TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつ

TEX & SUN FLOWER SEEDのVocal、てつのブログ

フェルミン・ムグルザ in フジロック2013

2013-08-14 02:06:33 | Weblog
2013年のフジロック、オレンジコート。土曜日のヘッドラーナー、フェルミン・ムグルザのステージで僕は感動的な一夜を味わった。

話は前日のクリスタル・パレスにさかのぼる。
僕はこの年、スペインから自治を獲得したバスクのスーパースター、フェルミン・ムグルザのステージを見るためにフジロックに遊びに来ていた。金曜日のクリスタルパレスでのフェルミンのステージは圧巻だった。僕らTEX & SUN FLOWER SEEDはレベル・ミュージック・シーンに身を埋めているが、フェルミン・ムグルザはまさにそのシーンの大ボス。スペインに統治されていたバスクを自治国にする一端を担い、この国で本当にリスペクトされているシンガー。レベル・ミュージックがなすべき事をやってのけるすごい人。去年僕らがスペイン・バスクツアーに行った際、6年ぶりに行われたフェルミンのライブは新聞の1~3面を飾った(しかもフルカラー!)。日本でサザンが5年ぶりに復活と言ったってこんな扱いにはなんないっすよね。そんなスーパースターのライブはやっぱり本物だった。僕らはこれまで3度バスクツアーに行く機会を与えられて、2008年、2011年、2012年と立て続けに行かせてもらったのだが、その際にフェルミンの曲に日本語の詩をのせて歌ってきた。このライブの時に名も知られない僕らのライブのリハーサルにフェルミンは訪れてくれた。そして僕らのカヴァー曲を気に入ってくれた。こんなに感動的なことはなかった。
そんなこともあり、2013年のフジロック、クリスタルパレスのステージが終わった後、フェルミンの楽屋に挨拶に行ったのだが、その時に驚くべき事を言われた。「お前らが俺の曲に日本語の歌詞を付けてるLa Linea Del Frente、明日のオレンジコートで演奏するからお前もステージにあがれ!I'll waiting for you!!」と!!心臓がバクバクいった。心底憧れてるアーティストと同じステージに立てる。しかもフジロックという聖地で!

遊びに行っていたはずのフジロックで思わぬサプライズ。

翌日オレンジコートのトリを飾るフェルミンの舞台へ赴いたが、リハーサルもまったくないまま本当に僕がステージに上がるなんて事があるんだろうか、という疑問をいだきつつオレンジコートでうろうろしていた。
まもなく本番が始まろうとしている時に、前日僕のBIG BOSS、Japonicusのしょうごさんにステージ上でプロポーズされた盟友DJチャコが(この感動的なプロポーズは以下で!https://www.facebook.com/photo.php?v=401971109913417)この先どうしたらいいのか分からない俺に変わってBOSSしょうごさんへアプローチ、フェルミンからは僕が歌う部分は合図するからその場所を歌えと言う指示。どの部分を歌うのかも分からぬまま舞台袖へ。もうドキドキですよ!!人生でこんなドキドキはなかったと思います。なんせ歌う部分も分かんないんですから。でもこれがライブ!いろんなシュミレーションをしつつあがってきました、オレンジコート、ヘッドライナーのステージへ!結果、その曲の歌う部分全てに合図が出され、1曲丸ごと歌わせてもらったんです!!

心底リスペクトするアーティストと同じ舞台に立つ。これほど感動的な体験は今までありませんでした!フェルミンにしてもそんな大舞台でリハーサルも無しに僕なんかをステージに上げるのは相当なリスクだったでしょう。でもそれがレベル・ミュージックの中心にいる人の心意気なんだということをその時Big リスペクトと共に心が痛いほど感じました!フェルミン、そしてJaponicusしょうごさん、DJチャコ、本当に感動的な一夜をありがとうございました!!!



JaponicusしょうごさんがDJチャコにプロポーズ!in Fuji Rock Festival!!

2013-08-14 01:57:28 | Weblog
これがBossしょうごさんからDJチャコへのプロポーズ動画!!超おめでとうございます!!!

https://www.facebook.com/photo.php?v=401971109913417

このめでたい動画ですが、実はここには映されていないドラマがあったんです。プロポーズをしたしょうごさんはDJチャコ(この先チャコと呼びます)に指輪をはめました。でも皆さん考えてみてください。サプライズだったこのプロポーズ劇なのに、なぜチャコの薬指に指輪がぴったりはまったのかを。この指輪を購入するにあたって、とっても重要な人物がいました。フジロック、オレンジコートのヘッドライナーを務めた、レベルミュージック界の重鎮フェルミン・ムグルザとその奥さんです。このプロポーズの4日前、フェルミンの家族(フェルミン本人以外の奥さんと息子と娘)が来日しました。しょうごさんはフェルミンの奥さんヨネに今回のサプライズプロポーズの事を相談し、ピッタリの指輪を買うためにチャコの左手の薬指に合うサイズを極秘裏に調べようと計画をたてました。そこで取ったミッション1はヨネの指輪をチャコにはめてみることでした。「これフェルミンに買ってもらった大事な指輪なの。チャコ、はめてみていいわよ」と、ヨネがすすめました。チャコは何も知らずにヨネの指輪をいくつもつけてみました。しかし!ヨネの指輪はチャコにフィットしませんでした。焦るヨネ。ここでヨネが機転をきかせます。ミッション2。「フェルミンにもらった私の大事な指輪を見せたんだから、チャコがしょうごに今までもらった指輪を見せてよ」と。チャコは何にも知らずに以前プレゼントでもらった指輪を持ってきました。「かわいい!付けてみて!」とヨネ(女優顔負けの演技)。そして現在のチャコの左手薬指にバッチリ合う指輪をチェックし、その後こっそりその指輪を拝借。ようやく現在のチャコの左手薬指のサイズを調べる事が出来たのです。しかしフジロック前の本当に慌ただしい時期。毎年恒例のフジロック前のビックイベント「Radical Music Network @ 渋谷club asia」の本番日、リハーサルの合間を縫ってフェルミン一家としょうごさんは渋谷に指輪を選びに繰り出しましたが、今回のこの指輪はとっても重要だということでなかなか決まりませんでした。そうこうしているうちにしょうごさんはタイムリミット、club asiaに戻らなければならなくなりました
。そしてあとはフェルミン一家に指輪の選択を託したのです!ワールドツアーからその日の前日に来日した疲れ気味のフェルミンでしたが、盟友しょうごさんのためと指輪を探し求めました。そしてようやくゲットしたのが、この動画ではめられることになった指輪なんであります!いや~ドラマだなあ~!長くなってすみませんが、これが愛ですなあ!!

そして最も大事な事は ジャポニクス及びラジカルミュージックネットワークは ツアーの時だけの仕事の関係ではなく、アーティストさんもDJさんもプロモーター側も 皆家族を巻き込んで仲良しで、人生の大切な相談も打ち明ける位深い関係で結ばれているという事。信頼関係が出来ているから、あたたかいイベントが出来るんだよーって事です。


石巻に行って

2011-05-26 00:47:58 | Weblog
 5/17~19まで、TEXのメンバー鉄観音とヒロキと僕の三人で被災地石巻にボランティア活動をやりにいった。震災から2ヶ月半、何かをしなければいけないという心のモヤモヤと、日常に忙殺される時間との狭間で、まったく平穏な時間はなかった様に思う。そんな中、5/20~22に山中湖道志村で行われる春フェス「Natural High!」の出演が決まっていたのだが、このフェスは本当に「濃い」メンツの集まる所で、僕の様なモヤモヤを持ったままではステージに上がることは出来ない、との判断から強行軍で訪れることにした。

 準備としてまず区役所に行った。区役所に届けを出せば、被災地までの往復の高速道路代が無料になる。手続きも簡単。区役所の被害対策課(だったかな?)に行って10分くらいで書類をくれた。

 5/17、TEX&SFSのリハーサルが23:00に終わり、バタバタ準備をして、車で東京・下北沢24:00出発。目的地は石巻専修大学。ここに僕の兄貴分・南兵衛さん(アースガーデン代表)の仲間で、中村まなみさんという、ボランティアに来る人を統括している人がいるという話を聞いたので、頼っていくことにした。事前に電話で話を聞いていて、7:30に集合して仕事を振り分けていくと言うことだった。深夜に車での石巻は遠かったが、ようやく今までの心のモヤモヤが取れるかも知れないという思いもあったのか、眠気を吹っ飛ばし2回ほどSAに寄りつつ朝6:00に目的地到着、そのまま集合地へ。

ピースボートのボランティアの皆さんがラジオ体操をしている専修大学の校庭で中村さんと合流。今回の僕らのミッションは津波でヘドロまみれになっている神社をきれいにすること、と聞かされた。現場での僕らのリーダーは伊藤さんという東京から来ている、とっても人のいいおじさんだった。今回の震災で知人を何人か亡くされているということで、たまらず現地に赴いたらしい。一週間の予定だったが「現場を見ちゃったら帰れなくなっちゃってさあ」ということで現在4週間目、こんなんじゃ足りないって言っていた。胸が熱くなった。

 僕らは事前にAPバンクのHP(http://www.apbank.jp/fundforjapan/volunteers/)を見て装備を整えていった。装備を準備することが出来ない人には貸し出しもしてくれていた。僕らも用意していったつもりだったが、やはり現場にしたがい、いくつも借りた。ヘルメットやゴーグル、防塵マスク、長靴の下に敷く堅いインナー、レインコート、ゴム手袋。現地では油断した装備によって破傷風や肺炎などがあるらしい。だからそこのルールに従うことにした。


 いよいよ目的地の神社へ。まずは神社1階部分、浸食してしまい泥だらけになった家屋の泥をシャベルで土嚢袋に入れ外へ運び出す作業。泥を掻き出す間、震災前の平穏な生活が垣間見えてきて本当にきつかった。子ども達の絵本が痛々しく泥に埋まっていた。家屋内が相当な異臭を放っている。海水が腐った感じなんだろうか。家屋内の泥は割れたガラスなんかが混じっているので危険も伴う。きちんとした手袋を借りておいてよかったなあと思う。

 この現場には僕らの他に企業の(株)DENSOさんから派遣された60人程の方達もいた。なんでも社内で希望者を募って派遣されてくるらしい。とても良く働くナイスガイばかりだった。素敵で人間味のある、いい会社だなあと思った。

 泥まみれの家屋の家具でも洗えば使えるものもあるので、色んな家具をトラックに乗せて水洗い出来る港まで移動して、そこで水洗いしてまたトラックに乗せて戻す、という作業もあった。

 そうこうするうちにその日の作業は終了、僕らはメチャメチャ眠いし身体はくたくたなはずなのに、休みたくなくなっていた。たまたま鉄観音が見つけた情報で、ソウル・フラワー・ユニオンの中川さんが女川(石巻の隣。ここの被害も相当ひどかった・・)の避難所でライブをやる、という情報があったのでここはどうしても見ておきたかった。というのも今回僕らはミュージシャンという立場でありながら、あえて音楽活動ではなく肉体労働を選んだ。それは現地の本当の要望、ニーズが分かりもしないうちに音楽でもないだろう、と思ったから。そこに本当にたまたま、僕がもっとも敬愛するアーティスト中川敬がライブをするというのだから行かないわけにはいかない。今現地に音楽は必要なのか・・・

 冠水のため道路に海水が満ちて中々先に勧めない中、会場到着。

ソウル・フラワー・ユニオン withリクオ名義での三人がライブを始める。必要だった!!ここには音楽がとっても必要だった!!ただそれは単なる音楽ではない。中川敬が阪神大震災を始め、これまで築いてきた活動、その避難所にいる人たちへの思いやり、そんなものがぐわぁー!と押し寄せた。自分の為じゃないライブ・・僕は中川さんのライブに心底それを感じた。そんなきっかけもあって避難所の中も見ることが出来た。ひどい、本当に。プライバシーなんてあったもんじゃない。そんな窮屈な生活の中に響いたソウル・フラワー・ユニオン with リクオのライブ。音楽って偉大だなあと実感した。ライブ直後、中川さんに挨拶して帰ろうかなあと思って近寄っていったら、一人のおじさんが中川さんに握手を求めて泣いていた。感動したって言って。いままで君たちのことは知らなかったけど、今日は感動したって言って、泣いていた。中川さんの懐の深さが生み出したすっげえシーンを見せていただいた。感動のライブ!!


 感動しながら、宿泊地の石巻専修大学へ。校庭にテントを張った。くたくたで眠いはずなのに、僕ら三人は話し続けた。思ったこと、感じたことが多すぎたから、そのままでは眠れなかった。たっぷり話し合った後、久しぶりの睡眠へ・・・
昼間は夏日だったのだが、夜の冷え込みは厳しかった。僕は防寒ばっちりで熟睡したのだが、寒さで眠れなかったらしい鉄観音とヒロキ。翌日ヒロキが言った言葉が印象的だった。「被災された人たちのことを思ったら、こんな寒さ、なんでもないって思って眠ることにしたよ」。確かに。

 翌日も7:30集合。ラジオ体操にも参加。ここで一つ気がついた。ここでボランティアをやってる人たちがとっても明るいってこと。もしかしたらここにいるみんなも、僕と同じように心にモヤモヤがあって、やっとそれを追い出すことが出来て、良い心のテンションになってるのかなあ、なんて感じた。

 この日も同じ神社の清掃。なんでもこの神社は海や川で命を落とした方々を奉る所らしい。それを聞いてますます清掃に力が入る。ヒロキに「この何日間、本当にすげえ体験の連続だよなあ」と話しかけたら、「そうだね。でもこの特別な体験は俺らが特別だから経験出来た事じゃないよね。誰でもここに来れば体験出来るんだから」。確かに。ヒロキいい事言う様になったなあ。ヒロキだけじゃなく、鉄観音、僕も含めた三人とも色々なことに心を動かされ、考え、これからの生き方を考える様になっていたと思う。

 この何日間で色々と考えが変わった。僕の父がずっと言っていたことがある。「人様の為にやったことをいちいち周りに言う必要はない。そんなことを宣伝するくらいならやらない方がましだ。」だから僕は今回石巻を訪れたことをいちいち周りに言う必要はないと思っていた。でも今、このレポートを書いている。それは、もしこの文章を読んで被災地でお手伝いしようって思ってくれくれる人が一人でも増えればうれしいと思ったからだ。そんな思いから、本来石巻から山中湖に向かわなければならないところ、僕ら三人は身体は疲れていたが、もっと現地の状況を広く知ってもらう必要がある、と考え、被害状況をレポートするため壊滅した街を車で走った。

日和山から被害状況が一望出来る。


車は紙で出来てるかの様にぺちゃんこに。


魚が腐った匂いなのか、悪臭が立ちこめる。


後ろに見えるのはがれきの山。


車が三階の屋根に。津波の高さがうかがえる。


ビルが横倒しに・・


被災地を訪れて色々なことを感じた。人間は無力だ。だからこそ思った。今、東京を始め被害に遭っていない地域の自粛モードが何か違うと感じた。今だからこそ僕らはこれまで以上にもっともっと全力で生きて行かなくてはいけない。そういう時代がやってきたのだと。自粛ではなくて、全力で色々なことをやって助け合っていくべきだと。本気で生きる時代がやってきたのだと。

僕なんか、まだまだお手伝いが足りていない。今後益々力を入れたい。

P.S.
一緒に行ったギターのヒロキのレポートが写真もたっぷりあるし、超いい事書いてる。要チェック!
http://ameblo.jp/dub-h/






自分と音楽

2011-02-16 00:42:34 | Weblog
 自分にとって音楽とは何なのか考えてみました。

 はじめてエレキギターを手にしたのが中3の時。アニキの影響が強かったけど、自分の学年の中でエレキを持ったのは自分が一番早かった。超Lowポジションにてドレミファソラシドが弾けるようになった直後、早速コピーし始めたのがVan Halenの「Hot For Teacher」。ライトハンド奏法の意味もやり方も知らぬままに、イントロの部分の超早弾きライトハンドの部分から手を付けてしまった。かぐや姫の神田川なんかをコピーするのに最適なポジション、ギターの一番Lowなポジションにて、TAB譜を入手したものの見方が分からない俺は、覚えたてのドレミを武器に一音一音探していった。エディが弾くと10秒くらいのイントロ、俺が弾くと3分くらいかかった。そりゃあそうだ、ライトハンド使ってないんだから。学年一番、開拓者のつらいところである。その次に手を付けたのが、ドラムは4拍子だけどギターは変拍子的な変態ナンバー、Led Zeppelinの「Black dog」のイントロ。でもこれは出来た。拍子がおかしいなどとは露とも気付かず、これまた神田川的な超Lowポジションで。何百回も弾いた。隣の部屋のアニキが「もうやめてくれ、その曲が俺の中でいつもまわってる!」と言っていた。今思えば「Black dog」がいつも頭の中に鳴ってたらちょっときつい。

 そうこうするうちに同級生7人でバンドを結成、名前は「H-Age(エッチエイジ)」ローマ字読みするとハゲ。そんな裏の意味がクールだった時代。編成がVo(俺)、G×2、B、Key、D、Saxの全員超どシロートなビックバンド。そりゃあひどい音だったが、たまに入るスタジオの楽しい事ったらなかった。最近入ってるスタジオの三千倍くらいのテンション。Sex PistolsとRolling Stonesのコピーをしていたが、曲の途中で絶対誰かが存在しないコーラスを歌い出す。しかも歌詞を付けて。その内容が、「ドラムのルイスは矢橋(中学生当時の人気女子)が好き~♪消しゴムのケースを取ると名前が書いてある~♪」的なものが大部分を占めていた。テンション高かったっす。結局このバンドは6年間続いたのちに、音楽性の相違によりあえなく解散(今思えば、全メンバー、音楽性など0.02ヘクトパスカルくらいしかなかったが・・)。

 その後、H-Ageのベースだったタカと共に打ち込みユニット結成。ずっと家で打ち込みばっかりしてた。なんかタカはいっつも俺の家にいた。一週間に8日間くらいいた。お互い風呂にも入らず。タカの他にも色んなやつらが来てた。タカの弟ケンジもいっつもいたんだが、打ち込みの最中はやることないもんだからエロ本などを眺めつつ「早くボリ行こうよう・・」などとたまにつぶやいていた。ボリというのは釣り堀のことで、打ち込みに飽きてくるとよく三軒茶屋の駅前の釣り堀に行った。自分らのことを「太子堂釣友会(たいしどうちょうゆうかい)」などと名乗り、みんなのその日釣った魚の数を手帳に記録し、「今日の釣率」を競ったりした。
打ち込みに飽きた時の別の暇つぶし、当時俺らの間で流行っていた「ギャグ将棋」をよく指した。ただ単に面白いことを言い合って勝負する、たったそれだけのシンプルなストロング・スタイル。スネークマンショーのジャンキー大山をまねて、人の名前の名字と下の名前の頭文字を入れ替えて面白いの作った奴が勝ちとか。例えば「研ナオコ」だったら「なん けおこ」、松田聖子なら「せつだ まいこ」になる。当時ダントツのチャンピオンだったのは松平健だ。「けつだいら まん」。いまだにこの名人を超す人物は現れていない。

 話が多少それてしまったので、音楽の話に戻す。その打ち込みの延長で、アニキの友人に赤ちゃんが生まれるからその記念にレゲエの曲を作ってくれ、歌詞はこれだ、と歌詞を手渡された。ボブ・マーリーをリスペクトするあまり、ジャマイカまで行ったりしてた俺は、快諾した。でも渡された歌詞を見た俺はとまどいを隠せなかった。
歌詞の冒頭「ウヒョ ウヒョ ・・・ ヒャホー ヒャホー ・・・」である。完全にアニキの悪ふざけだ。しかしそこは俺もRockers、受けて立ってやろうと思って曲にのせた。それが記念すべきTEX & Sun Flower Seedの1stアルバムの1曲目に納められている「GREEN」となった。どういうワケかことのほかこの曲の評判が良かったもんだから、もうレゲエでいっちゃおう、というあたりが俺のレゲエ路線の始まりです。

 その後、なんとなくタカとの打ち込みユニットは尻つぼみになり、代わりに俺はTEX & SFSをバンド化するべく動いた。2001年、代々木公園で行われた喜納昌吉さんを中心としたイベント「花の祭り」でのこと。俺はなんとなくスタッフみたいな事をしてたんだけど、そこにあやしい風貌の男が歩いていた。「うわっ、この人見た目ちょーレゲエ!!」と思った俺は、すっげー怖かったけど、勇気を出して話しかけた。「あの・・・ドラム、叩けますか?・・・」。なんと叩けたんである!!このレゲエな人こそ、現ドラマー佐藤けんじだ。今考えるとあの瞬間からTEX & SFSは転がりだしたんだと思う。その後メンバーはどんどん増殖していった。ピーク時は11人までになった。サッカーが出来てしまう人数だ。野球だったらベンチに控え選手2人置いておける。バスケなら2チーム!!対戦すら出来てしまう大所帯。寂しく打ち込みをしていた時代が嘘のようだ。

 なんか知らないうちにTEX & Sun Flower Seedというバンドが出来るまでのヒストリーになってしまった。読み返してみたら長いな~!!ですのでひとまずここで筆を置きます。またそのうちに、今度こそもっと音楽の話を!!
ということで(つづく)!!

シンクロニシティ

2011-01-09 22:30:28 | Weblog
 昨日ライブがあってその帰り道、俺とTb鉄観音とGtのヒロキでアワビのうまい食い方の話しをしていた。何が一番うまい食べ方なのか、と。ヒロキが「でもやっぱ、アワビの肝をかけて食べるのが一番うまいんじゃない?」と言ったので、俺が「肝かけて食べたりするんだ・・」と発言した瞬間にその出来事は起こった。
 鉄観音とヒロキが全く同時に「かけてもって言うか」と、これまで聞いたこともないみごとなユニゾンで言い放った。内容的に分析すると、かけて食べるのは常識らしい。しかしそんなことは置いておいて、俺はそのユニゾンの綺麗さに息を呑んだ。見事すぎるユニだった。双子、もしくはM-1で優勝した直後の勢いづいた漫才コンビほどの息の合いようだった。
 確かにここ2ヶ月ほど、俺らはレコーディング真っ最中、息も合ってくるのは多少は分かりもするが、それにしてもパーフェクトすぎた。二人のピッチの正確さもさることながら、音符の長さがそりゃあもうバッチリだった。楽譜に直せば32分音符とか出て来ちゃうくらいの絶妙なコーラスワーク。俺はこの二人と同じバンドでいられる幸せを噛みしめた。

 俺は思った。一生の中で「かけてもって言うか」というワードを人は何度くらい口にするのだろうかと。おそらく0、もしくは1~2度と推察する。いろんな言葉をシンクロしてしまうことは誰にでも多々ある。しかし、そんな希有な「かけてもって言うか」なんていうワードを誰かとバッチリシンクロしたのは、多分世界中でこの二人が初だろう。
 「ノーベル 世界かけてもって言うかシンクロ賞」に決定!!

パーティー

2010-09-01 22:32:29 | Weblog
パーティーという詩を書きました。これが俺の理想!


世の中が一つになればどんなに気が楽だろう
隣の人や隣の町の人と全てを分かち合えたら
地面は誰のものでもないのに 皆そればかり気にして
本当はみんなオール誰もが仲間なのに
分け合いたいねすべてを 笑い合いたいね楽しいことを
悲しみ合いたいね悲しい事を
みんなが一つになれたらね そんな世の中が本当に楽しいね
楽しい事だけ求めたいね 夢なんかじゃないよ
いつか必ずたどりつけるよ 本当の俺達のISLANDに

そこにはお金なんてない 漁師のあいつは魚を
農家のあいつはじゃがいもを 隣のあいつはお米を
裏のあいつは笑いを 俺はみんなに音楽を 葉子は俺だけに愛を
島をあげての大パーティ アイリーも猫も友達で
俺の気心しれた奴等や その友達やその恋人や 
みんながみんなを呼んで 誰もがそのパーティーの主役で
本気で心を解放できるパーティー
そんなのすごく簡単な事じゃないの
みんなが笑ってる顔だけみて
心の底から大笑いしたいよね
朝や夜とか関係なくて いつか誰かがShoutする
眠い奴は寝てるから そんな声にも反応しない
楽しい楽しいISLAND 島をあげての大パーティー
いつか必ずやってくる 心から思えばやってくる

腹が空いたら魚を釣るし ブタにあやまり狩りもする
でも仲間だからやりすぎないし 俺達も必要じゃない
Everybody パーティー 死ぬほどパーティー
誰か一人がやりたい事があれば 必ずみんなで一度はやって
楽しかったらEverynight 楽しくなければそいつにパンチ
いつしか毎晩楽しい事だけ 俺も葉子も笑ってる
不満は一つもないし あってもいつかは消える
Music・Love・Trip・Party
偉い奴なんか一人もいない だめな奴も一人もいない
誰でも一人残らず 腹を抱えて笑ってる
もう腹が痛くてたまらないよぅ 涙が出て止まらないよぅ 
Everybody Party、Everybody Love

10年くらい前に書き始めた小説

2010-08-30 22:38:00 | Weblog
10年くらい前に、小説を書き始めました。しかし冒頭部分だけで止まっちゃってます。
今回特別に大公開!ここから小説、スタート!


俺が毎日ボブ・ディランを流していたあの店はもうない。
いつも誰かがいて淋しいことなんて一度もなかった。俺達の全てがそこにあった。
一番みんなが光ってた時だった。
ここは東京の中でも若者達が集まる事で有名な下北沢だ。なぜかここに集まる奴の
多くは金を持ってないバンドマンか、劇団の奴だった。
渋谷とか新宿、六本木に飽きたという面をして、ここを根城にする。
そんな街の駅前で俺達は店を出してた。いかにも安っぽいアクセサリーがメインで
その他にもコピーバックだとかセーターだとかどこから見てもインチキ臭い物ばかりしか
置いてなかった。たまに警察なんかが来て文句を言われるような露天商という奴だ。
警察だけならどうにでもなるんだが、もっともたちの悪い筋者までがよくおとずれる。
全然余裕なふりしても、実はビビリながらよく応対したもんだ。
俺は19歳の時、やっと自分の悪さに気が付いた。普通と言われる人々の日常というものに、疑いの目を持った時だ。いつもこの下北で大はしゃぎして、酒を食らって
女をひっかけて、殴り合いをしたもんだった。知り合いといえる人間の数はこの時が
一番多かったろう。もっともその時は友人と呼んでいたのだが・・・
実際のところ、この店は渋谷を軸とした暴力団の息がかかったところで、そこのチンピラが本当の持ち主をだまして勝手に店を出していた。本当の主人はよく愚痴を言いに
この店に来たが、そのたびに俺はひどい罵声をあびせて追っぱらったもんだ。
俺はただの下っぱに過ぎないことをよく知っていたせいもあったろう。
この店の主人の吉村は覚醒剤中毒の男で、以前に銃で人を殺した事があるという、
ごくありふれた極道の男だった。この影響もあり、俺と俺の仲間達はどんどん落ちていく。それは追々わかってくるだろう。

バンド=もめごと

2010-08-26 23:52:18 | Weblog
現在、2011年春に発売予定の5thアルバムの制作中。やっぱり新しいアルバムを作るのってホントにワクワクするし、これのために生きてるのかも?なんて思ったりするくらいのテンション上昇中。それだからこそ!いいものを作りたいが故に、やっぱりこういう時期はバンドって、もめるよなあ。
今も色々ともめてるけど、今日風呂に入りながらフッと思い出した話を書いときます。
あれは2008年初秋、僕らの初の海外バスクツアーを控える中、バンド内でどの曲をバスクで演奏するかってことがまったく白紙だった時のこと。バンドみんなでのミーティングも話が展開しなかったので、しょうがないっつー事で、僕とリーダーけんじの二人で話し合いをすることに。浦和にあるNHKさいたまのFM生収録が終わった後(夕飯時)、駅前のジョナサン(だったと思う)で会議開始。お互いヨーロッパなんか行ったことある訳ないし、バンドで海外は初。あーでもない、こーでもないを繰り返す内にバンドみんなでの会議の時よりも更に険悪ムード。一曲も決まらぬままメンチを切る二人。一触触発!!そんな時となりの席で一人、晩ご飯&晩酌をしていた60がらみの紳士(というかサラリーマン)が、この緊迫したムードに割って入った。

「なんだ、音楽やってんのか?」
軽妙だった。

(えっ?こんなに俺らもめてるのに?)
俺は正直、なんだこのおやじ、めんどくせえなあ!!と思った。俺らそんな社交的な会話を楽しんでる場合じゃねえんだよ、今!!正直そんな風に思ってた。なめんなよ!と。けんじも同じように感じてるに違いない、と俺が思ったその2~3秒後に、

「そう、俺ら音楽やってんの。」

と乗っていきやがった!(うわ!ますます、めんどくせえ!)そう思うのもつかの間、けんじとそのおやじさん(加藤さんって名前だったと思う、確か)すっかり意気投合、加藤さんは俺らのバスクツアーに関して色々なアドバイスをしてくれた。年代を超えた、僕らの世界からしたら超ド素人的な。

だけど・・・・

助かった・・・・・


それから1時間ほど加藤さんと話した。最後の方は加藤さんの仕事の状況とか娘さんの話とか。満足した加藤さんは、貧乏たらしい僕らの伝票を鷲掴みすると、「外国で頑張ってこいよ!!」と見ず知らずの僕らの飯&ビール代をおごってくれた。

加藤さんが帰った後、あんなに不穏な空気が流れていた僕らの元に、なんかホッコリした空気が取り戻され、良い感じで話し合えて、それがバスクツアーの成功につながっていたことを、こんなくだらないブログを書いてる間に、気づかされた。

人はつながっている。気がつかないトコで、ホントにつながってる。加藤さんがいなかったらTEX & the Sun Flower Seed、バスクツアー中止、しょぼしょぼの結果に・・・っていう可能性、充分にあった。

だから思う。
人はいつも誰かの世話になってんだよなあ。
当たり前みたいに思ってるけど、俺、とんでもない位大勢の人たちのお世話の中で、のうのうと生きてるんだよなあ、などと、
またもめちゃってるバカなバンドのヴォーカリストの独り言でした。
(でも、いいもの作るためには、もめ事も絶対必要!というのは今も変わりません。)

インディーズ魂

2010-07-07 22:02:06 | Weblog
 僕らTEX & the Sun Flower Seedは間違いなくインディーズのバンドだ。このインディーズと言う言葉について考えてみた。
僕はたまたまだけど、インディーズ界のカリスマ達と友好がある。喜納昌吉&チャンプルーズ、ハイスタンダードの難波くん。彼らを間近で見ていて、インディーズとは一体なんぞや、と俺の心に問うてみた。
 世間的にインディーズって、金はないけど、俺は誰にも頭を下げないイケイケヤンキーでっせー!!みたいな風潮もあるけど、実際はまったくの誤解だ。インディーズ。それは独立して自分の足で歩いている、きちんとした自分の意志がある人たち。インディーズで生きていくのはことのほか厳しい。世間の商業主義で金を握っている人たちに面倒は見てもらわねえぞっていう覚悟がないと出来ないから。そのためには、実るほど頭を垂れる稲穂かな、の精神で行かないと絶対にうまくいかない。だけど、自分なりの主張がキッチリあるから、ここから先だけはキッチリ発言させてもらいますよ、というスタンスを取っている。これでしょ、男が生きる道は!かっこいいなあ~・・自分の足で歩いて行こうぜい!!!

ダライラマ

2010-07-03 22:10:52 | Weblog
ダライラマ法王の法話を聞きに、ハイスタの難波くんとキャンドルジュンくんと一緒にパシフィコ横浜に行ってきた。Good Vibesないい時間だった。その日はとにかくいい時間だった。

だけど言いたいことがある。その日僕らがいたパシフィコ横浜には1万5千人入っていた。なのに新聞には「ダライラマ法王来日、法話をした際の入場者数、数千人」という記事。なんで?ダライラマ法王の影響力を恐れて?

来日したときの記事だって、そりゃあもう小さいものだった。写真なし、10cm四方くらい。一国の元首だよ、ダライラマさんっていうのは!

ダライラマ法王の事をマスコミで取り上げたところで、中国のご機嫌ばっかり伺ってるこの国のメディアの連中には何の得もないことは分かるけど、こんなのを見ると世の中の報道がいかに偏っているのかがはっきり見えてくるね。

ダライラマ法王っていうのは、現代のLOVE & PEACEの世界代表選手。こんな扱いはひどいよな~。