◇近現§111.中江兆民の覚え方(自由民権思想)◇C
[ゴロ]フランスの/ルソー・フアンで/皆やっかいな/町民だ
(フランス留学)(ルソー・保安条例で追放)(民約訳解)(中江兆民)
[句意]フランスのルソー・ファンで、皆が厄介な町民だ、と説明している句。
[point]
1.中江兆民はフランスに留学し、ルソーの民約論を『民約訳解』として翻訳し、のち保安条例で東京から追放された。
[解説]
1.中江兆民(1847~1901)は、土佐藩(高知県)下級武士出身の思想家。長崎留学中、土佐藩浪人坂本龍馬に私淑(ししゅく)。1871年、岩倉遣外使節団に随行して渡仏し、1874年帰国。
2.1881年、『東洋自由新聞』主筆としてフランス流の自由民権論を説くが、政府の横やりが入り廃刊。1882年、雑誌にルソーの『社会契約論(民約論)』の漢文調翻訳『民約訳解』を連載し、政治青年層に大きな影響を与えた。1887年、『三酔人経綸問答』を著し、小国主義・非武装国家を説く。
3.三大事件建白運動に際しては、保安条例で東京から追放される。1890年、第1回衆議院議員に当選するが、民党が政府と妥協するのをみて憤慨し議員辞職。晩年(1901年)食道ガンを患い、病床で随筆集『一年有半』を著す。
〈2020早稲田大・文化構想2/12:「
明治期の猫のイメージも江戸とあまり変わらないが、やはり猫を愛する人も少なくなかった。たとえば[ D ]はネ黒ネグロという名の黒猫を可愛がり、わざと卓上の食べ物などを盗ませて喜んでいたという。また家で新しく2匹の猫を飼う際にそれぞれ「コレラ」「チョウチブス」と名付けようとして周囲を驚かせた。
問8 空欄Dは、フランスに留学して帰国後仏学塾を主宰し、その後自由党に参加、最初の総選挙で衆議院議員となったが、議員の政府との妥協を「無血虫の陳列場」と批判し辞職した人物である。その人物はだれか。漢字で記述解答用紙の解答欄に記入しなさい。」
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(答:問8D中江兆民)〉
〈2020同志社大・経済文2/6:「
【設問セ】下線部セの「幸徳」、すなわち幸徳秋水は1887年に上京し、自由民権運動に参加した。その際彼が師事した人で、『民約訳解』を出版してルソーの思想を紹介したのは誰か。次の語群から選べ。
1.中江兆民 2.植木枝盛
3.加藤弘之 4.馬場辰猪」
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(答:問セ1)〉
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