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日韓併合100年で「おわび」政府検討に反対ー何回お詫びするのかー戦争責任はアメリカにある

2010-07-21 08:26:53 | 意見発表
2010/07/16 21:16 【共同通信】に「日韓併合百年で「おわび」検討 政府、韓国国民に 」とタイトルの記事が載っていた。記事の内容は

「政府はは16日、「日韓併合100年」を迎える8月に向け、韓国国民に過去の植民地支配へのおわびの意を示す方向で検討に入った。
韓国の意向に配慮することで、歴史問題に一定の区切りを付けたい考えだ。
 「首相談話」発表も視野に入れているが、日本国内には閣議決定が必要な首相談話をあらためて出すことへの根強い反発もあり、世論の動向を見極めながら慎重に判断していく。 
これに関連し、岡田克也外相は16日午後の記者会見で、村山富市、小泉純一郎両元首相が「植民地支配と侵略」への反省とおわびを談話で表明したことに触れ、「(日韓併合)100年という区切りの年に、政府としてどう対応するか検討している」と説明した。 

外交筋によると、韓国は日本政府に対し、日本による支配からの解放を祝う「光復節」(8月15日)に合わせた首相談話発表への期待感を伝達している。 また、在京の韓国政府筋は「同時期に菅直人首相が韓国を訪問すれば、韓日関係が前進するのは間違いない」と述べた。」と書いてあります。


「韓国併合は、1910年8月22日、韓国併合ニ関スル条約に基づいて大日本帝国が大韓帝国を併合した事を指す。日韓併合、朝鮮合併、日韓合邦などの表記もある(韓国では韓日併合、中国では日韓併合と表記する)。
韓国併合によって大韓帝国は消滅し、大日本帝国はその領土であった朝鮮半島を領有した。1945年の第二次世界大戦終戦に伴い実効支配を喪失し、1945年9月2日、ポツダム宣言の条項を誠実に履行することを約束した降伏文書調印によって、正式に大日本帝国による朝鮮支配は終了した。」

と書いてありますが、韓国から見ると植民地支配したと日本を非難しているのです。

韓国は戦後日本を非難し続けてきて、一度村山富市首相が独断で謝罪文を発表しました。

「村山談話抜き書きーわが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。私は、未来に誤ち無からしめんとするが故に、疑うべくもないこの歴史の事実を謙虚に受け止め、ここにあらためて痛切な反省の意を表し、心からのお詫びの気持ちを表明いたします。また、この歴史がもたらした内外すべての犠牲者に深い哀悼の念を捧げます。
 敗戦の日から50周年を迎えた今日、わが国は、深い反省に立ち、独善的なナショナリズムを排し、責任ある国際社会の一員として国際協調を促進し・・・」

この村山談話で、村山氏は史上最低の首相と言われています。韓国や中国は日本を叩けば「済みません、済みません」と謝るので、いじめたら面白い日本になってどんどん叩いてきているのです。反発しないでじっと黙っているからどんどん難癖を付けてくるように、謝っても謝っても土下座しても、だんだん拡大してきています。

この村山談話は国会議員をだまし討ちにして決議した問題の談話です。
《騙まし討ちで採択》
 ・6月9日、金曜日の夕刻、衆議院内に「本日は本会議は開会されないので各議員は選挙区に戻られたし」という通知が新進党の国会対策委員会幹部から伝えられた。
 この通知の真贋は未だに判明していないそうだ。しかし、議員心理をよく突いたものではあった。西村議員も指摘しているように「議員は土日に選挙区での予定を抱えているもの」であり、早く戻りたいからである。
 こうして多くの議員が国会を離れ、選挙区に戻っていった。永田町から、村山首相の決議案に反対する議員がほぼいなくなった午後8時近く、正確には7時53分、土井たか子衆議院議長が、突然、本会議開催のベルを押したのだ。 西村氏は新幹線の中で本会議開会の緊急通知を受けた。名古屋で飛び降りてすぐさま東京へ取って返した。無論、本会議で反対する為だった。
 しかし、先述のように、本会議はわずか6分で終わった。西村氏の帰京は間に合うべくもない。官報が告げるわずか6分間という時間の短さは、村山首相らが何かに追われるように、事を急いだであろう姿を想像させる。
 
 ・一院の半数以下の賛成、しかも騙まし討ちの手法でようやく可決した決議は、どうみても権威を欠いていた。国会決議は通常、全会一致で、衆参両院で採決されるのが慣例である。とはいっても全会一致でなく、多数決によるものもある。衆議院で議決されても参議院で見送られるものもある。しかし、衆議院での賛成者が半数に達せず、かつ、参議院では採択さえしない事例は前代未聞であると、大原氏は指摘する。
 折角の決議であったが、当然、評価は非常に低かった。左右双方、いずれからも評価されず、決議は地に付いたも同然だった。

 《朝日新聞記者の評価すら低い》
 ・「国権の最高機関が採択した決議は、出席者が半数に届かない議場で行われたのだった」・・・・・「採択の経過でも混乱が際立ち、決議は傷だらけとなった」・・・・・「敗戦から50年。政党間の妥協の産物となった戦後決議は、アジアをはじめとする世界に対する日本からのメッセージとしてはあまりにも内容が乏しい。国際社会の理解はとうてい、得られないだろう」(星浩 朝日新聞政治部 「世界」 1995年8月号)

 《村山談話の閣議決定は「不意打ち」である!》
 ・野坂官房長官は、村山談話の閣議決定を波乱なく終えるよう、「有力閣僚や与党幹部に内容は詳しく説明せずに、『ただただ、頭を下げて』根回しにまわった」と報じられている(産経95年8月16日)。同紙はまた、野坂官房長官が、内容を伏せたまま、ひたすら頭を下げて根回しをする一方で、もし、反対する閣僚が出てくれば「お引取り願うだけ」つまり、辞職してもらうだけだと強気でもあったと報じた。
 当時、談話の内容はごく少数の人間が相談しつつ作成したこと、関わった人物の一人は当時内閣外政審議室長の谷野作太郎氏だったとみられること、自民党内で事前に案文を見せられたのは橋本龍太郎氏や野中広務氏ら極く一部に限られていたことも報じられている。
 こうして望んだその日の閣議の様子を、その日から約10年後、産経新聞は以下のように振りかえった。
 「8月15日午前。閣議室の楕円形のテーブルに着席した閣僚を前に、野坂は『副長官が談話を読み上げますのだ謹んで聞いてください』と宣言した。古川貞二郎は下腹に力をいれて読み上げ、閣議室は水をうったように静まり返った。野坂が、『意見のある方は言ってください』と二度、発言を促したが、誰も発言しなかった」
 事前説明ナシで、突然出された談話に、閣僚の多くは心構えが出来ていなかったのであろう。文字に書かれた文章を一言ずつなぞりながら、その一言一言がどのような意味を持つのかを吟味することナシに、耳から聞いた言葉だけで、直ちに問題点を把握することが、あるいは難しかったのかもしれない。

 《自民党にとっての痛恨事》
 当時の自民党は自信喪失のただ中にあった。日本新党結成でブームをおこした細川氏が登場して、自民党は下野した。政権の奪還は、理念の全く異なる社会党と手を組んでようやく実現したものだった。しかも、長年、評価さえしていなかった社会党の一議員を首相に据えた上での政権与党への復帰である。禁じてを使って与党の座に帰り咲いた自民党は、社会党的な価値観に真正面から反対し、あるいは疑問を呈することができなくなっていたのだ。
 下野を迫られた記憶に金縛りになっていて、自民党が自民党らしさと自信を失っていた空白のような時期に、この村山談話は成立したことになる。

 《政治で変わる歴史認識》
 ・心ある保守の人は、この卑劣なる手法で成立した、日本へのあたたかい想いの一片だに感じさせない村山談話に距離を置き、あるいは、破り捨てるほどの「気概」を持たなければならないのである。⇒昔社会党との連立、今公明党との連立。悪夢が続いている。
 堀 力 94歳 (大阪府寝屋川市)正論 平成20年7月号

 ・10年余り前のことであるが、土井たか子女子等が主唱して、戦後50周年を記念して今次戦争について関係各国へ「国会謝罪決議」をする案が有力となった。私は招集され戦場で戦ってきた元軍人として認めることができず、当時自民党幹事長だった森喜朗氏及び郷土の先輩の奥野誠亮氏に手紙し、「われわれは帝国議会に於いて、満場一致できめられた『皇軍将兵感謝決議』を信じて、国家のために命を賭して戦ってきた。この度同じ日本の国会で謝罪決議を行うことは、国民の一人であるわれわれにも『土下座せよ『ということになる」と訴えた。
 折り返し、森、奥野両氏から直筆で「そんなことはさせぬ」と返事を頂、結局国会謝罪決議は行わず村山首相談話に後退した。国会議員たる者は、国会の歴史をよく勉強し、軽々しく謝罪決議を考えることは、国のために散った英霊たちにも相済まぬことである。
 日下公人(評論家)「正論」平成21年1月号

 何があっても大丈夫なあ日本へ、孤立と摩擦を恐れず「実力」発揮を
 《空爆長更迭にも日本病が》
 ・自国の歴史を語るのに、何故他国に気兼ねをしなければならないのか。それこそ、日本病の典型的な症状といえる。
 村山談話を踏襲した政府見解と異なるから、というのも更迭の理由とされたが、そもそも村山談話のような偏見に満ちた歴史観を歴代首相が踏み絵のように踏襲させられる風潮にこそ問題がある。公務員であろうと言論の自由が補償されているはずのわが国で、村山談話は誤りであるという当たり前の主張ですら。「近隣諸国に対する配慮」から口に出来ないのが現実とは理解不能である。
 中村 粲(獨協大学名誉教授・昭和史研究所代表)

 ・国家と国民を呪縛する村山・河野談話は速やかに破棄するに如かず。而して首相談話を破棄するには別の首相の一言の談話を以ってすれば足りぬ。侵略戦争を否認するほどの勇気がなければ、「戦争の意味と評価は後世の歴史家に委ねる」と言へば十分であらう。その一言で村山談話は神通力を失って地に堕ちる。気骨ある為政者の一断一決で明日にでも実現できることではないか。(「正論」平成21年1月号)
 遠藤浩一 (評論家・拓殖大学日本文化研究所教授)

 ・「村山談話」が有効である限り、わが国の防衛は「日本の軍は強くなると必ず暴走し他国を侵略する、だから自衛隊は出来るだけ動きにくいようにしておこう」との一方的な観念に拘束され、自衛隊は領域警備も集団的自衛権行使もできないし、武器の使用も制約が多く攻撃手兵器の保有も禁止されるという雁字搦めの状況から脱却できないといふことになる。」


日本人が直ぐ謝るのは儒教の影響と思いますが実は戦後の教育が問題だったのです。韓国は日本が悪い日本が悪いと教科書を作り教育していますが、日本はアメリカから日本が悪い日本が悪いとたたき込まれたのです。これを自虐史観と言われています。

韓国が日本は悪いと教え、日本では日本が悪いと教え、日本は国際的に悪者になっています。インターネットの中に「日韓併合の真実」と言うのがありますがその中に
「多くの日本人は
「日本は朝鮮を植民地にして悪いことをした」
「日韓併合を行い、朝鮮人を苦しめた」
「朝鮮の歴史を日本が奪った」
「ハングルも朝鮮の名前も奪った」
「日本は謝罪しなければならない」
「日本は侵略を反省しなければならない」
と学校で教わってきました。
これでは日本の子供たちは世界で旨はって生きて行け無いじゃないですか。

政治家もそう言うし、学校の先生もそう言います。
テストにもそう出るから、教わった通りに答えを書きます。

でも、待って下さい。
同じく、日本は台湾を統治していました。けれど台湾からは、韓国のような主張が聞かれません。台湾では
「日本のおかげで台湾は発展した」
「当時の日本や日本人はすばらしかった」
との声が強いのです。台湾人の多くは日本に親しみを抱いてくれています。
結論を言うと、 日韓併合によって朝鮮は救われた のです。
日本の朝鮮統治によって、ハングルは普及し、奴隷制度は廃止され、人口は倍増し、衛生状態も改善したのです。
日本は朝鮮に多額の国家予算を投入して、朝鮮半島を豊かにしたのです。 」
「じゃあ何で韓国と台湾では言うことが違うの?」というのは韓国人が偏屈なのです。北朝鮮はその典型です。 」

村山談話で「わが国は、遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えました。」

と言っていますが、戦争に誘導したのはアメリカであることが分かってきました。
アメリカが日本に植え付けた自虐史観はアメリカに戦争犯罪を隠す戦略だったのです。

真珠湾攻撃はルーズベルト大統領が攻撃するように攻撃するように日本を誘導したのです。責任はアメリカにあることが分かってきたのです。
また、真珠湾より1カ月前に中国から日本へ飛行機で奇襲をかける計画もあったし、真珠湾より先に公海で日本の潜水艦を沈めたのもアメリカです。何故ルーズベルト大統領は日本と戦争をしたかったのか「日本を挑発せよールーズベルト大統領がが仕掛けた罠ー英国もグルだった」等を見て下さい。

日本は武士道の国、外国のためにならないことはしないのです。

例えば
「■ アーノルド・J・トインビー ■(イギリス、歴史学者)
第二次大戦において、日本人は日本のためというよりも、むしろ戦争によって利益を得た国々のために、偉大なる歴史を残したと言わねばならない。
その国々とは、日本の掲げた短命な理想であった大東亜共栄圏に含まれていた国々である。
日本人が歴史上に残した業績の意義は、西洋人以外の人類の面前において、
アジアとアフリカを支配してきた西洋人が、過去二百年の間に考えられていたような、不敗の半神でないことを明らかに示した点にある。
(1965年10月28日、英紙「オブザーバー」)

英国最新最良の戦艦2隻が日本空軍によって撃沈されたことは、特別にセンセーションを巻き起こす出来事であった。
それはまた永続的な重要性を持つ出来事でもあった。
なぜなら1840年のアヘン戦争以来、東アジアにおける英国の力は、この地域における西洋全体の支配を象徴していたからである。
1941年、日本はすべての非西洋国民に対し、西洋は無敵でないことを決定的に示した。
この啓示がアジア人の志気に及ぼした恒久的な影響は、1967年のベトナムに明らかである。(昭和43年3月22日「毎日新聞」)

■ ククリックド・プラモード ■(タイ国元首相 )

日本のおかげでアジアの諸国はすべて独立した。
日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、産まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジアの諸国民が米英と対等に話ができるのは、いったい誰のおかげであるのか。
それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためである。
12月8日は、我々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが
一身を賭して重大決意をされた日である。
我々はこの日を忘れてはならない。
(12月8日、現地の新聞「サイアム・ラット紙」において )■

 ラダ・ビノード・パール ■
(インド、極東国際軍事裁判判事・法学博士)
要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3~20年、東京裁判の審理期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。
私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。
この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。
それを私は判決文の中に綴った。
その私の歴史を読めば、
欧米こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。

それなのに、あなた方は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」
「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、
どうか私の判決文を通して十分研究していただきたい。

日本の子弟がゆがめられた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
あやまられた彼らの宣伝の欺瞞を払拭せよ。あやまられた歴史は書き変えなければならない。
(昭和27年11月5日、広島高等裁判所での講演)」
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これはほんの一例です。

インターネットの記事「日韓併合の真実」の中に
「日清戦争で日本が勝利し、日本は清に「朝鮮は独立国である」と認めさせました。
こうして大韓帝国が成立したのです。

日韓併合へ
しかし独立を果たしても大韓帝国には国家運営能力が備わっていませんでした。
国土は荒廃し、慢性的な食糧不足の状態が続き、 企業で言うといわば倒産寸前であったのです。
さらに日韓併合に否定的であった伊藤博文総理が、朝鮮人テロリスト安重根によって 暗殺されたことで、日韓併合への道は決定的となりました。

当時朝鮮最大であった政治組織「一進会」は、韓国皇帝(高宗)、首相(李完用)に
「韓日合邦」の奏上文を提出しました。 」

と言う記事もあります。

日韓併合によって韓国は助かったのだという見解もあるのです。
それは台湾と同じなのです。

また、ウィキペディアでも
日韓併合条約を肯定的に捉える歴史認識
日韓併合条約を否定的に捉える歴史認識
と二つの認識があり、韓国は被害者意識を取っています。
台湾は肯定的に捕らえているのです。

こういう情勢の中、政府は何をコメントしようと言うのでしょうか。村山富市氏は充分勉強しないで国会の了解無しで謝罪をしました。それは外交では安易に済みませんと言ってはならないのです。それを言うことは「悪者日本」を言うことを認めることになるのです。

日本は武士道の国です。軍隊は規律を重んじていました。
その内容は「日韓併合前後 朝鮮半島写真館」で見られます。

ともあれ岡田外相は韓国人かと言われるほど韓国を身びいきにしています。菅首相も、小沢氏も、鳩山氏も、仙石氏も、小沢氏も、民主党ってみんあみんな韓国のスパイの党なんです。

民主党は韓国のために日本の政治を行う党なんです。民団とのつきあい、外国人参政権も憲法の通そうとしています。そのため国会法も変えようとしている恐ろしい党です。

この党が日本の1910年に植民地支配を始まって今年は100年目と言うことで何かあいさつをと言うことを考えているようであるが、お詫びの言葉を述べることは止めて欲しい。

今年が100年でしたら来年は101年でまた行事が行われ、また謝罪するのですか。

日本の子どもに悪い日本の教育をするのですか。
日本は武士道の国で植民地支配をしましたが善政をして感謝されています。そこが一般出来な植民地支配と日本の植民地支配は違うのです。

と言うように希望を持たせましょう。事実そう言うことをしてきて韓国人も氏の事実を知る人は感謝をしているのです。

政府の見解を出すことに反対します。
これを読まれた方もこの主張を広げて下さい。

「政府としてどう対応するか検討している」ということで国民の反応を見ています。
恥の外交は止めて欲しい。何度も何度も謝罪するのは止めて欲しい。
日本人の誇りを取り戻そう。

大東亜戦争の責任はアメリカにある。
「大東亜戦争の正体ーそれはアメリカの侵略戦争だった」(清水馨八郎著)
も見て下さい。

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