先日仙台の実家に帰っていたとき夫も連休に来たので、
友人達と仙台市郊外秋保温泉の方へ
ドライブに行った時のことです。
私たちの目的は、「慈眼寺」というお寺。
ここは、千日修行を終えられた大阿闍梨:塩沼亮潤氏のお寺なんだとのこと。
塩沼亮潤氏は、修行道の中でも最も過酷な行の一つであるといわれる
吉野の千日回峰行に臨み、
1988年から11年目に見事満行されたのです。
吉野の1300年の歴史の中で、満行されたのは二人目なんだそうです。
友人でヨーガの先生でもあるシャンティさん(HN)は、
かつて塩沼亮潤氏の講演を慈眼寺で聞いたのだそうです。
アポなしだし、会える保障もないけれど、
慈眼寺へ私たちを乗せた車は走ったのです。
★ 慈眼寺の前でパチリ。
★ 本堂は、撮影禁止。なので・・・本堂からお庭をパチリ。
慈眼寺に到着したのは、某日曜日の午前中。
本堂の蔵王大権現様の前で、おまいりをし
その後、4人は涼みました。
この日は、最高気温33度の真夏日だったからです。
不思議と本堂の中は、ひんやりとした清潔感のある空気が
流れていて、とても気持ちよかったです。
シャンティさん(HN)もタヤ子さん(HN)も
もちろん私もヨーギー(ヨガをする人)なので
3人は本堂で各自、瞑想をはじめてしまいました。
困ったのは、ヨーガをしらないおっとかーたん。
:「呼吸を吸う時は、マーと心の中で言い、
吐くときはオームというんだよ。」
と、私は愛の聖人アマチの瞑想方法を耳打ちしました。
私たちは、お昼を食べに一端お寺を出て
ふたたび午後に戻ってきました。
すると・・・!社務所前で、阿闍梨様が講話をするというのです。
なんと幸運なんでしょうか?
ここからは、公益コミュニティサイトCanpan(カンパン)が日本を元気にする!寺内昇
「世のため人のためにお役に立つCANPANブログ」より文章を
お借りして、阿闍梨様をご紹介しますね。
塩沼さんは、現在仙台市・慈眼寺の住職さん。
1968年生まれですから、今年39歳の若い方です。
共著に『大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)』
(春秋社刊)があります。
塩沼さんは、修行道の中でも最も過酷な行の一つであると
いわれる吉野の千日回峰行に臨み、
1988年から11年目に見事満行されたのです。
吉野の1300年の歴史の中で、満行されたのは二人目といいます。
(略)
では、千日回峰行とはどんな修行なのでしょう。
この荒行は、吉野の大峯山のふもとから、
1日48キロメートルの山道を16時間で、
登ってその日のうちに帰ってくることを千日行うのです。
吉野では、登る期間は5月から9月の4か月間で
120日と決められています。ですから、11年目に満行されました。
一日は、23時に起床。滝で体を清め、
行者の参籠所(さんろうじょ)へ行き、
小さなにぎりを2個。0時半から山へ。
大峯山頂の行者がいる宿坊に着くのが8時半ごろ、
おにぎりを食べ帰ってくるのが15時半ごろ。
帰ってきて、泥だらけの装束を洗い、
掃除をして日記をつけ就寝は19時ごろ。4時間半ほどの睡眠。
なんということでしょう。
毎年、行を始めて1か月ほどで爪がぼろぼろになるといいます。
梅雨時には血尿が出たそうです。
この極限を超えると、逆に体が軽くなったといいます。
その間、「後悔だけはしたくない」との思いで、
一瞬一瞬を真剣にやりぬいたのです。
また、何か足をにつかまれ、ふと気がつく崖っぷちだったとか、
イノシシが襲ってきたり、
餓鬼に行く手を阻まれたりしたことがあったようですが、
幻覚だったそうです。
それが、4、500日頃から、如来さまや天女さまの幻覚が
見えるようになったとおっしゃっています。
村上さんは、人間の遺伝子は95%は眠っているとおっしゃいます。
その眠っている部分のスイッチが入るのは、
楽しいこと、嬉しいことだけでなく、
厳しいことでもスイッチが入るとおっしゃっています。
そして、塩沼さんは、極限の状態で嘆きの涙ではなく
幸せの涙がでたお話をされました。
土砂降りの雨のなかで、疲労困憊のとき、おにぎりを食べていたら、
雨で米粒が手から流れてしまう。
一粒一粒をすするように食べていたとき涙がでてきた。
「なんて自分は幸せなんだろう。
この瞬間にも地球上では食べられなくて亡くなっていく人がいる。
自分の心を磨くという尊い仕事をさせてもらって、
なんて幸せなだろう」と思われたのです。
塩沼さんは、荒行を通じて得たメッセージをこのようにお話されています。
(略)
人間は雨を降らすこともできなければ、
風を吹かせることもできない。
与えられた環境の中で辛いこと、
苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、
それに共感しながら生きていくことが大切。
タンポポの種が山に落ちたり、
アスファルトや水溜りに落ちる。
人間もタンポポと同じで、
自分の生まれたところがどんな場所であっても、
いまいる場所がどんな環境であっても、
そこで精いっぱい花を咲かせることが人生。
与えられた環境の中で精いっぱい生かせていただく。
そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、
一日何事もなかったら「ありがとうございました」と」
感謝して生きることが大切だと感じました。
★ 慈眼寺にあった池の睡蓮。
(追記)
阿闍梨様のお話は、自分の体験からの話が多く、
大変勉強になりました。
それから、私たちのために運転してここに連れていってくれた
友人シャンティさん(HN)。
お忙しい中、ありがとうございました。
(追記2)
TOPの絵は、阿闍梨様を描いてみました。
あまり似てないかな?
優しい感じの本当に普通の男性でした。
でも、達成されたことはスゴイんですよね。
そして、悟りをひらいておられる。
なのに気負いがなく、とてもナチュラルな方でした。
時には冗談を言って、笑わせたりしてくださるんです。
また、阿闍梨様に会いに行きたくなりました。
友人達と仙台市郊外秋保温泉の方へ
ドライブに行った時のことです。
私たちの目的は、「慈眼寺」というお寺。
ここは、千日修行を終えられた大阿闍梨:塩沼亮潤氏のお寺なんだとのこと。
塩沼亮潤氏は、修行道の中でも最も過酷な行の一つであるといわれる
吉野の千日回峰行に臨み、
1988年から11年目に見事満行されたのです。
吉野の1300年の歴史の中で、満行されたのは二人目なんだそうです。
友人でヨーガの先生でもあるシャンティさん(HN)は、
かつて塩沼亮潤氏の講演を慈眼寺で聞いたのだそうです。
アポなしだし、会える保障もないけれど、
慈眼寺へ私たちを乗せた車は走ったのです。
★ 慈眼寺の前でパチリ。
★ 本堂は、撮影禁止。なので・・・本堂からお庭をパチリ。
慈眼寺に到着したのは、某日曜日の午前中。
本堂の蔵王大権現様の前で、おまいりをし
その後、4人は涼みました。
この日は、最高気温33度の真夏日だったからです。
不思議と本堂の中は、ひんやりとした清潔感のある空気が
流れていて、とても気持ちよかったです。
シャンティさん(HN)もタヤ子さん(HN)も
もちろん私もヨーギー(ヨガをする人)なので
3人は本堂で各自、瞑想をはじめてしまいました。
困ったのは、ヨーガをしらないおっとかーたん。
:「呼吸を吸う時は、マーと心の中で言い、
吐くときはオームというんだよ。」
と、私は愛の聖人アマチの瞑想方法を耳打ちしました。
私たちは、お昼を食べに一端お寺を出て
ふたたび午後に戻ってきました。
すると・・・!社務所前で、阿闍梨様が講話をするというのです。
なんと幸運なんでしょうか?
ここからは、公益コミュニティサイトCanpan(カンパン)が日本を元気にする!寺内昇
「世のため人のためにお役に立つCANPANブログ」より文章を
お借りして、阿闍梨様をご紹介しますね。
塩沼さんは、現在仙台市・慈眼寺の住職さん。
1968年生まれですから、今年39歳の若い方です。
共著に『大峯千日回峰行(おおみねせんにちかいほうぎょう)』
(春秋社刊)があります。
塩沼さんは、修行道の中でも最も過酷な行の一つであると
いわれる吉野の千日回峰行に臨み、
1988年から11年目に見事満行されたのです。
吉野の1300年の歴史の中で、満行されたのは二人目といいます。
(略)
では、千日回峰行とはどんな修行なのでしょう。
この荒行は、吉野の大峯山のふもとから、
1日48キロメートルの山道を16時間で、
登ってその日のうちに帰ってくることを千日行うのです。
吉野では、登る期間は5月から9月の4か月間で
120日と決められています。ですから、11年目に満行されました。
一日は、23時に起床。滝で体を清め、
行者の参籠所(さんろうじょ)へ行き、
小さなにぎりを2個。0時半から山へ。
大峯山頂の行者がいる宿坊に着くのが8時半ごろ、
おにぎりを食べ帰ってくるのが15時半ごろ。
帰ってきて、泥だらけの装束を洗い、
掃除をして日記をつけ就寝は19時ごろ。4時間半ほどの睡眠。
なんということでしょう。
毎年、行を始めて1か月ほどで爪がぼろぼろになるといいます。
梅雨時には血尿が出たそうです。
この極限を超えると、逆に体が軽くなったといいます。
その間、「後悔だけはしたくない」との思いで、
一瞬一瞬を真剣にやりぬいたのです。
また、何か足をにつかまれ、ふと気がつく崖っぷちだったとか、
イノシシが襲ってきたり、
餓鬼に行く手を阻まれたりしたことがあったようですが、
幻覚だったそうです。
それが、4、500日頃から、如来さまや天女さまの幻覚が
見えるようになったとおっしゃっています。
村上さんは、人間の遺伝子は95%は眠っているとおっしゃいます。
その眠っている部分のスイッチが入るのは、
楽しいこと、嬉しいことだけでなく、
厳しいことでもスイッチが入るとおっしゃっています。
そして、塩沼さんは、極限の状態で嘆きの涙ではなく
幸せの涙がでたお話をされました。
土砂降りの雨のなかで、疲労困憊のとき、おにぎりを食べていたら、
雨で米粒が手から流れてしまう。
一粒一粒をすするように食べていたとき涙がでてきた。
「なんて自分は幸せなんだろう。
この瞬間にも地球上では食べられなくて亡くなっていく人がいる。
自分の心を磨くという尊い仕事をさせてもらって、
なんて幸せなだろう」と思われたのです。
塩沼さんは、荒行を通じて得たメッセージをこのようにお話されています。
(略)
人間は雨を降らすこともできなければ、
風を吹かせることもできない。
与えられた環境の中で辛いこと、
苦しいこと、寂しいこと、いろいろありますが、
それに共感しながら生きていくことが大切。
タンポポの種が山に落ちたり、
アスファルトや水溜りに落ちる。
人間もタンポポと同じで、
自分の生まれたところがどんな場所であっても、
いまいる場所がどんな環境であっても、
そこで精いっぱい花を咲かせることが人生。
与えられた環境の中で精いっぱい生かせていただく。
そして朝「きょうもよろしくお願いします」と手を合わせ、
一日何事もなかったら「ありがとうございました」と」
感謝して生きることが大切だと感じました。
★ 慈眼寺にあった池の睡蓮。
(追記)
阿闍梨様のお話は、自分の体験からの話が多く、
大変勉強になりました。
それから、私たちのために運転してここに連れていってくれた
友人シャンティさん(HN)。
お忙しい中、ありがとうございました。
うめもものプロフィール♪
(追記2)
TOPの絵は、阿闍梨様を描いてみました。
あまり似てないかな?
優しい感じの本当に普通の男性でした。
でも、達成されたことはスゴイんですよね。
そして、悟りをひらいておられる。
なのに気負いがなく、とてもナチュラルな方でした。
時には冗談を言って、笑わせたりしてくださるんです。
また、阿闍梨様に会いに行きたくなりました。
もう~~~のこたん、誉め杉良太郎♪
友人達が、常にメンタルやスピリチュアルの勉強をしているものですから、うまく連れて行っていただけただけですよん。
でも講演会とかね、人の話を聴く機会は心の滋養になるのでできるだけ出かけているのさ~~。
のこたん、携帯よりとは???
また、全国つつうらうらに出没中かなぁ?
お忙しいものね。
寒くなってきましたね。お体に気をつけてね~♪
書き込みありがとうございます。
塩沼亮潤阿闍梨様も、初めはTVで比叡山の酒井雄哉阿闍梨の千日回峰行の様子を見て、いつか行がしたいなあと思ったのだそうです。
ところが、奈良県吉野の金峯山寺の千日回峰行の方が距離や標高差が厳しいのを知り、厳しい方を選んだのだそうです。
比叡山で、scopsさんがお会いした修行僧の方不思議ですね。
まるで、魔法使い。本当に本物の行者さんのイメージです。そうだ!天狗様、のようですね!
何年前だったかなあ?
比叡山の山中で、千日回峰の修行をされている方にお会いしたことがあります。
鳥の調査のために許可をもらって比叡山に前夜から車で泊まり、夜が明ける前に観察ポイントで座っていると、下から狭い山道をタッタッタと誰かが走ってきます。
見ると、あの独特のかぶりものをした修行僧の方。
近くの礼拝ポイントでお経をあげたあと、私たちに「鳥の観察ですか?」と一声かけて、また急な坂道を驚くほど軽く走って登っていかれました。
急なことでまともなお返事もできなかったのですが、ただびっくりして、そのオーラに思わず手を合わせてしまいました。
礼拝されていた時、最後に「エイッ」と声をかけられたのですが、そのとき「コロン」となにかの音。
あとで何かを投げ入れられたんだろうと思って見に行きました。するとそこには葉っぱが一枚・・・
不思議な体験でした。
ぜひ行ってみてください。
上記、リンクの慈眼寺を見て、確認された方がいいですよ。
日曜の13時から、護摩焚き供養を行っているそうです。
それから、上記記事、塩沼亮潤氏の所にもっとくわしく千日行の対談記事がありますので、
興味があったらお読み下さいませ。
さらに、感動しますよ。(喜)
はい、秋保大滝とお豆腐やさん(三角揚げが有名な・・・)は、行ってきましたよ。
>うめももさんの似顔絵の方が男前ですが・・・
そうでもないのよ。ご本人の方がステキなお顔をなさっています。きりりとして仏像のようなお顔です。
実は阿闍梨様は、私の亡くなった父方の祖父にお顔が似ているんです。
まだまだお若い阿闍梨様ですが、たんぽぽの種のお話はとてもひきつけられましたね。
>与えられた環境の中で精いっぱい生かせていただく。
当たり前のことをシンプルに行っていて、机上論がない。とても、すてきな方でした。
むーさん、ありがとうね。
寂聴さん、その女性の心に寄り添って四国でお遍路をされたんですね。
そうですね。
>頭でどんなに考えても
どんなに人から声をかけてもらっても
人の心はどうにもならない時がありますよね。
そうだね。
経験した痛みや辛さを分かち合うことならできるけれども、過去の痛みに戻れはしないもんね。
戻れないから、分かち合ったのでしょう。
阿闍梨様のくわしくは、塩沼亮潤氏のリンク先の
対話集を読んでみて下さい。
お母さまが心臓病。父親は、暴力をふるう。
中学のときにそんな両親が離婚。
お金もなく貧しかったが、明るく生きてきたそうです。
「将来阿闍梨様は、なにをしたいのですか?」
という問いに
「くわしくはまだわかりませんが、人様の役に立つ事をしたいと考えています。」
ときりりとした眼でお答えになりました。
多くの方が、自分の迷いや悩みを打ち明けて、
それを真摯にお答えになっていらっしゃいましたよ。
追伸:私、寂聴さんとお会いしたことあるの。講和を、聞いたのです。写真も、撮っていただきました。
明るくてかわいい方でしたね。
慈眼寺の阿闍梨様・・深いお話でした。
>気負いがなく、とてもナチュラルな方でした。
そう言う方って、素敵ですね。
ずーっと、お話を伺っていたくなります。
うめももさんの似顔絵の方が男前ですが・・
お人柄があふれています。
うめももさんの絵って、外+内面で味わい深いですね。
絵心の全くない私の評で・・ごめんね。
(ちょっとずれてるかも)
以前、寂聴さんが東北のお寺にいらしたとき、
息子さんを亡くされた女性が講和を聞きに遠方から通っていらしたそうです。
何度も何度も通われたけれど、息子さんを失った悲しみは大きく、どんなに講話を聴いても心が晴れることがなかった女性です。
あるとき、寂聴さんはその女性とともに四国でお遍路をされました。
歩き遍路は本当に大変なご苦労があるそうですね・・・。
寂聴さんも女性も決して若い世代ではありませんので
大変過酷な行程となったことだと思います。
そして、八十八箇所めをお参りしたとき
女性が初めて心からの笑みを浮かべたといいます。
頭でどんなに考えても
どんなに人から声をかけてもらっても
人の心はどうにもならない時がありますよね。
『極限の状態で嘆きの涙ではなく
幸せの涙がでた』
すこしずれてしまったかもしれないですが、
この女性も、心の苦しみを身体の限界までの苦しみが解放してくれたのかもしれないな、と思います。