TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつ

TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつのブログ

自分と音楽

2011-02-16 00:42:34 | Weblog
 自分にとって音楽とは何なのか考えてみました。

 はじめてエレキギターを手にしたのが中3の時。アニキの影響が強かったけど、自分の学年の中でエレキを持ったのは自分が一番早かった。超Lowポジションにてドレミファソラシドが弾けるようになった直後、早速コピーし始めたのがVan Halenの「Hot For Teacher」。ライトハンド奏法の意味もやり方も知らぬままに、イントロの部分の超早弾きライトハンドの部分から手を付けてしまった。かぐや姫の神田川なんかをコピーするのに最適なポジション、ギターの一番Lowなポジションにて、TAB譜を入手したものの見方が分からない俺は、覚えたてのドレミを武器に一音一音探していった。エディが弾くと10秒くらいのイントロ、俺が弾くと3分くらいかかった。そりゃあそうだ、ライトハンド使ってないんだから。学年一番、開拓者のつらいところである。その次に手を付けたのが、ドラムは4拍子だけどギターは変拍子的な変態ナンバー、Led Zeppelinの「Black dog」のイントロ。でもこれは出来た。拍子がおかしいなどとは露とも気付かず、これまた神田川的な超Lowポジションで。何百回も弾いた。隣の部屋のアニキが「もうやめてくれ、その曲が俺の中でいつもまわってる!」と言っていた。今思えば「Black dog」がいつも頭の中に鳴ってたらちょっときつい。

 そうこうするうちに同級生7人でバンドを結成、名前は「H-Age(エッチエイジ)」ローマ字読みするとハゲ。そんな裏の意味がクールだった時代。編成がVo(俺)、G×2、B、Key、D、Saxの全員超どシロートなビックバンド。そりゃあひどい音だったが、たまに入るスタジオの楽しい事ったらなかった。最近入ってるスタジオの三千倍くらいのテンション。Sex PistolsとRolling Stonesのコピーをしていたが、曲の途中で絶対誰かが存在しないコーラスを歌い出す。しかも歌詞を付けて。その内容が、「ドラムのルイスは矢橋(中学生当時の人気女子)が好き~♪消しゴムのケースを取ると名前が書いてある~♪」的なものが大部分を占めていた。テンション高かったっす。結局このバンドは6年間続いたのちに、音楽性の相違によりあえなく解散(今思えば、全メンバー、音楽性など0.02ヘクトパスカルくらいしかなかったが・・)。

 その後、H-Ageのベースだったタカと共に打ち込みユニット結成。ずっと家で打ち込みばっかりしてた。なんかタカはいっつも俺の家にいた。一週間に8日間くらいいた。お互い風呂にも入らず。タカの他にも色んなやつらが来てた。タカの弟ケンジもいっつもいたんだが、打ち込みの最中はやることないもんだからエロ本などを眺めつつ「早くボリ行こうよう・・」などとたまにつぶやいていた。ボリというのは釣り堀のことで、打ち込みに飽きてくるとよく三軒茶屋の駅前の釣り堀に行った。自分らのことを「太子堂釣友会(たいしどうちょうゆうかい)」などと名乗り、みんなのその日釣った魚の数を手帳に記録し、「今日の釣率」を競ったりした。
打ち込みに飽きた時の別の暇つぶし、当時俺らの間で流行っていた「ギャグ将棋」をよく指した。ただ単に面白いことを言い合って勝負する、たったそれだけのシンプルなストロング・スタイル。スネークマンショーのジャンキー大山をまねて、人の名前の名字と下の名前の頭文字を入れ替えて面白いの作った奴が勝ちとか。例えば「研ナオコ」だったら「なん けおこ」、松田聖子なら「せつだ まいこ」になる。当時ダントツのチャンピオンだったのは松平健だ。「けつだいら まん」。いまだにこの名人を超す人物は現れていない。

 話が多少それてしまったので、音楽の話に戻す。その打ち込みの延長で、アニキの友人に赤ちゃんが生まれるからその記念にレゲエの曲を作ってくれ、歌詞はこれだ、と歌詞を手渡された。ボブ・マーリーをリスペクトするあまり、ジャマイカまで行ったりしてた俺は、快諾した。でも渡された歌詞を見た俺はとまどいを隠せなかった。
歌詞の冒頭「ウヒョ ウヒョ ・・・ ヒャホー ヒャホー ・・・」である。完全にアニキの悪ふざけだ。しかしそこは俺もRockers、受けて立ってやろうと思って曲にのせた。それが記念すべきTEX & Sun Flower Seedの1stアルバムの1曲目に納められている「GREEN」となった。どういうワケかことのほかこの曲の評判が良かったもんだから、もうレゲエでいっちゃおう、というあたりが俺のレゲエ路線の始まりです。

 その後、なんとなくタカとの打ち込みユニットは尻つぼみになり、代わりに俺はTEX & SFSをバンド化するべく動いた。2001年、代々木公園で行われた喜納昌吉さんを中心としたイベント「花の祭り」でのこと。俺はなんとなくスタッフみたいな事をしてたんだけど、そこにあやしい風貌の男が歩いていた。「うわっ、この人見た目ちょーレゲエ!!」と思った俺は、すっげー怖かったけど、勇気を出して話しかけた。「あの・・・ドラム、叩けますか?・・・」。なんと叩けたんである!!このレゲエな人こそ、現ドラマー佐藤けんじだ。今考えるとあの瞬間からTEX & SFSは転がりだしたんだと思う。その後メンバーはどんどん増殖していった。ピーク時は11人までになった。サッカーが出来てしまう人数だ。野球だったらベンチに控え選手2人置いておける。バスケなら2チーム!!対戦すら出来てしまう大所帯。寂しく打ち込みをしていた時代が嘘のようだ。

 なんか知らないうちにTEX & Sun Flower Seedというバンドが出来るまでのヒストリーになってしまった。読み返してみたら長いな~!!ですのでひとまずここで筆を置きます。またそのうちに、今度こそもっと音楽の話を!!
ということで(つづく)!!