政権に与えていません、政権の権力は民衆が与えているものです。権利を民主主義の立場から主張しているのです。在住外国人参政権が不当(他者の人権を侵害する)である、との主張がない限り正当な理由など必要ありません。

> なぜ「外国人に選挙権を与える」必要があるのですか?

日本に居住する市民であるからです。

> 憲法も「外国人に選挙権を与える義務はない」とされているのにですよ。

憲法は「外国人参政権を否定していない」のですから、その権利を主張する事に問題はなく国家が認めることにも問題はないわけです。大体そのどれみさんの言う「判決」と言うのは本当の話なんですか?出来れば判決文を知りたいのですが、、。なんかだんだんどれみさんの情報の信憑性が怪しくなってきました。私、人の教えてくれた事は信用して議論するタイプなので嘘の情報は流さないようにしてくださいよ。

> あなたの意見は結局「軍備を放棄すれば他国から侵略されない」レベルの発言としか思えませんね。

おや?「軍備を放棄すれば他国から侵略されない」と言う論理のどこがおかしいのでしょうか?問題は軍縮過程における軍事バランスの問題です。どこの国も軍備を廃棄すれば侵略のおそれは低くなります。
現実に軍備を持たずに独立を保っている国家は存在します。

> まったく結果オーライのお話しで。その東欧諸国の民衆もかつて「理想に向けて」歩いていたんですよね。
> 両方に理想があってなぜ片一方だけの「理想」が現実化したらそれが理想の勝利なんですか?

どうしてこう片方だとかあっちとこっちとか二項対立の図式でしか物事を見れないのでしょうかね?(^^;
客観性というのはそうした二項対立図式上から離れないと身につきませんよ。
あっちもこっちもありません、東の民衆も西の民衆もその理想は自由で幸福な暮らしができる事、です。
鉄のカーテンを崩壊させたのもベルリンの壁を壊したのも東側民衆の理想への追求でしょう?
その人たちの理想と政権の政策結果が矛盾している事に気が付いたからでしょう。そして理想に近づくためにソ連邦を崩壊させベルリンの壁を崩壊させたのでしょう。それをやったのは西側の圧力ではなく東側の民衆自らが理想に向けて前進したからでしょう。
日本は戦争の惨禍で自分たちの持っていた理想の実現方法が誤りであり国家が行った外国への蛮行を知り、今があるのでしょう。なんどもなんども繰り返し同じ事を言っているだけではないですかどれみさんは。

私が共産主義を嫌うのは共産主義には全体主義や帝国主義を包含しており、共産主義体制が全体主義を排斥出来ない現実があるるからです。これは民主主義も同じ事ですが少なくとも現状は全体主義の排斥がかろうじて機能してます。共産主義体制崩壊に我々が学ぶ事は全体主義への警戒であり、決して共産主義の理想の否定ではありません。
つまり私の共産主義嫌いの本質は共産主義そのものに対するのではなく全体主義独裁主義(ファシズム)に対するものです。共産主義経済そのものは理想を求めた結果として失敗であり、失敗は経験により理想に近づく事が出来ます。日本がその失敗から立ち上がった国でしょう。

よく共産主義対民主主義とかキリスト教対イスラム教とかカトリック対プロテスタントとかの2項図式の対立構造をマスコミは喧伝しますし、また日本人やアメリカ人の共産主義嫌いもこうしたマスコミの喧伝によるものが大きいのですが、本当に共産主義の何が嫌いなのかその本質を見極めないと民主主義社会といえども共産主義体制とその危険性はなんら変わりはありません。

敵の本質はファシズム(全体主義や独裁)なのです。
この本質を包含しているのは民主主義も共産主義も同じです。

この民主主義の敵(全体主義や独裁主義)をこそ排斥せねばならず、その為に人権思想が非常に大切なのです。

決して民主主義対共産主義の対立ではないのです。民主主義と共産主義が融合できるか否かはわかりませんが、少なくともソ連邦崩壊やベルリンの壁崩壊は共産主義体制にも民主主義が存在していた証となります。

どれみさんは、北朝鮮はまだ崩壊していないから北朝鮮の民衆は理想社会で生きているとでもおもっているんですか?北朝鮮への移民団は「だまされた」と思っているはずですよ。それは現在では総連でさえ認めていることです。つまり民衆の共産主義へ期待した理想と北朝鮮の体制は全く異なるのです。
その体制を支持するのはあくまで理想を追っているからです。北朝鮮人民の理想を失わせてはなりません、北朝鮮人民の理想が独裁体制を支持しているとでも思っているのですか?。もう一度森村誠一の言葉を思い出してみることです。
「民主主義は一旦敵(ファシズム)の手に渡してしまうとそれを取り返すのは非常に困難である」事の証明が北朝鮮でしょう?

「橋のない川」と言う小説を読んだ事がありますか?
当時被差別階級の人たちが北朝鮮に対して抱いていた理想が良くわかりますよ。

> それとも東欧諸国には「追うべき理想がなかった」というのですか?
> 東欧諸国は理想を追って作られた国々じゃないというわけですね。

そうです、あくまで武力制圧によるものであり民主的に作られた体制ではありません。これは日本の民主主義も同様です。繰り返しますが理想の敵は何であるのか、よく見極める事が重要です。

> まったく、長文は相変わらずだしおまけに支離滅裂なのもいつもどうり。卑劣な人間はどこまでも卑劣ってことで。

私が卑劣であるとのどれみ氏の評価と私の理想、言論とは全く関係がないことは先の投稿で論述したとおりです。また議論とはお互いの欠けている知識を補填しあい、出来るだけ正しい情報の元行われるべきものです。そうでないと議論は間違った結論を導く事になります。お互いに気をつけましょう。

最後に私がこの議論が始まる当初から疑問に思っていたことがあります。2点です。

1、どれみさんは民主主義者ですか?

以下は紀元前ギリシャで書かれた「歴史」と言うヘロドトスが書いたもので、ある抑圧政権を打ち倒した後の体制をどのようにするのか?と言う議論を功労者達が行った際、結論としてダイオレスと言う人物の主張する独裁体制を選んだ。と言う故事です。
どれみさんが民主主義者であるならこのダイオレスの議論にどのように反論しますか?
なんなら私がダイオレスの立場に立ってディベートしてみましょうか?

【私はメガビュゾスが大衆についていわれたことはもっともだと思うが、寡頭政治についての発言は正しくないと思う。すなわちここに提起された三つの体制-民主制、寡頭制、独裁制がそれぞれの最善の姿にあると仮定した場合、私は最後のものが他の二者よりも遥かに優れていると断言する。

最も優れたただ一人の人物による統治よりもすぐれた体制が出現するとは考えられぬからで、そのような人物ならば、その卓抜の識見を発揮して民衆を見事に治めるであろうし、また敵に対する謀略にしても、このような体制下で最もよくその秘密が保持されるであろう。しかし、寡頭制にあっては、公益のために功績を挙げんと努める幾人もの人間の間に、ともすれば個人的な激しい敵対関係が生じ易い。
各人はいずれも自分が首脳者となり、そこから内紛が生じ、内紛は流血を呼び、流血を経て独裁制に決着する。これによって見ても、独裁性が最善のものであることがよくわかる。

一方民主制の場合には、悪のはびこることが避け難い、さて公共のことに悪がはびこる際に、悪人たちの間に生ずるのは敵対関係ではなく、むしろ強固な友愛感で、それもそのはず、国家に悪事を働く者たちは結託してこれを行うからだ。このような自体が起こり、結局は何者かが国民の先頭に立って悪人どもの死命を制することになる。その結果はこの男が国民の賛美の的となり、賛美された挙句は独裁者と仰がれる事になるのだ。この事例から見ても、独裁性が最高の政体であることは明らかではないか。

これを要するに、一言にしていえば、われわれの自由はそもそもどこから得られたものか、誰が与えてくれたかということなのだ。それは民衆からであったか、あるいは寡頭制からであったか、それとも独裁制からであったか。

されば私の抱く見解は、われわれは唯一人の人物によって自由の身にして貰ったのであるゆえに、あくまでこの体制を堅持することと、それは別としてもこの結構な父祖伝来の慣習を破棄するようなことがあってはならぬということである。そのようなことをして良いわけがないからだ】
(『歴史』ヘロドトス著、松平千秋訳、岩波文庫・上、三三六-三四二頁)
以上、遊牧民から見た世界史、杉山正明著、日本経済新聞社より。


2、どれみさんは人権論者ですか?

どれみさんはよく『人権』と言う言葉にヒステリックに噛み付く傾向がありますが、例えば『人権』を唱える人間に限って云々と述べられることが多いですよね?
どれみさん自身はそうした似非の人権主義者ではなくご自分こそ真の人権主義者であると自負されているのですか?または人権否定論者なのですか?

と申しますのも人権と言う概念からしてこれはこの二者択一以外の選択肢がないからなのです。これは論理的に説明できますが長くなるので省きます。とにかくある程度の人権は認める、とかこっちの人権は認めるがあっちの人権は認めない、とか言う中間的なものはないのです。これは二者択一問題なので答えるのは簡単でしょう?どれみさんはどっちですか?

民主主義と外国人参政権(1)
民主主義と外国人参政権(2)


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