金曜日。
今週も今日で仕事はおしまいだな。
11時ごろに、ショップから電話がきた。
スマホ入りましたのでいつでも来店してくださいとのことでした。
ココロ踊り、昼休みにショップへ行って受け取ってきたスマホ。
それはそれは近未来のアイテムに見えましたし、取りあえずSIMカードを入れれば動くので、ガラケーと両刀使いで行こうと、スマホの充電だけはしておきました。
で、14時46分。
みんなが机の下や壁際に集まって安全を確保する中、ボクは非常口の戸を開けて閉まらないように抑え続けました。
長い揺れの後、一斉に外へ出ました。
繰り返し続く余震と、急に吹雪き始めた寒さが、異様な雰囲気を生み出していました。
ボクは、2件の顧客のお宅を訪問しなければならず、許可を貰いました。
福島市内の被害状況は思っていたほどでもなく、訪問した2件もさほどの被害はありませんでした。
近くにある自宅と実家を覗いて見ましたが、実家の箪笥とテレビがあり得ないところに倒れていたのに、自宅ではお祓いしてもらったお札がひとつ倒れていただけでした。
子どもたちも平気な顔していたし、曇り空の異様な雰囲気の中において、楽観的な気持ちも湧きあがるような不思議な感覚でした。
職場に戻ると、出て行った職員たちは何時に戻れるかわからないほど混乱していると連絡が入りました。
地域によって、被害や混乱は大きく違っていたように思えました。
なぜか職場は電気も水も通っていたので、大したことないかなという思いでテレビを見ていました。
大津波警報。
おいおい・・・
聞いた事ないぞ??
夕方、仙台空港が津波で大変な被害をうけている映像が流れました。
ひょっとして・・・
誰もが口にしました。
原発・・・やべえんじゃね??
でも、その報道はありませんでした。
21時ごろ、ようやく帰ることができました。
ふと思い、ガソリンだけは満タンにして帰りました。
そこの給油所は、1000円単位で給油しているけど、明日はできるかわからないと言っていたので、お釣りを貰うことなく満タンにしました。
すごく嫌な明日が来るんじゃないかと不安でした。
自宅に着くと、真っ暗。
余震が続いているので、嫁と子どもたちは、スキーウエアで居間にかたまっていました。
実家から、カセットコンロで炊いたおにぎりが差し入れられ、ろうそくの明かりで食べました。
翌日・・・
報道の通りです。
地震と津波だけの被害に留まらず、原子力災害が明らかになって行きます。
地震よりも酷い、長年にわたるだろう放射能問題に直面することになり、そして、3年経ってしまいました。
福島は何も変わってません。
原発再稼働やアベノミクスなんて、遠い世界の話です。
いまだ放射線の不安と、除染と、仮設住宅の人たちとの確執が変わらず続いています。
福島に残った人は、以前の生活を続けることで不安を見ないようにしています。
実際、放射線による健康被害はないと思います。
低線量被ばくの研究がなされていないことうんぬんよりも、放射線のことを理解している人なら、この程度の放射線量が人体に影響を与えないことは知っていると思います。
しかし、そういう科学的なことでは解決できない、納得できないのが放射線災害です。
放射線災害の怖いところは、人の心にダメージを与えることです。
ひょっとしたら将来影響があるのではないか。
怖いから逃げたけど、後ろめたい。
30キロ圏内だから保証が貰えて良い暮らしができる。
避難を受け入れた地域は、補償を貰って良い暮らしをしている人をやっかみ、逆恨みする。
住民税も払っていない、毎月数十万円の補償金をもらっているからクルマも新しいし、使っても使っても貯まる保証金は豪邸を建てさせる。
避難区域の外にある市町村の住民は、不安だけで保証はないのに、避難民は仕事もしないでみんな良い暮らしをしている・
そう思う気持ちが人々を荒んだ確執を育てています。
これが、放射線の怖いところです。
避難者は良い暮らしをしているが地域には溶け込めないし、避難した身にもなってみろと言う。
受け入れた地域はやっかむが同じ目にはあいたくない。
結局、お金しか判断基準が無くなる。
そういう、補償とか金せんばかりに目が向いてしまって、その口実を放射線に求めてしまうすさんだ心を持たせてしまうのが、最も怖い。
放射線災害の最も怖いのは、健康へ与えるダメージではありません。
人々の心に与えてしまうダメージが天井無しだと言うことが怖いのです。
おそらく、福島県民は、このようないざこざが未来永劫続くのでしょう。
金と心と。
金と原発。