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愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理 自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
愛と生命永続の公理
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

科学的世界観の構築へ

2025年08月04日 | トップページ
順次更新中です

 近年は科学の進歩が累乗的に発展しています。天文学、生物学、生理学他
しかるに、世界観が旧態の宗教や思想、政治に変化が見られません
何故だと考えますか?哲学の低迷?
 世界観とはWikipediaによれば、世界の意味を問うもので、たとえば「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されているのか」「世界の中で人間はいかなる役割を果たせば意味があるのか」などの問いに答えようとするものである。したがって、世界観とは、世界に対する態度およびその表明であるとみなすこともでき、人生観や実際の生き方と結びついている。さらに「世界観」を背景にして、「理想」や「善」などの意志的側面、行動原則など実践の指針が与えられる。
 逆転していませんか?私たちを取り巻く世界は昔より歴然と存在していました。宇宙であり、地球の自然の中で生きてきました。知能・知識が発展する中で人類の歴史や世界の様子が次第に明らかになってきています。世界のあり様から私たちがそれをどう考え、何を意図すべきか?が本来の世界観です。科学が未発達の段階では想像の産物の刷り込みを当然視した結果にすぎません。もとより、世界観と思考原理・偶像は仏教での而二不二であり並立しています。外界に対する理解と自己の価値観を矛盾なく統合しているにすぎません。仏教が日本に伝来した時代は最新の知識技術として日本を席巻しました。
 国連のSDGsにみられるように、格差拡大と環境破壊による混乱、戦乱から持続性のある社会実現に必要な指針があります。グローバル化した世界を科学的知見にもとずいて有るべき姿に叶う世界観であるべきです。現代は一部の人間が富の独占を正当化するために差別意識を増長させ混乱に拍車をかけています。自由第一主義であり、法の範囲内で有れば自由に行動支配が可能であり、法自体も特権階級に操られている可能性が大です。
 現代の欠点は公平と愛が欠落しています。政教分離?「自由と平等と友愛」はフランス革命を起源として19世紀末の第三共和政になってからフランスの公式標語になりました。元首相の鳩山由紀夫も家訓?祖父の一郎からの標語でしたが「自由と法」と対立の中で負けてしまいました。神と人との絆に愛が囚われ、人と人の絆こそが「愛」であることが阻害されています。
 現代の東西対立、歴史的には18世紀後半からの産業革命によってもたらされた資本家の繁栄と労働者の悲惨さをマルクスは階級対立として権力闘争によるプロレタリア専制を目指し、ロシアを始め多くの国が生まれましたが、近世から近代社会へ移行する中で芽生えた民主主義・人権意識が乏しかった専制・封建国家での達成でした。また第二次世界大戦前に生じた日本での天皇を神とする絶対君主制やナチスによる一党独裁での専制政治が人権・平等・平和を蹂躙しました。現代の戦後日本は民主主義だと言われていますが、人権・平等・平和についてどれだけ民主主義教育がなされているか疑問に感じています。昭和の時代より、平成令和になって民主主義は明らかに後退しています。世界的潮流ですが戦前の体制をめざす右翼保守の台頭は異常です。個人の社会的、経済的な自立以前に、個人の主体性の確立がもっとも重要です。
 主体性とは自我?アイディンティーの確認?
 私たちは初等教育から中・高校と自然科学を学び世界の歴史や地理、宇宙に付いて過去数千年の昔と比べ、或いは両親や祖父母時代と比較しても日進月歩の知識を有しています。例えばキリスト教的世界観が今日の自然科学と矛盾している所があるならば改めるべきです。それは宗教者の怠慢、無能力と言えます。世界観が一人一人の人間の主観で有る考えであっても、個別の環境以外は共通の外界として一致可能です。自然科学・人文科学の知見を前提にして世界観を構築すべきです。
 千年紀の思想・信仰の刷り込み再編で文明を再興、で記したように、私たちは幼少の頃より育った文明文化の刷り込みを受けています。それ無しには私たちは存在しません。反発すれば集団から疎外されます。私の場合は戦後の混乱期から日本国憲法下の教育の中で少しは批判的精神の自由がありました。自我の目覚めと伴に高校時代より自分と周りの世界について考えを廻らしたことがあります。和辻哲郎の偶像再興は難解です。自我の自立はなかなか困難でした。始めは荘子でした。中央公論、婦人公論が知的興味を引き付けられました。庄司薫の赤頭巾ちゃん気をつけてを雑誌で読んだのは高3でした。以降は自意識過剰と言われる伊藤整の鳴海仙吉に強烈に惹かれました。50年以上昔の話ですが、世界観は自我の確立と不二です。既存の世界観に盲目的に従えば思考や行動は簡単です。私たちが感覚・感情の原感覚から理性的と言われる判断・決定に既存の世界観・思想・宗教を援用すればいいだけです。判断に迷う必要はありません。人間の幼形成熟たる頭脳の柔軟性を失い、変化する外界の理解判断を旧来の思考回路から自動的に感覚で決定が可能です。硬化した頭脳では強欲な感情ママの自己中、トランプ化します。自由主義の専制です。自由オールマイティーの現代から蘇らせるには過去の専制主義ではダメです、差別を増長させるだけです。つい先年に亡くなった私の母は戦後も戦前の家長制度と反共主義に囚われていました。より一層の人権に対する理解、平等・平和への理解は民主主義の根幹であり、日本国憲法の精神です。近年のスポーツ以外での日本の劣化は自由主義の横暴に対しての嫌気やウツ状態による無力感、自信の喪失にあるのではと考えています。

 どこまで人類は世界を知っている?
 生命の起源を紐解くと有史以来様々な説がありました。しかし、今日では地球上に誕生したのは太陽系が誕生したのは46億年前とされ、生物の誕生は38億年前に単細胞生物、約20億年前には無酸素呼吸であった生物が酸素呼吸が可能となるミトコンドリアとの融合による高エネルギー獲得の好気性生物という真核生物の誕生でした。そして5~6億年前には無性生殖から有性生殖へと進化することで生物は大飛躍しました、私達ホモ・サピエンスは30万年に誕生し、7万年から5万年前に数度の出アフリカによって世界に拡散しました。そして現在に至る訳ですが、私たちの体を構成する物質は太陽系が誕生する46億年以前の宇宙の誕生した137億年前から、天の川銀河の誕生とされる130億年前から太陽系の誕生する間に水素原子から原子核の融合によってカルシウムや炭素、鉄などのあらゆる元素や化合物の誕生後に地球は誕生しています。
 それらを神の業とするならばすればいいのであって、争う必要は有りません。これが人間を含めた地球上の存在する、世代交代によって生命を維持する生物・生命史の概略です。死後の世界?は飛躍も飛躍した不確実な話です。生存本能が備わった一つの生物として死は大恐怖ですが、世代交代によって生命は保たれます。不安定な所に数メートル登るだけで体感できますが、安全と対策による理性判断と覚悟を決めることで克服が可能です。
 数千数万年にわたって文化を育んできた先人の偉業を忘れるべきではありません。しかし現代の宗教者本人が信じる信じないを問はず、教義・経典ではこうなっていますと他者に説教する不条理があります。宗教家が求められるから読経し祈祷する合理性は有りません、商売人の生業です。コロナを祈祷で治しますと言えば医師法違反?それしか寄るすべが無かった時代の技であり、KYをおもんばかる結果です。NHKが善男善女がご利益を求め参拝していますと放映する欺瞞。文化・宗教の遺産として評価すべきです。
 ここに原始仏教を始めた釈迦は偉かった。自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)によって教義を固定せず、諸派に分離しても般若心経を現代に伝えています。法華経には嘘でもいいですよと言う方便品があります。末法思想に囚われた鎌倉末期の親鸞はあの世という極楽地獄を超越できませんでしたが、念ずることで救われるとして人間疎外であった仏教の戒律の打破に成功しました。明治期まで妻帯が許される唯一の教団として禁欲や衣食での禁忌破壊は8代目の蓮如に至り日本一のマンモス教団になりました。比叡山との対立の中で大谷廟が破却され、吉崎御坊、山科御坊を設立する中、彼は27人の子供をつくり、とりわけ80代で3人の子供をつくるという高齢化社会の現代でも突出しています。wikipedia参照
しかし、彼の「後生の一大事を心にかけて」は死後の世界のことでは無く、亡くなった人が生存中に苦しみ悩んだ事を後を生る現世の人が解決する、或いは自分が苦労した事を後世の人々が苦しまないように解決していくとの理解が現代訳です。

 生命の存在の歴史と現在・未来にわたる世界は一人の人間とっては
   私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある
これが私たち生物のアイディンティーであり、生物世界の原理です。過去の偉人や祖父母、共同体だけでなく、現在及び未来に生きる人々に対する合理的な個人の存在証明です。これによって私は自己存在の正当性と他者との関わり、人を愛する正当性を主張することができるようになりました。自己の主体性を阻害する社会の様々な声の中で私が呼吸し眠り食事をし、異性との目合ひ(まぐわい)によって悠久の生命をつなぐ正当性の確立です。そしてチンパンジーよりもボノボが平和な社会構築に性を利用していることです。性が争いの原因としてメスが発情を隠し、疑似発情によって争いを回避しています。同様に現代の人間社会でも女性の性欲の認知が社会の安寧に貢献します。

 私が主張する
  あるべき世界の原理は 自由・愛・公平 です。
 ・自由
は酸素呼吸によって大量のエネルギーを得た好気性生物の本性に由来します。集団の結束の中で喜びを感じる事や、自己判断を他人任せにする従属性は自由とは反対の愛の項目です。自由は個人の意思です。
 ・愛
は共同社会で生きる有性生殖の人間の絆、本能です。家族や共同体、そして性は生物存続の強烈な欲求です。時として個人同士では問題発生の原因となりますが、社会性や公平性の中で相手の自由を尊重し愛を信じる必要があります。性は次世代誕生だけでは無くボディランゲージとして交歓する役割があります。
 公平
は人間として互いの命の尊厳を認めあい、不平不満や不平等による争いを起こさない、自由は愛によってのみ克越し調和が可能であり、生命が躍動する極地です。差別、羨望、妬み、嫉妬は未成熟、弱さの表れです。 
  あるべき世界の原則は 人権・平等・平和です。日本国憲法では基本的人権として平等権、生存権があり原則を網羅していますが、しかし自由権もあり愛との兼ね合いの言及が不十分です。

 文明を再興しなければならない。文明は進化しているでしょうか?科学技術は目覚ましい発展をしています。しかし世界の富が偏在し、飢餓と貧困、戦乱が多発する世界にあって、歴史は繰り返す愚は文明の後退です。自由主義が世界を席巻し軍事費が増大しています。共産党の一党独裁の中国ですら富裕層の拡大は驚かされます。民主主義が旧態の世界観である保守主義と自由主義が共依存することで歪められています。

続く


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千年紀の思想・信仰の変革・刷り込み継承の再編で文明を再興する 3、人権

2025年04月11日 | 12禁・邪鬼天降臨
ビバEXPO2025 関西・大阪万博が開幕 SDGs実現へ、いのち輝く未来社会のデザイン
「万博」には、人・モノを呼び寄せる求心力と発信力があります。
お金を贅沢につかったあげくが入場券の高騰、迎賓館だけで数十億円
ならば なぜ 前売り券が売れない? 物に心を込めれば芸術として人に訴える力があります。言葉にも歌にも訴える力があります。1970年大阪万博での熱狂は岡本太郎「芸術は爆発だ」や三波春夫「世界の国からこんにちは」のような発信力がありました。個人の問題だけで無く、日本全体の活力の無さです。建前と本音の乖離ひどく、個人の能力が十分に発揮できないウツ状態の日本。求心力と発信力が無い、いのち輝く未来社会を提示できない。無い無い無能・万博です。
 SDGsが掲げている課題は人権です。日本語では持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)としていますが、持続可能な発展目標、展開目標です。大人の事情で開発目標となっています。
 SDGsの17のゴールは人権、経済・社会、地球環境の分野がありますが、地球上のすべての人が人権を享受し生活できる世界となる目標です。人権には自由、平等などを含め全ての生きる権利が含まれています。
 EXPO2025万博は人権主義・SDGsを訴える最大の機会です。「人権、平等、平和」の言葉には人を感動させ、動かせる力を込めることが可能です。
  18世紀のフランス革命より「自由、平等、友愛」として近代社会の普遍的価値として認知される一方で帝国主義、コミンテルン、ナチスドイツ、大日本帝国と専制・戦乱を招いてきました。第二次世界大戦以後に国連が結成されるも対立・戦乱が続いています。何故?
 戦後、日本は民主主義国家として再生しました。憲法の三大原則は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」。戦前の国家による抑圧からの解放、自由と平等が民主主義として喝采をあびました。
 EXPO1970大阪万博は廃墟からの復興、元気のある日本でした。しかし、自由と平等が個人の能力を問う差別意識によって自由主義こそが全能として、自由と法に則る国家を喧伝しています。自由主義の劣化は目にあまります。世界中での格差拡大、貧困や飢餓、内乱や戦争、乱開発は温暖化や農業や漁業の不振が人々の人権を損なっています。
 「自由と平等、友愛」が「自由と法」に矮小化されました。そして愛の欠落です。「自由と法は拮抗して自由が保障される」?バカを言ってはダメです。収入が少なければ食事の自由も移動の自由もありません。弱肉強食の自由社会、デキの悪い人間には人権無し?機会均等?加熱する受験競争からの脱落は劣等人間であり自己責任でしょうか?
 維新の橋下徹が大阪を席巻したとき、民主主義での選挙を「勝ったもん勝ちの勝者の自由」として人権を軽視し、差別意識を増長させる専制を行いました。現在懸念されているトランプやプーチンと同様です。
 人権主義を徹底しましょう。戦後、民主主義が人々の自由と平等を叶える希望でした。戦後80年を迎える今日、経済格差が広がり、日々の食事にも困窮する弱者が増えました。
 人類が文明を育み歴史の積み重ねの中で見出した社会の原則は「人権、平等、平和」です、国連が掲げるSDGsそのものです。その原理は「自由、愛、公平」です。自由は愛と対でなければ暴走します。公平な立場で互いの自由と愛を認めなければ倫理観を喪失し、自己中の暴虐が「自由と法」によって世界を席巻します。法で禁止されなければ兵庫県で元知事を支援立候補する時代です。
 自民党(自由民主党)が落ち目です。自由主義や民主主義に企業法人が献金の自由を持つ時代です。時代のトレンドはSDGs・人権主義です。人権を旗印に政党は大同団結する時です。時流にのれば玉石混合であっても人が集まります。転向も可能とすべきでしょう。「人権、平等、平和」の原則と「自由、愛、公平」の原理が縛りです。
続く  
We are the world  日本でも発信は可能
【和訳】we are the world アーティスト名&歌詞付
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千年紀の思想・信仰の変革・刷り込み継承の再編で文明を再興する 2、愛

2025年04月10日 | 12禁・邪鬼天降臨
ビバEXPO2025 関西・大阪万博が開幕 SDGs実現へ、いのち輝く未来社会の未来社会のデザイン
 地球の誕生は46億年前、生命の誕生は35~40億年前、真核生物がミトコンドリアと細胞内共生したのが20億年前、有性生殖が始まったのが10億年前、人類の進化は猿人、旧人、現生人類と進み出アフリカは5万年前とされています。一世代25年とすれば2千世代の先祖を持つことになります。紀元後2千年の間では80世代になります。80代に渡って脈々と続いた生活の中で命をつなぎ、知識と知性を育みました。1千年2千年前の先代よりも、そして戦後の目覚ましい発達を遂げた生物学など、現代に生きる人々の方が生命に対する豊富な科学的な知識を有しています。
 残念ながら生命は一代限りの命であり、身体は卵子と精子の受精から、胎芽期の短い間に進化の過程を再現しながら人の形と成長し、未熟なまま母親から出生し、保護され養育されて社会的に18才で成人となります。言葉を始めとして知識、知性は周りからの刷り込みに負う処と義務教育や志向する学びがあります。言語の学習は幼児期の習得、反復する刷り込みですが、人は幼形成熟として大人となりますが頭脳は未熟なまま老人になっても成長が可能であり、思考が硬直しない(盲目的に価値観を受け入れない)ならば変化に柔軟に対応が可能です。
 愛は宗教の専売ではありません。一人一人の存在として愛を持つ存在です。家族や同郷、民族や夫婦間の自己拡大だけの愛でもありません。前提は有性生殖・雌雄交配の定めです、オスとメスは互いに求め合い、同性はライバルでもあり共存しなければ争って自滅します。戦後の人権拡大、女性解放のトレンドは女性の性欲(拒否を含め)を認めることです。
 第二次世界大戦後の価値観喪失(キリスト教)の中、実存主義で時の人となったフランスのサルトルとボーヴォワールは自由恋愛を認める契約結婚を始めました。 自由意志、自分が決断する自由をサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と表現しました。何故?
 少なくとも一対の両性が求め合う恋愛結婚は選択という競争が必然であり、逆に多くの優れた相手の中から一人に決める誤謬も起こります。基本的には性愛が人を動かす原動力ですが、それだけでは無く、異性だけで無いカタワレの孤独と癒し、人間的魅力で求める愛があり、またファンやヒーローに憧れる熱情もあります。将来的に結婚制度がどのように変遷するのか不明ですが、性の問題は個体差で多様に或いは歪に変化します。やっかいなのは支配・被支配の問題や年齢によっても幼青壮老と変化し、経験によっても文化的にも多様に変化します。一律な考えはナカナカ通用しません。少なくとも羨み・ウラヤミや嫉妬・ソネミやネタミの感情は人間の幼児性として、大人として成熟するにつれ排除される必要があります。恋愛は今の自己世界の中で一番に向ける熱情であり、選択という排他性がありますが、世の中の半分は求める異性であり、愛すべき人の一人です。親が子供を差別しない心情と同じであるべきです。
 あなたを心の底から愛します、あなたが私を愛するかは問題ではありません。人を愛さずにはいられないカタワレたる己を自認することです。それは自己中に陥りがちな欲望を制御し、自分を愛する事と同じです。世の中にはすばらしい人が数多います。あなたの喜ぶ笑顔が最高の褒賞です。無償の愛とか貴方が愛してくれるからという有償の問題ではありません。人は人を愛さずにはいられない存在であり、逆に人から愛して欲しい存在でもあるのが人間です。
 私という生命は他の命を受け継いで生きる存在です。食事で育む身体もしかり、文明文化を受け継がなければ存在しません。生命は他のイノチを受け継ぐ存在です。
 「私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る」
これが愛と生命の連続を理解する公理です。過去のあなたから私へ、今のあなたへ、そして未来のあなたへ。私という存在は過去のあなた無しには存在せず、現在のあなた無しでも存在しません。そして今は直ぐに明日へと変化する中で生命を受け渡す存在である人間です。
 これが愛と生命の公理ならば、そこから導かれる定理とは?
 生きる目的をあれやこれやと考えても袋小路に陥りますが、生物は生きることが目的であり、命のバトンを次に引き渡すことであると言えます。そして人は自由と愛を公平に享受する権利と義務があり、人権、平等、平和が保証されなければなりません。
 シャカは死後の問題に言及していません。生物は生きてナンボです。死後は死後に任せればいいだけです。死は無と考える私です。よく生き、命のバトンをつなぐことです。覚悟するだけの問題です。死後が有ってほしいと願う人を無碍にはしません。思想信条の自由です。優れた多くの先人が逝っています。死後の世界をイメージすることは自由です。しかし単純明快ではないと思います。そからの派生が神仏とは考えません、少なくとも神仏は人間の姿形をしていません。
 鎌倉時代、親鸞は9才で得度し29才のときに性欲を持て余し、修行では煩悩を解脱できないとして、聖徳太子を引きあいに磯長の夢告にはじまり、六角堂での夢告で女犯戒を許された非僧非俗・愚禿として教団の開祖となりました。性欲を抑圧することが可能な超人としての修行と信望が是とされた仏教界で画期的な成果を獲得しました。浄土真宗は日本では明治になるまでの6百年、官許僧の妻帯が許された唯一の教団でした。中でも室町末期から戦国時代にかけて8代目の蓮如は浄土真宗を山科御坊など畿内に多くの寺内町を作り一大教団に変貌させましたが、個人的には84才の生涯で27人の子沢山で80代に3人の子を作ったスーパージジイでした。彼の有名な説に「後生(ごしょう)の一大事を心にかけて」があります。私は残された人(遺族)の問題であり、愛する故人の人生を顧みて、その人生の問題を解決すべく努力することと理解します。父母は何に苦しめられたか?自分は何に苦しんだか?それが文明発展の歴史でなければなりません。
休憩   八重子 (戦友) 渥美 清

続く
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千年紀の思想・信仰の変革・刷り込み継承の再編で文明を再興する

2025年04月08日 | 12禁・邪鬼天降臨
EXPO2025に向けて日々加筆4.8
 4.13より開催されるEXPO2025でも持続可能な社会の実現に向けてSDGsを掲げ、いのち輝く未来社会の未来社会のデザインをテーマにしています。しかし、主催者自身もその理念を理解できていません。IRカジノとの並走や派手にお金を使えばお金が回る、従来の開発・成長一辺倒の構図に囚われています。
 21世紀の混迷・格差拡大、分断と差別を解決するするために、国連が主導する人権主義・SDGsの実現こそが文明の危機を救う方策です。その思想・理念とは?
 (第2次世界大戦)戦後の希望であった民主主義・自由・平等が自己中に陥った自由主義によって「自由と法」にすり替えられ、矮小化されています。最大の欠陥は愛の欠落です。自由と拮抗するのは法では無く愛です。法と権力は支配者の自由を満足させるに十分ですが、抑圧された人々にとって自由は不満足です。世界の現状はSDGsとは逆に向っています。軍拡に向かう資金でSDGsに貢献し、軍縮すれば圧倒的な余裕が生まれます。
 私は今の利己的な自由を非難します。SDGs・持続可能な社会の実現とは日本ユニセフ https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/クリック
人権主義です。天邪鬼の無邪気な自由から、邪鬼として四天王に踏みつけ虐げられる現実を理解した時に初めて他人を差別していると自覚しました。邪鬼天の誕生です。
 私が考える世界の原理原則、「生命の連続と愛」の公理
  原理:自由と愛、公平
  原則:人権、平等、平和
 愛と生命の公理 「私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る」

 私は無神論と言えますが、信念を見出しました。
原始仏教の中村元氏のブッダの言葉に「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」があります。坂村真民の「念ずれば花開く」は信念の重要性を自認させます。もとよりプライベートな個人は利己的であり、小人閑居して不善をなす意志薄弱者です。空海の同行2人は先人に近づき伴に歩むすばらしい発想です。
 仏教は案外と正直です。大乗仏教成立後に編纂された法華経の第2・方便品ではウソも方便、目的が叶うなら、教条主義や金儲けのためならの豊田商事、金儲けのどこが悪い?先駆けです。
休憩
美しい虚構 多くの美しい虚構がある
 全てのものは虚構から生まれ 虚構の中で死んでいった
きけわだつみの声 宅島徳光 自由 検索ワード 八重子 渥美清 
美しい虚構 (海ゆかば)
 靖国に献上された花嫁人形は誰の涙
就職氷河期 より悲惨な 嫁無し夫無し 少子化時代
続く
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12禁・邪鬼天降臨 四天王に踏みつけられる天邪鬼の覚醒

2024年10月12日 | 12禁・邪鬼天降臨
 「邪鬼」は日本に渡来した仏教の四天王像の下で踏みつけられています。仏陀に祭り上げる前の釈迦は偶像崇拝を排していました。生きとし生きるモノの平等を旨とした原始仏教は釈迦の死後およそ5百年で大乗仏教変質しました。釈迦は世を煩い、出家遁世し思索を重ねました。得たモノは何だったのでしょうか?
 私は天邪鬼が自由でいいと考えていました。昨年、母親を亡くした時、母を苦しめたのは戦前の封建、女性差別であり、無くすことが母親への弔いであると考えました。しかし、天邪鬼の悪言で前述の幼稚園での運動会のダンス案内状の隠蔽は私が行った母親に対する明らかなイジメです。分別のない園児が母を差別していたのです。そうです、時代の中で母と同じように私自身もイジメられ踏みつけられていたのです。イジメの加害と被害は立場が違えども自由に生きる楽しい生活、人間性の崩壊です。良識や権威という社会常識です。まさに四天王に踏みつけられる邪鬼と同じだったのです。誰もが時代の中で初めは規範や価値観を受け入れて育ちます。そして社会と縁が続く限り、誰もが邪鬼の様に既成の価値観に押さえ付けられ、或いは逆に押さえ付けて生活しています。

 邪鬼(じゃき)とは、 google AIより  

仏教の世界において登場する鬼、四天王の足もとで踏みつけられている姿で表されます。四天王は、東方をまもる持国天、南方を増長天、西方を広目天、北方を多聞天の4体の守護神、邪鬼は、人に厄災を振りまく存在として、仏法のもとに懲らしめられている様子を表しています。

 天邪鬼改め邪鬼天の誕生です。釈迦はインドの小国の皇太子として育ち、妻子にも恵まれた生活の中で人生に悩みました。不平等ではないか?死とは?苦しみのない人生とは?今日のように文明が発達しない当時の人々は天変地異は神の怒りであり、死後の世界を想像し信じました。釈迦は証明のしようのない話は無記とするしか無かったのですが、自らの教えで有る「自灯明、法灯明」によって死後はあるとした大乗仏教と変化しました。
 邪鬼天は知っています。死後は感じる事が無い世界であり、少しの間は髪は伸びますが神は生きていない世界であると。つまり、あの世を信じていません。信仰は自分に対してであり、自己を創り揚げた過去から現在の他者への信頼という信仰です。自由と愛の概念の源泉は「天上天下唯我独尊」と「As far as I am you are here,As far as you are,I am there」限りある命、有限の存在である私自身の命と、命の連続性に対する希望であり絶対の信仰です。
 四国八十八カ所で有名な弘法大師・空海にまつわる同行2人という言葉があります。四国一周するのでは一人で無く、大師と一緒に廻るという考えです。それは、「私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私も有る。」と同じです。クリスチャンで有ればキリストでいいわけです。自己を確立する上で信頼する特定の他者は必須です。一人では孤独であり、事に当たっては判断を迷い考える必要があります。先人と自己と同化することでアイデンティティを獲得し、迷うことなく自動的に判断できます。
 司馬遼太郎は「21世紀に生きる君たちへ」を小学生に向け、「たくましく、やさしさありて、たのもしい」と21世紀には彼は生きていない30年ほど前に残しました。たくましく無ければ生きていけない、やさしさだけでは自分を見失う、両方があってこそ自己を確立した頼りがいのある人になると
 
 今ではDNA解析も進み、生命は無の中から生じた奇跡の連続、雌雄の分離によって生命進化がさらに進み、人類は数万年の間に知能を飛躍的に進化させました。自由の概念は生存する一人一人の生命欲求であり、愛の概念は哺乳動物が授乳によって獲得したホルモンであるオキシトシンという愛情ホルモン・幸せホルモンによる欲求です。思春期になると性ホルモンによって体は一気に大人へと変貌して行きます。性衝動と人間関係の構築は一朝一夕で可能な問題ではありません。大きな壁があります。誰もが失敗を重ねて成長します。社会の習慣、形式が無ければ何らの表現や行為も存在しません。そして、個人の生存欲求と社会との均衡を保つため支配権力は神と性を活用してきた歴史があります。
 自由の概念は18世紀フランス革命で自由平等を理念として人権が確立されてきました。しかし、愛についてはフランス革命当時は友愛・博愛でした。「愛」は神の愛、家族愛、性愛、隣人愛などであり多様な意味があり統一されていません。それは私たちにとって社会生活が、人と人の関係や存在そのものが愛であるのに、神と人に愛を持ち込むからです。生存欲求として家族愛、性愛、隣人愛は人類共通であり汎用が可能です。
 なぜ私が神や仏を信仰しないか、それは偶像でありシンボルであるからです。釈迦やイエスは実在した人物です。後世の人々によって都合良く祭り上げられました。私が嫌悪する所は、社会人として生活するために個人の生存欲求と他者との調和を図る必要があります。自己の生存欲求を制御し合意すべき処を見出す社会性、幼児から成長するに従って試行錯誤の中で徐々に学んで獲得する必要があります。しかし、自己中の人は自己の生存欲求を最大にするために神や仏を利用します。成長するに従って学ぶべき社会性が無く、幼児のままに自己の生存欲求を満たします。我は神と共に有り、それが私の信仰であり、自由であると正当化します。狩猟社会での奪う愛のママであり、今日の人権や平等の概念を理解できず、平和の意義すら問はない指導者達が人権侵害の最たる生存与奪を行っています。

 12禁の理由、中学生になれば少しづつ自分の人生・世界を考える必要があります。難しい文章も少しずつ慣れる経験が必要です。12才の人には読むことはできても理解はほぼ不可能です。知らない言葉・概念が理解できません。高校になって少しは言葉の意味を理解しても実感・体感しなければ理解が進みません。しかし、18才になれば成人となり、16才には性交同意年齢になります。当時の私は自立心を欠いていました。逆に早く色気づいて自立させない、勉学に励みなさいという風潮が強くありました。現代でもそれは変わっていない人が多いかもしれません。しかし、依存から脱却し自立心を養うことは、独立した人格の形成に必須です。逆に他への依存がニートを生み自己中を産出させ、或いは脅迫自責からストレスと過労を重ねうつ病や病変を発症させてきました。米国のリンカーンは40才になれば自分の顔に責任を持てと言いました。人格形成に与える環境の恐ろしさです。
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