TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつ

TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつのブログ

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うちの水槽のレベルな奴

2018-06-07 00:10:33 | Weblog

我が家の水槽は現在とてもいい感じで安定しています。魚たちは元気で、水草もボンボン生えてきて、タニシ達もメチャメチャ水槽のガラスを掃除してくれる。そんな中、一匹だけ見つけました、この作られた平和に意義を唱える奴を。水の循環器の所以外はとっても安泰でみんな悠々と泳いでるのに、ずっとこの循環器の流れにあらがって狂ったように泳ぎ続ける一匹のグッピー。こいつをグッピー界のジョー・ストラマーに認定しました。かっこいいんだよね、こいつ!

https://www.facebook.com/tetsuya.sukeyasu/videos/1547938178650032/?fref=ts

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トガってるドラマー、しょうた

2018-05-30 03:52:54 | Weblog
うちのバンドのドラム、しょうたはトガッている。ニヒルで皮肉たっぷりの男で常に誰かの至らなさを見つけては、傷付けようと目を光らせているような男。ただ奴の言っていることに矛盾はないし、ドラムの腕前も一流だ。俺はとっても奴を信用している。いつものリハーサルでもやはりトガりトークをまき散らすのだが、このところの僕らのリハーサルは3時間。先日のリハ。始まってから2時間半くらいまではいつものようにトガりまくっていたしょうたも後半はトガりが失速していった。これを僕らの中では「しょうたのトガり疲れ」と呼ぶことにした。2018年、春。
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コデインマン 〜我、無痛なり〜

2017-09-09 00:36:55 | Weblog
 僕の従兄弟が急遽、他界しました。2017年6月某日、心臓の病気でした。49日も終えたのでこの記事を書くことにします。
 親戚の中で唯一同い年の男子だったノブ。当然メチャメチャ仲良くなって、小学生〜中学生時代は一番の親友と思っていた奴。小学生低学年の時、寝るときに布団の中で「お父さんとお母さんとノンちゃん(小学生時代はノブをこう呼んでいた)が死にませんように」って真剣にお祈りしてた。 
 小学生高学年頃の夏休みは、お互いの両親ともに同じ職場だったこともあり、ノブは横浜に住んでたんだけど両親と一緒に車に乗ってきて、いつも一緒に遊んでいた。ノブが来る時はうちの母親がお小遣いをくれたから、二人で三軒茶屋のゲーセンで10円ゲームを極めて時間を潰していた(家にゲームなかったし・・)。コインゲームの競馬も大元の電源抜いた後の1ゲーム目はよく当たるという噂を信じて電源を抜きまくり、店員にすげえ怒られたりもしてた。
 中学1年の時ディズニーランドがオープンして、ここにもお互いの母親(姉妹)と俺とノブで遊びに来た。母親達は夕方頃に帰って、その後中1のガキ二人でディズニーランドの夜を満喫した。調子に乗ってポップコーン売り場のお姉さんとツーショット写真を撮ったりして・・
 中学2年の時、二人で初の海外グアム・サイパン旅行!といっても「B&G少年の船」っていう激安ツアーで超体育会系。初日の消灯時間9時を少し過ぎたくらいに腹減った二人は、テンション上がってることもあって昼間見つけていたカップラーメンの自販機で夜食を買ったところ、なんか仕切ってる人に見つかっていきなり正座。30分くらい・・旅行と思ってたのに・・・7日間の海外旅行は厳しいぞう・・と覚悟を決めましたが、その後は無事楽しく乗り切りました。
 高校1年の時、俺は原チャリの免許を取ったんだけど、真っ先にノブの家にスーパーカブを走らせて行った。初めての遠出、しかも50ccだから2時間くらいかかった。
 他にも書いたらキリがないほどあるけどそんな時代を共に過ごした後、俺は大学に入学したんだけど、ノブは浪人してて悶々としていたときに、調子に乗った当時最もイケイケだった俺のアニキのヒロがアメリカ留学から一時帰国、ノブにアメリカ留学を勧め、その日のうちに決定してノブはアメリカ・テキサスに旅立った。このテキサスにはこれまた当時超イケイケの僕の血が繋がってない方のアニキのケイさんもいた。当時のヒロ&ケイさんは若手にメチャメチャ厳しくて、俺が街でピッチャーのシャドウピッチングをしているだけでも「かっこわりいからやめろ!!」とか言ってこっぴどく怒ってきたほど。そんな中に放り込まれたノブ。まあ、すげえ厳しく言われてたみたい(ノブはお姉さん二人だったから、なおさらだったと思う・・)。それから何年か経って俺が大学の卒業旅行にテキサスを選んだのもアニキ達もいるけど、ノブがいるからだった。一緒にバンドをやってた明男と行った。そこでも、まあ色々あって。ノブのアニキ達への不満もヒアリが一杯いるテキサスの庭で俺は存分に聞いた。「大変だなあ・・」と思いつつも、その後ノブは日本に帰国する。その後も俺のレコーディングを手伝ってくれたり(ノブは元々ピアノをやってて、俺が唯一弾けるリチャードクレイダーマンの「渚のアデリーヌ」を指南してくれた)、デザインの仕事を頼んだり。
 だけどその後、ちょっとしたボタンの掛け違いで、すげえ喧嘩して疎遠になってしまったのが、30才くらいの時。金の話だった。もう俺は縁を切ったつもりでいた。それから音沙汰なく10何年近く経ってしまって、久しぶりに会ったノブは棺の中で眠っていた・・・あんま変わらねえなあ、と思ったけど、今は動きもしなくなってた。ノブを焼き場で見送ったときは、色んな感情が押し寄せてきて涙が止まらなくなってしまった。人は誰でもいつか死ぬ。でもそれが早すぎるし、いつかまた話せるだろうなんて思いは甘いんだと思った。誰かといつかまた話せるなんて思ってたら、それはどうなるかなんて分からないんだと気付かされた。一番仲の良かった従兄弟であり親友とそんな再会をすることもある。
 そして思わぬ出来事が起こったのは焼き場の後。ノブの遺体が焼かれている間に親戚でご飯を食べたんだけど、そこにノブのお姉さんが今年の母の日にノブがノブのお母さんに贈った写真アルバムを持ってきてくれてた。それはノブが母親に対してこれまで育ててくれた感謝の気持ちがこもった、奴の成長の記録のアルバムだった。そのアルバムをめくると、縁を切っていたと勝手に思っていた俺と幼い頃に一緒に写ってる写真、小学生の頃に一緒に写ってる写真、中学生の頃の写真や、卒業旅行で行ったアメリカの写真達で、俺と写ってる写真が満載だった。うれしかったけど、すごい恥ずかしい気持ちがわき上がってきた。勝手に縁を切ったと思っていた俺を、ノブはとっくに許してくれていたんだって気付いた。またすごい泣けてきた。
 だから俺は、疎遠になってる人にきちんと連絡取った方がいいと、そして過去に何があったか分からないけど許す心が必要だと、ノブに教えてもらいました。誰だっていつか死ぬんだなあって思い知らされました。死んじゃったらもうお互いに話すことも出来ないんだと。
 そんな中で印象に残った写真があって。俺は写ってないんだけど、さっき書いたアメリカ留学時の厳しかったアニキ達、ヒロ&ケイとノブのスリーショット。左からノブ、ケイさん、ヒロ。この時のケイさんの服装があまりにもすごくて・・・このコーディネイション!シャツと短パンの色から、バンダナにサングラスにウエストポーチ。こんな人が現代に現れたら大爆笑の渦でしょう。葬式の夜、僕らは涙と共に笑い転げました。ノブ、もしかしたら自分に何かあったときのために、アメリカで厳しくされたケイさんへこの写真を残すことで最後の笑いを与えてくれたんじゃないかと(仕返し?)。だってこんな色合いで遊園地に行く人いますか?浮かれすぎでしょう、どう考えても!僕たちはノブの葬式の夜、この写真に救われました。この写真のけいさんをイタさを感じない男として、コデインマン(コデインとは当時アメリカで流行っていた鎮痛薬)と名付けることにしました。「コデインマン〜我、無痛なり〜」
 ノブはずっとハイな男だったから、最後にも俺らに笑いを残してくれたんだと。涙と笑いで包まれた夜。ノブ、今までありがとうね。あっちの世界でもハイなノブでいてくれよね。また会おうね。ご冥福をお祈りします。
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野平先輩

2017-03-26 16:58:03 | Weblog
俺がなんでバンドを始めたか。いろんな理由があるかもしれないけど、やっぱり強烈に残っているのは俺が中学生だったときのこの先輩の存在だった。野平(のひら)先輩。
小学生の時から野球とサッカーと釣りくらいしかやってなかった俺。尊敬するのはブルース・リーと松田優作と王貞治とアントニオ猪木とビートたけし(若干ジャッキー・チェン)。そんな当たり前の中学生だった俺の周りにもこんな年頃には当然いろんな奴が出てくる。クラスメイトにランボーの詩集を愛でる奴なんかも出てきたりして。ランボーなんか100%理解出来なかった俺は500%の力で罵倒してやった。そんな2億%体育会系の俺をかわいがってくれたのが、俺が中1の時に中3だった野平先輩。バンドマン。お互いが太子堂中学校に在学中はそれ程の接点はなかったんだけど、俺が中3になり野平先輩が近くのレンタルレコード屋でアルバイトを始めてからはもう毎日会ってるくらいだった。アルバイトが先輩一人しかいないんで、俺も常にカウンター内で店員モード。先輩が飯食いに行く時なんかは俺が店番&接客。中3のガキ1人しかいないレンタルレコード屋って!そんで先輩は店に置いてある全てのレコードを常に無償で俺に貸してくれた(あっ、通常やっちゃいけない事だと思うけど、まあ昭和だったし、貸してるだけってことで・・・)。大体1日に3〜5枚は借りていった。この時のレコードが今の俺にとってどれだけ肥やしになっているかって、もうホント。そんな野平先輩は先輩のお兄さんとメタルバンドをやっていた。お兄さんがドラム、先輩がベース。そりゃあもうかっこいいなんてもんじゃなかった。当時のメタルバンドは目黒の鹿鳴館って言うライブハウスでやれることがステータスだったんだけど、ここにいっつも出てた。とにかくダントツで光ってた。まぶしいなんてモンじゃなかった。しかも練習方法もすさまじくて俺の家はすっごい近所だったんだけど、家にドラムがあってガンガン叩いてて、ガッツリ聞こえてくるんだよね、毎日。周りからしたら近所迷惑なんてもんじゃなかったと思うよ、世田谷なのに。いい時代だったのかもね。

そんで当時よく徹マンに誘われて先輩の家で麻雀打ってたりしたんだけど、たまに「ちょっとたばこ買ってきて、バイク使っていいから」って言われて、一番下っ端の俺は淡島通りをたばこを買うためだけにJOGで疾走してた。気持ちよかったなあ!
そんな中3時代。人生で何が一番かっこいいか。そりゃあもうバンドでしょう、ってホントそれしかなかったんだよね。中3の時に取り憑かれ、今も取り憑かれ続けてるバンド人生。そういえば俺が初めて女の子と付き合ったのは中3だったんだけど、そのきっかけは野平先輩周りの先輩達(森先輩、田原先輩、田口先輩、佐野先輩、悪くて怖い人ばっかだったなあ・・皆さん今何してんだろう・・)に一週間以内に彼女を作れっていう命令に従ったんだよなあ。そんな事でもなければチキンな俺は告白なんて出来なかっただろうし。そんなバックボーンは知らなかったはずの僕の最初の彼女、Kさん。告白した気持ちは今でもハッキリと覚えてるけど、ウソはひとつもなかった!本当の気持ち!これを引き出してくれたんだね、あの先輩達が。でもゴメン、きっかけはそんな事だったんだよね・・・・

そんなわけで、かっこいい人。そんなものに中学生時代に触れることが出来て、いまだにそのかっこよさを追い続けてます、俺。今考えたらその当時の野平先輩は高2。俺はまだその高2の先輩に追いついてねえかもなあ、と思ったりして、2014、春。
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電車のマナー

2016-04-09 22:39:45 | Weblog
今日Japonicus恒例の 「PACHAMAMA」が渋谷で行われた。昨年バルセロナで行われたエスペランサを共に闘った同志、トランペットのトミーとサックスのイッサも駆けつけてくれ、今年6月に決定しているバルセロナのビッグフェス、クラウニアでも共演が決まっているDoctor Pratsの天才ベース、ミキとの半年ぶりの再会で超ご機嫌な一夜。帰りは田園都市線の終電でした。電車に乗るやいなや、窓際に超調子に乗った20才台前〜中盤の、まあまあな体格のやつがメッチャでかい声で電話を始めました。これがまあマジでむかつく内容で、要するに気に入らない奴を血まみれにしてやったとかいう感じ。俺はすっげえイライラしてたんだけど、当然周りの人たちもおんなじで、その電話をしてる馬鹿の周りにいるいい感じのおしゃれな奴ら2人(30台中盤から後半くらい)と俺、何度も目が合って、もう目の会話で「こいつむかつく」ってなったんですよね。そんな感じの中、電話の馬鹿の隣にいたそのおしゃれな1人のナイスガイが「電車で電話は良くないと思うけど」って切り出したんで、すかさず俺は「マジでこんな混んでる電車の中で電話はダメだし、血まみれにしたとかって話、やめてくれねえかな」って言ってやった。言われた奴、そんな電話をしてるようなアホだからその後、超俺をにらみ付けてきていつでもこいっ!みたいな一触即発モード。「こりゃあ、もう次の駅降りて殴り合いだな」って感じがプンプンただよってたんだけど、そいつのマナーの悪さにむかついてたもう一人のおしゃれなガイが言葉は発さなかったんだけど、するどい睨みをきかせてくれた。そしたらそいつ、電話で「なんか怒られちゃったから電話切るわ」って言ってその場は収まった。周りにいた俺ら、いい感じで気が合いそうな三人(もちろん初対面、フェスとかで出会ったら絶対友達になるタイプ)が目配せだけでむかつくこいつを抑えられたことが、すごい重要だと思った。これが社会というものだと思った。
俺も若い時は、絶対周りから「うるせい!」って言われる輩だったと思う。でもうるさいのと人の気持ちを滅入らせるパワーは絶対違う。この電話の馬鹿のおかげで、俺は目だけでこんなに会話が出来るんだって知りました。電車を降りる際に、一言も俺とは会話をしてない一番始めに注意したナイスガイと握手をして電車を降りました。あの人絶対いい人!またそのうちに巡り会える事を願う。この大都会で、一瞬だけ同じ目的で気持ちを荒げた同志に感謝!!!そして世の中はみんなの気持ち次第で全然変わると気付かされた、最終電車に揺られた今日の俺でした。
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選挙での権力の干渉

2016-04-09 22:38:02 | Weblog
斎藤まさしさんの裁判を傍聴しに静岡地裁に行ってきました。昨年の静岡市長選挙で、選挙期間前にビラを撒いたことが公職選挙法違反ということです。政治活動(選挙活動ではなく)としてのビラまきはセーフなので、どんな候補でもやっている事なのに。これは明らかに喜納昌吉や山本太郎を国会に送り出したり、三宅洋平というヒーローを作り上げた斎藤まさしを恐れた権力側(警察・検察)の策略。捏造によって人を追い込む様を見せられた。でも斎藤さんの意見陳述は素晴らしかった。権力を前に一歩もひるまず闘う姿があった。涙ながらに闘っていた。意見陳述が終わった後の満席の傍聴席の鳴り止まない拍手が全てを物語っていました。裁判長が制するまで拍手は鳴り止みませんでした。この人を有罪にしてはいけない。絶対いけない。検察側は2年を求刑してます。こんな言われもないことで人生の2年間を塀の中で過ごさせては絶対いけない!執行猶予が付いたとしても選挙活動が止まってしまうから、求めるのは無罪のみ。
判決は2016年6月3日13時10分に言い渡されます。選挙直前。この判決でびびらせて、次の選挙でも本当のことを語る政治家を封じ込めるつもりなんだろうけど、そんなことは許しちゃいけないです。皆さん、この判決に注目して、こんな腐ったやり方を終わらせましょう!!
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僕の息子、二男のお言葉

2015-12-21 01:27:46 | Weblog
日常生活において、よく目の錯覚っぽい感じで「今のは幽霊なんじゃないか」みたいに見えたり、感じたりすることがある。これはきっと誰にでもあると思う。僕もよくあるし、僕の子供たちもよくあるらしい。そんな話をしていた時、すごい解決方法を聞いた。僕の息子、勇治はそのうっすら見えたところを凝視するらしい。しっかり見て何もないことを確認する。そして「やっぱり幽霊じゃなかった」という安堵感でホッとするらしい。
そこで俺が「もし凝視して本当に幽霊いたらどうすんの?」って質問したら、「その時は人生が終わる」とおっしゃっていました。
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不思議な水槽

2015-11-23 23:10:49 | Weblog
我が家の水槽で不思議なことが起こりました。メダカ(10匹)やドジョウ(1匹)を飼っているのですが、つい一週間くらい前、飼い始めて1年半くらいたつドジョウが水槽から姿を消しました。何処を探しても見当たりません。水槽から飛び跳ねて周りにいるかもかもと思い、周辺も探しましたがどこにもいません。丸二日位姿を消していたのですが、また急に姿を現しました。そして今日、水槽をよく見ると、そのドジョウの他に、子供のドジョウがいるではありませんか!子供を生むために砂の中に潜って子供を産んでたのかなあとか思ってドジョウの生態を調べたのですが、ドジョウは卵を産むそうで、いきなり子供が出てくることはありません。しかも1年半くらいドジョウは一匹だったので交尾も出来ないでしょう。じゃあこの子供はどこから・・・

思い当たる出来事としてはこれくらいしかないので書きますが、今から二週間くらい前、夜中に家の玄関でタバコを吸っていたら、タバコを吸っている間中ずっと、遠くの方に不思議な光が二つ飛び交っていました。もしやUFO?と思い、その手のプロ、友人の漫画家、石原まこちん氏にその報告をしました。氏に光の動きを説明した手書きの説明画を送った結果、「この動きはこの星の文明ではありませんね」とのこと。そう、僕の考えではドジョウはUFOに連れ去られ、強引に子供を作らされてまた戻ってきた・・

ちなみに写真左が消えて戻ってきたドジョウ、右が今日発見したドジョウの子供。宇宙ドジョウなのかなあ・・一応ネットで調べてみたら、ドジョウが消えたって言う報告が何件かありました(どれもその後の事が書かれていないので、どうなったのかは不明)。宇宙人、ドジョウに興味があるのかなあ・・柳川ナベが好きで繁殖の研究してたりして・・・

今後の宇宙ドジョウの生態を見守りたいと思います。
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悲しい数式

2014-12-01 22:44:52 | Weblog
今日の朝のこと。俺は電車に揺られていた。ヘッドフォンからは日本最高峰のレベルミュージックバンド、G-Freak Factoryの名曲「島生民」が大音量で流れている。この国の行く末やそこに生きる人々を憂い、果てはこの地球、人間の生きる道を指し示したメッセージソング。かつてヴォーカルの茂木君にTEXの3rdアルバムのコメントをお願いし、快諾してくれた時は本当にうれしかった。魂の名曲「島生民」を聞きながら、俺はまだまだこの人の足元にも及ばないなあ、でも負けねえぞ、いつか追いつけるように気合い入れ直そう!と朝から気持ちを奮い立たせていたその時、ふと電車の中の1人の女性に目がいった。年の頃20代中〜後半、少し明るめの髪にかわいい顔立ち、眩しいほどの真っ白いファー付きのジャケットを着たその女性は、真剣な顔つきで日経新聞を読み込んでいた。そのオシャレでかわいらしい女性からは想像出来ない「日本経済新聞」。このアイテムを持っているだけでポイントが2万点上がるのは俺だけではあるまい。その時だった。日経新聞など一発で吹き消すものが俺の目の前に飛び込んできた。そいつの名は「陰毛」。その女子の肩に堂々と鎮座しているではないか!すごい存在感だった。何もかもを打ち消してしまった、いや打ち消すだけではなくすでにその女子は何者でもない、「陰毛を肩に乗せた女子」以外の何者でもなくなっていた。

最高の音楽 + オシャレでかわいい女子 + 日経新聞 < 1本の陰毛

悲しい数式。あんなたった一本だけで・・恐るべき負のパワー。俺のヘッドフォンからはリスペクトする茂木君の強烈なはずのシャウトが、むなしく響く・・・俺の目はただ一点だけを茫然と眺め続けた・・・

朝の電車の中での一幕でした。
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バンド人生の先輩

2014-04-10 23:40:42 | Weblog
俺がなんでバンドを始めたか。いろんな理由があるかもしれないけど、やっぱり強烈に残っているのは俺が中学生だったときのこの先輩の存在だった。野平(のひら)先輩。
小学生の時から野球とサッカーと釣りくらいしかやってなかった俺。尊敬するのはブルース・リーと松田優作と王貞治とアントニオ猪木とビートたけし(若干ジャッキー・チェン)。そんな当たり前の中学生だった俺の周りにもこんな年頃には当然いろんな奴が出てくる。クラスメイトにランボーの詩集を愛でる奴なんかも出てきたりして。ランボーなんか100%理解出来なかった俺は500%の力で罵倒してやった。そんな2億%体育会系の俺をかわいがってくれたのが、俺が中1の時に中3だった野平先輩。バンドマン。お互いが太子堂中学校に在学中はそれ程の接点はなかったんだけど、俺が中3になり野平先輩が近くのレンタルレコード屋でアルバイトを始めてからはもう毎日会ってるくらいだった。アルバイトが先輩一人しかいないんで、俺も常にカウンター内で店員モード。先輩が飯食いに行く時なんかは俺が店番&接客。中3のガキ1人しかいないレンタルレコード屋って!そんで先輩は店に置いてある全てのレコードを常に無償で俺に貸してくれた。大体1日に3~5枚は借りていった。この時のレコードが今の俺にとってどれだけ肥やしになっているかって、もうホント。そんな野平先輩は先輩のお兄さんとメタルバンドをやっていた。お兄さんがドラム、先輩がベース。そりゃあもうかっこいいなんてもんじゃなかった。当時のメタルバンドは目黒の鹿鳴館って言うライブハウスでやれることがステータスだったんだけど、ここにいっつも出てた。とにかくダントツで光ってた。まぶしいなんてモンじゃなかった。しかも練習方法もすさまじくて俺の家はすっごい近所だったんだけど、家にドラムがあってガンガン叩いてて、ガッツリ聞こえてくるんだよね、毎日。周りからしたら近所迷惑なんてもんじゃなかったと思うよ、世田谷なのに。いい時代だったのかもね。

そんで当時よく徹マンに誘われて先輩の家で麻雀打ってたりしたんだけど、たまに「ちょっとたばこ買ってきて、バイク使っていいから」って言われて、一番下っ端の俺は淡島通りをたばこを買うためだけにJOGで疾走してた。気持ちよかったなあ!
そんな中3時代。人生で何が一番かっこいいか。そりゃあもうバンドでしょう、ってホントそれしかなかったんだよね。中3の時に取り憑かれ、今も取り憑かれ続けてるバンド人生。そういえば俺が初めて女の子と付き合ったのは中3だったんだけど、そのきっかけは野平先輩周りの先輩達(森先輩、田原先輩、田口先輩、佐野先輩、悪くて怖い人ばっかだったなあ・・皆さん今何してんだろう・・)に一週間以内に彼女を作れっていう命令に従ったんだよなあ。そんな事でもなければチキンな俺は告白なんて出来なかっただろうし。そんなバックボーンは知らなかったはずの僕の最初の彼女、Kさん。告白した気持ちは今でもハッキリと覚えてるけど、ウソはひとつもなかった!本当の気持ち!これを引き出してくれたんだね、あの先輩達が。でもゴメン、きっかけはそんな事だったんだよね・・・・

そんなわけで、かっこいい人。そんなものに中学生時代に触れることが出来て、いまだにそのかっこよさを追い続けてます、俺。今考えたらその当時の野平先輩は高2。俺はまだその高2の先輩に追いついてねえかもなあ、と思ったりして、2014、春。
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