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美智子さんが昭和30年に二位になった作文を読んでみましょう。

2018-12-24 23:24:13 | 日記

昭和30年1月15日讀賣新聞 成人の日記念感想文入選作品「はたちのねがい」

二位入選『虫くいのリンゴではない』正田美智子 より

 

 成人の日を前にして、過去二十年の私の足どりを静かに顧みる時、私の脳裏には、 ある老人の語られた言葉が強くよみがえって来るのです。

「不安な、よりどころのない環境から、貴女達年齢の者に共通した性格が生れて来ている」

 

 世間ではいわゆる「アプレ気質」で通っている私達に共通した性格、それは他の多くの人からも聞くことなのですが、私達年齢の者が二種に大別される--つまり感受性の強い 小学校五、六年のころを、変転の激しい不安な環境の中に過ごした結果、ある者は極端に 空想世界へと逃避し、他はあまりにも現実を見つめすぎる傾向が強いというのです。

 

前者は実生活に立脚した夢を忘れ、後者は非現実の存在すら認めようとしない、つまり、その中庸をとって夢を抱きつつ、しかも、それを実現させようと努力する 人間が少ないという事でしょう。

 

ギャング映画の主人公に魅せられて強盗を働いた、こんなのは前者の極端な例です。 また、ちょっとした過失から後先見ずに自殺を企てるなどは後者の例と思われます。

「この世界はリンゴの実のようだ」とハーディーの書いたテスはいっています。 「虫のついた実とついてない実と…」そして、自分は虫食いのリンゴの中に 生まれついたのだといっています。

 

 この二、三年、私達の経て来たさまざまな体験を思い返して見るごとに、 私がはとかく自分もテス同様、虫食いの世界に生まれて来たのだと投げやりな 気持で考えがちでした。いいかえればいくら夢にむかって努力した所で、あの恵まれなかった 過去から急に明るい未来が生れ得るものではないと信じていたのです。

 

 しかし成人の日を迎えるに当り私はもう一度、自分に聞いてみようと思う。

「私達が困難な時代に生れて来たことは確かだ。 しかし私達はこれを十九世紀の宿命論者のように全くの運命としてあきらめきってしまうべきなのだろうか。そして戦争で背負わされた多くのハンディキャップをいつまでも宿命として負って行って良いのだろうか」と。

 

 もし、この答が「イエス」であったなら、そしてもし私達すべてが、自分は宿命的に不運な世界に生れついたのだと、考えて投げやりな生活を送ったとしたなら、私達の時代が来た時、それが暗たんたるものである事だけは間違いありません。

 

 私の“はたちのねがい”―それは私達年齢の人々が過去の生活から暗い未来を予想するのを止め、未来に明るい夢を託して生きる事です。それは同時に、現在を常に生活の変り目として忠実に生きる事でもありましょう。現在は過去から未来へと運命の道を流れていく過程の一つではなく、 現在を如何に生きるかによって、さまざまな明日が生れて来る事を信じようと思います。

 

 あるフランスの詩人が「生きているというのは少しずつ新しく生れて行く事だ」という意味の言葉を言っています。そして、これを私は成人の日を迎える私共の深く味わうべき言葉だと思うのです。自分の力で常に新しい自己と未来を生み出して行く、そして次に生れて来る未来を息をひそめて待つという生き生きした期待にと毎日を生きたいと思います。

美智子さんの作文を私が紐解いて見せましょう。技巧的に作文に慣れていて、こう書けば、審査員が選ぶであろうという事を心得た上で、この作文を書いているのが透けて見えます。

まず「アプレ気質」というのは戦後の流行語です。フランス語の「アプレゲール」や「アプレ」という言葉から来たもので、意味は「戦後」なのですが、日本では退廃的な人を指します。雅子さんの世代だと「新人類」なんて言う言葉が流行ったはずです。その流行語を冒頭に入れつつ、戦争のあとに二手に性格が分かれるという分析をしています。

こういう分析系はこの作文の主催である「讀賣新聞」が何度も社説などに用いていたので、そこでまず点数稼ぎですね。

『はたちのねがい』という主題に真逆に読めるように陰々滅々とした事を書くのも、文章上の技巧です。

私も美智子さんと同じような技巧だけを駆使した「21世紀のわたし」が主題の出版社の小論文に応募して入選したことがありますが、やはり美智子さんと同じように暗い世紀末の事を書きつつ、希望の種を植えて云々なんて事を書きましたね。16歳でしたけれど。冒頭に「人生とは白いキャンパスにそれぞれの色を塗って描き上げる」とかむず痒くなるような美辞麗句を書き連ねて、実際には全く思ってもいないことを白々しく展開したのを覚えています。美智子さんは投稿少女だったらしですけれど、いかにも審査員の目に留まるような語彙を用いている、良く言えば技巧、悪く言えばゴマすりを書いてますね。笑ってしまいます。

おもむろに出てくるハーディの書いたテスというのは、イギリスの作家のトマス・ハーディで「ダーバヴィル家のテス」という小説の主人公ですが、あらすじを書いただけでも暗く陰鬱な作品です。果たしてこんな暗い小説を20歳の美智子さんが本当に読んだのかは疑問ですけれど。男に翻弄され妊娠し、不幸のどん底に陥るテスは最後は死刑になるというものです。

ですます調で書いているのに「しかし成人の日を迎えるに当り私はもう一度、自分に聞いてみようと思う。」と書いてる辺りがいかにも美智子さんらしいところです。「聞いてみようと思います」ではなく「思う」という言い切り。

フランスの詩人というのはビクトル・ユーゴーのことだと思いますが「生きているというのは少しずつ新しく生れて行く事だ」というフレーズは実は色々な詩人の詩に用いられています。谷川俊太郎の「生きる」という詩もそれがモチーフだと思います。おそらくキリスト教的なものに出てくる有名な言葉では無いかと思いますけれどね。

結びの部分の「自分の力で常に新しい自己と未来を生み出して行く、そして次に生れて来る未来を息をひそめて待つという生き生きした期待にと毎日を生きたいと思います。」などのくどくどしい書き方は現在の美智子さんに通じるような言い回しですね。

もっと装飾を付けずに簡潔に書いたら伝わりやすいのにと思う、美智子さん文章です。

要は「自分自身で新しい未来を生み出していく。そして次世代に生まれてくるだろう未来に期待し、毎日を生きたい」という意味でしょうけれど、美智子さん流だとこういう書き方になるのですね。

先日の誕生日会見文章も作家名を出したり、まくわうりを出したり、比喩的な表現を好まれるのでしょうね。あたくしは知識が豊富ですのというおごりが見えてますけれどね。

回りくどい文章は美智子さんの得意とするところで、昨日の今上陛下の誕生日文章もほぼ間違いなく美智子さんが書いたものでしょうね。言い回しに独特の癖があることを本人は気がついていないのかもしれません。「生前譲位」をやたら繰り返す部分も、いかにも美智子さんらしい「言い訳」だなあと思いますよ。

渡辺みどりという、美智子さんの腰巾着がこの作文のエピソードを書いています。「読売新聞2月5日によれば、正田美智子さんは賞金のうち1000円を読売新聞に寄託し、恵まれない人に、もう1000円を聖心の奨学資金に寄付され、マザー・ブリットを感激させたといいます。」

いくら調べても讀賣新聞の公募の賞金が2千円だったということは渡辺みどりの著書にしか出てきません。

こういう作文や小論文の一般公募で賞金なんて出たかなあ?という疑問はありますね。私が学生時代に賞を頂いたときは賞金なんてなく、記念の粗品とか旅行券だったような気がしますけれど。

昭和30年で2000円はどの程度かと言うと、公務員の初任給が9000円だったそうですから、今だと18万円として20倍くらい?現在の金額に換算して4万円くらいのようですね。

2万円ずつ、新聞社と聖心に寄付してって、別に大した金額でも無いようですね。

どうしたらこんなポーズをカメラに向かって出来るのでしょうね?日活の浅丘ルリ子みたいなポーズ。

 

 

そんな慈愛に溢れていたらしい美智子さんが老醜を晒し、キリスト教に傾倒し、神道の家を耶蘇に塗り替えていく稀代の悪女になるなんて思いもしませんでしたよ。神道の伝統をことごとく破壊して、私利私欲のために上皇后になられるとか。

やはり20歳の当時から変わっていないのですね。お気持ちだけは。

今上陛下に「美智子、美智子、美智子」を連呼させてお幸せでしょうね。さすがです。自愛仮面の美智子さんは。

 追記:あんなさんとやらへ。同じコメントを延々と投稿されても困ります。誰が書いているかも知らないで連投しないでください。