愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

アホケン 阿呆謙助 自己紹介

2023年09月11日 | 自己紹介
阿呆 謙助 アホケン アホで十分です 1951年11月生まれ
ソクラテスの無知の知では無く、親鸞の愚禿(ぐとく) 凡夫、おろかなハゲに習いました。ケンは昔から多くの好き者で有名な名前から付けました
アホは紳士たるを旨として人生を歩んでいましたが、愚禿(親鸞出家時の名称は範宴)は聖人聖道であることを諦めました。官僧(国立の戒壇で授戒をうけた僧侶)として比叡山で修行する中で、人間は生命としての本能があり、食欲や性欲、睡魔、とりわけ女犯とされた性欲に真剣に悩み、抑えることは困難であると自覚して非僧非俗として妻帯、肉食の生活でも救われる世界を主張しました。
年を重ねると好き者の方が気楽で元気です
自己抑制、抑圧よりも自己解放の方が楽しい
若い頃よりそうであった方が楽しかった?
難しい問題です。生活力と性分との塩梅
羽目を外して苦労する人が多いですから
サルトルのように自由恋愛OKの結婚など
想像すらできない時代でした。今も?

私は逝きます 82才が希望する享年です
私は臆病でしたが、今は死を恐れません
信念や信仰ではありません実感です
” きづき ” 気付きです
呪縛からの解放、たんに人類の歴史そのママです
愛すべき多くの人が私の中で伴に生きています*
AS FAR YOU ARE ALIVE,I AM THERE. 略して AS FAR YOU'ARE
わたしが生きているかぎり、あなたはここにいます
あなたが生きているかぎり、わたしはそこにいます
*私の人格の一部です、縄文時代よりも人間的に成長?
 ならば
多くの人をより深く愛することが
私がより長く生きる、唯一の方策です

500年ほど前、親鸞から8代目門主の蓮如のように  
70才代で50才若い5人目の妻をめとり
83才までに7人の子、合計27人の子沢山   wiki情報
甲斐性の無いアホには絶対に不可能ですが
元気は食と運動、気持ちは不屈
せめて私の心を受け継ぐ子沢山でありたい

人生は寒く、心が凍る日々もありますが
暖かい日差し
温かい人との出会いの中でしか
人間として成長しません
皆様にも暖かい温もりと
いい人との出会いがありますように
そして、暖かい温もりのある社会を

 追伸1:
 私が生まれたのは団塊の世代より少し後、朝鮮戦争の真っ只中です。
当然、当時のことは知るよしもありませんが、食料事情もだいぶ良くなったようです、メリケン粉(小麦)の厚いお好み焼き、すいとん(小麦を練った)の味噌汁が記憶に残っています。当時は未だ米穀通帳があった時代です。敗戦前後の都市での食料難はヤミ米のひどい時代で、裁判官が一人、配給のみの食事で餓死したそうです。小5の林間学校ではお米持参で驚いた記憶があります。
 年のいった先生は戦前から学校で教えていました。戦前の皇国・軍国教育のかけらはありませんでしたが、親を含め自信なさげだったように感じます。しかし、親は先生の、先生は親の言う事を聞け、というのが常套句でした。私の先生嫌いは先生にオベッカを使うことで拍車がかかりました。 
 つい最近、永らく苦労をかけた母を亡くした時、
仏教詩人と言われる坂村真民
 花は散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

に出会いました。生きている人とは会話しなければ意思疎通は完成しません。しかし、死者とは私の中で対話が可能です、私の人格の一部として母は存在しています。これが私が実感として死を恐れない ”きづき” です。

 追伸2:
 多くの人をより深く愛すること 理解しにくい表現ですが、西郷隆盛の「児孫のために美田を買わず」という言葉があります。祖先から受け継いだ財産に感謝し、子孫に財を受け渡す封建的な発想を無視する、個人的なエゴではありません。陽明学の知行一致、敬天愛人。今の社会をよくするために何が必要か?それを今、実行実現することが次世代のためである。を "多くの人をより深く愛すること" と理解して下さい。良き文明文化を作り遺産を残すこと、そこに邁進することが人生の楽しさと元気のみなもとです。
 失恋の数だけすばらしい女性に出会える。”スゴイね!” あなたにほめられたくて、賞賛の声と眼差しが欲しくて頑張る。自分より大事にしたい人、未だ出会えない多くの人がいます。世の中半分は女性です、ほめられたい愛情飢餓がヒーローを誕生させます。エゴがエゴで無くなるとは、昇華した? 愛 
 今日、民主主義が多数派が正義とする自由主義によって人権が歪められています。自由主義が差別や偏見で人権を無視する日本。国際的に低迷する自由度を謳歌し、迎合する悲しき社会。
 人間の権利(国連の世界人権宣言)は人権・平等・平和 です。
  自由・公平・ 愛  が人間社会の
   愛 ・公平・自由 が 宗教 の摂理 です 

 追伸3:
 私がより長く生きる、唯一の方策です これも理解しがたい、あいまいな表現です。あの世は無いとするか、あの世を信じるか?の2択問題。後者にかけた方が楽しみが有り、あの世で現世での行いの懲罰があると考えた方がムチャをしない。という考えがあります。しかし、あの世は関係ないとする立場(たとえ、あの世が有ったとしても、多くの優れた先人があの世を良いようにしている確信があります。あなたの信じる宗主も、私も逝ってちゃんとしておきます。安心して下さい。)から言えば、虚構の中で現実を見ない。辛辣に言えば、歴史の中での差別や支配の現実から逃避して虚構の価値判断の中で生きていると言えます。
 近年、司馬史観とヤユされる(自由主義史観は戦後教育は自虐史観として教育改革を押し進めています)司馬遼太郎ですが、小学生だった娘の国語の教科書に氏の遺言とも言える文章がありました。
 ”21世紀に生きる君たちへ"
  私には、幸い、この世にたくさんのすばらしい友人がいる。歴史のなかにもいる。そこには、この世では求めがたいほどにすばらしい人たちがいて、私の日常を、はげましたり、なぐさめたりしてくれているのである。だから、私は少なくとも2千年以上の時間の中を、生きているようなものだと思っている。」・・・
 「鎌倉時代の武士たちは、「たのもしさ」ということを、大切にしてきた。人間は、いつの時代でもたのもしい人格をもたねばならない。男女とも、たのもしくない人格に魅力を感じないのである。」
 
興味がある人はweb検索で
 かつて たくましく やさしさありて たのもしい がモテルための要件と理解しました。今はさらに、私達は歴史の中で知識の集積による文明文化を生きている存在であり、これから時代はどうあるべきか?を問い、歴史の潮流の中で新世代を創っていくことが ”たのもしい” 存在です。
 宗教が命の人にとっては、歴史はそこで生きた人の証ではなく、単なる出来事の積み重ねです。あの世を信じる弊害は現実を歴史の中で評価しない価値観に毒されることです。或いは、我が宗教・思想が世界に普及すれば地上天国が実現する、観念的なドグマに陥っています。創造主があると考えても問題はありません。サタンを作り、創造主と同等に対立させる愚はしないで下さい。歴史を見よ、現実を見よ、ただ今に生きる。 
 私が在る限りあなたは有り、あなたが在る限り私は有る
 この過去・現在・未来に渡るラブメッセージが人類史のエポックとして普及することが、アホの役割だと考えています。あの世があるとする宗教が変わらないならば、置き換えるために原始釈迦仏教、生命賛歌の宗教を作る必要があります。第二次大戦後、インドの憲法の父と言われるアンベードカルはカースト制度外の不可触民の出身です。平等の宗教として仏教に数十万の同胞と集団で改宗しました。しかし、日本でも仏教が平等と言っても、社会的に女性差別を温存したママだったように、彼もキリスト社会の抑圧から脱する古いスローガンである自由・平等・博愛を旨とした自由主義社会の失敗があります。
 今は孤立無援のアホが一人で思考を深めている段階ですが、昔と違いSNSの普及ですぐに拡がる可能性があります。歴史を振り返っても協賛する人が拡散させることで一気に拡散しました。あなたがよき理解者であらんことを。自由主義の横暴によって日本は、国民主権・基本的人権の尊重・平和主義がおかしくなっています。多数派を再結集する必要があります。
 政治的スローガン 憲法を守ろう
 人間社会の原則は  人権・平等・平和
  原理は 自由・公平・ 愛
           愛 ・公平・自由  が宗教の摂理 です

 追伸4:
 ソクラテスは「無知の知」知れば知るほど無知であることを知る。と言いました。真理、真実、正論等、言葉の使用はミソクソです。証明された事実では無く、真理と言えば真理、真実と言えば真実と自動的に理解されるor理解する全知者と理解して下さい。簡単に詐欺師になりorサギに欺されます。

 追伸5:自由主義史観にもとづく新しい歴史教科書が作られています。自虐の反対は自由。そうです、自由という思想では無く、戦前の保守層に迎合する自由です。戦後のフランス5月革命を源流とする性の解放、男女同権、LGBTに一貫して反対する自由。歴史の流れに逆行する自由です。市民革命?歴史教科書でも



自己紹介文を書きましたが入らなかったため 随時更新します
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宗教の哲学2、宗教の矛盾解消は可能。カルトを糾弾する

2023年06月07日 | 生命の宗教

 人間は太古の昔から、知識を伝え、新たな知識を蓄積し発展させてきました。
科学技術だけで無く、思想、宗教を含む総てが人類の歴史です。現代の文明文化はその遺産の上にあります。
同様に一人の人間は生命の定めとして亡くなります。赤子として生まれ、成長し、異性とつながり、次世代を生み育て、人は死を迎えます。
 生きる目的は生きることであり、命をつなぐことです。様々な変化や状況の中で生きぬき、そして死を迎えます。人の生死は
 自分が死ねば自分の生き様から、慈しみ愛した人の人格として転移が完了します。但し、総てが完全に移転する訳では無く、反面教師として、本人とは逆の人格として、その人なりに人格を受け継ぎます。これが命ある生物のとして宿命であり、人類の歴史です。今日では書や音声。映像が記録として残り、故人の再発見もあります。それだけでは無く、宗教を熱心に師事する人ほど、宗主の人格を受け継いでいます。
 念ずれば花ひらく の仏教詩人 坂村真民
 花は散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

 わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる
・・・

 霊魂や魂の不滅を訴える宗教があります。一神教や多神教がすべからく霊魂の不滅を訴えているわけではありません。現代の科学は意識の発現の仕組みを解明しつつあります。
 目や耳、鼻や口などの感受装置が無ければ新しい情報は入って来ず、頭の内部でも神経細胞がシャットダウンし、ホルモン分泌などが無ければ刺激を受けて意識は芽生えません。
 私達はモノや言葉に心を込めることができます。それによって他の人も同じ心を感じることができます。多くの思想・芸術が生まれ、人は共感することで人間性が発達します。
 思想信条の自由は侵さざるべきものです。しかし、社会に害を与える考えを社会に拡げることは許されない行為です。
 私が反発するのは、ある教団の教主が唯心論唯物論の対比の中で、唯物論に心は無い、動物のママであり、唯物的な世界観がエゴで社会を乱す元凶であるとし、保守政治家と迎合して自らの浅学さを披露していることです。
 宗教団体の「幸福の科学」は名称からして欺瞞があります。英訳の通称としてHappy Scienceが使用されています。医学がmedical scienceと同じ用法です。よく政府が宗教団体として認可したものです。世界平和家庭連合もそうです。
 なぜ批判するか?ゼロor100%、教団自体が社会の混乱を招く原因になっていないか?ある教団の教義と他の教団が共存できるか?共通認識で共存共栄できるか?です。反科学思想、反社会思想が差別偏見を拡大させます。世界が東西対立、南北対立、宗教対立があり、現在は一部の人の自由が多くの人の自由を疎外しています。多くの宗教家が自己満足の中で、加持祈祷に没我し、世の人々の幸福に直結する行いをしないことです。智者であり賢者である立場を忘れています。自教団が世界に普及浸透することは夢物語です。宗教としての共通認識を多くの教団と共有することが人々の幸福であり、平和や人権・平等の確立が可能です。
 創造主の人格化を止め世界の創造主とすべきです。それだけで科学と矛盾しなくなります。
 ここに宗教団体が持つべき共通認識は
  自由・ 愛 ・公平 の原理
  人権・平等・平和 の原則

であると宣言します。 詳細は続く
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宗教の哲学 1、 カルトとの決別 蓮如、日蓮は大丈夫?

2023年06月06日 | 生命の宗教

 
2023-06-04 更新2023-06-06
 
 宗教が社会問題になるのは宗教自体のカルト性です。排除することは可能?現実に多くの宗教が有り、それぞれに教義も儀式もあります。教団によっては教義を拡め、大きくすることが目的化している教団もあります。他の教団を排斥、軋轢を厭わない教団も危険です。今日ある多くの教団の拡大期にある現象です。又、反社会的組織としてカルト教団があります。定義は最下部に広辞苑の解釈を参照。
 世界にある多くの教団がそれぞれの主義主張をしています。アメリカにはカルトだけで2千もあるそうです。歴史の違い、言葉の違いを乗り越えた共通認識を拡げていく必要があります。
 宗教の存在意義は現在を生きる人の幸せを願い、不安や苦しみを取り除くことにあります。思想信条の自由は政教分離で確保されました。経済的社会的な問題は政治の役割である以上、政治を司る人間の心の問題や課題を問わなければなりません。
 私は宗教の専門家ではありません。言葉は現代の言葉で意訳して解釈します。専門家からは断絶があるかも知れませんがご了解して下さい。よって、教条主義からの批判はご遠慮下さい。教義の本意からの批判は歓迎します。仏教が一番に馴染みがあり、そこから始めます。中村元は釈迦の言葉として
 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
現代語として宗教の目的として十分に通用します。
 輪廻や来世を信じない私にとって、自力本願と他力本願に差はありません、仏教界にはウソも方便と言う言葉があります。悟りに至る覚悟をどう身に付けるかだけの問題です。
 私が最も親しみがあるのは親鸞です。自分に正直であり、論理的であることです。僧侶が智者であり、女戒を含めた戒律を守る。凡人では真似の出来ない戒を守ることができる賢者として人々から尊敬を受ける必須の要件でした。しかし、親鸞は修行の中で性欲と苦闘し、法然の阿弥陀仏の誓いを信じ、念仏をとなえれば死後は地獄に落ちること無く、平等に救われる。に希望を見出しました。
 内省が重要な仏教の修行の中で、常識であった禁欲から性欲を肯定する親鸞は必死の決断であったと思いいます。法然とともに僧籍を剥奪された親鸞は非僧非俗として妻帯し、愚禿釋親鸞と名乗りました。それが親鸞の道義であり、弟子一人ももたずそうろう。煩悩具足の凡夫として煩悩・欲を肯定する、現世での抑圧から人間性回復を願う一人として浄土宗を深めました。
 平安末期より浄土宗は始まり、空也、源信、一遍、一向などが活動していました。浄土真宗が爆発的に大きくなったのは8代目の蓮如の時代です。「極楽往生」と「後生の一大事」、死後をイメージさせ現世をどう生きるかを訴えて信者を集めて大教団に成長させました。「後生の一大事」と「生死を超克する即仏」は浄土真宗各派で少しづつニュアンスが違うようです。「生死を離れる」これは浄土真宗だけでなく、釈迦由来の仏教の共通事項です。四法印として諸行無常、諸法無我、涅槃寂静、一切皆苦がありますが、私はプラス思考で諸行無常、諸法無我、覚悟すれば一切皆楽で十分と考えます。「心頭滅却すれば火もまた涼し」があるぐらいです、苦から楽に変換する方が簡単です。今の親鸞会は後生に極楽と地獄を設定し、地獄から逃れる生き方をする教えを説き、親鸞とはかけ離れています。浄土真宗各派からは異端とされ、反社会的な募集で社会問題になっています。
 歴史的に見れば、宗教は社会体制を維持するためである側面と現実の不満から従来の教義の解釈が個人によって変わることで多くの宗派が生まれています。
 日本の仏教界では仏教伝来以来の南都仏教、僧侶となるための出家の得度の儀式や僧侶の資格は戒壇での受戒でした。免税の要件であり、人数制限の中で私設僧もいました。南都仏教が独占していましたが平安時代に最澄が比叡山で戒壇を設け天台宗が学問の中心として禅宗以外の各宗が鎌倉時代、浄土宗、浄土真宗、時宗、日蓮宗、臨済宗、曹洞宗が新しく興りました。
 法然は持戒や難行を必要としない称名念仏を万人成仏の具体的な手段として見出し、専修念仏を広めました。日蓮は末法の世では法華経を唯一無二であるとして。真言亡国・禅天魔・念仏無間・律国賊と天台宗も含め他宗を攻撃し、空海の密教に習って教義の神秘性を高めた本門の本尊、本門の題目、本門の戒壇を三大秘法としました。法華経は釈迦の死後2,3百年後に成立したとされていますが、プロローグの次に方便の章があるのはせめての作者の良心?釈迦が死の間際に残したとされる自灯明・法灯明では無く、16番目の如来寿量品の章で自我得仏来、久遠実成の永遠の存在として人間釈迦を神格化しました。日蓮はこの2つの章が末法の世では法華教の中では最も重要としました?総てが方便?とも曲解されかねない中で、観心本尊抄等、南無妙法蓮華経が唱題行として、凡人の身の中にも仏性が目覚め、成仏できるとしました。
 日蓮系の創価学会では「一生成仏」として、「仏の説いた通りに修行するなら、必ず一生のうちに一人も残らず成仏できる」となっています。違和感を感じます。たとえ帰依するとしても、仏の説いた通り?とは自己喪失では無いですか?空海の真言宗には同行二人と言うすごい発想で信者の人格を認めています。上意下達、大いなる疑問です。又、冨士大石寺顕正会では国立戒壇建立を見つめているそうです。

 平和を説く宗教、宗教各派が宗教内をまとめ切れない。共通認識を作り連合できない現実があります。仏教系、キリスト教系、イスラーム系など、世界では自派内ですら国家の戦乱が絶えません。宗教者、教団は何をしている。祈ってます?祈りが成就する?祈るだけで教団は大きくなったか?自派が世界を席巻すれば平和が実現する、なにを寝言を言っている、分派が増えるだけの混乱の歴史を理解せよ!一歩前へ歩みを進めよ!

念ずれば花ひらく 苦しいとき 母がいつも口にしていた このことばを
わたしもいつのころからか となえるようになった そうしてそのたび
わたしの花がふしぎと ひとつひとつ ひらいていった

 坂村真民の詩ですが、知ったのは十年単位の昔のことです。webでと思います。仏教詩人?当初は法華教系?仏教詩人と言えば、宮澤賢治の「雨ニモマケズ」も法華教系?と思い浮かびます。相田みつをの「にんげんだもの」もありますが?
 宗教は、思惟や行為でなく、直観や感情、言霊や霊言と言いまが、言葉が持つ意味や解釈以上に、それを使う人の心がこもっていると言えます。芸術もそうですが、現実の生活でも、言葉を発する時に感情を込めることが可能です。宗教感覚を言葉にする、それを他人が感じられる。と言う事ならば、より万人が理解できる表現が良いに決まっています。漢文や比喩、方便でない言葉の方が親切です。
 私は十年程前、思い人へ愛着離別を超えた理屈ぽい詩を作ったことがあります。
抜粋
夕映えに 君が瞳の 輝きて 我が青春の いのち沸き立つ
You give me a reason and power to live for.
Your smile gives happiness and energy to me.

鳳凰となりて時空をも旅する
 私が有る限り貴方はあり、貴方が有る限り私はある
 Even if the love is happy ends or broken heart.
 You must get self confidence and a pride by it. (Youは私のことですが)
 You have a fact you loved the lover.
 You can complete bigger personality.
 It's your deep and intense mind for lover.
 You can live stronger and more kindly.
 It's your good life to get love and protect lover.
 You can change yourself to be more charm and big greater.
 Yes, that's true! By your love, you can be happy!
勢いで書いた「私が有る限り貴方はあり、貴方が有る限り私はある」に不思議な感覚を覚えました。愛の告白であると共に、過去から現在、現在から未来へ、人間が文明、文化を築き伝え、発展させてきた歴史そのものではないかと、ピタゴラスの定理は私の人格の一部分であると。
 そして私の母が亡くなった時、死の告知案内を作るとき、真民の詩に出会いました。
  花は散ったあとの悲しみはない
  ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ

で頓悟しました。死者は一人さびしく死ぬのではない、生きている間に慈しみ接した愛する人の中に移転する、その人の人格として生き続ける。若くして亡くなる人もいます。親兄弟などはその原因を取り除くことに生きる意味を見出します。信仰心が無いが故の発想ではありません。あなたに信仰心が有るならば、宗主はあなたの中で生きています。
 これが事実ではと思いますがどうでしょうか? では冒頭に記した釈迦の言葉
 一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ
 現代の社会用語で表現すれば?
生きる幸せ 原理 自由・ 愛 ・公平(フェア)
その条件は 原則  人権・平等・平和 

が満たされることではないかと考えます。そして、女性の差別偏見は日本の文化に深く根付いています。性の解放の認知は欧米から50年の遅れを取っています。
 宗教界に内部対立があります。同じ宗派ほど解釈の違いで対立が目立つのが現実です。思想信条の自由を宗教に当て嵌めれば、共通認識を出すことです。宗教の目的とは?現実の社会と教条は乖離していないか?教団存続の方便になっていないか?加持祈祷を望む人がいるから行う共依存の悪習になっているのではないか?
 宗教は国や共同体を思想面で強める役割を担ってきた経緯があります。儀式であったり、或いは非日常の余暇そのものとして役割ありました。レジャーが多様化した中で教団存続は社会教育施設の役割を見出さない限り存続が難しく、冠婚葬祭に甘んじる姿勢は許されません。或いはカルト化に進みますか?
 宗教人が智者、賢者である自負を持つならば、人々の自由と愛をフェアに両立させ、人権、平等、平和を守る重要性を公布しなければなりません。人間性解放が時代の流れであり、教団は個人の自立確立を養成する役割があります。同行2人を誰にするかは教団が決めることではありません。

追記:浄土宗や浄土真宗が仏説無量寿経は法華経が釈迦を神格化した以上に阿弥陀仏を創成しました。鎌倉時代には仏教の成立史が明らかでは無く、大蔵経七千巻一切が釈迦の創作とされていたようです。魑魅魍魎の多仏説を疑わない?

広辞苑無料検索より カルト 抜粋
カルトに分類される宗教集団は、現代では世界中に多数存在し、アメリカでは2000以上ある。カルトが世界的に社会問題となっているのは、強制的な勧誘によって入信させたり、多額の寄付金を強要したりして人権を侵害し、さまざまな反社会的行動をする教団が少なくないからである。反社会的宗教集団としてのカルトには、いくつか共通の特徴がある。
 その特徴とは、第一に導師やグルとよばれたり、自ら救世主を名のるカリスマ的教祖をもつこと。第二にマインドコントロールといわれる心理操作のさまざまなテクニックを用いて入信させること。それは洗脳の一種で、信徒は自覚のないまま、主義、考え方、世界観を根本的に変えてしまう。第三に外部世界から隔離された場所で共同生活を営み、閉鎖的集団を形成し、そこからしばしば反社会的行動に走る。第四に神秘的、魔術的な儀礼を実践し、教義は異端的、シンクレティズム(宗教的折衷主義)的である。
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生命体としての存在論 7、哲学と科学の到達点 虚構の崩壊で確立する 自由と愛

2023年05月26日 | 生命体としての存在論


 人間は死ねばどうなる?
人が死んだ後は家族をはじめ、慈しんだ愛する人の中で人格として生きます。

 一万年二千年の宗教に大変革が起こります。あなたが今まで知っている知識のタガを緩めて読み進めて下さい。
 As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
私が在る限りあなたはあり、貴方が在るかぎり私はある。
略して As FAR YOU'RE
 これが生命体が太古の昔から脈々と命を引き継いできた生命の実体です。コピーミスもありますが、理論上は子は両親からDNAを半分ずつ引き継ぎます、孫は四分の一です。しかし、人間は文明文化として言葉や慣習を学習し、その地その時に生きる人間として育ちます。科学が発展した今日では一人でそれを学ぶことは不可能です。分業し専門家が協力して初めて人間社会が成立しています。逆に肉体的に成人年齢に達しても社会的に自立可能な成人年齢は益々遅くなっているのが現実です。人間以外では知能が発達した動物ほど、産まれてから親などから教わる知恵が増えます。親から子へ、子から孫へ伝えられて往きます。
 現代の日本人ならば、自由に生きる権利を皆が知っています。しかし、宗教2世に限らずとも家庭の経済状況や教育環境によって権利が侵害されています。
 子供の人権が守られないのは、人間は生まれながらに平等な人間としての尊厳が守られないからです。平和に生きる権利も有ります。
 市川猿之助の心中事件に関して、梅沢富美男がパワハラはダメと言いながら、「芸能界と社会の問題をごちゃまぜにしないでほしい。なぜかというと僕らはそこで生きてきたんです」そうです。封建制の時代から戦前まで、親が隠居しない限り、子は親に従い、孝行するのが道徳でした。保守的な地域ほど古い考えを持つ人が多くいると考えられます。農家や商工業総ての分野で”僕らはそこで生きてきたんです”と言います。スポーツ界でのイジメや差別が戦後75年たった今でも事件として報道されます。如何に戦後の人権教育がないがしろにされ、女性や子供差別が温存し、性が抑圧されてきました。いかに個人の自立心の養成がなされなかったかの証です。

 皇国思想が強まった明治大正時代、歴代天皇は126代、124人として今年にも再確定されています。今年、亡くなるまで大正生まれの母は諳んじていました。
 明治時代に墓所が確定され造成された初代神武天皇陵や安倍元首相が銃撃の年が西暦+660年とされた皇紀2682年です。紀年法は明治に制定され、初代から15代応神天皇までは平均年齢は100才を超え、BC660+DC310=970÷15、65年の平均在位期間になります。何代にも渡って在位期間が長いのは子供や孫は幾つの年に生まれたのか、それ以外の子供は?頭がおかしくなります。存命期間や在位年数が長ければ孫、ひ孫が位いを受け継いだ可能性もありですが、歴史としては変です。
 戦後の民主主義はいつの頃からか変質したのではと感じています。昭和の世はこんなのでは無かったと、今や偏った自由主義が大手を振ってマスメディアを席巻しています。中高年世代の責任とも言えます。その時あなたは・・・
 日本憲法の3原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」と学びましたが、安倍首相は自由主義や愛国教育を訴えました。私は個人の問題として憲法の意義は
 人権、平等、平和に暮らせることだと考えます。
しかし、自民党歴代、岸田首相は「自由」と「法の支配」を事ある毎に訴えています。儲ける者が儲ければ、溢れた富は下々に行き渡るアベノミクスは底なし容器の上部に占有されました。儲けて何が悪い、儲ける才が無いのが悪いという自由と自己責任論。これが維新や自民党の新自由主義の正論ですか?
 ロケットが日本に飛んでくる、共産国は恐ろしい。これで保守・自由主義連合の自民党は選挙に勝ってきました。当然、人権や平等は認めます、平和も力によって保ちます。多数派を維持する事が民主主義であり、正義の証です。彼らの言う自由主義国家とは何でしょうか?現在の日本と北朝鮮は敵対することで成立する共依存の関係にあるとも言えます。
 ある維新の政治家曰く、人権は法の下に平等にあります。平和は力の均衡によって保ちます。選民思想?差別?昔から差別はあり、現在・将来とも無くなることは無い。それを支持する思想、宗教もあります。生存競争で生き残る弱肉強食の自由主義。差別は当然と公言しました。

 欧米では少なくとも自由主義の根底にキリスト教の愛があります。隣人愛です。自由・平等・友愛です。鳩山由紀夫が訴えて有名ですが、日本でも釈迦を祖とする大乗仏教があります。慈悲、慈しみがあります。
 仏教では悟りでない自由はエゴと考えられます、煩悩です。愛も自己中の人はエゴになる可能性が大です。相手の人権や平等を理解することです。親や兄弟、周りの人を愛することはエゴと言えませんか?自分が出来なかったから子供に期待する?内省が必要です。相手の人格を尊重することです。同時に自分も大切にすることです。人間関係では共依存が問題になることがあります。自灯明法灯明、自分と法をより所に迷わずに生きよ。
 ♫そばに私が ついてなければ なにも出来ない この人やから 泣きはしません つらくとも いつか中座の華になる・・・  浪花恋しぐれ 昭和58年発売、長女が生まれた年です、初代春団治の破天荒な夫と耐える妻の美談?普段、怒鳴らなっかた私はカラオケで ”酒こうてこんかい ”と大阪弁で怒鳴るのが好きでした

 現実に生きている人同士ならば、愛は相手が喜ぶ顔が自分の喜びと感じることがでれば愛と言えます。男性にとって結婚は食事をし、Hをして、睡眠をとる共同生活で愛を育む場所と考えることができます、サルトルの様に自由恋愛を前提とした結婚は凡人ではなかなか大変です。しかし、結婚前には多くの失敗、経験を重ねなければ人間的な成長も望めません。今の相手の評価も正当には無理です。人生経験を積めば一人の相手だけがすばらしいのでは無く、自己の存在自身が他者が好きであることを悟り、他人に優しく接することが可能になります。男性が気になる人にモノなどを持って行き、関心歓心を得るのは太古の昔からの習いです。相手の笑顔を見るだけでペイします。夫婦の一方の嫉妬や嫉みは相手を束縛する独占欲であり、夫婦の地位に安住するエゴです。女性も好きなスターにぞっこんになるケースも多々あります。トラウマや日常的に自己を疎外する環境であれば現状逃避を薦めます。良い日差しに当たることは場所だけで無く新しい人に巡り会うチャンスです。厳しい風に当たり続けると人間は疎外感で不幸になることもあります。
 自由は自己保存のエゴであり、愛は自由の延長のエゴでもあり、相手の人権、平等を尊重して初めて愛になります。子供が母親に何かすることで喜ぶことが嬉しくなれば愛の目覚といえます。逆に、私だけが何故こんな目に合うと思う自己中な人は愛情不足を感じながら育った人かもしれません。
 As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.と思える老いらくの恋をしたい。で一段落とします。

 死の怖さは知恵がある分、瞬間的な怖さ以上に想像を働かせて増幅します。又、親等が子供を従わすためにも利用します。
 死に対する恐怖を克服するのは心の問題として宗教の役割とされてきました。現在では思想哲学としてもあります。しかし、現在は形而上の真理と形而下の科学の乖離、矛盾が顕著になりました。自由や愛は形而上の概念ですが社会科学として取り扱い、ここでは生命の本能の延長として扱います。しかし、科学を称しながら、これが真理だというエセ科学が現在も蔓延しています。時代場所によって変遷してきた真理の中身、それを真理という言葉で一刀両断にする言葉を嫌悪します。人によって科学的論理的思考による究明が真理と言うならば別ですが、わざわざ真理という修飾語を使い誤解を招く必要はありません。
 仏教詩人として有名な坂村真民は釈迦が死後を説かなかったように、二度とない人生、をテーマとして多くの詩を残し、今を生きることを詩で綴りました。
 ・二度とないこの人生を いかに生きいかに死するか・・・
 ・花には散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた悦びだけが残るのだ。
 ・わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる・・・

これが仏教?と思われるかも知れません。もとより釈迦の仏教は葬式や加持祈祷が本意ではなく、人々の現世の苦しみを解脱し、楽しく生きる術の教えです。
 冒頭で述べた As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
この生命の実体と真民の詩を合わせれば

 人間は死ねばどうなる?は
 人が死んだ後は家族をはじめとして、慈しみ愛する人の中で、人格として生きる。
という認識が誕生します。死生観の大変革です。生きている間は他者として会話が可能ですが、死後はその人の発想や表現、表情声が記憶として生者の人格を形成します。


 世界の初めを創った創造主を信仰しても生命科学と矛盾しません。釈迦が死後を無記としたように、全ては現在を生きる生命の生き様として科学として表現が可能です。新訳仏教では諸行無常・諸法無我を覚悟すれば一切皆楽
 ある人は、あの世があると考える方が人はムチャをしないとう、子供に対する脅かしと同じことを言いました。日本には武士の”名こそ惜しけれ”があり、ヨーロッパでは騎士道、紳士は名誉と誇りを重んじました。死後の世が無くても、自分の生き様が次の世代に受け継がれることの方が効果はあります。神道の中今の思想に通じます。何より虚構を様々に信じる必要がありません。
  春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ
   周防内侍 百人一首
 春の短い夜につまらないっときのHでは、あなたの名前がすたれますよ

 西洋哲学はキリスト教神学の影響を受けて発達しました。フォイエルバッハはデカルトから始まる近世哲学は理性の神格化により哲学へと転化した神学であるとして、ヘーゲル批判からキリスト教は利己的で非人間的な宗教であるとしました。マルクス主義は上部構造は下部構造に規定される。原始共産制はモノを共有する平等な社会であった。として産業革命後の悲惨な労働者の生活からプロレタリアートを解放する階級闘争によって共産主義を目指す社会主義国家がロシアを初めとして多数成立しましたが、原始共産制の持つ族長支配の人間性無視を問題にしない共産党一党支配の官僚国家が明らかになりました。それは人権、平等、平和の確立し、自由と愛の葛藤の中で国家を運営するよりも革命を優先する、共産党支配を第一とするレーニン主義、専制国家の誕生でした。
 戦後、日本で脚光を浴びたサルトルの ”実存は本質に先立つ” 実存主義でさえ、「神が存在しないのであれば」が前提になっています。人間の本質が神によって作られたのでは無ければ、人間は自由に存在することが可能である。一方で1968年のフランス危機(革命)は自由、平等、性の解放を訴える学生運動から労働者のゼネストに発展し、フランスは争乱状態に陥り、政治的にはド・ゴール大統領が圧勝する一方で労働者の団結権、最低賃金の上昇や教育制度の民主化が実現しました。キリスト教文化の旧世代に反対する新世代の造反としてフリーセックスやフリーラブが権利として拡大。
 今日の世界でLGBTや同性婚の法制化の先駆けになりました。日本では昭和43年5月革命の前3月30日にナイジェリア内戦でビアフラ飢餓によって150万人が死亡。抗議焼身自殺した女性の歌、フランシーヌの場合が発売されました。当時は高校生で全共闘、東大闘争がありました。ベトナム戦争反対運動のベ平連は昭和40年からで未だ中学生でした。
 今回初めてフランス5月革命の意義を知りました。WIKIで調べながら書いて初めて知ったのが現実です。半世紀以上が経過していますが、日本では人権意識の確立、抑圧からの解放、性の解放が不十分であったと感じます。何故?左右の政治闘争に矮小化されてしまった結果が現在の状況では?人権意識がフランスの様に根付いていれば猿之助の心中事件はあり得ません。

 思想哲学としては人間の社会的・文化的現象の背後には目に見えない構造がある構造主義が生まれ、それも形而上学であるとしてポスト構造主義があります。
しかし、これからの哲学、科学と宗教の包括する人間世界
原理原則は
 原理 自由と愛
 原則 人権・平等・平和
の概念の確立が重要です。

フランシーヌの場合(新谷のり子)昭和44年

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生命の教え  The Religion of Life 1、目的・教理・設立趣意

2023年05月17日 | 生命の宗教
・生命の教え 目的 
 人の幸福とは自由と愛に生きる生活です。その為には人権・平等・平和が確保された世界の実現です。
 その為には空想と古い因習に囚われた思想・宗教からの解放、リベラルアーツの学習と人を愛する摂理・ラビングアーツの学習練習が必要になります。この2つによって、人権意識の確立・平等であることの重要性・平和の必然性を学び、自由と愛の調和、自由と愛に満ちあふれた生活の実現を目指します。

・生命の教え 信念・教理
生命科学の発展、知見により生命体の世代交代、牡牝・雌雄分化が生命体の変化に対応する力を向上させ、数十億年の生命を継続してきた歴史が明になりました。この事実を個々の生命、個人で表現すれば
 私が在る限りあなたはあり、貴方が在るかぎり私はある。
 As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
として生命の実相を表現する摂理です。過去の先人や離別した人は自己が生きている限り、私の人格の一部として存在し、将来、私が死んだ時は貴方の人格の一部として存在する
これを信念として信じます。
 金閣寺の棟頂部にある鳳凰、鳳は雄,凰は雌です。中国から伝わった吉兆瑞兆の鳥として想像の産物ですが、三島由紀夫は「金閣寺」の中で鳳凰は羽を広げているだけで永遠に、時間の中を飛んでいる。としました。深く愛しあった二人は不二の鳳凰に変身して時空を永遠に旅する象徴です。伝説の誕生です、よって金閣寺には一羽しかありません。

・生命の教え 設立趣意
未だに世界が戦争と飢餓、差別偏見に苦しみ、経済格差、貧困は拡大しています。歴史の経緯が有るとは言え、良い方向に向かうどころか悪化の方向に向かっているのが現状です。軍縮に向かえば浮くお金が軍拡によって苦しむのが各国の現実です。日本や世界の指導者は人権・平等・平和の重要性をどこまで理解しているのでしょか?自由と愛を理解しているのでしょうか?
対立の大きな原因に現代科学の知見からの乖離した思想宗教の後進性にあると考えます。宗教の目的は現在を生きる人の不安を除いて幸せな生活を送る教えです。この共通認識に立てば相互理解が可能です。死後の世界は不要となり、現世次世代に責任があると考えます。一神教、多神教で有っても問題はありません。しかし、信者にサタンや地獄を強調し信者を不安に落とし入れる団体はノーです。宗教の目的から離脱した団体であるからです。

 生物としての一番の心配不幸は愛する人との別離と自分の死です。太古より天変地異や病疫で多くの人が急逝しました。不安や心配の解消のため絶対的な力で支配する神仏に頼り祈祷することに救いを求めました。しかし、現在ではITだけで無く、科学全般、特に近年は生命科学の医療や生理学が加速度的に発達し、生命史と共に人類史上無かった科学知識があります。
 生命の摂理である As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there. を信じ、愛する人との一体感(不二の鳳凰)を実感すれば死の恐怖や離別の悲しみを克服することが可能です。知識だけで無く、人を愛する経験を重ねることに尽きます。
 生命の起源の知見は空想や神話の世界から離脱することを可能にしました。逆に言えば、現実と思考、思想との乖離を意味します。これも歴史上無かった現実です。日本に稲作が伝わり、或いは新しい仏教文化が日本に伝来し、思想や宗教は激変しました。同じように現代も思想や宗教が激変する過渡期であると言えます。
 単細胞生物の誕生から有性生物、人類の誕生にいたる劇的な変化は科学者でも神秘であり神のなせるワザと考える人もいます。しかし人類の数千年・数万年の変化の歴史から見れば、20数億万年の変化は。有史2千年を1単位とすれば百億倍の時間経過であり、驚くには当たらないとも言えます。
 戦後、民主主義、経済成長によって社会は激変しました。宗教界にも多大の変化をもたらしました。江戸時代の檀家制度で固定化された仏教界は葬式仏教化の収入に依存し、一方で新宗教も多く誕生しましました。危険な兆候は宗教の目的から離脱した団体だけではありません。自団体の優位性をことさら説き、信者の優越感を増大させ、差別意識を増長することです。我が宗教こそが幸福実現であり、平和の実現であると。一心になることで、おのが自由が他者の自由(人権)を侵害している事を喪失させます。

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