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近年は科学の進歩が累乗的に発展しています。天文学、生物学、生理学他
しかるに、世界観が旧態の宗教や思想、政治に変化が見られません
何故だと考えますか?哲学の低迷?
世界観とはWikipediaによれば、世界の意味を問うもので、たとえば「この世界は私にとってどんな意味があるのか」「この世界で私はどのような役割を果たしてゆくことが期待されているのか」「世界の中で人間はいかなる役割を果たせば意味があるのか」などの問いに答えようとするものである。したがって、世界観とは、世界に対する態度およびその表明であるとみなすこともでき、人生観や実際の生き方と結びついている。さらに「世界観」を背景にして、「理想」や「善」などの意志的側面、行動原則など実践の指針が与えられる。
逆転していませんか?私たちを取り巻く世界は昔より歴然と存在していました。宇宙であり、地球の自然の中で生きてきました。知能・知識が発展する中で人類の歴史や世界の様子が次第に明らかになってきています。世界のあり様から私たちがそれをどう考え、何を意図すべきか?が本来の世界観です。科学が未発達の段階では想像の産物の刷り込みを当然視した結果にすぎません。もとより、世界観と思考原理・偶像は仏教での而二不二であり並立しています。外界に対する理解と自己の価値観を矛盾なく統合しているにすぎません。仏教が日本に伝来した時代は最新の知識技術として日本を席巻しました。
国連のSDGsにみられるように、格差拡大と環境破壊による混乱、戦乱から持続性のある社会実現に必要な指針があります。グローバル化した世界を科学的知見にもとずいて有るべき姿に叶う世界観であるべきです。現代は一部の人間が富の独占を正当化するために差別意識を増長させ混乱に拍車をかけています。自由第一主義であり、法の範囲内で有れば自由に行動支配が可能であり、法自体も特権階級に操られている可能性が大です。
現代の欠点は公平と愛が欠落しています。政教分離?「自由と平等と友愛」はフランス革命を起源として19世紀末の第三共和政になってからフランスの公式標語になりました。元首相の鳩山由紀夫も家訓?祖父の一郎からの標語でしたが「自由と法」と対立の中で負けてしまいました。神と人との絆に愛が囚われ、人と人の絆こそが「愛」であることが阻害されています。
現代の東西対立、歴史的には18世紀後半からの産業革命によってもたらされた資本家の繁栄と労働者の悲惨さをマルクスは階級対立として権力闘争によるプロレタリア専制を目指し、ロシアを始め多くの国が生まれましたが、近世から近代社会へ移行する中で芽生えた民主主義・人権意識が乏しかった専制・封建国家での達成でした。また第二次世界大戦前に生じた日本での天皇を神とする絶対君主制やナチスによる一党独裁での専制政治が人権・平等・平和を蹂躙しました。現代の戦後日本は民主主義だと言われていますが、人権・平等・平和についてどれだけ民主主義教育がなされているか疑問に感じています。昭和の時代より、平成令和になって民主主義は明らかに後退しています。世界的潮流ですが戦前の体制をめざす右翼保守の台頭は異常です。個人の社会的、経済的な自立以前に、個人の主体性の確立がもっとも重要です。
主体性とは自我?アイディンティーの確認?
私たちは初等教育から中・高校と自然科学を学び世界の歴史や地理、宇宙に付いて過去数千年の昔と比べ、或いは両親や祖父母時代と比較しても日進月歩の知識を有しています。例えばキリスト教的世界観が今日の自然科学と矛盾している所があるならば改めるべきです。それは宗教者の怠慢、無能力と言えます。世界観が一人一人の人間の主観で有る考えであっても、個別の環境以外は共通の外界として一致可能です。自然科学・人文科学の知見を前提にして世界観を構築すべきです。
千年紀の思想・信仰の刷り込み再編で文明を再興、で記したように、私たちは幼少の頃より育った文明文化の刷り込みを受けています。それ無しには私たちは存在しません。反発すれば集団から疎外されます。私の場合は戦後の混乱期から日本国憲法下の教育の中で少しは批判的精神の自由がありました。自我の目覚めと伴に高校時代より自分と周りの世界について考えを廻らしたことがあります。和辻哲郎の偶像再興は難解です。自我の自立はなかなか困難でした。始めは荘子でした。中央公論、婦人公論が知的興味を引き付けられました。庄司薫の赤頭巾ちゃん気をつけてを雑誌で読んだのは高3でした。以降は自意識過剰と言われる伊藤整の鳴海仙吉に強烈に惹かれました。50年以上昔の話ですが、世界観は自我の確立と不二です。既存の世界観に盲目的に従えば思考や行動は簡単です。私たちが感覚・感情の原感覚から理性的と言われる判断・決定に既存の世界観・思想・宗教を援用すればいいだけです。判断に迷う必要はありません。人間の幼形成熟たる頭脳の柔軟性を失い、変化する外界の理解判断を旧来の思考回路から自動的に感覚で決定が可能です。硬化した頭脳では強欲な感情ママの自己中、トランプ化します。自由主義の専制です。自由オールマイティーの現代から蘇らせるには過去の専制主義ではダメです、差別を増長させるだけです。つい先年に亡くなった私の母は戦後も戦前の家長制度と反共主義に囚われていました。より一層の人権に対する理解、平等・平和への理解は民主主義の根幹であり、日本国憲法の精神です。近年のスポーツ以外での日本の劣化は自由主義の横暴に対しての嫌気やウツ状態による無力感、自信の喪失にあるのではと考えています。
どこまで人類は世界を知っている?
生命の起源を紐解くと有史以来様々な説がありました。しかし、今日では地球上に誕生したのは太陽系が誕生したのは46億年前とされ、生物の誕生は38億年前に単細胞生物、約20億年前には無酸素呼吸であった生物が酸素呼吸が可能となるミトコンドリアとの融合による高エネルギー獲得の好気性生物という真核生物の誕生でした。そして5~6億年前には無性生殖から有性生殖へと進化することで生物は大飛躍しました、私達ホモ・サピエンスは30万年に誕生し、7万年から5万年前に数度の出アフリカによって世界に拡散しました。そして現在に至る訳ですが、私たちの体を構成する物質は太陽系が誕生する46億年以前の宇宙の誕生した137億年前から、天の川銀河の誕生とされる130億年前から太陽系の誕生する間に水素原子から原子核の融合によってカルシウムや炭素、鉄などのあらゆる元素や化合物の誕生後に地球は誕生しています。
それらを神の業とするならばすればいいのであって、争う必要は有りません。これが人間を含めた地球上の存在する、世代交代によって生命を維持する生物・生命史の概略です。死後の世界?は飛躍も飛躍した不確実な話です。生存本能が備わった一つの生物として死は大恐怖ですが、世代交代によって生命は保たれます。不安定な所に数メートル登るだけで体感できますが、安全と対策による理性判断と覚悟を決めることで克服が可能です。
数千数万年にわたって文化を育んできた先人の偉業を忘れるべきではありません。しかし現代の宗教者本人が信じる信じないを問はず、教義・経典ではこうなっていますと他者に説教する不条理があります。宗教家が求められるから読経し祈祷する合理性は有りません、商売人の生業です。コロナを祈祷で治しますと言えば医師法違反?それしか寄るすべが無かった時代の技であり、KYをおもんばかる結果です。NHKが善男善女がご利益を求め参拝していますと放映する欺瞞。文化・宗教の遺産として評価すべきです。
ここに原始仏教を始めた釈迦は偉かった。自灯明(じとうみょう)、法灯明(ほうとうみょう)によって教義を固定せず、諸派に分離しても般若心経を現代に伝えています。法華経には嘘でもいいですよと言う方便品があります。末法思想に囚われた鎌倉末期の親鸞はあの世という極楽地獄を超越できませんでしたが、念ずることで救われるとして人間疎外であった仏教の戒律の打破に成功しました。明治期まで妻帯が許される唯一の教団として禁欲や衣食での禁忌破壊は8代目の蓮如に至り日本一のマンモス教団になりました。比叡山との対立の中で大谷廟が破却され、吉崎御坊、山科御坊を設立する中、彼は27人の子供をつくり、とりわけ80代で3人の子供をつくるという高齢化社会の現代でも突出しています。wikipedia参照
しかし、彼の「後生の一大事を心にかけて」は死後の世界のことでは無く、亡くなった人が生存中に苦しみ悩んだ事を後を生る現世の人が解決する、或いは自分が苦労した事を後世の人々が苦しまないように解決していくとの理解が現代訳です。
生命の存在の歴史と現在・未来にわたる世界は一人の人間とっては
私がある限り貴方はあり、貴方がある限り私はある
これが私たち生物のアイディンティーであり、生物世界の原理です。過去の偉人や祖父母、共同体だけでなく、現在及び未来に生きる人々に対する合理的な個人の存在証明です。これによって私は自己存在の正当性と他者との関わり、人を愛する正当性を主張することができるようになりました。自己の主体性を阻害する社会の様々な声の中で私が呼吸し眠り食事をし、異性との目合ひ(まぐわい)によって悠久の生命をつなぐ正当性の確立です。そしてチンパンジーよりもボノボが平和な社会構築に性を利用していることです。性が争いの原因としてメスが発情を隠し、疑似発情によって争いを回避しています。同様に現代の人間社会でも女性の性欲の認知が社会の安寧に貢献します。
私が主張する
あるべき世界の原理は 自由・愛・公平 です。
・自由
は酸素呼吸によって大量のエネルギーを得た好気性生物の本性に由来します。集団の結束の中で喜びを感じる事や、自己判断を他人任せにする従属性は自由とは反対の愛の項目です。自由は個人の意思です。
・愛
は共同社会で生きる有性生殖の人間の絆、本能です。家族や共同体、そして性は生物存続の強烈な欲求です。時として個人同士では問題発生の原因となりますが、社会性や公平性の中で相手の自由を尊重し愛を信じる必要があります。性は次世代誕生だけでは無くボディランゲージとして交歓する役割があります。
公平
は人間として互いの命の尊厳を認めあい、不平不満や不平等による争いを起こさない、自由は愛によってのみ克越し調和が可能であり、生命が躍動する極地です。差別、羨望、妬み、嫉妬は未成熟、弱さの表れです。
あるべき世界の原則は 人権・平等・平和です。日本国憲法では基本的人権として平等権、生存権があり原則を網羅していますが、しかし自由権もあり愛との兼ね合いの言及が不十分です。
文明を再興しなければならない。文明は進化しているでしょうか?科学技術は目覚ましい発展をしています。しかし世界の富が偏在し、飢餓と貧困、戦乱が多発する世界にあって、歴史は繰り返す愚は文明の後退です。自由主義が世界を席巻し軍事費が増大しています。共産党の一党独裁の中国ですら富裕層の拡大は驚かされます。民主主義が旧態の世界観である保守主義と自由主義が共依存することで歪められています。
続く