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愛子さんの中学卒業の作文を推敲してみたらどうなるかな?

2018-12-04 13:10:52 | 日記

世界の平和を願って

              敬宮 愛子

卒業をひかえた冬の朝、急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。青い空を見て、そんなことを心の中でつぶやいた。このように私の意識が大きく変わったのは、中三の五月に修学旅行で広島を訪れてからである。
原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。私には想像もつかなかった。
最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできない貴重な体験であった。
その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。
平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
平和を願わない人はいない。だから、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。しかし、世界の平和の実現は容易ではない。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。なぜなら、戦時中の人々は、それが当たり前にできなかったのだから。日常の世界の一つひとつ、他の人からの親切一つひとつに感謝し、他の人を思いやるところから「平和」は始まるのではないだろうか。
そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現し、広島の「平和の灯」の灯が消されることを心から願っている。

日本の平和を願って

      通名宮トド子

卒業をひかえた冬の朝、遅刻しそうなので急ぎ足で学校の門をくぐり、ふと空を見上げた。雲一つない澄み渡った空がそこにあった。家族に見守られ、毎日学校で学べること、友達が待っていてくれること…そんな日常は、なんて幸せなのだろう。なんて平和なのだろう。眼の前に遅刻を注意する教師がいるが、そんな下賤な連中に私の思考を邪魔されたくない。私が学校に来ている事を褒め称えなさい。そんな事を考えるようになったのは、5月に修学旅行で広島を訪れてからである。

紅葉饅頭と生牡蠣を散々食したあと、原爆ドームを目の前にした私は、突然足が動かなくなった。まるで、七十一年前の八月六日、その日その場に自分がいるように思えた。ドーム型の鉄骨と外壁の一部だけが今も残っている原爆ドーム。写真で見たことはあったが、ここまで悲惨な状態であることに衝撃を受けた。平和記念資料館には、焼け焦げた姿で亡くなっている子供が抱えていたお弁当箱、熱線や放射能による人体への被害、後遺症など様々な展示があった。これが実際に日本国内起きたことなのか、と私は目を疑った。平常心で見ることはできなかった。そして、何よりも、原爆が何十万人という人の命を奪ったことに、怒りと悲しみを覚えた。命が助かっても、家族を失い、支えてくれる人も失い、生きていく希望も失い、人々はどのような気持ちで毎日を過ごしていたのだろうか。それなのに「過ちは繰り返しません」と書いてある石碑はどういう意図でここに置かれているのだろう?

最初に七十一年前の八月六日に自分がいるように思えたのは、被害にあった人々の苦しみ、無念さが伝わってきたからに違いない。私は皇室の内廷の皇女なのだから霊視が出来て当たり前だ。これは、本当に原爆が落ちた場所を実際に見なければ感じることのできないというのは大嘘だ。東京大空襲も同じような規模の民間人の死者がいるのだ。長崎広島は原子爆弾という新型兵器の実験材料にされたというだけが違うだけだ。大東亜戦争が何故起こり、日本が敗戦という汚濁を受けることになったのは、広島と長崎にアメリカによって落とされた原子爆弾という、全てを放射能で破壊し尽くすという兵器の暴挙のためだ。「過ちは繰り返しません」というまるで日本人が全て罪悪だというような文章はいかがなものか?勝てば官軍負ければ賊軍という言葉通り、敗戦という汚濁を晴らすには、次回は完全に勝利しろということだと私は認識せざるを得なかった。それは戦争賛美でも何でも無い。日本という国家を守るために必要な手段である。殴られる前に殴り倒せという意識が無ければいけないと私は心に強く誓った。
その二週間後、アメリカのオバマ大統領も広島を訪問され、「共に、平和を広め、核兵器のない世界を追求する勇気を持とう」と説いた。オバマ大統領は、自らの手で折った二羽の折り鶴に、その思いを込めて、平和記念資料館にそっと置いていかれたそうだ。私たちも皆で折ってつなげた千羽鶴を手向けた。私たちの千羽鶴の他、この地を訪れた多くの人々が捧げた千羽鶴、世界中から届けられた千羽鶴、沢山の折り鶴を見たときに、皆の思いは一つであることに改めて気づかされた。 日本だけ戦争放棄の憲法第九条がある矛盾。そしてオバマ大統領の偽善的な平和。アメリカ国内で起こる数々の巨悪事件は銃を所持することが一般人でも可能であるということが原因であるはずだ。その原因を解りつつ、何故銃所持を禁止する法案を作れないのだろう?アメリカ自体がそういう「戦争国家」であると有識者は誰も発言しない。そのアメリカの強大な軍事力に守られているから、今まで日本が戦争当事国になっていないだけなのだ。

平和記念公園の中で、ずっと燃え続けている「平和の灯」。これには、核兵器が地球上から姿を消す日まで燃やし続けようという、おためごかしのあり得ない願いが込められている。この灯は、平和のシンボルとして様々な行事で採火されている。原爆死没者慰霊碑の前に立ったとき、平和の灯の向こうに原爆ドームが見えた。間近で見た悲惨な原爆ドームとは違って、皆の深い願いや思いがアーチの中に包まれ、原爆ドームが守られているように思われた。「真の平和とは何か」ということを考える原点がここにあった。
世界に平和を願わない人はいないという考えは正しくない。だからこそ、私たちは度々「平和」「平和」と口に出して言う。それが言霊となることを祈って。しかし、世界の平和の実現は不可能だ。アメリカやロシア、中国の軍事産業がある限り、戦争が起きなければ貧しくなるのはまずそれらの国々だ。今でも世界の各地で紛争に苦しむ人々が大勢いる。では、どうやって平和を実現したらよいのだろうか。 達成できない「平和」など夢を見ていてはいけない。現実を直視する勇気が必要だ。親に守られる。家族に守られる。友人たちに守られる。それでは私はずっと守られるだけで終わる運命なのだろうか?
何気なく見た青い空。しかし、空が青いのは当たり前ではない。毎日不自由なく生活ができること、争いごとなく安心して暮らせることも、当たり前だと思ってはいけない。全てアメリカの軍事力におんぶにだっこで当たり前だと教えてきた親や教師に問いかけたい。日本が侮辱されたらあなた方はそれに従うのか?と。右の頬を叩かれたら左の頬を差し出すのかと。武力は行使するものでは無い。抑止力である。つまり脅すものである。国家同士が対立したとき、強大な軍事力を持つ国が歴史上必ず勝つのだ。

そして、唯一の被爆国に生まれた私たち日本人は、自分の目で見て、感じたことを世界に広く発信していく必要があると思う。「日本の平和」は、人任せにするのではなく、一人ひとりの思いや責任ある行動で築きあげていくものだから。
「日本の平和」についてさらに考えを深めたいときには、また広島を訪れたい。きっと答えの手がかりが何か見つかるだろう。そして、いつか、そう遠くない将来に、核兵器のない世の中が実現不可能であり、戦争抑止力とは何かを見つけ出せる。そう私は確信している。世界の平和という安易な言葉でどれだけの人々が現在進行系で虐待されているのだろうか?ウイグル、チベットも中国内の国内問題では無い。まともに国連が動かないのはウイグル、チベットの問題に目をつぶっているからだ。そういう醜い現実を直視できる女性に私はなりたい。

設定としては噂通り偏差値72の頭脳明晰な少女なら、広島の平和を世界の平和と広げるような陳腐な作文など馬鹿馬鹿しくて書かないでしょうね。

私がもし自分が中3で国語や社会が得意科目で、作文や感想文を書くならば、こういう視点で書くだろうと思うことを入れてみました。

てか卒業文集でこの作文はもうあり得ないでしょう?私の中3の卒業文集を見てみたら弁論大会のことが書いてあったなあ。テーマがシルバーシートに座る人のことで、無礼な爺さんや婆さんを批判してるし。(黒歴史)同時期の読書感想文は羅生門について書いていて「人間のエゴイズムの醜さ」について言及してるし。私ってやっぱり変な中学生だったかも。あ、良い言葉で言えば個性的、悪く言えば変人。14歳くらいの尖った思想って、さほどおとなになっても変わらないもんなのね。経験値積むというだけで。