tetsuとhirokoの気まま旅

自作キャンピングカーでの日本一周を目指す旅

人工関節置換術 手術の顛末

2023-08-13 14:32:51 | アマチュア無線
8月8日の入院までの間、CT.MRI撮影、必要時に備えての自己血の採血、各種リスク及びリスク管理についての説明等で何度かの通院をへて、
8月9日 手術当日を迎えました。12時頃手術室へ。
北村先生、前日手術の流れ等の説明にきてくれていた手術部の看護師さん、事前に懇切丁寧な説明をしてくれていた麻酔医
見知った顔が交錯するうち、深い眠りに落ちました。
何か声が聞こえるなアと思い目か覚めると、そこは手術室。
北村先生が『無事おわりましたヨ。ご家族には連絡しておくからね!』マスク越しにニコッと笑ってくれていました。
大きな時計が五時過ぎを示していました。

麻酔(ハイブリッド麻酔といって、数種類の麻酔を組み合わせる麻酔らしい)が好くきいていて、手術当日 翌日午前の立ち上がり訓練 午後の歩行器操作訓練でも、痛みは全く感じませんでした。両膝に腫れはありますが、『本当に手術したのかなア』と思っちゃうほど、痛みはありませでした。

手術の翌々日、午前午後のリハビリ(歩行器での廊下歩行、トイレの使用訓練)のあと、背中から硬膜外麻酔の針を抜きました。針が刺さっていたという感触もないまま、アッと言う目に処理は終わりました。
その後、暫くして両膝に違和感があり、やがて軽い痛みに変わりました。痛みを五段階でいえば1から2の間位の感じです。
此のくらいなら我慢できると思い、夕食をとり横になっていると徐々に痛みが増してきました。先生や看護師さんの指示どおりナースコールを押しました。夜の8時半ぐらいでした。『痛み止の点滴をしましょう。夕食後の薬にも2種類の痛み止が入っていたんですが、プラスこの点滴で楽になにますよ。』
『点滴が終わって30分しても
改善しない時には、また知らせてください!』と言って戻っていかれました。
『抗生剤です。』といって、2本目の点滴に交換してくれたのは覚えていますが、その頃にはかなり楽になっていて、10時前には眠ってしまったようでした。
痛みを感じていたのは2~3時間ぐらいでしたでしょうか。
北村先生も看護師さんも口を揃えて『痛みが出てきたら、知らせてください!』と言っていたことを守り、早めにナースコールを押していたら、ほとんど痛みらしい痛みを感じないですんだのではないかと、反省しきりです。
ペインコントロールの技術の高さにはビックリです。

手術から3日目 8月12日のリハビリでは、歩行器を安全に使えることを確認してもらい、単独での院内移動の許可がでました。
写真は、両膝人工関節置換術を受けた、三日後の私の姿です。


人工関節置換術を受けるため入院しました。

2023-08-12 19:16:05 | 日記
私は75歳。約25年前位に、立ち上がり時 階段の昇り降りの時
右膝に違和感を感じ始めていました。当時内装業を自営しており、目先の忙しさにかまけて整形外科を受診することもなく、仕事を続けていました。
膝に痛みを感じ始めて、仕事にも支障が出てからやっと近くの整形外科を受診すると、典型的な『変形性膝関節症』ですと告げられました。治療を勧められましたが、『まぁこの程度なら大丈夫だろう』とたかをくくり仕事を続けた結果、内装業は廃業せざるをえませんでした。
元請け会社のご厚意で、長男を加えて五人で始めた仕事のバックヤードのデスクワークは身体は楽でしたが、足腰の筋肉が落ちて、膝は悲鳴をあげていました。
長男が後を引き継いでくれるというので、引退しました。
車の運転はできましたが、椅子や便座からの立ち上がり、杖をついても50メートルの歩行が困難となりました。もはや、ヒアルロン酸注射や整体 マッサージ 針 きゅうほか色々な方法を試しましたが、いずれも徒労に終わりました。

千葉にすんでいる姪から、千葉にいる人工関節手術の評判の先生の話があり、ようやくおもい腰をあげることになりました。付岡先生は検査のあと診断と説明に解りやすい充分な時間を掛けてくださいました。
手術に傾いたわたしが『でも、家から病院まで車で二時間以上掛かるしなあ』と逡巡していると、姪は『私が近くに住んでいるんだから、できることはするから大丈夫!』といってくれました。また姪のご主人(医療従事者)が、『手術受ける気持ちになったのなら、年齢的にも早い方がいいよ! 術後回復 リハビリでも差がでてくるよ!』といってくれたことが、私の背中をドンと押しました。
決心はつきましたがひろこさんと相談して、セカンドオピニオンを兼ねて、其の病院で手術したと言う彼女の友人の紹介で『苑田会人工関節センター病院』を受診しました。
第一印象明るいアッケラカンなドクターKの論点は
1.手術には一定のリスクはあるが、医療機器 技術の進歩により、いまでは全国的に行われ、特殊な手術ではなくなっていること
2.私の場合では、保存療法では回復の可能性が考えにくいこと
3.医療が提供できるのはリハビリ(社会復帰)までで、それ以上『生活の質』を上げるための
トレーニングは患者さんの努力次第
とのことのようでした。
またここでは、左右の膝の手術を同時にできるとの話しでした。
手術は痛いですかと聞くと、真顔で
『痛いですよー、お産の次ぐらいに痛いです。
と言っても、目なじりはニャっと緩んでいました。

数日して、入院は8月8日
     手術は8月9日
と決まりました。
2023年6月第3週の事でした。

そうはいかない、ある事情 ‼️

2021-11-05 19:53:52 | 
夕べお世話になった道の駅『江差』は、ちっちゃな道の駅です。



右が八畳間程の道の駅の売店で、食事を提供するような設備はありません。
左側の建物は24時間トイレで、売店の4倍位の広さがあります。
私は、全国の道の駅の殆どを回っていますが、多分ここ江差が一番かわいい道の駅だと思います。(休業中で、道の駅スタンプだけを置いてある道の駅をのぞきます。)

江差はかつて、海が盛り上がる程と言われた『ニシン漁』で繁栄した町でした。




町には、ニシン漁に携わった大勢の『ヤン衆』が寄宿したニシン御殿や、祭りの『出車小屋』が保存されていて、当時の豊かさの名残を偲ぶことができます。
最近の報道で、『ニシン』に復活の兆しが出ていると聞きました。大いに期待したいものです。

道の駅から三キロほど戻った所に、『かもめ島』があります。






幕末に江差沖で座礁沈没した江戸幕府の『開陽丸』が、実物大で再現展示されています。全長は優に7.80メートルはありそうで、片側に12門の大砲を積んだ本格的戦闘帆船です。
江戸の昔にこんなものが有ったなんて、驚きです。沈んでいなければ、戊辰戦争の戦況も変わっていたと言う話も、大いにうなずけます。





天気は回復基調です。
本来なら、せたな町迄車を走らせて夕刻を待ち『せたな町の夕陽』を見たいところですが、
そうはいかない『事情』がありました。
実は、数日前ひろこさんからメールがありまして、
『11月7日朝 青森駅に夜行バスで行くから、迎えに来て!』との事。
私と合流して、一緒に紅葉を見ながら南下して家に帰るつもりのようです。
断ると後々何をされるか分かりませんから、
『11月7日朝 青森駅』を軸に、旅をしなくてはいけなくなりました。
せたな町でのんびりして居られないのです。町を素通りして、噴火湾側に山越えです。


迂回路で車の通行は可能のようです。
取り敢えず、『大沼国定公園』を目指します。









今回の旅二日目に訪れた『大沼』は天気が悪く、駒ヶ岳もハッキリとは見えませんでした。


カーナビの指示を無視して、野生の勘で潜り込んだ道路沿いからの絶景です。大噴火で上部が吹き飛んだ様子がよくわかり、稜線も綺麗です。









道南の南茅部地域では、紀元前一万年前からの縄文遺跡がたくさん見つかっています。漁労、採集、狩猟で定住生活をしていた縄文文化は、数千年続いたと言われています。


ネットで、道の駅に併設されている展示室に国宝の『中空土偶』が展示されていると知り、今度は是非見たいと思っていました。



それは小さな女性像で、高度な技術と豊かな精神性(生きていく為の道具ではなく、心の有り様)が感じられました。








亀田半島の道が行き止まりになる所にある、海中から温泉が湧き出ている温泉です。今は潮が引いていないし、この寒さではさすがに入湯は無理です。




方位磁石で、ここが東に向いている事と、24時間トイレがあり、照明設備のある駐車場も有ることで、今晩はここに泊まり明日の朝陽を見ることにしました。

翌朝



雲に阻まれ、スッキリしない日の出になってしまいました。
その代わり、打ち寄せる激しい波に目を奪われました。







実は、レンズを向けている90度左側ではもっと凄い事になっていました。






凄まじい音と共に、大波が打ち寄せています。




打ち寄せる波は、10回に一度位更に大きな大波となり、波頭の裏側に澄んだ水色を浮かび上がらせるのです。
その神秘的な色を見るのに夢中になり、もはや朝陽どころでは無くなっていました。
その神秘的な水色はなぜか薄暗い光の中で、より神秘性を増していたようでした。

『朝陽』『夕陽』に加えて、打ち寄せる『波』のウオッチが新たな楽しみに加わった瞬間でした


どの大波にも同じ顔はありません。それが魅力でもあります。

何か大きな拾い物をしたような満足感で
函館に向かっている時、


カーブから小さな集落に出たところで、タイミングをずらした朝陽が雲の上に顔を出しました。
これもまた、いい朝陽です。

40キロ程走って、函館山の麓にある『谷地頭温泉(やちがしらおんせん)』に浸かり、今回の北海道の旅の締めくくりとしました。







函館に上陸してから、34日間4521キロの旅でした。
今回も、いろいろ新たな発見や驚きがあり、楽しい『旅』でした。最後の『北海道』になってもいいくらい楽しめたのは、本当に幸せでした。

つたないブログにお付き合い頂いた皆さん、本当に有り難うございました。
  ご機嫌よう ‼️
























昨日のリベンジで、せたな町を目指します。

2021-11-05 17:46:35 | 
朝の報道で、昨日の雨はここ道南で記録的な豪雨であった事を知りました。
明るくなった頃、雨はやんでいたので、日本海側のせたな町へ行くルートを考えました。
少し戻って山越えするのが最短です。ただし、通行止めの可能性があります。地盤が緩んでいて、走行自体が危険という事も考えられます。
距離は3倍位掛かりますが、函館から海沿いに 松前 江差経由でせたな町を目指すコースにしました。
夕陽に間に合うか不安も有りましたが、いつもの 急がず 慌てず マイペースで行く事にしました。


函館市内の『函館自由市場』を覗いてみました。開店はしていましたが、時間が早いせいか、お目当ての牡蠣とイカはまだ並んでいませんでした。






旅の途中で知り合った仲間からの情報の、北斗市が管理している『湯の沢水辺公園』の無料キャンプ場を訪ねてみました。
区画割された本格的なオートキャンプ場でした。ただ山奥なので、熊の目撃情報が多いとの張り紙があり、冬眠前の今の時期はちょっと危険です。やはり、誰もいませんでした。




山のなかの川は増水しています。

白神岬です。





北海道最南端の岬です。本州までは19キロ程の距離です。
お土産物店もレストランもトイレすら無い、ただ駐車スペースが有るだけで、普通なら通り過ぎてしまうような岬です。


今まで見たことの無かった、松前のお城に寄ってみました。






海に近い城内から、船の出入りが一望出来る事と、松前城ではなく『松城』だと言うことに、感動しました。

道草をしてたので、夕陽は江差の手前で見ることになりました。









沖合いの島(地図によれば、たぶん 大島)
辺りに沈みそうです。
雲間から輝きを散乱させながら、最後に雲に呑み込まれた瞬間、島影を浮き上がらせました。そして、数秒で島はきえました。
見事な『夕陽』でした。


まだわずかに明るさの残るうちに、道の駅『江差』にたどり着けました。

予定の せたな町には行けなかったけど、満足です。
旅には、予定どうりにいかない事なんか、い〰️っぱいあります。
そもそも、真面目に予定なんかたててはいけないんです。

明日は、どうしよう ⁉️

 あ〰️した てんきに な〰️れ‼





















また、危険な夜 ⁉️

2021-11-04 19:22:19 | 
今日は噴火湾(内之浦湾)に沿って半時計回りに走り、八雲町辺りから山越えで日本海側のせたな町まで行きたいと思います。
さたな町は、綺麗な夕陽で有名ですが、さてどうなりますか⁉️


白鳥大橋を渡ります。


朝からの雨は、やむ気配がありません。

山越えは断念して、取り敢えず噴火湾沿いに函館を目指します。
風を伴った雨は勢いを増し、時折雷鳴まで聞こえてきました。これ以上進むのは危険なので、函館手前の森町の道の駅に逃げ込みました。
夜になっても雨の勢いは収まらず、どうなることやら思案していると、突然『避難指示』のメールが入りました。
幸い森町でも対象地域からは外れていたので、今夜はここで様子をみてることにしました。
避難指示のメールって、ヤバそうな地域にいる人に自動的に送られるんですね。
初めて経験しました。

くわばら くわばら
 あしたは やんで おーくれ‼️