愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  愛 ・公平・自由
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

海で遊ぶ老人 イルカに乗る

2024年04月15日 | 老人と海
Old man playing in the sea riding dolphins 
2024-03-18随時更新

春だ! 陽春あふれる海で遊ぼう 
海に帰ろう 心の故郷へ 夢はいつでも実現する
失敗は諦めない限り 成功への一里塚 HAVE A DREAM !
潮の匂い 波の音 そよ風 陽に輝くさざ波 はるかな水平線
滑空するトビウオの群れ 追いかけるのはイルカ?シイラ?  
天空率99% 広がる視界 雑踏の狭い街から逃げよう   
海のことはイルカに学ぶ紡錘形・流線型・尾
エンジンやモーターはいらない 人力と風まかせ
今日はイカダでの釣り 明日は風を受けて帆走

 1、構想
釣り、セイリング、ドルフィン艪(ろ)で移動する帆つきイカダ(筏)
軽自動車で運搬する軽い船
分解可能なカタマラン船(双胴船)
夢は水上を疾走する空飛ぶジュウタン
水中翼、揚力が働く分だけ船足は速く
2024年パリ五輪 ウインドサーフィンはフォイル付 横転の可能性大

 小型船舶登録対象外の船、定員:大人4人
 船長3,7m最大、船体パーツ20k未満の簡易な組立て
 制作費 自作、ローコスト、第一目標10万円
 船形、ドルフィンろ、帆・支柱の設計
 材質・部材の検討、
船は転覆、沈没しない、帆は小さく、分解して海を汚さない船とする。風・波による危険を考慮し、安全を守る
 イルカの胸ビレに習って揚力を得る、水中翼で水上には出ない。飛行機の墜落のように翼による揚力変化の危険大、重心の検討。イルカがプールで眠るとき、泳がなければ底に沈む。
 釣りでのイカダ使用では波の影響を少なくするためには水中の浮体で浮力が十分であれば、上部は安定。しかし、搭乗人員によって重量変化あり、どう調整する?波高1mあれば対応不可? 
 海に乗り入れる車輪の検討
ヒント、経験をお教え下さい

・ウチワ(団扇)は空気(流体)を方向性をもって押し出せない。空気の流れの方向は団扇の裏側に流れ込む空気の負圧ベクトルが強さと方向を決める。ドルフィン櫓(ろ)も同様に漕げば推力は最大に、ストローク前半は推進方向に全力を働かせ、推進方向にくれば脱力して、ストローク後半は惰性、或いは水を切りながらストロークを稼ぐ漕ぎ方がベスト
・イカダとして船の高さは1mは欲しい、上下分離のカタマラン船、上部2,4m×2,1m
浮力は400L+αの密閉構造、片側200L+α アルミダクトに発泡スチロール、スチレン充填で強度は?プラスチック板からホットガンで曲げ加工?塩ビvu管では重量オーバー。 
・上下部のカタマラン連結方法の検討、堅牢にすれば重たくなる、どこまでタワミを許せるか?初めから撓ませる?
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天邪鬼の悪言5、不同意性交罪の成立は宗教から人間性回復へのエポック

2024年03月28日 | 天の邪鬼の悪言
 
 ジェンダー平等は性の解放です。人間性回復のエポックとして不同意性交罪が成立しました。そして人と人の関係を第一にしない宗教の崩壊の始まりです。戦争や飢餓に苦しむ、差別意識を未だに温存する現代社会の根源は、宗教が神仏を第一とし、人間関係での最重要な性を支配し、政治や支配層が利用してきました、その崩壊の始まりです。
 天の邪鬼の悪言1、母への弔いは供養では無いより、私は母を弔う、原始仏教の釈迦が死者を悼むことは有っても、供養とは無縁であったことと同じです。彼は死後を無記としました。釈迦の死後、500年の間に大乗仏教が興隆し、仏陀として仏にされたのが今の日本です。釈迦との違いとは私は死後の世界は無いと断言します。人間釈迦の再生です。宗教色の欠落した釈迦の修養術であるマインドフルネスが脚光を浴びていますが、思想哲学での復活です。
 人間の生命は雌雄繁殖による新たなゲノムの合体、限りある命を世代交代によって永遠に生き続ける宿命です、文明文化を育み、未来に向かって創り続ける存在です。生きる中で生じた心、思いも同様に次世代に伝わります。現代の科学、人間科学、生命学から簡単に導かれます。私の信仰は神仏に対してではありません。人類の歴史と未来、人に対する信仰。過去から現在、今から未来へと続く生命の絆、アイデンティティの信仰です。
   ”私が在る限り貴方はあり、貴方が在る限り私はある。”
 人間の歴史は知能を発達させ、今も加速度的に進展しています。しかし、科学知識に反して思想文化・宗教の発展は過去の因習に囚われ遅れています。私たちが目指すべきは人類が創り上げてきた概念である、”自由・愛・公平”が人間の絶対原理であり、権利としての”人権・平等・平和”の確立です。
 文明のあけぼの・無知な時代に誕生した神仏サタン地獄を人間とは別個に虚構の世界を構築してきました。それは人間を第一にしない弊害です。神と人間の問題として一人一人の人間の尊厳の無視です。我が神、我が宗旨を信じるか信じないことで人間同士を分断することです。さらに宗旨の理解度?経験年数によって内部で序列社会を作ります。選民思想が強いほど内部結束・支配が強く他者との協調性を失う弊害、差別意識が顕著になります。教義に反するとして生命科学や人間科学を拒否します。そして、人と人が愛し合うことを管理し、家庭と子供を管理しようとします。社会問題となっている世界平和統一家庭連合やエホバの証人を見れば明らかです。少なくとも世界標準の宗教は人間を大切にし、自由・愛・公平を否定しません。
 母の弔いは、母の生きた人生を苦しめたコトを改めること、息子命として人生を生きた母に対する信義であり、私の人生に与えられた使命です。社会の発展は世代交代での因習脱却、チェンジの可能性が最もあります。母を苦しめた戦争や女性差別は古い思想・宗教や差別思想との対峙です。封建社会には封建社会を是とする思想があり、民主主義には民主主義の思想があります。今も戦争や飢餓に苦しみ、差別を憎む心情は国連や民主主義の日本国憲法を持ちながら相反する現実があります。原因を突き詰めると根本には宗教や思想が人間を第一にしないことにあります。世界の人々を分断し、人を支配、隷属させて得を得る現実があるからです。神と悪魔、天国・極楽と地獄、サタンや地獄を強調する宗教ほどカルト性が強く、人を隷属させ、人を差別する宗教です。つまり、平和や幸福を掲げながら逆行するエセ団体です。
 人権擁護の最大は平和であり、もう1つは令和の現代にも保守層に根強く残る女性差別・蔑視の偏見思想である五障三従から派生する差別思想を解消することです。五障は大乗仏教より三従は儒教から女性は男性に従うべきとする婦徳の教えです。戦前の封建社会での家制度では性・Hは子作りで家の継続のためのモノでした。女性は男性に従う体制、実は男女の共依存関係でしかありません。男性も家制度の中で体制、序列の中で支配されていました。その中で家長は威張り、下僕が従う差別社会の一員でした。個人の尊厳、自由とは無関係の社会です。
 現代の神仏を信仰を守る人との対決です。もとより臆病な私です、自暴自棄な人は始末に負えません。しかし、強がっている人は弱さを隠すためであり、虚勢を張る効果を知っているからです。年の功、栄誉や財を望まなければ怖いものなしです、無学な私が強者になる条件は十分に備わっています。
カトリックの神父や荒行で有名な比叡山の天台宗で性加害が事件になっています。性に飢え葛藤する男性がそれを克己する超人、宗主の代理人としての信奉を得る条件としての禁欲を蹂躙する大事件です。現代に伝わる宗教の男性上位女性蔑視の象徴ですが、日本仏教では親鸞が女犯に悩み渇望した性、宗旨としてあるがままの人間で良いとして創った浄土真宗以外は明治政府が妻帯を許可するまで御法度でした。江戸時代までは僧侶の生死を賭けたHでした、一方で親鸞から8代目の室町時代後期の蓮如は真宗をマンモス教団に作り上げた彼は5人の妻と間に27人の子を設け、80代に3人の子に恵まれました。歴史的に一夫一妻は家制度を守る秩序と合わせ、多くの男女に日常的に性の充足を満たす制度でした。彼の”後生の一大事”の現代訳は歎異抄より ”後に残された人間の一大事” です。あの世の一大事は方便です。
 ジェンダー平等のもとに強制性交罪が不同意性交罪に拡大され、夫婦であっても同意のないHは犯罪になりました。男性にとっても性解放の画期的な刑法です。家と家の結びつける封建社会での結婚制度の完全崩壊であり、結婚する前には長い将来に向けて、互いの相性を確認する必要があります。結婚によってのみHが許される時代からHを義務づけない時代になりました。Hがないことが離婚理由にならないし、不貞だけが離婚の理由にならなくなります。戦前の不貞は家の問題として、姦淫罪は妻側の刑罰で夫には不貞はありませんでした。戦後の性の解放は徐々に進んだとは言え、思春期の青年に対する性教育は遅れています。性は子作りのためであり、楽しむモノではないとする頑強な保守層が反対しています。保守と自由は相反するにも拘わらず結合する二重構造が日本を従えています。個人主義と商業主義が結びつき、男女の分離による晩婚化と生涯おひとり様の結果で少子化が進んでいます。ジェンダー平等の精神は男女の性欲を平等に認めることであり、恋愛の自由、Hの自由です。
 中学の頃より学年ごとにクラス替えがあり好きな女性ができては振られていた私ですが、原因をやっと理解しました。女性と関係を持つことに責任を負わなかったことです。自立しない男、全てに責任を負う決意のない男がモテるはずがありません。男女が対等ではない社会では男が責任を負うのが普通であり、それに女性は乗るか乗らないかでした。今ではデートでの食事代折半が若者の間では主流であり、互いの性欲を認めるのがトレンドですが、今でも自分のモノ?になってくれの意思表明が女性の心をくすぐります。50年以上前、私の思春期の頃は精神的な自立を拒む意識が充満していました。自立するためには働くことが必須でした。運動中は水を飲んではいけない。運動クラブでの学年序列は厳格で一日で辞めましたが、高校時代は睡眠は4、5時間で十分の因習、今では十分な睡眠と食事、適切な運動が知能の発達には重要である知見が普及しました。しかし、自立心の養成は相変わらず遅れ、おひとり様状態の性が少子化を進めています。ニートは増え高齢化が進む社会の大問題になります。体は大人になっても精神的な大人への教育の欠如、私の時代はフォークダンスが中学、高校とあり、異性との接触の導入がありましたが今や個人ダンスに変わっています。
 私には多くの女性を愛し離別の中で自覚した、揺るぎない信頼と信念があります。”私が在る限り貴方はあり、貴方が在る限り私はある。”愛する女性への絶対なる愛です。 あなたが他の人と結ばれても、あなたが私に無関心であっても、私があなたを思う気持ちに変化はありません。私一人のあなたではありません。あなたは一人の人間として尊厳を持つすばらしい人であるべきです。性の渇望は女性を愛することです。あなたの笑顔と声、輝く瞳こそが最上の喜びです。あなたの賞賛が私の原動力です。
 性がすべであるとは思いませんが、人間が永遠の命を保つ最大の要件であり、最大の関心事です。人の尊厳、一人一人の性を尊重しない宗旨は差別の権化であり、教育は人の尊厳と自立を涵養し、ボディーランゲージとしての性を教えるべきです。
 松本人志の民事裁判でも明らかなように、保守主義と自由主義のいびつな関係があります。困った問題と思う保守主義者はそんな場所に女性が出かけることが問題とします。人権を問題としない連帯共闘です。少なくとも40才を過ぎるまで結婚しないから思春期から25年以上も独り身ゆえ困った性習慣になったと苦言するべきです。そして、モラルや人間性、生命を大切にする教育、禁欲や我慢の大切さを教えるとして、女性の人権を貶め、現在の性教育を貶めています。
 男女同権、ジェンダー平等が世界標準である今日、内閣府男女共同参画局がまとめたSDGsの取り組みは世界で広がる貧困・格差・地球環境の危機を克服し「持続可能な社会・経済・環境」を目指す、世界共通の目標として、ジェンダー平等、日本は66点で、世界156か国中、120位になっています。貧困飢餓戦争の克服を含め、優越感と差別の表裏となって手を変え品を変え日本だけでなく世界中に被害を与えています。維新の議員は私に公言しました。差別は昔から有ったし、これからも無くなることはない。?・・・これが 大阪・関西万博はSDGsを2030年までに達成するためのプラットフォームになり、SDGsの先の輝く未来を推進する維新の本音です。ここでも保守主義と自由主義の連携が垣間見えます。自由と発展を訴える保守のミソクソです。
 平和とは逆の戦争・戦乱は人権への最たる国家犯罪・社会犯罪です。人権・平等・平和が実現しない現実。パレスチナ・ガザ地区の爆撃と食料難、ウクライナ、ミャンマー他、戦乱と飢餓は絶えることがありません。まさに建前と本音、差別と優越感が支配する世界です。文明・心の良心として尊敬される宗教家が人権問題に対峙せず祈り・祈祷で解決させる?ボンクラ、クソ食らえ坊主の批判を受け入れるべきです。門下の一人一人に訴えることもできない夢遊病患者と同じです。宗旨では祈り・祈祷は霊験あらたかとボケる時代でもありません。
 母と同じ年の詩人、茨木のり子さんの詩があります。
  わたしが一番きれいだったとき 街々はがらがら崩れていって とんでもないところから 青空なんかが見えたりした わたしが一番きれいだったとき まわりの人達がたくさん死んだ 工場で 海で 名もない島で わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまったわたしが一番きれいだったとき だれもやさしい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて きれいな眼差しだけを残し皆発っていった ;続く、 http://www.paw.hi-ho.ne.jp/n3tomoko/pooh/txt-wata.html を参照して下さい
母は戦時空襲で浪速の街が空爆されたとき、メトロ地下鉄なんば駅構内・防空壕に逃げ込み難を逃れました。また疎開すべく近鉄上六の駅で長く待機していた家財は焼失。都会生活者の戦中戦後の配給・食料難は相当過酷であり、中国に出征し戦後結婚した父の方がましだったとのことです。日本軍の戦地死者の6割が栄養失調からの病死、飢餓だった現実。餓島と呼ばれる南方に派遣された方々には無念しかありません。

天台宗の尼僧の叡敦さんは14年に渡る性加害を受けたとして天台宗務庁に大僧正である阿闍梨と僧侶の僧籍剥奪を求めています。一隅を照らす天台宗、開祖最澄の純心を思うならば早急な聴聞を行い、比叡山天台宗の座主の声明を出すべきです。叡敦さんが請求してから2月以上たっています。大阪・関西万博はSDGsの先の輝く未来です。世界が注目しています。
 悪論と片付けてしまって結構です、しかし平和や差別を無くし、自由と愛に生きると思うなら、少しは心を開いて下さい。あなたは生物の宿命として前世代からの悪習をすり込まれただけですから、すべてが悪いわけではありません。しかし裸の王様状態の中で、自己中と優越感を増幅させていると思い知るべきです。

 貧富格差の拡大は差別の拡大です。昭和の時代にはブランド税ぜいたく税としての物品税がありました。消費税の導入で廃止されましたが、高いほど価値があるブランドにお金持ちのステータスは満足します。ブランド税を復活させるべきです。納税が多い富裕者ほどふるさと納税の恩恵が大きくなる必要はありません。
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天邪鬼の悪言4、宝塚歌劇団パワハラを認め全面降伏で和解

2024年03月28日 | 天の邪鬼の悪言
宝塚歌劇団はパワハラを認め全面降伏。村上浩爾理事長の会見での表情が見られませんでした。当時は専務理事として歌劇団の実務責任者でした。パワハラの証拠を出せと啖呵を切った氏の表情がないのは残念です。
 阪急阪神ホールディングス株式会社は歌劇団の組織としての責任を認めましたが、悪癖を残した大きな要因の一つに親会社に歌劇団出身者がポスト役員に就任すべであることに言及していません。まだまだ前途多難です。

備考録 死亡した劇団員の妹が心境をつづった「訴え」。水が溢れ読めなかったので記録として残します NHKニュースより https://www3.nhk.or.jp/news/html/20240328/k10014403941000.html

私は遺族として、大切な姉の為、今、宝塚歌劇団に在団している者として想いを述べます。いくら指導という言葉に置き換えようとしても、置き換えられない行為。それがパワハラです。劇団員は宝塚歌劇団が作成した【パワーハラスメントは一切行わない】という誓約書にサインしています。それにもかかわらず、宝塚歌劇団は、日常的にパワハラをしている人が当たり前にいる世界です。その世界に今まで在籍してきた私から見ても、姉が受けたパワハラの内容は、そんなレベルとは比べものにならない悪質で強烈に酷い行為です。厚生労働省のパワハラの定義を見れば、姉が受けた行為は、パワハラ以外の何ものでもありません。宝塚は治外法権の場所ではありません。宝塚だから許されることなど一つもないのです。劇団は今に至ってもなお、パワハラをおこなった者の言い分のみを聞き、第三者の証言を無視しているのは納得がいきません。劇団は、生徒を守ることを大義名分のようにして、パワハラを行った者を擁護していますが、それならば、目撃したパワハラを証言してくれた方々も、姉も同じ生徒ではないのですか。そもそも【生徒】という言葉で曖昧にしていますが、パワハラを行った者は、れっきとした社会人であり、宝塚歌劇団は一つの企業です。企業として、公平な立場で事実に向き合うべきです。スケジュール改革や、各種改善策に取り組んでいるような発表をしていますが、姉の死を軽視し、問題を曖昧化しているとしか思えません。これ以上姉と私たち遺族を苦しめないでください。姉は体調を崩している訳でも、入院している訳でもありません。二度と帰ってきません。姉の命の重さを何だと思っているのでしょうか。劇団は、「誠意を持って」「真摯に」という言葉を繰り返して、世間にアピールしていますが、実際には、現在も遺族に誠意を持って対応しているとは思えません。これ以上無駄に時間を引きのばさないでください。大切な姉の命に向き合ってください。
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天の邪鬼の悪言1、母への弔いは供養では無い 

2024年03月08日 | 天の邪鬼の悪言
 12支の兎が6週目をチャレンジする年齢になりました。母を亡くしてまもなく1年を迎えます。逆縁にならないことが最大の親孝行であった天の邪鬼です。弱って来た母に僕が先に逝くことは無いよと言った時の嬉しそうな笑顔が目に焼き付いています。弔いの中で忘却の彼方にあった記憶が徐々に蘇りました。想えば息子命の母であったとつくづく感じます。親不幸は多々有りますが、一番は幼稚園の時、運動会で母と遊戯する案内状を隠したことです。仕事で忙しくする母を思っての反抗ですが、孫を持つ年の今では痛恨の痛みです。屈折した子供でした。こって牛、宇宙人です。
 言葉にはウソがあります。ウソの上にウソで塗り固め、反論を許さないのが現実の世界、質問を拒絶する大人の事情が幅を利かせます。桃の花が咲かない桃の節句、梅雨の真っ只中の七夕にお願いを。美しき虚構の世界です。虚構で固めた文化を押し付ける学校の先生と親への反抗。言葉の裏にある利害・感情に敏感に反応します。つい最近も元学校の先生だった知人に天の邪鬼やなと言われ自覚しました。当たり前の事を言います。水は川上から川下へ流れる自然の摂理があります。反論を許さない自明の論理に執着しました。そして、言葉の持つ意味よりも、それを発する人の人間性の観察に重きがありました。
 思考の固まってしまった人は屁理屈と断じます。私は人が理解できなくても争いません、押し付けもしません。私は自由人です、まだまだ柔軟な思考があります。一般には言葉は大切です。子供の頃から刷り込まれ、固着した考えは変えることは困難です。しかし、未来の子供達には自明のコトを解りやすく伝えることが使命であると自覚するに至りました。理解され無くても自明の論理を創る臆病さと忍耐力が私を大きく育てました。
 母への弔いは、母が苦労した時代をより良くすることです。
 人が死ねばどうなる?生命活動の終り、活動と思考の終了です。花が枯れ鳥が死ぬ。子供でも理解できます。生命は?次世代を残すことで存続します。鮭が生まれた川に戻り次世代を残し命が絶える。命の再生、生命の伝承です。死の恐怖からあの世を作り、集団の維持のために利用してきた人間の虚構があります。生命の誕生から現在の歴史・科学の発展がハッキリさせています。何度でも言いますが、釈迦が争はなかったように来世を信じている人、魂の不滅を信じる人とは争いません。よって悪言で十分です。
 人の死は厳粛な生の終焉です。愛する人との離別は悲しいものです。他人が立ち入り難いプライベートな問題です。しかし、知性を育み、文化を作り上げてきた人類にとっては特別な意味合いがあります。人の死は生への賛歌であるべきです。人は過酷な生存の生活実体の中で命を繋ぎ育んでいます。それは命の性(サガ)、生物の必然の実相です。残酷さを美しき虚構がカモフラージュしています。無償の愛と言う人もいれば、親に孝行、親が好き勝手に産んだと言う人もいます。それも文化の継承の中で引き継いで来たコトです。失敗の親ガチャ子ガチャと言う方がムチャです。千年先の夢を語ることと同じです。
 弔いはどうあるべきか?親子にとっては遺伝子ゲノムを受け継ぐだけで無く、母の心や想いは私の人格の一部として生き続けていると自信があります。それは母を育てた祖父母や父の人格の一部でもあります。生命の誕生から太古より続いてきた生命の営み、文化の継承と刷新です。一人の生命の死は厳粛な大事件エポックです。愛する人との別離と悲しみ。弔いは共に生きた過去に思いを馳せ、未来に向かってより良く生きる力、知恵を得る作業が努めです。命の再生、それは愛する人の生き様を受け止め、自身との一体化の作業です。それは人を強くし、優しさを生みだす源泉です。愛する人との別離・人の死は日々の生活で生じる自己中心、利己心から普遍的な愛にめざめ変換させるチャンスです。賢者は仏心、神の心を育むのが宗教の使命と言いました。難行苦行ではありません、一人の生命の死は今を未来を創るという生きる者の務めであり、それが弔いであるべきです。
 しかし、仏教が死という生命の一大事で人が涵養すべき「愛と公平」感を”供養・感謝”の言葉に矮小化し、前世代が伝承してきた差別意識の継承に迎合してきたのも事実です。人を許すことができ無いのは心貧しき弱者であると言います。宗教心が命に対する畏怖・敬意では無く、人の弱さを覆い隠す優越感の温存に”供養・感謝”という言葉で置き換えています。優越感と差別意識は表裏一体・同じことです。現代社会では差別意識を持つ人の「自由」が「愛と公平」を蹂躙しています。それは釈迦の本意ではありません。
 いわんや供養という言葉で親や先祖があの世で迷っているという祟り(タタリ)、招福という弱者につけ込むのは歴史的な悪徳の業です。断言します。子を想い育んできた親や先祖が死後に子孫や世の人々を祟ることは断じてありません。
 「念ずれば花ひらく」で有名な仏教詩人の坂村真民は
「わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる・・・」
「花は散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた喜びだけが残るのだ」
と残しました。死に逝く者は死を覚悟するだけです。弔うとは亡くなった人では無く「後生の一大事」として、後を生きる者が死者の生き様をどう受け止めて未来に生かすかにかかっています。
 日本の大衆仏教を育てた延暦寺の中心経典の一つ、法華経(釈迦の死後およそ五百年後あたりに成立?)の方便品(日蓮は寿量品との2つで十分としました)ではウソも方便として釈迦が死後は無記とした教え、の改変を正当化しました。それは自灯明・法灯明を説いた釈迦の教えにも起因しますが、現代の進んだ知見からは乖離しています。
 私は未来の子供達に伝えると発憤しました。次世代に残すべき遺産は金銭や栄誉ではありません、豊かな文化遺産・人間が育て育んだ心です。「自由・愛・公平」(釈迦の考え現代訳)です。今、貧富の格差が増大しています。戦後の昭和人間にとって、それは差別意識が拡大した結果です。儲ける才が有るか無いか?個人の責任とする利己的な”自由”が大阪や日本を席巻しています。「差別は過去にも有ったし、これからも無くなることは無い」と格差拡大を是とし、競争に勝ち抜くか敗れるかは個人の問題としています。今や株価高騰を謳歌する一方で食費の高騰、質の低下に苦しむ庶民がいます。個人や社会の自由・自由主義の下に愛・公平を置ています。
 宗教者の総意は公平を基に自由と愛を両立させていく。と考えますが、葬式仏教に甘んじますか?祈り・祈祷に現実を超越する力が有るならば戦争で亡くなる人はいません。動かせるは人の心・感情だけです。
 愛する子供を亡くした多くの親が、その原因の改善のため必死に活動します。それが悲劇の世界から、より良い世界に変える大きな力になります。弔いとはそうであるべきです。弔い合戦は戦いの再生産です。死者も生きる人間としてこの世に存在します。愛・公平を旨として将来を創る必要があります。
 宗教が宗教であるゆえんは来世や輪廻、天国を信じることではありません。仏陀は仏様に祭り上げられていますが、死後の世界を無記とした釈迦は一人の人間です。過去から現在まで現実を生きてきた賢者が人の迷い・苦しみから逃れ、自由と愛に生きる、そのためには公平が大切である教えです。
 拡大を図るエセ宗教は信者を支配し、心の隷属による自己肯定感・幸福感を与える一方で、他者に対する優越感と差別意識によって人間関係を破壊します。先祖供養は世迷い事、生きている人間が第一です。多額の金銭を要求する宗教行為はサギ行為です。 #世界平和統一家庭連合 #エホバの証人
 この世をよくしましょう。幸せが人間関係なら、あの世を大切にし、先祖供養することは過去の古い体制を維持する保守、差別・支配の過去を補完する行為です。生きている間に苦しんだ先祖の弔いは現世をよくすることです。
追記:
 実家を処分するために仏壇を移動するとき、長年お世話になっていた坊さんとお性根抜きで揉めました。曰く、教義では位牌には魂が宿っているため?移動させるとお盆に帰ってくる先に迷ってしまう、魂を一旦抜き、移動先でお性根入れする必要があります。と
 母は自分の中に在ると確信している私にとってはサギ商法そのものです。お経でモノに魂が宿るならば移動でも位牌に魂が宿るお経を唱えるべきです。身に付けるお守りは?尊敬に値しない人に母の死をいたぶって欲しくないのがケチの本心です。
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天の邪鬼の悪言3 愛と性 松本人志の罪と罰

2024年02月29日 | 天の邪鬼の悪言
 ミスター松本の性加害が大きな問題になっています。性の問題は人権、平等の基本的な問題だけでなく、人間の根源的な自由・愛・公平にかかわる重要な問題です。
 もとより、性は有性生殖によって命を次世代につなぎ、変化に対応し、生物の進化を担ってきました。1人の個人にとって”生きる”最重要な欲求であり、社会生活の中で絆を持ち、充足すべき課題です。又、人間は単に生殖の行為だけでなく、男女の交友を深める行為となっています。又、人間が歴史的に高めてきた愛の認識を深める力になります。
 性が男女を断絶させ、争いの原因となる社会は間違っています。

 ヒトが「ボノボ」から学ぶこと〜コンゴ川を渡った平和主義者たち〜 抜粋
https://www.mizu.gr.jp/fudoki/people/058_furuich.htm
  人間に最も近いチンパンジーとボノボがコンゴ川の大河の両岸で異なった文化を育んでいます。チンパンジーはボス社会、メスを巡って争いますが、ボノボの特徴は「平和的」でメスオスが対等で、メスが小さな集団を作ります。両者の違いはメスの発情期に違いがあります。チンパンジーもボノボもメスは子供を産むと3~4年発情しません。しかし、ボノボは「ニセ発情」として出産の約1年後に発情を可能にすることです。そして、メスが妊娠可能でない時期にも性行動を受けいれ、ハグやキスと同様にHのまねごとも日常的なボディタッチの手段としています。そして子づくりのための性交渉だけでなくメスがオスをコントロールるする社会となり、集団内のオスとメスの比率や力のバランスを整え平和な集団社会を作っています。
 ボノボ - 人間のもう一人の隣人 参照
 
 ボノボはエライ。人間の社会では一夫一妻が普通ですが、父系母系や一夫多妻等の多様な社会があります。性の欲求は人間存続の根幹です。男女平等のトレンドは個を尊重することであり、ジェンダーレスであり、男女同等に性欲は有ることを認めることです。過去には文明が発達するにつれ永らく男性優位の社会文化が作られました。宗教の世界でも男女差別が普通でした。男が苦しむのは女性の存在であるとし、禁欲が男社会のステータスとされました。
 仏教では女犯(にょぼん)とする具足戒がありますが、大衆仏教の源流、天台宗の最澄は律(具足戒)は上座仏教の戒律として総てを廃止し、大乗仏教の戒めである菩薩戒のみにしました。室町時代の一休宗純は女性と同棲し、親鸞は無戒として肉食妻帯でした、浄土真宗をマンモス教団に変貌させた戦国時代の蓮如は生涯に5人の妻を娶り、27人子供をもうけ、80才代に3人の子供に恵まれました。4人の妻とno
死別は妊娠出産が当時いかに大変だったかの証です、日本の宗教家のレーコードです。日蓮は末法無戒としましたが、妻子はいません。江戸時代には浄土真宗以外の寺持ちの僧は女犯で罰せられることがありました。他では嵯峨天皇が49人の子供。将軍では江戸11代の徳川家斉が15才で将軍になり17歳から55歳までの38年の間に53人の子供、そして子供の数では明治から昭和を生きたハチャメチャな西部グループの堤康次郎は嫡子が13人、未嫡子を含むと100人を下らないと言われています。
 戦前の日本帝国時代には昭和戦争の中で出生率低下に対して家族計画運動「産めよ増やせよ国のため」があります。カトリック信者であり3人の子供を育てた自民党の山谷えり子氏は青年への性教育に反対しています。モラルや人間性、生命を大切にする教育、禁欲や我慢の大切さを教えるべきとして、妊娠・出産・避妊などは即物的な性教育だとして反対し家族教育の大切さを訴えています。彼女にとっては松本人志は堕落した人間としか考えられないでしょう。原罪としての性は恥じて秘すべきことであり、不純な青年男女の交際は戒める。結婚もせず禁欲を守る神父はエライと考えています。しかし、東方正教会やプロテスタントでは妻帯を認めています。
 貧富の拡大は差別の拡大と考え、社会全体の分配の問題とする私ですが、彼女は性問題で示したと同式に、貧富の拡大は貧者の怠慢と考えていると思います。宗教本来の人を大切にする主旨を曲げ、人間を主人公にしません、信仰のピラミッド組織の構造の中で優越感・差別意識を持つことが自身の高揚感になっているのではと考えます。現代社会の差別を増大させる支配構造の弊害・元凶の一つに信仰がなっています。それはチンパンジー社会の中でボスにすりより地位を確保するメスと同じです。
 ボノボはチンパンジーよりも直立歩行姿勢が高く、350万年前の初期人類の化石ルーシーに近く知能能力が最も高い類人猿です。知恵を見習う?
 ボノボ、カンジ君その驚くべき能力~full ver.part1 ph4320

 松本人志の結婚は45才の時です。男性の身体の性能力のピークは20歳前後といわれています。思春期の中学生時代からは30年の長きにわたり独身です。45才から80才までとしても残り35年です。抑圧が長ければ長いほど欲求はいびつに変形する可能性が高くなります。早くから人気の出たダウンタウンですが、日常的な性行為の確保は結婚・同棲に限ります。文春記事では常にウブで若い新しい対象を求めるHは至難のワザです。それを子飼いのメンバーに押し付ける権力意識で行う罪があります。そして性的関係をSタイプMタイプに短絡し、プレジャーとしてHを楽しむことです。ボノボと同じくHは人間関係を深め、互いをより深く知るコミュニケーションです。FREE-SEXはフランスのサルトル・ボーヴォアール夫妻の自由恋愛OKの契約結婚にあります。ゆきずりのHは互いに求める者同士でしか成立しません。初回だけでは愛を深めることは不可能です。愛が深まれば相手の喜びが自分の喜びとすることができます。しかし、自己愛の延長でしか人を愛せない自己中は愛する人が他者と交わることが許せません。愛は奥深いものです、人間関係にあります。Hも思春期の手習いから経験を重ね、お互いに交流して学ばなければ成長は難しく、その奥深さを理解できません。愛は体験を通じて学ぶ感情です。ほとんどの日本人が性文化のトラウマによって偏見を持っています。残念ながら人が言葉を使って言葉を使いますが、単なる言葉であって本心の感情を必ずしも表わしていません。人たらしと同じですが役者のように感情移入が重要です、信用するしない、人間関係はほんとに難しい。
 コマッタ人生観は彼だけで無く、山谷えり子氏にも言えます。思春期のめざめから性を抑圧さられ続けてきた若者や大人にとって、性に対する違和感、恐れ、差別意識などを抱くトラウマがあります。彼にも歪なところが多分にあるでしょう。多くの日本人は私も含め性の喜びを十分に知りません。最高を教えられていない自己流だからです。商業主義が性を儲けのネタで変形させています。彼女が知っていれば性教育にも柔軟であるし、彼は女性を大事に扱ったでしょう。私の中学時代に初めは無理矢理させられた、手をつなぎ肩を抱くフォークダンスがありました。異性との違和感をなくし、交流するボディタッチのきっかけです。残念ながら現在ではダンスに変わっています。思春期以降に異性と手を握り合ったことが無い人が五万といます。満員電車で両手を挙げて乗る男性がいます、腰を女性に押し付け痴漢に間違われることを恐れ、満員電車に乗れなくなったトラウマを抱く若者ですが、女性にも多数いるのが現実ではないでしょうか?心の潔癖症?トランスジェンダーを認めると女湯に男性が入ってくると甲高く叫ぶ人がいます。男女混浴だった江戸しぐさの寛容さを忘れてしまっています。社会には秩序を保つ・プライベートでは許されても、公では許されない力が働きます。ただそれを勘違いし言い訳にすれば犯罪です。
 松ちゃんは名誉棄損の民事裁判で文春側に精神的苦痛の慰謝料5億を請求しました。女性2人に2億円払ってでも出廷証言を拒否してもらえば勝てるという今田耕司の成功体験があります。ゲスのかんぐりですが、金額が大きいだけに想像が膨らみます。名誉棄損の民事裁判では罰はお金と社会評判です。女性が裁判に出廷しなければ松本氏の名誉はさらに落ち、慰謝料が5億円の認定も定かではありません。
 維新が席巻する大阪、文化の劣化を痛切に感じる今日、お笑いの吉本で起こった事件ですが、下の者と食事すれば、おごる決まりがあります。徒弟・兄弟のちぎり、ガバナンスは強調してもコンプライアンスは無用、上意下達の縦社会です。吉本興業は万博によしもと笑い未来館を出展し「いのち輝く未来」のため、笑いの新しい可能性を拡げていく企画を毎日するようです。しかし、吉本新喜劇の笑いとは異質と感じますが?
 人生の成功が経済的な富が第一である現在の風潮・劣化を憂います。バレなければいいとする倫理観、コンプライアンスの欠如です。ビッグモーター、ダイハツ工業や豊田織機の型式指定の不正や自民派閥パーティー問題があります。お金お金、儲け第一の考えが誤りです。金の亡者や守銭奴ケチと呼ばれる人々です。そこには人権や平等という概念が欠落した差別主義の塊が有り、自己中が蔓延しています。その一方で不安やトラウマ、或いは差別意識によって人格形成が不十分な社会人があふれています。不適切にもほどがあると言われる昭和に植木等の歌に無責任一代男がありました。本音で時代の風刺ユーモアですが、今や無責任と無気力、差別意識が日本中に蔓延し社会を包囲しています。アメリカのトヨタでは時間給が5千円、連合の芳野会長は春闘で5%の賃上げ、経済界におんぶにだっこの大手企業御用の連合状態。企業の経営に配慮して闘わない労働組合・政党の無責任。無責任一代男作詞 青島幸夫
 ♫人生で大事な事は タイミングにC調に無責任 とかくこの世は無責任 こつこつやる奴はごくろうさん 「ハイごくろうさん」
 時代のバイアスとも言えますが、銭や栄誉を得て後世に名を残すことが人生の成功ではありません。よりよい社会・文化を遺産として子孫に残すことが人生の成功です。性の問題も同様に人を愛することに変換することで、よりよい社会になります。

参考資料ウィキペディアWikiより引用 ~断罪された横山ノック~
 横山ノック(山田 勇)強制わいせつ事件を思いだします。昨年春に吉村洋文が大阪府知事選で歴代1位の最高得票で当選しました。それまで一位だったのは漫画トリオのリーダーとして活躍し、昭和58年より2期、参議院議員を勤め、2期目の平成11年の知事選挙の期間中、自身の運動員だった女子学生に行った強制わいせつ事件です。被害者は刑事告訴、及び強制わいせつとセクハラ行為で民事訴訟を起こしました。それに対してノックは「事実無根」と完全否定し、女子大学生を虚偽告訴容疑で逆告訴。民事裁判はその年の12月に大阪地裁で、「原告が、風邪で高熱もあり容易に抵抗できなかった状況下で、被告により自己の腹部から足下を覆うように体に毛布を掛けられた上、約30分間にわたり、被告の右手をズボンや下着の中に差し入れられたり、指で陰部を直接弄ばれたというものであり、右行為態様は執拗かつ悪質である。また、わいせつ行為に及ぶ経過をみると、被告はわざわざ毛布1枚を持って車両を乗り換えるなどわいせつ行為の計画性も窺われるし、わいせつ行為後も、被告は、自らの行為を反省するどころか、原告に対して海外ブランド品を交付することにより事を解決しようとするなど、原告の人格を蔑視する態度を取っている」(カギ括弧内は判決文の引用)としてわいせつ行為を認定した他、横山の逆告訴や法廷外での発言を名誉毀損であると認定し、ノックに女子大学生に対して1100万円(セクハラ訴訟としては過去最高額)の支払いを命じた。刑事裁判は民事裁判の終結直後の同月にノックは強制わいせつ罪で在宅起訴され、これを受けてノックは府知事を辞職、この段階になって、ノックは一転して強制わいせつ罪の事実を認め、女子大学生に謝罪した。判決は翌年8月強制わいせつ罪により懲役1年6か月・執行猶予3年の有罪判決を受けました。その後、ノックは控訴せず判決が確定した。
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