今朝の福岡も大変寒い朝でした。
さて、本日は、福岡市東区の筥崎宮にて、恒例の「筥崎宮de寺子屋」を行います。
12月は、毎年納会を併せて行っておりますので、通常より30分早く、18時半より開始いたします。
本日のテーマは「亀山上皇と中世歴代天皇方の御歌」、講師は弊社代表の山口秀範です。
皆様是非お越し下さい!
本日は、少し、筥崎宮様の楼門に掲げてある「敵國降伏」の四文字についてご紹介します。
筥崎宮には、鎌倉時代の「元寇」の際、当時の亀山上皇が揮毫された「敵國降伏」という御宸筆37枚が奉納され、現在も残っております。
もともとは、醍醐天皇が勅願奉納されて以来、この言葉があるようです。
「敵國降伏」というのは、一見、「敵國の降伏を祈る」と捉えがちですが、全く違います。
江戸時代に、頼山陽という有名な儒学者が筥崎宮に参拝したとき、この四文字を見て、
「漢文で書くならば、『降伏敵國』でないと意味が通じないのではないか?」との疑念を持ったという話があります。
それから約50年後、明治時代に、福本日南という福岡出身の論客が、この四文字について次のような解釈をなさっています。
「『敵國降伏』と『降伏敵國』とは自他の別あり。敵國の降伏するは徳に由る、王者の業なり。敵國を降伏するは力に由る。覇者の事なり。『敵国降伏』而る後、初めて神威の赫赫(かくかく)、王者の蕩々(とうとう)を看る。」
つまり、敵國が降伏するという場合の降伏は自動詞なので、敵國が自から降伏するという意味になりますが、敵國を降伏させるという場合の降伏は、他動詞であり、敵國を武力でねじ伏せるという意味になります。
よって、「降伏敵國」は、武力で天下を統一するという覇道(覇者の道)の表現であり、
筥崎宮にある「敵國降伏」は、敵国が我が国の優れた徳の力により、おのずからに靡き、統一されるという「王道」の表現である。
すなわち、ここにこそ日本の優れた国柄が見事に示されている、
と解釈したそうです。(筥崎宮文化叢書より一部抜粋引用。)
なるほど、言葉の順序の違い一つで、ここまで意味が違ってくるのかという事と共に、「徳の力で相手を押える」というのは、本当に日本的思想だなと感じた次第です。
皆様も、改めて楼門の「敵國降伏」の文字をご覧になっては如何でしょうか?
本日の筥崎宮de寺子屋の詳細は、弊社HPカレンダーにも掲載しておりますので、ご覧下さい。
(文責:横畑雄基)