孤児、密航 二つの出発点――第12部〈大陸源流〉
2010年4月26日15時41分
中国最北部の黒竜江省方正県。零下30度の市街地を歩くと、中国語と日本語が併記されている看板をあちこちで見かける。誤字だらけで意味不明のものも多い。「けはテひん」は化粧品店。「チキソそ煮ぅ」は鶏肉の煮込み料理の店。「チキンを煮る」とでも書きたかったのか……。
県政府が2006年から、新規開業する商店の看板に日本語を併記させている。反日感情が根強い中国で、日本語表記を進める街は例がない。親日ムードを盛り上げる意気込みはひしひしと伝わる。日本語の看板を出す美容教室を営む女性(32)は「看板を見た日本人は親しみを持ってくれるはず」。
実はこの地、日本とのかかわりがとても深い。県政府の統計では、戸籍人口約22万人のうち、約3万5千人が日本に住み、約6万8千人の住民に日本滞在歴がある。人口のほぼ半数が日本と深い関係をもっている。同県出身の在日華人からの日本円仕送りなどで、外貨交換額が全国に約2900ある「県級行政区」の中で27位とトップクラス。住民の生活水準は、農村部としてはずば抜けて高い。
その原点は戦争末期にさかのぼる。ソ連軍の侵攻で逃避行を続けた日本の開拓団員が開拓団本部施設や難民収容施設があった方正県にたどり着いた。県政府によると、約5千人が飢えや寒さ、伝染病などで死亡、4千人以上の子供や女性が中国人に引き取られ、残留孤児や残留婦人が集中した。中国政府が建てた中国で唯一の「日本人公墓」もある。戦争がもたらした悲劇が今、方正県と日本を結ぶ太い人の流れに成長している。
日本に多くの中国人を送り出す「源流」の町がもう一つある。
方正県から南へ約2400キロ。熱帯植物があふれる福建省福清市には、かつて「日本密航村」と呼ばれた集落が集まる。1980~90年代には密航組織「蛇頭」が暗躍した。密航は下火となったが、留学や偽装結婚で、今も日本を目指す人が多い。
4月上旬、たまたま入った飲食店の女性店員から結婚仲介業者の男(43)を紹介された。男に案内されたのは、茶葉店2階の8畳ほどの一室。男は部屋に入るなり、緑色のカーテンを閉めた。部屋の中央にはマージャン卓、壁には日本地図と首都圏の交通図。ここに、短髪で年齢より少し若く見える王さん(29)が現れた。
王さんは08年に離婚。一人息子は夫に引き取られた。実家はピーナツやウリを栽培するが収入は乏しい。たまに臨時工として工場で働き、月1千元(1万4千円弱)ほどを得るのがやっとだ。いとこは日本へ渡り、工場勤務などで月二十数万円の収入がある。そこで自分もと、男に相談したという。
「高校を出てないから留学ビザを取れない。だから結婚して日本へ行こうと思う」と王さん。この時点では、普通の結婚を望んでいる様子だった。こちらにその気がないことを見てとると、約20分で立ち去った。
翌日、王さんは仲介業者を通さずに電話してきた。「私と結婚してくれたら、稼がせてあげる」。偽装結婚してくれれば100万円の謝礼を支払うというのだ。就労目的で日本へ行くのだから、夫婦生活はなくていいという。「もしあなたが希望するなら、愛してあげてもいい」。王さんはその週末に別の日本人3人とも会うので、「興味があるならそれまでに連絡して」と言って電話を切った。(西村大輔、奥寺淳)
◇
毎年5万人増え、外国人登録をした人だけでも65万人を超えた在日華人。好況の中国から、なぜ多くの人が日本へ来るのか。第12部「大陸源流」はその事情を中国から伝える。
http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201004260148.html
連れ帰る 成人後、故郷へ 結婚し再び来日――第12部〈大陸源流〉
2010年4月26日15時41分
黒竜江省方正県中心部に「僑村」と呼ばれる高級住宅地がある。大きな一戸建て約40戸が並ぶ。住民は日本からの帰国者だ。彼らの資金や技術などを地域発展に役立てようと、県政府が財政支援し、格安で住宅を提供する。3年後には400戸に拡大する計画だ。
ここに住む趙秀蘭(チャオ・シウラン)さん(60)と夫の斉占河(チー・チャンホー)さん(63)を訪ねた。日本の永住権を取ったが、老後は故郷でと、2005年に帰国。210平方メートルの2階建てを日本円にして約800万円で買った。夫婦は「日本に行かなかったら、こんな立派な家には絶対に住めませんでした」。
趙さんの母親は祖父母とともに1943年、日本から旧満州に渡った。敗戦後、祖父母はソ連兵に殺され、17歳だった母親は中国人農民の妻になった。70年代に日本にいる姉妹と連絡が取れ、2番目の夫の死後、86年に日本へ。趙さんと斉さんも後を追い、89年に2人の子供と埼玉県に移住した。
趙さんは裁縫工場で、斉さんは鉄工所などで働き、2人で1カ月に二十数万円を稼いだ。方正県の農家の10年分以上を毎月得ていた計算だ。「生活が何もかも変わった」と斉さん。
趙さんのきょうだい3人とその妻や夫、子供たちも日本に渡った。斉さんの妹の1人は在日華人と、他の2人の妹は日本人と結婚した。夫婦の家系だけで、日本に移住したか、日本で生まれた親類は約30人にのぼる。
日本へ行った華人の子供や孫の多くは成人後、故郷の方正県を訪れて結婚相手を探し、連れ帰る。言葉や習慣の違い、収入の格差で日本人との結婚は難しいという。方正県の人々が続々と日本に向かう流れができている。
中には戸籍を偽造し、日本に渡った人の親族になりすまして来日する人もいる。
ある男性(44)は40万元(約550万円)を仲介業者に払い、妻を残留孤児の娘として、自分はその夫と偽って90年代に日本に入国した。業者は残留孤児の家族に謝礼を、戸籍を管理する警察関係者らにはわいろを渡して戸籍やパスポートを偽造した。
夫婦は関西の部品工場などで5年間働き、月給40万円のうち30万円を貯金し続けた。帰国後は5階建ての自宅を新築、貯金で始めた毛皮の貿易も順調だ。男性は「ビザ取得が難しく、身分を偽るしかなかった」と話した。
方正県は、日本人と結婚する女性が多い。日本の国際結婚仲介業者のウェブサイトには、方正県の女性が目立つ。県内では日中の十数業者が営業しているといわれる。
日系の「青葉堂」は年に10組前後を成立させる。色白で素朴なここの女性は日本人男性に人気があるという。自らも方正県の女性と結婚した吉岡宏幸代表は「都市の女性には日本の魅力は薄れているが、農村部ではまだまだ日本へのあこがれは強い」と語る。
方正県で知り合った自営業の日本人男性(44)は、ここが出身の妻とネットで出会った。妻は日本で生活した経験があり、メールやビデオチャットで連絡を取り合ううちに「あなたに決めた。方正県に来て」と言われた。女性には2人の子供がいるが、はっきり意思を伝える彼女に魅力を感じた。方正県を訪れ、婚姻手続きをした。「不安もあったが、妻は日本のこともよく知っているし、幸運だった」。3月、家族を連れて日本に戻った。方正県出身者がまた日本に増えた。(西村大輔)
■学歴・コネなく、収入求め海渡る
「密航は一度、後悔は一生」。福建省福清市にある村役場が密航を思いとどまらせるために壁に書いた標語は、色あせ、文字の上に村の行事案内板が覆いかぶさっている。
蛇頭に約300万円払って密入国し、07年に強制送還された男性(45)は「最近、日本は取り締まりが厳しい。いくらも稼がないうちに、職務質問されて強制送還されるリスクが高く、密航は割に合わない」。しかも日本で昼夜働いても、年に貯金できるのは200万円前後。「今は中国で成功すれば、けたが一つも二つも違う」と話した。
建設請負業の男性(45)は、「蛇頭」ボスの1人といわれる。90年代まで密航も請け負った。「中国残留日本人孤児の家族と偽って、ざっと3千人を送り込んだ」と話す。今では、省は好況で、道路やマンションの新設が相次ぎ、「本業」で10億円の年商がある。密航依頼はめっきり減った。
好況のためか福清市ではどんな田舎町に行っても、4~6階建て、1フロアが200平方メートル前後もある西欧風豪邸が競うように建てられている。持ち主の多くは、海外などで稼いだお金を元手に、中国内陸部の炭鉱、ガソリンスタンド、不動産などに投資して財をなした人たちだ。
一方、家に金がなく、学歴や有力なコネがない人々は中国の発展に乗れない。そんな層がより多い収入を求め、留学や結婚を介して海外を目指そうとしている。
留学あっせん業者の男性(41)に会った。日本留学の仲介料は1年目の学費を含め200万円前後。「密航が盛んだった頃に比べ、留学ビザが出やすくなった」。ただ、高卒以上との条件がある。それに、日本で学校へ行かずに働いてばかりいれば、2年目以降は在留資格を失う。
結婚だと、学歴や年齢の制限はない。「早ければ3、4年で永住権が申請できる。取得後に離婚すればいい」。事務所の看板は「留学指南」だが、裏で結婚仲介もする。偽装結婚の仲介業者は福清市に数百人はいるという。
市中心部にある結婚相談所で、日本人男性を望む百数十人の女性の写真を見せてもらった。年齢、身長、体重、結婚歴、子供の有無……。仲介料は、本物の結婚だと約160万円、偽装結婚だと270万円前後。毎年50~80組が「成婚」し、約3分の2が偽装だという。
紹介所の男性は若い女性の写真をパソコンに映し出して言った。「福清市では、金持ちは相手の家柄を見る。いくら美人でも、実家にお金がなければ釣り合わず、金持ちと結婚できない。だから日本を目指す人が絶えない」
郊外に、日本で振り込め詐欺にかかわり、昨年、実刑判決を受けた男(29)の実家があった。ニワトリが家の前を走り回る。男は十数年前、密航船で日本へ渡った。「息子は電話で『まじめにやっている』と言っていたのに」と母親(48)が嘆く。食事の誘いを断ると、祖父が1羽のニワトリを袋に詰め「持っていけ」と差し出した。(奥寺淳、編集委員・緒方健二)
http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201004260154.html
中国人大量生活保護申請 「残留孤児関係者のほぼ九割が偽物」と元警視庁通訳捜査官
職求める 日本への研修生、内陸部から続々――第12部〈大陸源流〉
2010年4月27日16時4分
農業や製造業などの研修生として日本へ行く人は、発展する中国沿海部で減る一方、貧しい農村が多い内陸部では増えている。供給源は西へ向かう。一方、沿海部からは、就職難の若者たちが「日本にでも行くか」と飛び立っている。
中国南西部・雲南省大理から車で1時間以上走った山間部にある馬鞍山郷。少数民族のイ族が住む地域で、険しい山が果てしなく続き、山肌にへばりつくように民家が並ぶ。急な山道を上ると、集落にたどり着く。
徳島県上板町で農業を営む田中政一さん(61)は昨秋、ここに住む阿雲彩(アー・ユンツァイ)さん(19)の実家を訪れた。研修生を求め、大理の労働者派遣会社で面接した約20人の女性のなかで、最も好感を持ったからだ。
――娘さんが1人で日本に行って不安はないですか。
「日本は発展した安全な国。心配していません」
――日本人と結婚するかも知れませんよ。
「賛成です。娘は3人いますし……」
田中さんの質問に、両親はとつとつと答えた。
「山奥で暮らしていれば足腰は強い。畑のほかに家畜も多く、両親はまじめにやっている。こういう親なら娘もしっかりしている」。田中さんは採用を決めた。
両親と娘3人の家族だ。年間1万元(14万円弱)前後の農業収入があるが、医療費や学費はまかなえず、金融機関や親類に3万8千元の借金がある。
阿さんは昨年、専門学校を卒業し、実家の農業を手伝っていたが、叔父の勧めで研修生募集に応募した。採用されたため、さらに借金し、各種手続き代など計4万元を派遣会社に支払った。「地元で就職しても月800元(1万円強)ほど。日本ならもっと稼げるし、先進的な知識も得られる。生活費以外は全部実家に送るつもり」と話す。
一方、田中さんは夫婦でコメやニンジンなどを栽培していたが、農作業が体にこたえ始めた。昨春、知人の勧めで雲南省の女性2人を受け入れたところ、一生懸命働く姿に感心し、農作業を任せるようになった。さらに2人増やし、農地も広げるつもりだ。田中さんは「日本の若者は農業に寄りつかない。孫のような若者が一緒に働き、成長するのを見ると張り合いが出ます」と笑う。
日本の入国管理局によると、農業や製造業などで働く研修生の2008年の新規入国者数は約10万2千人。中国人はその7割近い約6万9千人を占め、00年の約2万8千人から2.5倍に増えた。
■派遣前に軍隊式合宿
「右向け、右!」
「敬礼!」
大理の体育施設。人民解放軍から派遣された教官の命令で、迷彩服の男女15人がぴっと姿勢を整えた。日本に向かう研修生たちだ。徳島県の農業法人に行く予定の女性(31)は「体力だけでなく、自己を厳しく律するために訓練が必要です。2人の子どもがいますが、親が見るから安心です」と話した。
地元の労働者派遣会社、大理州国際経済技術合作公司は、出国前に3~4カ月の合宿を行っている。朝6時半に起きて走る。いかなる理由でも休暇は認めない。布団のたたみ方、コップや靴下を置く場所まで軍隊式に決まっている。日本語などの授業の合間に軍事教練もする。「日本に行けば、どんなにつらくてもやめられない。雇い主に服従する労働者の本分をしっかり理解させる」と和建偉(ホー・チエンウェイ)社長は強調した。
同社は03年の開業以来、約300人の研修生を静岡や千葉などに派遣してきた。韓国や中東などにも出すが、日本の待遇が一番良いという。研修生になる可能性がある人材は、人口約4500万人の雲南省で200万人にのぼる、と同社はみる。
労働者を海外派遣すると、国、省、地元の大理白族自治州政府から1人あたり計900元(約1万2千円)が派遣会社に支給される。出国手続きや審査は04年から大幅に緩和した。労働力輸出は貴重な収入源だからだ。和社長は「雲南省の労働者派遣は始まったばかり。日本への研修生派遣はあと10~20年は続くだろう」と意気込む。
■沿海部の大卒就職難 親から資金
4月上旬のある朝、上海浦東国際空港。中国の20歳の男女2人が小松空港(石川県)行きのフライトを待っていた。「ちょっと興奮しています」。男性の金少華(チン・シャオホワ)さんはぼそっと答えた。語学学校で知り合った2人は福井県で1~2年ほど日本語を学び、日本の大学に進学したいと思っている。
2人が日本留学を志したのには訳がある。江蘇省蘇州出身の金さんは08年、第1志望の蘇州大学に入れず、南京郵電大学に進学した。ここでも、希望した経済学科に行くには点数が足りず、違う学科に割り振られた。授業に身が入らなかった。
そんな時、日本へ留学していた友人がパソコンのチャットで「東京は便利だし、きれいだぞ」と話した。父の口癖も「若いうちに海外へ行け」。大学でやりたい勉強もできず、将来も見えない……。それなら、日本へ行ってみるか、という気分になった。学費と生活費に年200万円近くかかるが、中小企業を営む父が「全部出してやる」。
一緒に留学する翁丹チエ(ウォン・タンチエ、チエは女へんに捷のつくり)さんも職業学校の看護学科をめざしたが、かなわなかった。母は江蘇省にいるが、父は福井県に住む日本人で、中国との間を仕事で行き来する。父の家に身を寄せ、学校に通うことにした。母は「日本の大学に入れば、帰国後の就職にも有利」と期待する。だが、金さんは複雑な気持ちだ。「志望校に受かっていたら、日本へは行かなかったと思う」
上海で日本語学校を運営する魏海波(ウェイ・ハイポー)さんは「中国の志望大学に入れない、いい就職先が見つからない、との理由で留学を考える人が増えている」と話す。日本にでも行ってみるか、という感覚の生徒が同校で3~4割いるという。
今年、中国の大学を卒業するのは600万人強。デンマークの人口より多い。そのうえ、企業は即戦力になる経験者を優遇し、新卒者の就職は厳しい。たとえ就職できても平均的な月給は2千元(約2万7千円)前後。携帯電話の中位機種1台の金額だ。満足できる仕事が見つからず、安アパートで共同生活する大卒者たち「蟻(あり)族」が各地の大都市に漂い、社会問題になっている。留学で学歴や能力を高めたい若者は無数にいる。
そんななか、お金を出せる親も増えてきた。
80~90年代にも上海から日本への留学ブームがあったが、当時は、親類などからお金を集めての一世一代の渡航だった。今では、「多くの一般家庭にとって、日本留学は受け入れられない金額ではない」。日本学生支援機構によると、09年の中国人留学生は約7万9千人。出身国別の留学生数は中国がトップで、全体の6割を占めた。
魏さんはこんな見方も示した。「中国は大半が一人っ子だ。親が甘すぎて苦労を知らない。日本で厳しいアルバイトをしながら勉強するのは、人生のいい経験になる」(雲南省大理=西村大輔、上海=奥寺淳)
http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201004270233.html
中国で「日本留学ブーム」「恵まれすぎ待遇」に疑問の声 一人当たり年間220万円の給付
中国から優秀な留学生が来ないー「留学生政策」は根本的に見直しが必要
2010年4月26日15時41分
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中国最北部の黒竜江省方正県。零下30度の市街地を歩くと、中国語と日本語が併記されている看板をあちこちで見かける。誤字だらけで意味不明のものも多い。「けはテひん」は化粧品店。「チキソそ煮ぅ」は鶏肉の煮込み料理の店。「チキンを煮る」とでも書きたかったのか……。
県政府が2006年から、新規開業する商店の看板に日本語を併記させている。反日感情が根強い中国で、日本語表記を進める街は例がない。親日ムードを盛り上げる意気込みはひしひしと伝わる。日本語の看板を出す美容教室を営む女性(32)は「看板を見た日本人は親しみを持ってくれるはず」。
実はこの地、日本とのかかわりがとても深い。県政府の統計では、戸籍人口約22万人のうち、約3万5千人が日本に住み、約6万8千人の住民に日本滞在歴がある。人口のほぼ半数が日本と深い関係をもっている。同県出身の在日華人からの日本円仕送りなどで、外貨交換額が全国に約2900ある「県級行政区」の中で27位とトップクラス。住民の生活水準は、農村部としてはずば抜けて高い。
その原点は戦争末期にさかのぼる。ソ連軍の侵攻で逃避行を続けた日本の開拓団員が開拓団本部施設や難民収容施設があった方正県にたどり着いた。県政府によると、約5千人が飢えや寒さ、伝染病などで死亡、4千人以上の子供や女性が中国人に引き取られ、残留孤児や残留婦人が集中した。中国政府が建てた中国で唯一の「日本人公墓」もある。戦争がもたらした悲劇が今、方正県と日本を結ぶ太い人の流れに成長している。
日本に多くの中国人を送り出す「源流」の町がもう一つある。
方正県から南へ約2400キロ。熱帯植物があふれる福建省福清市には、かつて「日本密航村」と呼ばれた集落が集まる。1980~90年代には密航組織「蛇頭」が暗躍した。密航は下火となったが、留学や偽装結婚で、今も日本を目指す人が多い。
4月上旬、たまたま入った飲食店の女性店員から結婚仲介業者の男(43)を紹介された。男に案内されたのは、茶葉店2階の8畳ほどの一室。男は部屋に入るなり、緑色のカーテンを閉めた。部屋の中央にはマージャン卓、壁には日本地図と首都圏の交通図。ここに、短髪で年齢より少し若く見える王さん(29)が現れた。
王さんは08年に離婚。一人息子は夫に引き取られた。実家はピーナツやウリを栽培するが収入は乏しい。たまに臨時工として工場で働き、月1千元(1万4千円弱)ほどを得るのがやっとだ。いとこは日本へ渡り、工場勤務などで月二十数万円の収入がある。そこで自分もと、男に相談したという。
「高校を出てないから留学ビザを取れない。だから結婚して日本へ行こうと思う」と王さん。この時点では、普通の結婚を望んでいる様子だった。こちらにその気がないことを見てとると、約20分で立ち去った。
翌日、王さんは仲介業者を通さずに電話してきた。「私と結婚してくれたら、稼がせてあげる」。偽装結婚してくれれば100万円の謝礼を支払うというのだ。就労目的で日本へ行くのだから、夫婦生活はなくていいという。「もしあなたが希望するなら、愛してあげてもいい」。王さんはその週末に別の日本人3人とも会うので、「興味があるならそれまでに連絡して」と言って電話を切った。(西村大輔、奥寺淳)
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毎年5万人増え、外国人登録をした人だけでも65万人を超えた在日華人。好況の中国から、なぜ多くの人が日本へ来るのか。第12部「大陸源流」はその事情を中国から伝える。
http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201004260148.html
連れ帰る 成人後、故郷へ 結婚し再び来日――第12部〈大陸源流〉
2010年4月26日15時41分
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黒竜江省方正県中心部に「僑村」と呼ばれる高級住宅地がある。大きな一戸建て約40戸が並ぶ。住民は日本からの帰国者だ。彼らの資金や技術などを地域発展に役立てようと、県政府が財政支援し、格安で住宅を提供する。3年後には400戸に拡大する計画だ。
ここに住む趙秀蘭(チャオ・シウラン)さん(60)と夫の斉占河(チー・チャンホー)さん(63)を訪ねた。日本の永住権を取ったが、老後は故郷でと、2005年に帰国。210平方メートルの2階建てを日本円にして約800万円で買った。夫婦は「日本に行かなかったら、こんな立派な家には絶対に住めませんでした」。
趙さんの母親は祖父母とともに1943年、日本から旧満州に渡った。敗戦後、祖父母はソ連兵に殺され、17歳だった母親は中国人農民の妻になった。70年代に日本にいる姉妹と連絡が取れ、2番目の夫の死後、86年に日本へ。趙さんと斉さんも後を追い、89年に2人の子供と埼玉県に移住した。
趙さんは裁縫工場で、斉さんは鉄工所などで働き、2人で1カ月に二十数万円を稼いだ。方正県の農家の10年分以上を毎月得ていた計算だ。「生活が何もかも変わった」と斉さん。
趙さんのきょうだい3人とその妻や夫、子供たちも日本に渡った。斉さんの妹の1人は在日華人と、他の2人の妹は日本人と結婚した。夫婦の家系だけで、日本に移住したか、日本で生まれた親類は約30人にのぼる。
日本へ行った華人の子供や孫の多くは成人後、故郷の方正県を訪れて結婚相手を探し、連れ帰る。言葉や習慣の違い、収入の格差で日本人との結婚は難しいという。方正県の人々が続々と日本に向かう流れができている。
中には戸籍を偽造し、日本に渡った人の親族になりすまして来日する人もいる。
ある男性(44)は40万元(約550万円)を仲介業者に払い、妻を残留孤児の娘として、自分はその夫と偽って90年代に日本に入国した。業者は残留孤児の家族に謝礼を、戸籍を管理する警察関係者らにはわいろを渡して戸籍やパスポートを偽造した。
夫婦は関西の部品工場などで5年間働き、月給40万円のうち30万円を貯金し続けた。帰国後は5階建ての自宅を新築、貯金で始めた毛皮の貿易も順調だ。男性は「ビザ取得が難しく、身分を偽るしかなかった」と話した。
方正県は、日本人と結婚する女性が多い。日本の国際結婚仲介業者のウェブサイトには、方正県の女性が目立つ。県内では日中の十数業者が営業しているといわれる。
日系の「青葉堂」は年に10組前後を成立させる。色白で素朴なここの女性は日本人男性に人気があるという。自らも方正県の女性と結婚した吉岡宏幸代表は「都市の女性には日本の魅力は薄れているが、農村部ではまだまだ日本へのあこがれは強い」と語る。
方正県で知り合った自営業の日本人男性(44)は、ここが出身の妻とネットで出会った。妻は日本で生活した経験があり、メールやビデオチャットで連絡を取り合ううちに「あなたに決めた。方正県に来て」と言われた。女性には2人の子供がいるが、はっきり意思を伝える彼女に魅力を感じた。方正県を訪れ、婚姻手続きをした。「不安もあったが、妻は日本のこともよく知っているし、幸運だった」。3月、家族を連れて日本に戻った。方正県出身者がまた日本に増えた。(西村大輔)
■学歴・コネなく、収入求め海渡る
「密航は一度、後悔は一生」。福建省福清市にある村役場が密航を思いとどまらせるために壁に書いた標語は、色あせ、文字の上に村の行事案内板が覆いかぶさっている。
蛇頭に約300万円払って密入国し、07年に強制送還された男性(45)は「最近、日本は取り締まりが厳しい。いくらも稼がないうちに、職務質問されて強制送還されるリスクが高く、密航は割に合わない」。しかも日本で昼夜働いても、年に貯金できるのは200万円前後。「今は中国で成功すれば、けたが一つも二つも違う」と話した。
建設請負業の男性(45)は、「蛇頭」ボスの1人といわれる。90年代まで密航も請け負った。「中国残留日本人孤児の家族と偽って、ざっと3千人を送り込んだ」と話す。今では、省は好況で、道路やマンションの新設が相次ぎ、「本業」で10億円の年商がある。密航依頼はめっきり減った。
好況のためか福清市ではどんな田舎町に行っても、4~6階建て、1フロアが200平方メートル前後もある西欧風豪邸が競うように建てられている。持ち主の多くは、海外などで稼いだお金を元手に、中国内陸部の炭鉱、ガソリンスタンド、不動産などに投資して財をなした人たちだ。
一方、家に金がなく、学歴や有力なコネがない人々は中国の発展に乗れない。そんな層がより多い収入を求め、留学や結婚を介して海外を目指そうとしている。
留学あっせん業者の男性(41)に会った。日本留学の仲介料は1年目の学費を含め200万円前後。「密航が盛んだった頃に比べ、留学ビザが出やすくなった」。ただ、高卒以上との条件がある。それに、日本で学校へ行かずに働いてばかりいれば、2年目以降は在留資格を失う。
結婚だと、学歴や年齢の制限はない。「早ければ3、4年で永住権が申請できる。取得後に離婚すればいい」。事務所の看板は「留学指南」だが、裏で結婚仲介もする。偽装結婚の仲介業者は福清市に数百人はいるという。
市中心部にある結婚相談所で、日本人男性を望む百数十人の女性の写真を見せてもらった。年齢、身長、体重、結婚歴、子供の有無……。仲介料は、本物の結婚だと約160万円、偽装結婚だと270万円前後。毎年50~80組が「成婚」し、約3分の2が偽装だという。
紹介所の男性は若い女性の写真をパソコンに映し出して言った。「福清市では、金持ちは相手の家柄を見る。いくら美人でも、実家にお金がなければ釣り合わず、金持ちと結婚できない。だから日本を目指す人が絶えない」
郊外に、日本で振り込め詐欺にかかわり、昨年、実刑判決を受けた男(29)の実家があった。ニワトリが家の前を走り回る。男は十数年前、密航船で日本へ渡った。「息子は電話で『まじめにやっている』と言っていたのに」と母親(48)が嘆く。食事の誘いを断ると、祖父が1羽のニワトリを袋に詰め「持っていけ」と差し出した。(奥寺淳、編集委員・緒方健二)
http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201004260154.html
中国人大量生活保護申請 「残留孤児関係者のほぼ九割が偽物」と元警視庁通訳捜査官
職求める 日本への研修生、内陸部から続々――第12部〈大陸源流〉
2010年4月27日16時4分
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農業や製造業などの研修生として日本へ行く人は、発展する中国沿海部で減る一方、貧しい農村が多い内陸部では増えている。供給源は西へ向かう。一方、沿海部からは、就職難の若者たちが「日本にでも行くか」と飛び立っている。
中国南西部・雲南省大理から車で1時間以上走った山間部にある馬鞍山郷。少数民族のイ族が住む地域で、険しい山が果てしなく続き、山肌にへばりつくように民家が並ぶ。急な山道を上ると、集落にたどり着く。
徳島県上板町で農業を営む田中政一さん(61)は昨秋、ここに住む阿雲彩(アー・ユンツァイ)さん(19)の実家を訪れた。研修生を求め、大理の労働者派遣会社で面接した約20人の女性のなかで、最も好感を持ったからだ。
――娘さんが1人で日本に行って不安はないですか。
「日本は発展した安全な国。心配していません」
――日本人と結婚するかも知れませんよ。
「賛成です。娘は3人いますし……」
田中さんの質問に、両親はとつとつと答えた。
「山奥で暮らしていれば足腰は強い。畑のほかに家畜も多く、両親はまじめにやっている。こういう親なら娘もしっかりしている」。田中さんは採用を決めた。
両親と娘3人の家族だ。年間1万元(14万円弱)前後の農業収入があるが、医療費や学費はまかなえず、金融機関や親類に3万8千元の借金がある。
阿さんは昨年、専門学校を卒業し、実家の農業を手伝っていたが、叔父の勧めで研修生募集に応募した。採用されたため、さらに借金し、各種手続き代など計4万元を派遣会社に支払った。「地元で就職しても月800元(1万円強)ほど。日本ならもっと稼げるし、先進的な知識も得られる。生活費以外は全部実家に送るつもり」と話す。
一方、田中さんは夫婦でコメやニンジンなどを栽培していたが、農作業が体にこたえ始めた。昨春、知人の勧めで雲南省の女性2人を受け入れたところ、一生懸命働く姿に感心し、農作業を任せるようになった。さらに2人増やし、農地も広げるつもりだ。田中さんは「日本の若者は農業に寄りつかない。孫のような若者が一緒に働き、成長するのを見ると張り合いが出ます」と笑う。
日本の入国管理局によると、農業や製造業などで働く研修生の2008年の新規入国者数は約10万2千人。中国人はその7割近い約6万9千人を占め、00年の約2万8千人から2.5倍に増えた。
■派遣前に軍隊式合宿
「右向け、右!」
「敬礼!」
大理の体育施設。人民解放軍から派遣された教官の命令で、迷彩服の男女15人がぴっと姿勢を整えた。日本に向かう研修生たちだ。徳島県の農業法人に行く予定の女性(31)は「体力だけでなく、自己を厳しく律するために訓練が必要です。2人の子どもがいますが、親が見るから安心です」と話した。
地元の労働者派遣会社、大理州国際経済技術合作公司は、出国前に3~4カ月の合宿を行っている。朝6時半に起きて走る。いかなる理由でも休暇は認めない。布団のたたみ方、コップや靴下を置く場所まで軍隊式に決まっている。日本語などの授業の合間に軍事教練もする。「日本に行けば、どんなにつらくてもやめられない。雇い主に服従する労働者の本分をしっかり理解させる」と和建偉(ホー・チエンウェイ)社長は強調した。
同社は03年の開業以来、約300人の研修生を静岡や千葉などに派遣してきた。韓国や中東などにも出すが、日本の待遇が一番良いという。研修生になる可能性がある人材は、人口約4500万人の雲南省で200万人にのぼる、と同社はみる。
労働者を海外派遣すると、国、省、地元の大理白族自治州政府から1人あたり計900元(約1万2千円)が派遣会社に支給される。出国手続きや審査は04年から大幅に緩和した。労働力輸出は貴重な収入源だからだ。和社長は「雲南省の労働者派遣は始まったばかり。日本への研修生派遣はあと10~20年は続くだろう」と意気込む。
■沿海部の大卒就職難 親から資金
4月上旬のある朝、上海浦東国際空港。中国の20歳の男女2人が小松空港(石川県)行きのフライトを待っていた。「ちょっと興奮しています」。男性の金少華(チン・シャオホワ)さんはぼそっと答えた。語学学校で知り合った2人は福井県で1~2年ほど日本語を学び、日本の大学に進学したいと思っている。
2人が日本留学を志したのには訳がある。江蘇省蘇州出身の金さんは08年、第1志望の蘇州大学に入れず、南京郵電大学に進学した。ここでも、希望した経済学科に行くには点数が足りず、違う学科に割り振られた。授業に身が入らなかった。
そんな時、日本へ留学していた友人がパソコンのチャットで「東京は便利だし、きれいだぞ」と話した。父の口癖も「若いうちに海外へ行け」。大学でやりたい勉強もできず、将来も見えない……。それなら、日本へ行ってみるか、という気分になった。学費と生活費に年200万円近くかかるが、中小企業を営む父が「全部出してやる」。
一緒に留学する翁丹チエ(ウォン・タンチエ、チエは女へんに捷のつくり)さんも職業学校の看護学科をめざしたが、かなわなかった。母は江蘇省にいるが、父は福井県に住む日本人で、中国との間を仕事で行き来する。父の家に身を寄せ、学校に通うことにした。母は「日本の大学に入れば、帰国後の就職にも有利」と期待する。だが、金さんは複雑な気持ちだ。「志望校に受かっていたら、日本へは行かなかったと思う」
上海で日本語学校を運営する魏海波(ウェイ・ハイポー)さんは「中国の志望大学に入れない、いい就職先が見つからない、との理由で留学を考える人が増えている」と話す。日本にでも行ってみるか、という感覚の生徒が同校で3~4割いるという。
今年、中国の大学を卒業するのは600万人強。デンマークの人口より多い。そのうえ、企業は即戦力になる経験者を優遇し、新卒者の就職は厳しい。たとえ就職できても平均的な月給は2千元(約2万7千円)前後。携帯電話の中位機種1台の金額だ。満足できる仕事が見つからず、安アパートで共同生活する大卒者たち「蟻(あり)族」が各地の大都市に漂い、社会問題になっている。留学で学歴や能力を高めたい若者は無数にいる。
そんななか、お金を出せる親も増えてきた。
80~90年代にも上海から日本への留学ブームがあったが、当時は、親類などからお金を集めての一世一代の渡航だった。今では、「多くの一般家庭にとって、日本留学は受け入れられない金額ではない」。日本学生支援機構によると、09年の中国人留学生は約7万9千人。出身国別の留学生数は中国がトップで、全体の6割を占めた。
魏さんはこんな見方も示した。「中国は大半が一人っ子だ。親が甘すぎて苦労を知らない。日本で厳しいアルバイトをしながら勉強するのは、人生のいい経験になる」(雲南省大理=西村大輔、上海=奥寺淳)
http://www.asahi.com/special/kajin/TKY201004270233.html
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