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コデインマン 〜我、無痛なり〜

2017-09-09 00:36:55 | Weblog
 僕の従兄弟が急遽、他界しました。2017年6月某日、心臓の病気でした。49日も終えたのでこの記事を書くことにします。
 親戚の中で唯一同い年の男子だったノブ。当然メチャメチャ仲良くなって、小学生〜中学生時代は一番の親友と思っていた奴。小学生低学年の時、寝るときに布団の中で「お父さんとお母さんとノンちゃん(小学生時代はノブをこう呼んでいた)が死にませんように」って真剣にお祈りしてた。 
 小学生高学年頃の夏休みは、お互いの両親ともに同じ職場だったこともあり、ノブは横浜に住んでたんだけど両親と一緒に車に乗ってきて、いつも一緒に遊んでいた。ノブが来る時はうちの母親がお小遣いをくれたから、二人で三軒茶屋のゲーセンで10円ゲームを極めて時間を潰していた(家にゲームなかったし・・)。コインゲームの競馬も大元の電源抜いた後の1ゲーム目はよく当たるという噂を信じて電源を抜きまくり、店員にすげえ怒られたりもしてた。
 中学1年の時ディズニーランドがオープンして、ここにもお互いの母親(姉妹)と俺とノブで遊びに来た。母親達は夕方頃に帰って、その後中1のガキ二人でディズニーランドの夜を満喫した。調子に乗ってポップコーン売り場のお姉さんとツーショット写真を撮ったりして・・
 中学2年の時、二人で初の海外グアム・サイパン旅行!といっても「B&G少年の船」っていう激安ツアーで超体育会系。初日の消灯時間9時を少し過ぎたくらいに腹減った二人は、テンション上がってることもあって昼間見つけていたカップラーメンの自販機で夜食を買ったところ、なんか仕切ってる人に見つかっていきなり正座。30分くらい・・旅行と思ってたのに・・・7日間の海外旅行は厳しいぞう・・と覚悟を決めましたが、その後は無事楽しく乗り切りました。
 高校1年の時、俺は原チャリの免許を取ったんだけど、真っ先にノブの家にスーパーカブを走らせて行った。初めての遠出、しかも50ccだから2時間くらいかかった。
 他にも書いたらキリがないほどあるけどそんな時代を共に過ごした後、俺は大学に入学したんだけど、ノブは浪人してて悶々としていたときに、調子に乗った当時最もイケイケだった俺のアニキのヒロがアメリカ留学から一時帰国、ノブにアメリカ留学を勧め、その日のうちに決定してノブはアメリカ・テキサスに旅立った。このテキサスにはこれまた当時超イケイケの僕の血が繋がってない方のアニキのケイさんもいた。当時のヒロ&ケイさんは若手にメチャメチャ厳しくて、俺が街でピッチャーのシャドウピッチングをしているだけでも「かっこわりいからやめろ!!」とか言ってこっぴどく怒ってきたほど。そんな中に放り込まれたノブ。まあ、すげえ厳しく言われてたみたい(ノブはお姉さん二人だったから、なおさらだったと思う・・)。それから何年か経って俺が大学の卒業旅行にテキサスを選んだのもアニキ達もいるけど、ノブがいるからだった。一緒にバンドをやってた明男と行った。そこでも、まあ色々あって。ノブのアニキ達への不満もヒアリが一杯いるテキサスの庭で俺は存分に聞いた。「大変だなあ・・」と思いつつも、その後ノブは日本に帰国する。その後も俺のレコーディングを手伝ってくれたり(ノブは元々ピアノをやってて、俺が唯一弾けるリチャードクレイダーマンの「渚のアデリーヌ」を指南してくれた)、デザインの仕事を頼んだり。
 だけどその後、ちょっとしたボタンの掛け違いで、すげえ喧嘩して疎遠になってしまったのが、30才くらいの時。金の話だった。もう俺は縁を切ったつもりでいた。それから音沙汰なく10何年近く経ってしまって、久しぶりに会ったノブは棺の中で眠っていた・・・あんま変わらねえなあ、と思ったけど、今は動きもしなくなってた。ノブを焼き場で見送ったときは、色んな感情が押し寄せてきて涙が止まらなくなってしまった。人は誰でもいつか死ぬ。でもそれが早すぎるし、いつかまた話せるだろうなんて思いは甘いんだと思った。誰かといつかまた話せるなんて思ってたら、それはどうなるかなんて分からないんだと気付かされた。一番仲の良かった従兄弟であり親友とそんな再会をすることもある。
 そして思わぬ出来事が起こったのは焼き場の後。ノブの遺体が焼かれている間に親戚でご飯を食べたんだけど、そこにノブのお姉さんが今年の母の日にノブがノブのお母さんに贈った写真アルバムを持ってきてくれてた。それはノブが母親に対してこれまで育ててくれた感謝の気持ちがこもった、奴の成長の記録のアルバムだった。そのアルバムをめくると、縁を切っていたと勝手に思っていた俺と幼い頃に一緒に写ってる写真、小学生の頃に一緒に写ってる写真、中学生の頃の写真や、卒業旅行で行ったアメリカの写真達で、俺と写ってる写真が満載だった。うれしかったけど、すごい恥ずかしい気持ちがわき上がってきた。勝手に縁を切ったと思っていた俺を、ノブはとっくに許してくれていたんだって気付いた。またすごい泣けてきた。
 だから俺は、疎遠になってる人にきちんと連絡取った方がいいと、そして過去に何があったか分からないけど許す心が必要だと、ノブに教えてもらいました。誰だっていつか死ぬんだなあって思い知らされました。死んじゃったらもうお互いに話すことも出来ないんだと。
 そんな中で印象に残った写真があって。俺は写ってないんだけど、さっき書いたアメリカ留学時の厳しかったアニキ達、ヒロ&ケイとノブのスリーショット。左からノブ、ケイさん、ヒロ。この時のケイさんの服装があまりにもすごくて・・・このコーディネイション!シャツと短パンの色から、バンダナにサングラスにウエストポーチ。こんな人が現代に現れたら大爆笑の渦でしょう。葬式の夜、僕らは涙と共に笑い転げました。ノブ、もしかしたら自分に何かあったときのために、アメリカで厳しくされたケイさんへこの写真を残すことで最後の笑いを与えてくれたんじゃないかと(仕返し?)。だってこんな色合いで遊園地に行く人いますか?浮かれすぎでしょう、どう考えても!僕たちはノブの葬式の夜、この写真に救われました。この写真のけいさんをイタさを感じない男として、コデインマン(コデインとは当時アメリカで流行っていた鎮痛薬)と名付けることにしました。「コデインマン〜我、無痛なり〜」
 ノブはずっとハイな男だったから、最後にも俺らに笑いを残してくれたんだと。涙と笑いで包まれた夜。ノブ、今までありがとうね。あっちの世界でもハイなノブでいてくれよね。また会おうね。ご冥福をお祈りします。