□600.戦後歴代内閣① ◇S
[ゴロ]歳(とし)で止(よ)したよ/片足飛び/止した
(東久邇宮稔彦(ひがしくにのみやなるひこ)・幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)・吉田茂(よしだしげる)Ⅰ)(片山哲(かたやまてつ)・芦田均(あしだひとし))(吉田茂Ⅱ~Ⅴ)
[句意](お爺さんは)歳を取って足腰が弱くなったので、健康法の片足飛びはやめた、という句で前後の「止した」でリズムをつくっている。何となくユーモラスな感じがでているし、覚えやすいと自負している。「東」は音読みの[tohトウ]を使用している。
[point]
1.戦後歴代内閣43代~51代は、東久邇宮稔彦→幣原喜重郎→吉田茂→片山哲→芦田均→吉田茂
[解説]
1.東久邇宮稔彦内閣(1945.8~45.10)は、戦後初めての内閣。東久邇宮稔彦は皇族で軍人。戦争責任を曖昧にする「一億総懺悔(そうざんげ)」、天皇制の維持すなわち「国体護持」を唱え占領政策と対立した。GHQの人権指令に対応できず総辞職した。
2.幣原喜重郎内閣(1945.10~46.5)は、五大改革指令を実行し、憲法草案を作成。労働組合法の制定など民主化政策を実行したが、婦人参政権を認めた戦後初の総選挙によって、日本自由党が第一党にとなり、総辞職。
3.吉田茂内閣Ⅰ(1946.5~47.5)は、日本進歩党の協力を得た日本自由党内閣。戦前の吉田は外交官。公職追放となった鳩山一郎に代わり党総裁に就任。46年5月、幣原内閣にかわって組閣。新憲法を公布。傾斜生産方式をとって経済再建につとめるが、新憲法下初の総選挙で第二党となり退陣。
4.片山哲内閣(1947.5~48.3)は、初の社会党首班内閣。社会・民主(芦田均)・国民協同(三木武夫)の中道勢力三派連立の中道内閣。3党連立の性格上、積極的な社会主義政策を実行できず、炭鉱国家管理問題などで左右対立が先鋭化し瓦解。
5.芦田均内閣(1948.3~48.10)は、民主・社会・国民協同の中道3党連立内閣。中道政治を進めたが、昭和電工事件で退陣。
6.吉田茂内閣Ⅱ~Ⅴ(1948.10~54.12)は、民主自由党内閣、のちに自由党内閣。経済安定計画を実施。警察予備隊を創設し、平和条約に調印。造船疑獄で退陣。
〈2021青山学院大・全2/7:「
問11 下線部⑥に関連して、朝鮮戦争開始時に首相を務めていた人物名を以下の選択肢の中から一つ選べ。
① 片山哲 ② 吉田茂
③ 岸信介 ④ 鳩山一郎」
(答:問11② ※朝鮮戦争は1950~53年。吉田内閣Ⅱ~Ⅴは1948~54年)〉
〈2020同志社大・グロ地文商心理神2/9「
【設問ソ】下線部ソ1947年に労働行政を扱う官庁として労働省が設置されたに関して、この年の出来事として誤っているものを下記から1つ選べ。
1.片山哲内閣発足 2.二・一ゼネスト中止命令
3.芦田均内閣発足 4.地方自治法公布」
(答:問ソ3)〉
〈2020関西大・外国経済商人間政策2/3:「
問6 この史料は、1948年12月に連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)が出した経済安定九原則の指令である。当時の内閣総理大臣は誰か。
(ア)片山哲 (イ)吉田茂 (ウ)芦田均」
(答:問6イ)〉
〈2017明治大・法:「
無条件降伏とともに総辞職した[ ]内閣にかわり[ 4 ]が組閣した。同内閣は国体護持を主張し[ 5 ]の運用を維持するなど、その政策において、GHQが意図する日本の民主化とは食い違っていたのである。そこで、GHQは同内閣に対し[ 5 ]の廃止や特高警察の廃止などを内容とする人権指令を出したが、同内閣はその実行をためらい、1945年10月に総辞職した。
〔語群〕
A.国家総動員法 B.日本社会党 C.芦田均
D.吉田茂 E.治安維持法 F.日本自由党
G.東久邇宮稔彦 H.臨時資金調整法
Ⅰ.片山哲 J.神道指令 K.日本進歩党
L.高松宮宣仁 M.徳田球一
N.久邇宮朝彦 0.自由民主党」
(答:4G、5E)〉
〈2017関西学院大・済国際総合2/4:「
B.1945年10月、GHQは[ j ]内閣に対して憲法の改正を指示した。内閣は政府内に憲法問題調査委員会を設置し、憲法改正要綱を作成させた。しかしその内容が、大日本国憲法を一部修正したものにすぎなかったため、GHQは民間の憲法研究会による憲法草案なども参照して、英文の改正草案(マッカーサー草案)を作成し、日本政府に提示した。政府はこのマッカーサー草案に一定の修正を加えて和訳したものを政府原案として帝国議会に提出した。政府原案は、衆議院と貴族院で修正可決されたのち、日本国憲法として公布された。」
(答:j幣原喜重郎)〉
〈2017法政大・営人間文:「
i敗戦後、1945年10月、幣原は内閣総理大臣となったが、同内閣は翌1946年5月には退陣した。
問12.下線部iの情勢に関連して、正しいものを、以下のア~エのなかから一つ選べ。
ア.次いで、衆議院議員選挙で第一党となっていた日本社会党の片山哲が内閣を組織した。
イ.次いで、自由民主党の初代総裁となった鳩山一郎が内閣を組織した。
ウ.次いで、衆議院議員選挙で第一党となっていた日本自由党の吉田茂が内閣を組織した。
エ.次いで、8党派の連立政権が、細川護煕を内閣総理大臣として発足した。」
(答:問12ウ〇)〉
〈2017同志社大・グロコ2/8:「
敗戦後の日本では、政党が再建あるいは新たに結成された。1945年10月、日本共産党が合法政党として活動を開始した。11月には、旧無産政党を統合した日本社会党、旧立憲政友会系で、いわゆる( i )選挙(1942年4月)時の非推薦議員を中心とする日本自由党、そして、旧立憲民政党系で戦時中に結成された大日本政治会に所属していた議員を中心とする日本進歩党が結成された。日本自由党の総裁には( ケ )が就任した。
同党は、1946年4月に行われた総選挙の結果、第一党となったものの、翌月、( ケ )が公職追放を受けた。
【設問i】空欄(i)に当てはまる語句を漢字2字で記入せよ。
【設問ケ】空欄(ケ)に当てはまる人物名として正しいものを下記から1つ選び、その番号を記入せよ。
1.吉田茂 2.幣原喜重郎
3.鳩山一郎 4.片山哲」
(答:問i翼賛、問ケ3)〉
〈2017関西学院大・全学部2/1:「
翌1947年の衆参両院選挙では日本社会党が大幅に議席を伸ばし、同党委員長片山哲を首班として、日本社会党、民主党、[ i ]の3党による連立内閣が発足するが短命に終わった。次いで首相となった芦田均も[ j ]により半年余で退陣した。
問8.空欄i・jに該当する語句の組合せを下記より選びなさい。
ア.i:国民協同党、j:造船疑獄事件
イ.i:国民協同党、j:昭和電工事件
ウ.i:改進党、j:造船疑獄事件
エ.i:改進党、j:昭和電工事件」
(答:問8イ)〉
〈2017明治大・文:「
同年4月には総選挙が行われ、日本社会党が第1党となり、社会党・民主党・国民協同党連立の[ h ]内閣が成立したが、インフレを抑制できず、また社会党左右両派の対立から1948年2月に退陣した。
問3.空欄hに入るのに適当な語句を漢字で記せ。なお、hには人名(姓名)を入れよ。」
(答:問3h片山哲)
〈2012明治大・文:「
設問10.この史料(略)が公布された以降の内閣総理大臣の在任順序として正しいものを、次の①~④のうちから一つ選べ。
① 幣原喜重郎-吉田茂(第1次)-片山哲-芦田均-吉田茂(第2次)
② 幣原喜重郎-片山哲-芦田均-吉田茂(第1次)-吉田茂(第2次)
③ 吉田茂(第1次)-幣原喜重郎-片山哲-芦田均-吉田茂(第2次)
④ 吉田茂(第1次)-幣原喜重郎-芦田均-片山哲-吉田茂(第2次)」
(答:問10①)〉