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トドママのあるがままに

難病指定を受けている母親です。
笑顔を忘れないように、そんな思いだけでつらつら書きます♪

風船バレー係

2021-07-16 08:38:00 | 育児

ある日、娘が「私、風船バレー係になったの。」と、帰宅するなり私に教えてくれました。

 

え。

ふうせんばれーかかりって何だろう。

 

私の学生時代にはなかった係というのが、娘の学校に存在していて、非常に合理的だなと思うのですが、

黒板係、黒板消し係、並び係に配り係。

知らない係もいっぱいあるので、報告がある度にそれぞれの役割を聞いては「ほおー。」となっていました。

 

で、今回は風船バレー係。

内容は、お楽しみ会を学級で行う、その際に行ういくつかのレクリエーションごとに何人かで指南役を担うのだそうです。

へえー、面白い取り組みだなあと思いました。

 

で、なんで風船バレーなの?

母の疑問はつきません。

誰が決めたの?

何をするの?

風船バレーって知ってるの?

 

先生が複数のレクリエーションを決めて、子どもたちは好きなレクリエーションの係になり、その後はルールなど自分たちで決めてみんなを誘導するのだそうです。

ということで、使うものは風船、ということ以外決まっていないとか。

風船バレーなんてもちろん知らないけど、楽しそうだから、そこに決めた!とのこと。

話はここまでで、楽しそうにおやつを頬張っていました。

 

なるほど。

 

なんだかんだで娘が大好きな母である私は、頼まれたわけでもないのに、ある日の買い物のついでに、おもちゃコーナーに行きました。

風船って、特に今は夏だからか、山ほどあるんですね。

水風船にも何種類かあったり、風船にも形や色やキャラクターが印刷されたものから、ピーピー風船まで。

 

我が子は肌が弱いので、ちょっと奮発して、アレルギー対策風船というものを買いました。

そんなものあるんですね!すごい!

 

帰宅した娘にプレゼントしたら、それはそれは喜びまして!

しかし、実際にバレーボール的な風船バレーをリビングで立って行いますと危険しか伴いません!

テーブルに落ちる!どすどすうるさい!転ばないように!

ということで、仕方なく親子でベットに寝転んで、手と脚でバレーボールすることになりました。

それでも落ちるので、パパの出番です。

パパは、ベッドの脇に立って、失敗風船をこちらに戻してくれる役割です。

 

なんていい両親なのでしょう!

娘の学校のレクリエーションのために、全身でお付き合いするなんて!

と言いたいのですが、これが私の運動にもってこいであることに気づきました。

足も動かせるのに、関節には体重がかからないので負担がかなり少ないです。

結構腹筋とかも使うので、体幹も鍛えられます!

一石二鳥とはまさにこのこと!

 

これがまた、毎日せがまれるのでやっていたら、微妙に上達してるんですね 笑

娘の四肢の使い方は、アグレッシブですがいい感じで上にポーンと上がるようになりました。

私もいい感じで足を使えるようになりました。

パパのアシストもいい感じです。

時々打ち損なったが故のスマッシュ風船が、ぼーっとしたパパに直撃するので、私と娘は大爆笑。


お楽しみ会では、結局バレーボールを知らない子どもたちだったので、投げっこして遊んだそうです。

娘の特訓は無駄な努力に終わりましたが、楽しいからまだまだやりたいそうです! 

娘のお楽しみ会のおかげで、私のリハビリも楽しく行うことができています。


娘からの相談(学校での出来事)

2021-07-03 10:10:23 | 育児

娘から相談がありました。

クラスに、いつも筆箱で遊んで大きな音を立ててしまうので先生に怒られるお友達がいる。

先生は注意するけれども、まず遊ぶのをやめないので、先生は怒って廊下に出す。

と。

 

あなたはこういう時、何を考えるの?と聞くと、

「人に迷惑なことはしてはいけない。と思う。」

とのことでした。

 

その考えは正しいし、学級運営ということを考えたら、先生のしていることも間違っていないとも思います。

けれども、忘れてほしくないのは、社会にはこういう珍しい行動をする人は山ほどいるということ。

例えば私がテストの時に鉛筆が持てません、と言ったらクラスのみんなはどうするのか。

先生は、「どうせ0点なのだから、もう帰っていいですよ」と言うのでしょうか。

 

あなたは、私みたいな訴えのお友達を教室から排除するのか、と聞いたら絶対にしないと言います。

なぜかと問うと、「だって頭の中では答えもわかっているし、鉛筆が持てないのは人に迷惑をかけたくて持てないわけじゃない。」と答えます。

「でも、私が鉛筆が持てないと言ってテストの開始が遅れれば、みんなは迷惑するよね。」

「でも!でも!・・・」

「そう、でも、大事なお友達だということに変わりはないはず。このことだけで教室から排除したら、ちょっと寂しいよね。」

「うん。」

「だから、みんなで、この人にどうやってテストを解かせてあげるか、を考えてもいいと思うんだ。」

話を戻しまして。

「その筆箱のお友達は何がしたいのかな。授業がきっとつまらないんだよね。どうしてつまらないのかな。」

「頭がいいから、もう学校の勉強はつまらないんだと思う。」

「そっか。じゃあ、もっと静かに遊ぶ方法があればいいのかもしれないよね。何でしないのかな。」

「うーん・・・。」

「なんでうるさくしちゃうのかな。静かに遊ぶ方法も知っているはずだよね。」

「おしゃべりは好きだけど。うーん・・・。」

「考えなさい。観察しなさい。それを学びに行っているのです。」

 

と、ここまで話したところで娘はやたらに感心して

「これだから私はママの娘をやめられないんだ。」

と言いながら、今日学校に行きました。

私も実際の光景をみたわけではないので、何が正解かは実のところわかりません。でも、きっとその子には何か言いたいことがあるんだと思うのです。伝えたいことがうまく伝わらないジレンマを感じずにはいられません。クラスのみんなが許してくれる空気があるのだとも思いますが、どんな形でもみんなで笑える時間が増えるといいなと、保護者として願わずにはいられません。

娘が何か良いことを思いついたらいいのですけれども。さすがにもう少し寄り添って一緒に考えてあげるつもりですが、いずれ何か楽しい方向に動いたらいいですね。

 

私はマイノリティです。社会に迷惑をかけまくって生きています。

でも、最近はきっと何か恩返しができると思って生きています。

私もテストが受けられなくて困ったことがありました。

その時は、自分の不甲斐なさに打ちひしがれていましたが、今はもう少しやりようがあるかもしれないと、希望に目を向けています。

さて。私も考えることを続けて参ります。


正解のプレゼント

2021-06-18 15:29:00 | 育児

昔、久しぶりに再会した友人がいました。

妙な記憶力を時々発揮する私は、会うことになっていた日にその友人の誕生日が近いことを思い出しました。

会った時にお誕生日プレゼント、と渡すと、怪訝そうな顔をされてしまいました。

プレゼントの内容が嫌なものだったのかな、と申し訳なく思いました。

しばらくして、会話の中で、私も誕生日がそう遠くないんだ!と言うくだりがあったところ

「ああ。それでくれたのね。」

と妙に納得されてしまいました。

私の名誉のために言うと、確かにそういう見返りを求めて何かをすることはありますけれども、この時ばかりはそんなことはどうでもよかったので、とっても驚きました。

「プレゼント用意しなきゃね」と余計な負担をかてしまったことに、ひどくがっかりしました。

そんなつもりはなかったのに。何も伝わらない。

もちろん慌てて弁明して、何もいらないよと言いましたが、そうはいかないよと言われたり。

とにかく良かれと思ったことが全く通じないことがある、ということを体験しました。

 

私は、プレゼントを選んでいる時はその人のことを考えています。

だからプレゼントをいただいた時は、その時間を私はいただいたと思ってきました。

いただけたことだけでとっても嬉しいと感じています。

 

つまり、プレゼントちょうだいよおとおねだりしてもらったとしても、私はあまり嬉しくないのです。

そんな相手の時間を奪うようなことをして、いったい何が楽しいのかとすら思います。

 

こういう経験があったからといって、プレゼントは極力あげないほうがいい!というのもおかしな話です。

でも相手に負担をかけたくないなあ、と悩んで。悩んで。

いろいろ失敗を重ねました。

何をやっても、裏目の私です。

どうしたものか。

結局、答えは今も見つかっていません。

 

時に娘は、毎日のようにプレゼントをくれます。

笑顔のプレゼント、とかではなくてですね。手紙とか、謎の製作によるカレーとか、折り紙とか、絵とか、時々ビーズで作ったブレスレットなんかもあります。現物です。

毎日のプレゼント攻撃は、うれしくもあり、困ったりすることもあります。

紙吹雪みたいなものでできた、「ぬいぐるみのうさぎ餌」をもらった時は、正直その後の処遇にちょっと困りました。

そうかあ、プレゼントはありがたい時もあるし、困る時もあるのかあと子どもから学びました。

でも、総じてやっぱり嬉しいものです。あげたいと思ったらあげていいかな、と最近はシンプルに考えています。



そして「お母さん、だいすきー」って言ってもらえると、プレゼントなんていらないよーと思えます。

なので、私も娘には「だいすきー」って言うのは遠慮せず、何ならバナナの叩き売りくらい安売りして提供しています。

結局、言葉が一番嬉しいし、言葉はいくらもらっても迷惑じゃないかもなあって思う今日この頃です。


親のしつけ力?子どもの個性?

2021-06-12 18:00:08 | 育児

娘は赤ちゃんの頃たいそう甘えん坊で、だっこが大好きな子でした。

私はひどい腱鞘炎になりましたが、それでも寝てもらうには抱っこするしかありませんでした。

「あらあ、抱き癖がついちゃったのね。」

と言われることがあったので、私が抱っこしすぎたのが原因なのかとちょっと悲しくなりました。

 

そして、人見知りの時期は「ママ以外」全ての人に泣き叫んでいたので、

もちろんパパやおばあちゃんも対象でした。

私の腱鞘炎のひどさは、もう。

娘に愛情を与えたいと思う一方で、さすがにこのままいくと私がかわいそすぎやしないか、と思うほどでした。

ほかの人の助けを借りたくても借りにくいこの状況は私が作ってしまったのかと、悩みました。

 

抱き癖をつけてしまったから。

ほかの人がちゃんと娘に向き合ってくれないから。

 

などと大人側に原因を見つけては、一向に解決しないので諦めようと思うものの、やっぱり悲しくなりました。

 

ですが、今、声を大にして言いたいのですが。

抱き癖というのもあるのかもしれませんが、我が子は少なくとも生まれつきです!

大人に原因なし!

これっぽっちも、なし!

そもそも新生児室にいる時から、人一倍ギャーギャー泣いて、ほかの赤ちゃんを起こしてしまうようだったので

「お母さん、まだ面倒見られないんですか?」

と、何回も気を失うように寝ている私に声をかけてきた助産師さんもいたくらいです。

別のベテラン助産師さんがまだ無理ですよね、まったく、みたいになったりして、産院も対応が一貫していませんでした 笑

 

ただ、あまりに迷惑らしくて、扱いがぞんざいにすら思えてきました。

車椅子から卒業するや否や、無理にでも母子同室を決行したところ、我が子は結局ベビーコットで寝てくれることはなく、私が抱き抱えてベットで寝ました。

私もミルクをあげながら何回も気を失うので、この子を潰し殺すのではないかとヒヤヒヤしたものです。

よく考えなくても、抱き癖もへったくれもあったものではありません。

 

で、幼稚園の頃に、なぜあんなにパパやおばあちゃんで泣いていたのかを聞くと

「ママがよかったんだもん。」

とのこと。

パパやおばあちゃんが嫌だと泣いていたんではないそうです。

 

でも大人から見たら、明らかにパパやおばあちゃんを激烈に嫌がっている感じなので

鉄の心をもった母も少しうんざりする、というかがっかりしていましたが、

ガラスのハートのパパは、かなーり傷ついていました 笑

必要のない傷つきでしたね。

むしろ、「ママがいいのね、ごめんねえ、パパで」くらいの度量があれば、受け入れてもらえたかもしれませんね 笑

 

ということで、もし同じように今悩むお母さんがいらしたら、

「そっか!子どもの個性だから、受け入れるしかないのね。」

と思って、諦めた方がいいと勝手に提唱します!笑

抱き癖説は、我が家では全然当てはまらないです。

 

あきらめる方が楽なこともあると思うんですね。

そして育児だとか躾だとか、大人のせいにするのももちろん仕方ないんですけれども、

責任から逃れるという意味ではなくてですね、

赤ちゃんにも個性があることを忘れちゃいかんと思う今日この頃です。


愛情を与えられた分だけ、人に優しくできる

2021-06-04 14:23:20 | 育児

まだ子どもがお腹にいた頃の話だったような気がします。

主人の叔母に、こう言われました。

「人は、愛情を与えられた分だけ、他の人に優しくできるの。」

 

叔母は、とっても穏やかなゆったりとした話し方をするので、みんなからマスコットのように愛らしい人と言われています。

しかし、時々ものすごく確信をついたような話をするので、ハッとさせられます。

 

この言葉は、私が病気で、私が考えるまともな育児ができていない間に呪文のように唱えていた言葉でした。

 

娘はこんな母のもとで幸せになれるだろうか。

私の愛情は伝わるのだろうか。

どうやったら私の愛情を感じてると確認できるのだろうか。

などと考えていましたが、わーわーと泣く娘とともに泣いたり、わめいたりする自分に、時々この言葉が降臨しました。

泣きながらぎゅーっと。泣く娘をただぼーっとぎゅーっとしている時もあったような。

それでもいいのかなって思えたのは、この言葉を思い出した時でした。

 

何か伝わるはずだと、願いました。

この愛情が、この子にとって人に優しくできる何かになればいいなとひたすらに願っていました。

 

幼稚園の頃のエピソードをひとつ。

幼稚園の隣の公園に、木登りするのにちょうど良さそうな木があるんですね。しかも何本も。

元気がいちばん!みたいな幼稚園だったし、我が子も私の小さい時と違わず体を動かすことが大好きでした。

娘が木登りも上手にできるようになって遊んでいたところに

「私も登りたい!」

って、お友達に言われたみたいなんです。

そのお友達もとっても運動神経がいい子だったので、きっとすぐに登れるようになると思ったみたいで、木を譲っていました。

私は遠くのベンチからその様子を何となーく見ていました。(一応危ない遊びなので見守ることはしていました。)

なんか一生懸命足を持ち上げてあげたり、お尻に手を当てたりして、うんしょうんしょしてるんですけど、いまいちうまくいかない。

それで、口で説明したみたいで、お友達がひとりでのぼり始めました。

「がんばれー!がんばれー!」

という娘の声がこだましてきました。

ついに目標の場所までのぼれた時、お姉さんたち何やってるの?とばかりに周りに集まってきた年下のお友達に大真面目に大号令。

「登れた◯◯ちゃんに、みんなー!はくしゅー!」

と言って、娘含めた15人くらいでスタンディングオベーションみたいになってました。

木の周りに集まる小さな子どもたちで、上を見上げて拍手。拍手。公園に拍手の音が鳴り響きます。

遠くから見ていた私はもうおかしくておかしくて、井戸端会議そっちのけで吹き出してしまいました。

 

これが私が娘に備わってくれと願った「優しさ」なのか、ちょっと違うような気もしましたが、こんな優しさもありなんじゃないかと思って、少なくとも私は幸せでした。

 

数年経った今はというと。

私が足を痛めて、

「うう、さすってほしい」

と言うと

「パパー!マッサージしてあげてー!」

と、自分でさすることから逃げることがしょっちゅうなので、

「はあ、優しくないなあ」

と親二人はため息をついています。

ただ、マッサージをパパにきちんと依頼しに行ってくれるので、ギリギリ優しいのかもしれません笑

 

おばさま、今後どうなるかわかりませんけれども、やっぱり大好きだよということは伝え続けていきたいと思います。