□近世300.加賀・前田綱紀(江戸前期名君④と学者) ◇C
[ゴロ]木の下でじゅあ~んと/前立つの(まえだつの)いいのう?
(木下順庵(じゅんあん))(前田綱紀(つなのり)・稲生若水(いのうじやくすい))
[句意]木の下で「じゅあ~ん」と私の前に立つのは良いのか、だめでしょ、とたしなめている句。
[point]
1.加賀の前田綱紀は木下順庵に学び、藩政改革をおこない、稲生若水を招いた。
[解説]
1.前田綱紀(1643~1724)は、3歳で家督を継ぎ、義父保科正之の補佐を受けながら成長、藩政改革につとめる。学問を好み、古文書の収集・保存・編纂もおこなう。
2.綱紀は朱子学者の木下順庵(1621~99)を招き、侍講・政治顧問とし、藩政の刷新を図った。
3.また綱紀は自然学者として知られた稲生若水(1658~1715)を召し抱えている。若水は、その下命に応え博物学の大著『庶物類纂』の編纂をおこなう(完成前に病没、弟子たちが引き継ぎ完成)。
〈2019明治大・法2/14:「
自然科学の分野では、本草学や農学などの実用的な学問が発達した。たとえば、稲生若水は、加賀藩主前田綱紀のもとで『[ 8 ]』を著している。
〔語群〕
A.括要算法 B.源氏物語湖月抄 C.古史通
D.庶物類纂 E.塵劫記 F.中朝事実
G.梨本集 H.発微算法 Ⅰ.本草綱目
J.本朝通鑑 K.万葉代匠記 L.大和本草
〈2018同志社大・グローバル法商心神2/9:「
儒学研究は町人社会にも浸透していった。藤原惺窩に学んだ松永尺五は京都市中に春秋館や講習堂などの私塾を経営し、儒学に限らず歌学など幅広い学問を教授した。尺五に師事した〔 エ 〕は錦里と号し、加賀藩主前田綱紀の招きに応じ、後に5代将軍綱吉の侍講となった。」
(答:エ木下順庵)〉
〈2018早稲田大・文化構想2/12:「
江戸時代になると本草学研究が展開した。貝原益軒の『大和本草』は日本の本草学の基礎となった。水戸藩の徳川光圀は『救民妙薬』の作成を命じ、病気の治療に役立たせようとした。本草学からは博物学的物産研究も生まれた。稲生若水は加賀藩主前田綱紀のもとで、『[ B ]』の編集に着手し、作業は幕府へ引き継がれた。このような動きは、幕府や諸藩の殖産興業につながっていく。
問4.空欄Bに該当する語句を、漢字4字で記入しなさい。」
(答:問4庶物類纂)〉
〈2018学習院大・国際社会法2/10:「
鎌倉時代にも荘園村落と領主との交渉はあったけれど、荘園領主が百姓たちの申告書類をまとめるきっかけは訴訟にあったらしい。14世紀に入ると、京都の⑧東寺では幹部僧侶の会議の議事録にあたる「二十一口方評定引付」「最勝光院方評定引付」などが継続的に作成されるようになった。支配する荘園村落からの訴えを審議する記事や関係史料のなかから、年貢の減免交渉など、日常的な問題がわかるようになる。
問8 下線部⑧に関して、これらの議事録は京都の東寺(教王護国寺)に伝わり、大部分は江戸時代に加賀藩主前田綱紀が寄進した箱に収められている。この箱に収められている史料2万数千点の呼称として、あてはまる歴史的名辞を記しなさい。
(答:問8東寺百合文書)〉
〈2016関西学院大・全学部2/1:「
問8 次の文章a・bについて、その正誤を示せ。
a.朱子学者の木下順庵は、加賀の前田綱紀に招かれた。新井白石や室鳩巣らは順庵の門人である。
b.前野良沢や杉田玄白は、オランダ語訳の解剖書を訳述して『解体新書』を刊行した。その苦心談は杉田玄白の『蘭学事始』に記されている。
(答:a〇、b○)〉
〈2016明治大・国際日本:「
本草学者の[ G ]が生前に前田綱紀の保護の下に編集していた本草学の大著である『庶物類纂』を、[ G ]の弟子に命じて増補させたのもまた、吉宗である。
問8.空欄Gに入る人物の氏名を漢字で書きなさい。」
(答:問8稲生若水)〉
〈2013早稲田大・文:「
土地制度のなかで荘園が大きな位置を占める時代にあっては、関係文書の存在が重視され、基本的な権利を示す文書は大切に保管された。この伝統は、荘園制が完全に廃された近世においても生き続け、加賀藩主前田綱紀は、京都の寺院に伝えられた荘園関係を中心とする古文書を、多数の上質な木箱を寄進して分類・保存させた。これらは[ C ]百合文書と呼ばれ、荘園や[ A ]を研究する上で重要な史料となっている。」
問1 空欄Aに入る語句を漠字2字で記述解答欄紙の解答欄に記入しなさい。
問8 空欄Cに入る寺院の名称を漢字2字で記述解答欄紙の解答欄に記入しなさい。
(答:問1公領、問8東寺)〉
〈2012中央大・法:「
諸藩では幕府にくらべ財政が不安定であったということもあり、藩政の見直しをせまられるという事態が早くからみられた。土佐藩では江戸時代前期に儒学を学んだ野中兼山が積極的に新田開発や殖産興業につとめた。なお、大名のなかには③木下順庵などの儒学者を侍講・顧問などとして積極的に用いる例がみられた。
問4 次のうち下線部③の木下順庵が仕えた藩を1つ選べ。
a加賀藩 b会津藩 c岡山藩
d仙台藩」
問5 次のうち下線部③の木下順庵の著した書物にはイを、そうでないものにはロを付せ。」
a『中朝事実』 b『経済録』 c『政談』」
(答:問4a、問5aロ:山鹿素行、bロ:太宰春台、cロ:荻生徂徠)〉