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美智子皇后の恐れる噂

2018-12-10 11:06:20 | 日記

1、母親冨美子の正確な出自。冨は中華の女性と白人男性の間のハーフだという説がある。死後洗礼でというのは真っ赤な嘘。はじめからバリバリのクリスチャンである。

2、父親の正田榮三郎は群馬館林の出身という噂。終戦とともに当時の駐留軍と強い物資の供給のコネを持てたのはその筋の力であるという噂

3、祖父の正田 貞一郎は1949年(昭和24年)12月 - カトリック関口教会で洗礼を受ける。クリスチャン。1870年、明治3年生まれで何故79歳という高齢で洗礼を受けたのか?館林製粉会社を旧日清製粉の社名を買収して明治40年に変えたのはこの祖父。

4、美智子皇后は正式な意味で皇太子妃から皇后になられていない。

5、お印が白樺で、出会ったとされる軽井沢に多いという話だが白樺は寿命が70年程度の木で、縁起の良い木では無い。

6、正田家は財閥のイメージが強いが、本来の上流から見たら戦後の成り上がりの小金持ち。あの自宅も全く豪邸と言えない。だから物納して家を解体し公園にしたのでは無いか?という噂。

7、平成に入って美智子皇后が単独で海外に行かれたのは2002年(平成14年)9月28日 - 10月3日、スイス旅行。と2014年(平成26年)12月11日 - 12月13日、ベルギー訪問。両方共美智子皇后の強いお気持ちで行かれているけれど、行く必然性の無い訪問だった。私費で行かれたのか?公務で行かれたのか?

8、平成になって天皇陛下が祭祀をまともにやらずに代拝で済ますことが多くなった事を隠し続けていた事。特に皇后は祭祀に関わることは殆ど無い。御所で祈るだけ。

9、平成のなんちゃって公務の殆どが美智子皇后関連の趣味かキリスト教系施設の訪問。被災地には復旧も進まないうちに、自衛隊機をタクシー代わりに慰問。どれだけ経費を湯水のように個人的にお使いなのか?

10、神道を拒絶する美智子皇后は葉山御用邸近くの巨大な山を購入するそうで。そこまで神道の陵墓に入るのを拒む皇后など今までいない。しかも勝手に火葬と決める今上と美智子皇后。家族の問題では無い。国民の議論が必要なはず。

11、雅子さんが明らかに不出来な嫁なのに25年間放置し続け、全く神道の作法すら教えなかった意地悪姑の噂。

上記の資料は1993年の9月16日号の週刊文春全文。今から25年前。美智子皇后がもう露骨にキリスト教関係を優遇しはじめて「外国人記者」からツッコミを食らって、全て「ごめんあそばせ」で逃げ切った記事。

1993年(平成5年)10月20日、満59歳の誕生日に赤坂御所にて倒れるという荒業を使い、失声症でという「虐められている可愛そうな美智子様」イメージを完全に作り上げ、その後一切週刊誌では美智子さん批判を出来なくなったという、実質的な言論封鎖。

噂と事実を並べたら、噂と呼ばれるものが真実だと後日解るかもしれませんね。

今上天皇の陵墓がどこに出来、美智子皇后の自称祠のカトリックのシンボルハウスの建立。こういう人物が30年も平成という悪夢の元号で皇后をおやりになっていたということです。

皇室の腐敗は小和田雅子の入内から始まったのではありません。自愛の正田美智子さん入内から綿密に計算されていたのだと書き残しておきます。

雑音でも美智子皇后に伝えておきたい言葉です。

まず祭祀ありき。それが天皇という一族に課された宿命です。その伝統を貴女の意思で壊させません。

皇統は貴女の私物ではありません。正しい皇統継承者悠仁様に繋げてください。