娘を学校に行かせないで自宅で過ごさせていることに、全く疑問や迷いを感じていないかというと、むしろその真逆です。もう悩むのがめんどくさくなるくらい、悩んでいました。
そもそも行かせないという決断までは良かったとしても、いつ行って良いかという基準が明確ではないので、どうしたものかと考えていました。
感染者数が何人を下回ればいいのか
下回ったとしてそれが何日続けばいいのか
全くわかりません。そもそも、例えばの話ですが教室にひとり保菌者がいれば感染者数とか全く意味のある議論ではありません。
また、外で仕事をしている主人が保菌者になっているかもしれないという懸念は日々変わることなく同じ状態が続いています。つまり家庭内感染で娘が保菌していたとすると、学校のみんなにうつす危険性は何も変わりません。
学校に行かせないということは、親の義務を、教育を受けさせる義務を果たしていないとも言えるわけで。
お友達にも会わせてあげたいし。
給食とか助かってたのに、毎日作るのも大変だし。
はああ。
もう何に悩んでいるんだかさっぱりわからなくなってきました。
先日、お友達(とお母さま)に宿題などを延々と届けてもらっていまして、それもまた大変ありがたいのですけれども。
それらを提出しに学校にいきました。
娘は久しぶりの学校をとても楽しみにしていて、お友達にもちょっと会えるしとわくわくがとまらない様子で、やっぱりかわいそうな思いをさせているのかなと思いつつの登校でした。
そうしたところ、担任の先生が娘に
「こんにちはー、元気そうだね!みんなも元気にしてるよ?」
とおそらくいつも通りの感じで声をかけてくださり、そして多弁になる娘の話を少し聞いた後にこうおっしゃいました。
「あのね、ここで1ヶ月や2ヶ月休んだところで、一生に何の影響もないからね。安心してていいよ。」
娘もこの発言に対して、あっさりと「うん」と答えています。
私もですね、自分にこう言い聞かせてはいたんです。でも、どこかで納得はしていなかったんでしょうね。大丈夫だろうかとか、休んでいるんだからこれくらいはしなくちゃとか、自分に課題を課してみたり。
この発言を教育を施す側の先生から聞けるとは露にも思っていませんでしたので、驚くとともに、ようやくそこで迷いが消えました。悩みはすれど、もうこれでいいんだと思おうと。数日経過した今、じわじわとその思いは浸透してすっかり迷いというものがなくなりました。
そしてわざわざ私に
「ストレスが溜まることもあると思いますから、給食だけ登校させるんでもいいですから、うまく利用してください。」
とおっしゃるのです。
ちょっと待ってください、先生。なんてありがたいんでしょう。それを聞いた時に迷いどころか心の枷みたいなものも吹き飛んで、本当に楽になりました。
娘にストレスが溜まった時どうするのかという問題はもちろんあって、ストレスは感じなくないよーって娘も言っているので、もしもそういう時は学校に行かせることにしちゃえばいいんだ、という保険は、とってもとってもありがたく、気が楽になりました。
ありがたい、ありがたい、なんて私は恵まれているんだろう。
何が私たちに必要なのか、私自身が考えるのではなくて先んじて先生が考えてくださって、不本意なことかもしれなくても、言ってくださるわけですね。
短い滞在時間でしたが、去り際に「もし仮にここで感染しても誰も責められないのだから、ご家族とよく相談して、後悔のないようにね」と娘にまた説得してくださって。娘はまるで休校に不満も悩みも疑問もないような様子で、それは先生も感じられたと思うんですね。つまり、おそらく私に向かってお話ししてくださったんだろうと思うんです。そうした配慮にあとで気づいて、またじんわりと胸があたたかくなりました。
心理的な支援ってなんだろうと、この体験をもってまた、考えさせられるきっかけにもなりました。
親も一緒に教育されるものだとは聞いていました。
いやはや、本当ですね。
私も先生にいろいろと教わる生徒のひとりです。