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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

手洗いで 笑顔がひとつ ありがとう

2021-02-07 04:58:00 | 感染症

守るべきものがあると強いと聞きます。


確かに、私はこれを強く実感しています。



で。


コロナの日々も、発想を変えればもう少し心もち楽に感染予防できるのでは?と思い始めました。


先日、娘に聞いてみたんですね。


「コロナで感染しないように頑張ろうって言われて手を洗うのはちょっと面倒だなって思うことない?」


「んー、でも仕方ないと思う」


面倒!と言わないだけえらいなあと思いました。


「でもね、手洗いをすることで隣のお友達をコロナから救えるって考えたら頑張れない?」


「うん!頑張れる!」


と、なんとまあ教科書にありそうなほどストレートな反応で、パァッと笑顔になってくれました。


同じことを主人にも聞いたら、スッと背筋なんか伸びて目をキラッとさせて「いいね〜、その考え方」みたいなことを言います。笑



でしょ〜?と自慢気な私。


よく考えたら、私自身がまさにそうだったんですけど、守るべきものがなければここまで頑張れないですよね。私ひとりならまずもうこの世にはいません。いる必要ないですからね!


いわゆる、自暴自棄ってここにあると思います。


ひとりだとね、もういいよね、死ねばいいんだから、みたいに自暴自棄になれちゃう。誰も見てないし、誰も助けてくれないし、最後くらい誰に迷惑かけてもいいじゃん、みたいな感じでしょうか。

最近、コロナの陽性反応が出ても市中を歩き回ってしまう人がいると聞いてびっくりしました。正直、あり得ない!って思ったんですね。

しかし、その人たちも耐えられないんだろうなあと思い始めました。

コロナにかかってしまったこと、急変するという恐怖、どんな苦しさが待っているかわからない、治ってももしかしたらいじめを受けるかもしれない、離職の可能性が出てきた、後遺症も心配。。渦巻く後悔の中で、もしかしたら耐えきれなくなっているのかも、と。


そうして無症状であれば尚のこと、自暴自棄にでもなって今のうちとばかりに市中に繰り出すのかなと。


もちろん許されることではありませんが、それだけ心がめちゃくちゃなのではないかと思ったのです。行動が常識外なので、要するに心もめちゃくちゃに違いないだろうと。



そんなことをポツポツ考えていたら、あゝそっか、そもそも私自身も毎日がしんどいなあというのは、自分たちや周りの皆さんだけ守られればいいと思っていたからだなと。自戒するに至りました。


ということで!

思いやりの心で感染対策するぞー!って家庭内で大号令をかけまして、みんなで標語とか考えてました。


でも思いつかない 笑


そんなに器用ではないんですよね、私たち。

ですが、そんな心意気を乗せまして。

思いつかないなりの最初の作品が冒頭のものです。


後悔しても誰のせいにもできない


という切迫感だけではなくて


思いやりの心で、人さまのために感染予防する


そんなのはどうでしょう?

情けは人の為ならずと言いますから、それは必ず自分自身に返ってくるはずです。


そして、私自身お伝えしなくてはいけないことがあるなと思いました。

出かけにくい状況ですけれど、実は去年よりよほど今の方が安心して買い物ができます。私みたいな人間にとっては、世の中が感染予防してくれていることでとても生活しやすくなりました。

ありがたいことです。

亡くなってる方、苦しんでいる方がたくさんいる中でこんなことを言ってはいけないと思っていました。しかし、むしろきちんと感謝の気持ちがあることをお伝えした方が良いのではと今は考えています。


がんばりましょー!

でもそれは耐えるのではなくて、思いやりの心で。

少なくとも私は助かっています。

全ての感染対策を頑張る皆さんに、心から感謝申し上げます。ありがとうございます。


ちょっと真面目な話

2021-02-04 05:58:00 | 感染症
不要不急の外出?なのか、病院に行ってきました。
リウマチの方の病院なので、大変落ち着いています。皆さん気をつけていらっしゃるんだなあと勝手に思って、あゝ私もじたばたしないで、見習わないとと。

一応思うんですけど笑、やっぱりジタバタする私であります。

ところで、その場でいただいた資料に、
コロナにはサイトカインが関連している
というものがありました。

以下、コロナとサイトカインについての私の勝手な理解をツラツラ書きました。
間違ってるかもしれませんし、つまらないと思いますので、奇特な方はぜひ!
普通に読み飛ばしてください!


私が使っていた薬、アクテムラがコロナ感染症に効くとのことです。それは世界的なレベルの話ですから、間違いないことのようです。

とすると、インターロイキン6あたりがやられる病気、が、コロナ感染症。となるようです。

そもそも私が理解する仕組みは、
●アレルゲンがあって
●マクロファージが撃退しようとするけど無理で
●サイトカインという物質を出す

本来ならこれは免疫がきちんと働いている証拠というか現象なので問題にはならないのですが。
●ここが暴走しましてサイトカインが爆発的に放出される
●で、体のどこかに何か炎症が起きてしまう
サイトカイン、すなわちインターロイキン系が放出されると種類によりますが体に悪さをする(かゆみとか)、中でもIL6は炎症を起こすそうなんですね。

怒られそうですけど、簡単に手短な理解として、アレルギーのひどいパターンだと自分の病気を捉えています。

もちろん複合的な要素があると思いますから、お薬が効いたからと言ってもコロナの実態の全てがコレと言える訳ではないのですが、少なくともこういう側面があり、命を奪う原因なのだということのようです。

最初に「アレルゲンがあって」という記載をしましたが、自分の病気を考える上ではここは全くわからないと感じています。
そもそもアレルゲンがあるのか?くらいの勢いです。仮説が間違ってるのではと。
ただ、後から理由はついてくるので、私にとってのアレルゲンがあるとは考えていて、アレルゲン探しは常にしています。アレルゲンが、なくなれば病気の症状は軽減していくはずだという望みがあるので。(少し心当たりがあるので、実践してもいます。が、確証はなく。。)

で、コロナの場合はまさしくコロナウィルスがアレルゲンになる訳ですね。
とすると、重症化しやすい「既往のある人」というのは、何らかのアレルギーを持っている人なのかと。そうした免疫のシステムが暴走しがちなので重症化しやすいのでは?と思います。
単に他に病気がある、ということよりも。

とすると、花粉症の季節になったらただでさえ免疫機能が暴走してる方々でいっぱいになるのですから、感染のしやすさはともかく、重症化のリスクは高まるのでは!?と再び恐ろしくなりました。

しかし、そんな免疫にそこまで作用するウイルスってあるの?と恐ろしくなりましたが、エイズウイルスも、免疫の仕組みを破壊するウイルスでしたよね。ウイルスってすごいなあ。


敵を知れば、勝つことが出来るかもしれない。
と、本気で思っているので、どんなに無駄だと思っても考えることはやめてないです 笑

覚悟を決めたできごと

2021-01-31 10:07:56 | 感染症

その日は普通にやってきました。ある意味必然でもあり、覚悟していたつもりでした。でも想像の上のまた上をいく惨事になってしまいました。これは私たち家族の感染症の対策の原点になりました。

 
ある日の早朝、娘が嘔吐しました。幼稚園でもらったと思われる胃腸炎が原因だろうと思います。
あまりに勢いよく吐きましたので、布団や枕のほかに、私の衣類も汚れました。
 
母は強しとよく言いますが、その最たるものが主人曰くこうして娘が吐いているときに発揮されるらしいです。吐瀉物をものともせずに娘を抱き上げたり介抱する、それがすごいと。
私に言わせればミルクの吐き戻しも大変多い子だったので、娘が吐くことには慣れていました。汚物の処理に躊躇していたら生活になりません。
 
しかし、この日は即座に胃腸炎かなと疑いましたので、汚れたタオル、衣類は全て処分しました。
寝室から出て、主人とは別の空間で過ごすことにしました。
横にして寝かせてはみたものの何度も何度も吐くので嘔吐物が喉につまるのではないかと思いました。私も眠くてうつらうつらしていましたので、ずっと監視する自信はありませんでした。吐いても大丈夫なように縦抱きにして寝かせてあげていました。吐けば私の肩が汚れます。
途中からですが、さすがにと、マスクもしていました。
 
自分にかかるし、掃除の時には素手で何とかすることもしばしばですから、これはうつるかもしれないと思いました。
しかし、私が多少胃腸炎になったとしても仕方ないと思いました。覚悟しました。
目の前の娘が楽になるなら、助かるならそれでいいと思ったのです。
おかげさまで、その日の午後には吐くこともなくなり、夜には多少食べたりすることもできて、翌日にはすっかり元気になりました。
 
 
その吐いた日の翌々日の未明、強い不快感と吐き気で起こされました。
トイレに間に合いましたが、やってしまったと思いました。
少し慢心というか、大丈夫では無いかと思っていたらしくて、存外ショックを受けました。
が、覚悟してはいたので、当初はかなり冷静でした。
 
嘔吐と吐き気が少し落ち着いた時に主人を起こし、以下のことをお願いしました。
●娘の処遇、幼稚園に行かせるか実家に預けるかを決定し、実行してほしいということ。おそらく私は送迎できないので。
●自分のことは自分で何とかするから私に近づかないでくれということ。
●午後にはヘルパーさんがくるから仕事に行って大丈夫だろうということ。
 
 
その後、私を置いて主人と娘は家を出ます。
トイレとお友達になった私は胃液まで吐き続け、大誤算その1の、ステロイド切れを起こします。
それもただ切れただけでは済まされません。補充ができないのです。
吐く時にだけ起こされる。薬は補充しても吐いてしまう。そして気絶するように倒れ込んでしまうのです。
 
そして、大誤算その2として、感染性の病気に罹ってるときはヘルパーさんは来られないことが判明します。
病院に連れて行ってもらうことはできなくても、私の薬を持ってきてもらうとか、そうしたことをお願いしようとしていました。
感染症に罹患している場合には家に入れないということなのです。
(この日はたまたまヘルパーさんが来る前に家族が駆けつけてくれていたので、対応含めて全て家族がしてくれました。)
 
 
私はトイレの横に倒れていたそうです。
気づいたら、トイレの横の廊下に布団をかけてもらって寝ていました。そして騒がしいなと思って目を開けると、仕事のはずの主人が隣にいました。(この時は冬で外が明るかったことから、時計を確認しなくても目の前の事実がおかしいなということはわかりました。)
 
主人は娘は実家が預かってくれてるから安心しろと言います。
(実際は父が別の部屋で娘の面倒を見て、母は自宅で待機とかそんな感じだったような気がします。)
そして飲め!とステロイド薬を口に突っ込んでくるのです。3倍量までいいんだ、飲むんだ、と。吐いても、少しは体に入るからと。
ステロイドをぽんぽんと飲むなんて!と思いましたが、死ぬよりマシと説得されました。
その後吐いてはまた飲む、と繰り返しているうちに落ち着いてきて、吐き気もおさまってきました。
胃腸炎で吐いていたというよりも、最後の方は薬切れや脱水でおかしくなっていたようでした。
 
気づくと腕に点滴が。点滴を処方してきたと。
血管にうまく入らず、何回か失敗した跡がありました。
病気で血管がボロボロなのに加えて、脱水でしたので、ルートを確保するのに相当苦労したようでした。
 
 
記憶がないのですが、私は誰かに電話したらしいのです。ちょっとまずいと。
それで、何か聞きつけた主人は仕事を慌てて切り上げて、早退してきました。患者さんに電話して予約時間より早くきてもらったり別の日に振り替えたりしてもらい、とにかくスタッフさんにも散々迷惑をかけましたが、早退できたそうです。
 
なぜここにいるのか?と問うと、今日は流石にやばいと直感的に思ったと言います。
根っからの仕事人間で、勤務時間中に家族を顧みることはあまりない人なので、非常に驚きました。
 
その主人が、帰ってきてよかったと言うのです。
救急車も運んでもらえないし、君は倒れていて危なかったと。笑
 
このときばかりは主人が医師であったことに感謝しました。
そーいえば昼を超えたあたりに、もうだめかもなあと思ったのを思い出しました。
 
 
この出来事は、私の感染症に対する考え方を強く改めさせられました。
ひとつは医療に拒否されてしまうという事実、大変なショックでした。
免疫を下げ、そして体力も衰えていて常に危険な状態にあるにもかかわらず、感染症で命を奪われる危険に晒されても、医療につながらないのです。
 
福祉サービスも使えない。
家族しか頼りになる人がいないというのも背筋が凍りました。
 
なんなんだ、この核家族の社会は。
健康な人にとっては自由で合理的かもしれないけれども、ひとたび何かあればすぐに吹き飛ぶ。
 
幼稚園にもし預けていたら、お迎えに行けませんし、私は電話に出なかったらしいので、音信不通になったはずです。
娘と先生や園に無駄な心配と迷惑をかけてしまうところでした。
 
 
まだ娘は年少で、幼く、頼りない子どもでした。
母の状況をわかっているのかいないのか、楽しそうな声が聞こえてきまして、なんとかしてこの子が母から離れて生きられるようになるまで育てなければならないと思っていました。
私にそれができるのか、大変に不安になりました。
もう一度こういう状況に陥ったとき、どうしたらいいか考えました。
あろうことか、何も思いつかないのです。
 
しばらくして、要するにどうにもできないのだと、つまりこういう状況を生み出してはいけないのだとわかりました。絶望的な気分でした。だって、感染症は当たり前のように転がっていて、幼稚園に行かせないということが唯一の解決策になるからです。親として、それは選択できない、と思いました。とするとどうしたらいいのかわからない、大変困惑していました。混乱しました。
 
内出血で赤くシミができた腕と、気だるい体を抱えて、トイレの横に寝かしてもらい、水すら取りに行けない体のくせに、偉そうにいろんな物事を憂い、恨みました。涙も出てきませんでした。何かが間違っている。子ども一人、母親がちょいと病気になっただけで立ち行かなくなるなんて、と強く強く思いました。
私はいいのです。しかし子供には罪がない。責任もない。この子にまともな教育も生活も施せなくなるほどの母親なら生きている価値がない。
 
こうした負の感情は、私を悪い意味で冷淡にし、強くしました。
ここから私の感染症対策はより一層本格化しました。
行きすぎたこともしましたし、効果のないこともしました。
それでも何度も失敗して、感染症にかかり、何度も抗生物質のお世話になりました。
 
主人もここで随分と肝を冷やしたようなのですけれども、実はこの翌年、インフルエンザをもらって帰ります。
体質や対策の改善というのは、それくらい時間をかけてもなかなか完成しないものでした。
 
そして、私はそこで激怒します。
その程度の覚悟でしか感染症対策をしていなかったのか、インフルエンザに罹患するとは何事かと。
防げるはずの感染症に罹患して帰るのは心の緩みと怠慢さからだと。
実際にアルコールは手がかぶれるからと回数を減らしていました。マスクをしているから、寒いからと換気をしていませんでした。
 
ここが私が鬼なところだと思いますが、主人は当初は仕方がないだろうと開き直りかけたのですけれども、申し訳ないと謝るところまで責め立てました。もう2度同じようなことがあっては困るのだと、追い詰めたのですね。
娘に責任はない、誰がこの子を守るのか。親の責任だろうと。私は感染症で死ぬわけにはいかないのだと。
本当に人間というのは弱いもので、結局自分が痛い目を見ないと、覚悟というのは決まらないものです。
 
実際、私がいなくなったら娘の面倒は誰が見るのでしょうか。
仕事に行きたい主人は、感染症にかかった子どもの面倒を見るわけにもいかないのです。
仕事にも穴をあけることになります。しかも複数日。患者さんは?
自分の看病をしてくれる人はいないのです。
それどころか、まず間違いなく家庭内感染するので子どもの看病が必要なわけです。
きちんと覚悟をしてこなかった、申し訳ないと、高熱にうなされながら状況を説明され、自分では如何ともし難いと肌で感じたために観念しました。
ようやくようやく自分が感染症に罹患して、辛い思いをして覚悟が決まったのです。
家族が苦しみ、死にかけてもなお、覚悟仕切れなかったということの表れでもあり、敗因でもありました。
 
結局のところ心構えが一番なんだと今でも強く思います。
感染症にかからないということは、それだけの強い精神力でもって面倒で辛い対策を続けることでしか防げる方法がない。
誰を責めても始まらないのですが、かかった人にそれだけの責任がある。
それくらいの覚悟がないと、乗り切ることができないほど、感染症との戦いは苦しく辛い道のりです。それは今も何も変わりません。
 
 
感染症になったらどうしよう、ではない。
決してなってはいけないものとして、扱うようになりました。

死にかけて初めて知るのでは遅いです

2021-01-29 05:55:05 | 感染症

感染症、それは人類の最大の敵ですよね。

なんなんだろう。

物事には無駄がないと言いますから、人口を減らすことを目的にウイルスたちは蔓延したのでしょうか。

今しがた、地球にとって人間は害悪でしかなくなっていますものね。温暖化にプラスチックゴミ、どの切り口をもってしても人間がいてよかったという部分があるのか甚だ疑問です。

それに加えて人間同士で歪みあって苦しめあって、こんなんでは神さまがいるとしたら怒られても仕方ありません。と、真摯に思います。

 

でも、やっぱり負けたくないです。ウイルスに。

勝ちましょうよー。

 

主人にですね、こんな提案をしてみました。

「あのさ、ウイルスから逃げ回っていたら、いつか捕まるわけよ。負けるしか方法がないの。ステイホームも限界よ。」

「まあね。適度にストレス溜めずにがんばるしかない、って結局我慢だものね。うつになって死んでしまったらそれもウイルスに負けたと言っていいよね。」

「でね、ここは勝ちにいかないと。と思うの。」

「は?」

「ウイルスを攻撃する方法はないわけ?勝ちに行かないと。攻撃は最大の防御なり!!」

「あのねえ、そういうことは偉い人たちが考えればいいことなのよ。」

「だからさ、その偉い人たちが素晴らしい頭脳でもって考えて、今なのよ。逃げるしかできない。つまり、こういうバカな人達が考えてこそ、という段階に来たと思うわけ。今こそ私たちみたいなおバカな発想が求められているのよ!」

「あー、まあ、そお?」

すんごい呆れています。

「考えるのはタダだし!」

「あー、まあ、それは確かだし、理屈は通るけれども、じゃあやってみればいいじゃん、僕は無理よ。難しすぎる。」

まったくつまらない男であります。これでは負けてしまうではないですか。

 

「とりあえず!何から考えたらいいかな。とにかくやるしかないでしょ」

ということで、突然思い立って勉強をすることにしました。が、教えてもらったその本、読もうとしましたけれども、本文に入りましたらですね、前提と言いますか、基礎知識がない私にとっては3行くらいで「ん?」となってしまいました。

おバカ、、はパパであります。わたしは素人なのです。この本ではどうしようもありません。

そーいえば南極は寒すぎてウイルスすら生存できないって聞いたな。温度はウイルスを殲滅する方法のひとつかな、なんて思ったりしました。どのくらい寒い時間があれば死滅するんでしょうか。もし数秒でいいなら液体窒素とか役に立ちそうですよね。

そんなことをうつらうつら考えながら、子ども向けの感染症の本を購入しまして、いましがた読んでおります。基礎知識からまずは。

読み進めますと、何にも知らないのね!と自分の知識の浅さに驚愕しつつ、かといって敵を知ったところで手も足もでないぞと思ったり、まあ、要するになんの成果も出ていません笑。でも発想は間違っていない気がするので、何か思いついたらいいなあなんて希望を捨てずにいます。

こういう時、病気の人間は強いのかも知れませんね。無駄に。

 

しかしですね。こういう間にも感染は広がっている。大問題です。

もうステイホームもほとほと疲れました。娘も私もそりゃそりゃストレスが溜まる時間もあります。

給食をですよ!放棄して家で作る私!えらくないですか?しんどいんですよ!そしてお弁当持たせて、パパは大忙し。もちろん私も友達との会食キャンセルだし、主人に至ってはここ1年、予定すら組んでいません。特に医療系の友人たちは声かけすらないです。お互い頑張ろうって短い連絡しあってるだけ。

1番の問題はですね、そこまでして頑張る意味がだんだん見えてこなくなってくるほど街が賑わっていること、感染者数が減らないことなんです。

完全に心の問題なんですけど。

私たち、なんでがんばってるんだろう、みたいになる。

 

当然自分たちが罹患しないように気をつけなければという観点は大きいですよ。

感染症にかかって死にかけてからでは遅いんです。

私たちは私を通じて感染症の怖さを知っています。

コロナの症状は知らない。でも怖さはわかる。娘も私の姿を見て知っている、だから学校に行きたい気持ちを抑えられるんです。

 

でも、一方でここまで減らないとどうして?と責めたくなる気持ちが湧いてくるのも事実です。だって辛いんですもん。ステイホーム。学校に行かないのも、今やマイノリティですから、いろんなご意見もあります。自分たちのためだけに頑張るのなら、パパが休んでしまえばいい。数週間くらい休みをとったりリモートの診療にしたりしたほうがよほど安心できます。家族としては。私みたいな既往がある家族の場合、パパはコロナに罹患したら、即日隔離。今日の朝、いってらっしゃいとして、もう会えなくなって、おしまいかもしれません。

例の如く、パパは無事でも私がアウトになる可能性だって十二分にあります。

この際旅行でもいってですね、巣ごもりしていればいい。わざわざ休みなく忙しく働いて、保菌して帰ってくるなんてされる必要がないんです。

 

だから、知って欲しいです。

大切な人を亡くしてから、自分が苦しくなってからでは遅いんです。

明日どころか、今日は我が身です。

コロナはきっとものすごい感染力と悪影響をもたらします。

死ぬんだという危機感を。目の前の人が明日いなくなるかもしれない恐怖を。自分がいなくなってしまうかもしれないということを。

今は、そうして自制して過ごすこと、ウイルスから逃げ回ることしかできない現状に歯痒い気持ちでいっぱいですけれども、一緒にがんばりませんか。


親も生徒

2021-01-24 04:11:59 | 感染症

娘を学校に行かせないで自宅で過ごさせていることに、全く疑問や迷いを感じていないかというと、むしろその真逆です。もう悩むのがめんどくさくなるくらい、悩んでいました。

そもそも行かせないという決断までは良かったとしても、いつ行って良いかという基準が明確ではないので、どうしたものかと考えていました。

感染者数が何人を下回ればいいのか

下回ったとしてそれが何日続けばいいのか

全くわかりません。そもそも、例えばの話ですが教室にひとり保菌者がいれば感染者数とか全く意味のある議論ではありません。

また、外で仕事をしている主人が保菌者になっているかもしれないという懸念は日々変わることなく同じ状態が続いています。つまり家庭内感染で娘が保菌していたとすると、学校のみんなにうつす危険性は何も変わりません。

 

学校に行かせないということは、親の義務を、教育を受けさせる義務を果たしていないとも言えるわけで。

お友達にも会わせてあげたいし。

給食とか助かってたのに、毎日作るのも大変だし。

はああ。

もう何に悩んでいるんだかさっぱりわからなくなってきました。

 

先日、お友達(とお母さま)に宿題などを延々と届けてもらっていまして、それもまた大変ありがたいのですけれども。

それらを提出しに学校にいきました。

娘は久しぶりの学校をとても楽しみにしていて、お友達にもちょっと会えるしとわくわくがとまらない様子で、やっぱりかわいそうな思いをさせているのかなと思いつつの登校でした。

そうしたところ、担任の先生が娘に

「こんにちはー、元気そうだね!みんなも元気にしてるよ?」

とおそらくいつも通りの感じで声をかけてくださり、そして多弁になる娘の話を少し聞いた後にこうおっしゃいました。

「あのね、ここで1ヶ月や2ヶ月休んだところで、一生に何の影響もないからね。安心してていいよ。」

娘もこの発言に対して、あっさりと「うん」と答えています。

 

私もですね、自分にこう言い聞かせてはいたんです。でも、どこかで納得はしていなかったんでしょうね。大丈夫だろうかとか、休んでいるんだからこれくらいはしなくちゃとか、自分に課題を課してみたり。

この発言を教育を施す側の先生から聞けるとは露にも思っていませんでしたので、驚くとともに、ようやくそこで迷いが消えました。悩みはすれど、もうこれでいいんだと思おうと。数日経過した今、じわじわとその思いは浸透してすっかり迷いというものがなくなりました。

 

そしてわざわざ私に

「ストレスが溜まることもあると思いますから、給食だけ登校させるんでもいいですから、うまく利用してください。」

とおっしゃるのです。

ちょっと待ってください、先生。なんてありがたいんでしょう。それを聞いた時に迷いどころか心の枷みたいなものも吹き飛んで、本当に楽になりました。

娘にストレスが溜まった時どうするのかという問題はもちろんあって、ストレスは感じなくないよーって娘も言っているので、もしもそういう時は学校に行かせることにしちゃえばいいんだ、という保険は、とってもとってもありがたく、気が楽になりました。

ありがたい、ありがたい、なんて私は恵まれているんだろう。

何が私たちに必要なのか、私自身が考えるのではなくて先んじて先生が考えてくださって、不本意なことかもしれなくても、言ってくださるわけですね。

短い滞在時間でしたが、去り際に「もし仮にここで感染しても誰も責められないのだから、ご家族とよく相談して、後悔のないようにね」と娘にまた説得してくださって。娘はまるで休校に不満も悩みも疑問もないような様子で、それは先生も感じられたと思うんですね。つまり、おそらく私に向かってお話ししてくださったんだろうと思うんです。そうした配慮にあとで気づいて、またじんわりと胸があたたかくなりました。

 

心理的な支援ってなんだろうと、この体験をもってまた、考えさせられるきっかけにもなりました。

 

親も一緒に教育されるものだとは聞いていました。

いやはや、本当ですね。

私も先生にいろいろと教わる生徒のひとりです。