中国・王毅大使が説明 日本財団奨学金、蘭州大が投資で消失「100万ドル全額を原状回復」

2006年11月20日 | メディア・芸スポ
 中国の蘭州大学に設置していた奨学基金100万ドル(約1億1800万円)が投資運用され回収不能に陥ったとして、日本財団の笹川陽平会長が、王毅・駐日中国大使に書簡で説明を求めたところ、このほど王大使から「全額を元に戻し、原状を回復する」との返事が届いたことが明らかになった。
 蘭州大の奨学基金は人文社会科学分野の大学院生向けで、財団が世界45カ国69大学に設置している奨学金プログラムとして運営されている。蘭州大には1992年に設置されていた。
 笹川会長によると、同大から2004年末、日本財団に対して、契約に違反した投資運用の結果、100万ドルが「運用先の倒産で回収不能になった」との連絡が入った。
 大学側は「高利の投資信託に移し奨学金を充実させたかった」と謝罪したが、日本財団は大学に対して、投資信託会社から資金の返還を受け奨学制度を正常に戻すよう要求。さらに、笹川会長は04年末と今年10月、2度にわたって、王大使あてに書簡を送り、中国政府を通じて、蘭州大の奨学制度を元に戻すよう協力を要請した。
 今月7日、王大使からの返答の書簡では、「教育省から全額を元に戻すことが確認された。この問題によって生じたマイナスの影響について大変遺憾に思う」とされていた。15日には大学側からも入金の連絡があった。
 笹川会長は「中国(政府)に対し、日本は主張したいことがあっても事なかれ主義に陥り、何も言わないまま事態の推移を見守る事が多いが、今回の例は、しっかりと主張すれば誠意が通じるという好例だ」と話している。
11/18
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/28118/


博士の独り言 - 王大使「謝罪書簡」一考 -
http://specialnotes.blog77.fc2.com/blog-entry-185.html




【正論】元駐タイ大使・岡崎久彦 新しい日中関係へ漢文学学習を
 ■日本人の漢字知識は世界で特異な力

 ≪歴史上最善の両国関係≫

 靖国問題が実質的に過去の問題となって去りつつあり、やっと、中国の江沢民前国家主席の愛国主義運動以来10年以上にわたって思考を妨げられていた、日中関係の未来像を考えることができるようになった。

 これだけ錯綜(さくそう)した過去がある現状では、ひとまず現在の国際政治の状況から離れて歴史に遡(さかのぼ)って考えるのもひとつの方法であろう。

 歴史上最善の日中関係は、唐の時代100年と徳川時代の250年間、日本が中国の文化に圧倒的な尊敬を払った時期に存在した。近代では、日本が明治維新を先に達成し、ロシアを破って中国民族に希望を与えてから辛亥革命に至る短い期間に、中国が日本に学び日本に期待し、両国の志士の間に深い信頼関係があった時期がある。

 私はそのいずれについても、少なくとも部分的には現代でも復活は可能と思っている。

 ひとつの思いつきではあるが、日本側にとっては伝統的な漢文教育、漢字教育の復活が有効であると思う。私が最近日本の中国専門家に会って感じることのひとつは、彼らの中国古典に対する知識の驚くべき貧困さである。

 現在日本においては、英語の次には中国語を学ぼうという傾向が出てきているが、これは中国の強大化を考えれば世界のすべての国に共通の現象であり、正しい方向と思う。おそらく東南アジアなどではいずれ外国語教育はほとんど英語と中国語になると思う。日本でも第2外国語がフランス語やドイツ語が主流である時期はそう長く続かないかもしれない。

 ≪21世紀の強力な競争力≫

 日本はもともと漢字文明の深い影響を受けた国であるから、日本人にとって中国語を学ぶ捷径(しょうけい)(目的地へ早く行ける道)は漢字、漢文学から入ることである。それなのに、戦後の偏向した伝統破壊の教育思想のために、現在中国語を学ぶ学生は、あたかもアラビア語を学ぶように現代中国語の発音と簡単な会話から始めるのが一般的だ。

 語学の最終目的は、その国の文化全体をマスターすることにある。特に古典までマスターした人がその国の研究者の最高峰である。日本語で言えば、エドワード・サイデンステッカーとか、ドナルド・キーンなどの日本文学研究者を思い浮かべれば良い。こういう人たちの日本語は、ビジネスのために必要な日本語を自由に操る人々(それだけでも大変な成果であるが)とは次元の異なるものであり、日本人としては、ただ尊敬のほかはない。

 つまり日本人が中国語をマスターするのに、中国古典の教養があれば、日本人の中国語、中国文化理解の力は世界のどこの国の追随も許さないものになることは明らかである。それは日中相互の尊敬の関係を高めるだけでない。

 あるいはその時の世界の事情如何によっては、現在インド人が、英語圏以外で世界一といわれる英語能力でIT(情報技術)関連の分野で一大勢力を築いているのに比肩するような能力となり、それが21世紀における強力な日本の競争力になるかもしれない。

 ≪中国が日本に学ぶ点も≫

 他面、中国側にとっては、明治維新は遠い過去となった。また軍閥が割拠していた中国を統一しようと国共合作を行った後、国民党の蒋介石と共産党の周恩来が初の士官学校「黄埔軍官学校」を作って以来、中国の革命のモデルは明治維新でなく、ロシア革命となった。

 しかし、ついには文化大革命に至る毛沢東の急進的な革命の功罪を知り、さらに社会主義の本家ソ連邦の崩壊を見た後では、何が理想的な近代化かについて、また新しい発想の生まれる余地があろう。

 日本の技術はまだ中国より進んでいる。とくに環境や省エネ技術は中国として学ぶところが多いであろう。

 また虚心に現在の中国社会と日本社会を比べてみれば中国として学ぶべき点はまだまだあると思う。民主主義のような政治の問題はここであえて議論はしないが、日本が達成した法治社会、契約尊重、相互信頼の社会は、社会主義の下でも参考にすべきところは多々あろう。

 最近、石平氏の『私は「毛主席の小戦士」だった』を読んで感嘆した。本の前半は今の中国にとって厳しい内容であろうが、後半の日本理解の深さは、明治以来の外国の哲人、歴史家、外交官の中でトップ・レベルと言って過言でない。

 中国がこのような人物を日中友好の中心に置く度量を持てば、日中百年の不和を解くことも可能と思う。(おかざき ひさひこ)
平成18(2006)年11月20日[月]
http://www.sankei.co.jp/news/061120/sir000.htm

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