愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  愛 ・公平・自由
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

生命体としての存在論 7、哲学と科学の到達点 虚構の崩壊で確立する 自由と愛

2023年05月26日 | 生命体としての存在論


 人間は死ねばどうなる?
人が死んだ後は家族をはじめ、慈しんだ愛する人の中で人格として生きます。

 一万年二千年の宗教に大変革が起こります。あなたが今まで知っている知識のタガを緩めて読み進めて下さい。
 As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
私が在る限りあなたはあり、貴方が在るかぎり私はある。
略して As FAR YOU'RE
 これが生命体が太古の昔から脈々と命を引き継いできた生命の実体です。コピーミスもありますが、理論上は子は両親からDNAを半分ずつ引き継ぎます、孫は四分の一です。しかし、人間は文明文化として言葉や慣習を学習し、その地その時に生きる人間として育ちます。科学が発展した今日では一人でそれを学ぶことは不可能です。分業し専門家が協力して初めて人間社会が成立しています。逆に肉体的に成人年齢に達しても社会的に自立可能な成人年齢は益々遅くなっているのが現実です。人間以外では知能が発達した動物ほど、産まれてから親などから教わる知恵が増えます。親から子へ、子から孫へ伝えられて往きます。
 現代の日本人ならば、自由に生きる権利を皆が知っています。しかし、宗教2世に限らずとも家庭の経済状況や教育環境によって権利が侵害されています。
 子供の人権が守られないのは、人間は生まれながらに平等な人間としての尊厳が守られないからです。平和に生きる権利も有ります。
 市川猿之助の心中事件に関して、梅沢富美男がパワハラはダメと言いながら、「芸能界と社会の問題をごちゃまぜにしないでほしい。なぜかというと僕らはそこで生きてきたんです」そうです。封建制の時代から戦前まで、親が隠居しない限り、子は親に従い、孝行するのが道徳でした。保守的な地域ほど古い考えを持つ人が多くいると考えられます。農家や商工業総ての分野で”僕らはそこで生きてきたんです”と言います。スポーツ界でのイジメや差別が戦後75年たった今でも事件として報道されます。如何に戦後の人権教育がないがしろにされ、女性や子供差別が温存し、性が抑圧されてきました。いかに個人の自立心の養成がなされなかったかの証です。

 皇国思想が強まった明治大正時代、歴代天皇は126代、124人として今年にも再確定されています。今年、亡くなるまで大正生まれの母は諳んじていました。
 明治時代に墓所が確定され造成された初代神武天皇陵や安倍元首相が銃撃の年が西暦+660年とされた皇紀2682年です。紀年法は明治に制定され、初代から15代応神天皇までは平均年齢は100才を超え、BC660+DC310=970÷15、65年の平均在位期間になります。何代にも渡って在位期間が長いのは子供や孫は幾つの年に生まれたのか、それ以外の子供は?頭がおかしくなります。存命期間や在位年数が長ければ孫、ひ孫が位いを受け継いだ可能性もありですが、歴史としては変です。
 戦後の民主主義はいつの頃からか変質したのではと感じています。昭和の世はこんなのでは無かったと、今や偏った自由主義が大手を振ってマスメディアを席巻しています。中高年世代の責任とも言えます。その時あなたは・・・
 日本憲法の3原則は「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」と学びましたが、安倍首相は自由主義や愛国教育を訴えました。私は個人の問題として憲法の意義は
 人権、平等、平和に暮らせることだと考えます。
しかし、自民党歴代、岸田首相は「自由」と「法の支配」を事ある毎に訴えています。儲ける者が儲ければ、溢れた富は下々に行き渡るアベノミクスは底なし容器の上部に占有されました。儲けて何が悪い、儲ける才が無いのが悪いという自由と自己責任論。これが維新や自民党の新自由主義の正論ですか?
 ロケットが日本に飛んでくる、共産国は恐ろしい。これで保守・自由主義連合の自民党は選挙に勝ってきました。当然、人権や平等は認めます、平和も力によって保ちます。多数派を維持する事が民主主義であり、正義の証です。彼らの言う自由主義国家とは何でしょうか?現在の日本と北朝鮮は敵対することで成立する共依存の関係にあるとも言えます。
 ある維新の政治家曰く、人権は法の下に平等にあります。平和は力の均衡によって保ちます。選民思想?差別?昔から差別はあり、現在・将来とも無くなることは無い。それを支持する思想、宗教もあります。生存競争で生き残る弱肉強食の自由主義。差別は当然と公言しました。

 欧米では少なくとも自由主義の根底にキリスト教の愛があります。隣人愛です。自由・平等・友愛です。鳩山由紀夫が訴えて有名ですが、日本でも釈迦を祖とする大乗仏教があります。慈悲、慈しみがあります。
 仏教では悟りでない自由はエゴと考えられます、煩悩です。愛も自己中の人はエゴになる可能性が大です。相手の人権や平等を理解することです。親や兄弟、周りの人を愛することはエゴと言えませんか?自分が出来なかったから子供に期待する?内省が必要です。相手の人格を尊重することです。同時に自分も大切にすることです。人間関係では共依存が問題になることがあります。自灯明法灯明、自分と法をより所に迷わずに生きよ。
 ♫そばに私が ついてなければ なにも出来ない この人やから 泣きはしません つらくとも いつか中座の華になる・・・  浪花恋しぐれ 昭和58年発売、長女が生まれた年です、初代春団治の破天荒な夫と耐える妻の美談?普段、怒鳴らなっかた私はカラオケで ”酒こうてこんかい ”と大阪弁で怒鳴るのが好きでした

 現実に生きている人同士ならば、愛は相手が喜ぶ顔が自分の喜びと感じることがでれば愛と言えます。男性にとって結婚は食事をし、Hをして、睡眠をとる共同生活で愛を育む場所と考えることができます、サルトルの様に自由恋愛を前提とした結婚は凡人ではなかなか大変です。しかし、結婚前には多くの失敗、経験を重ねなければ人間的な成長も望めません。今の相手の評価も正当には無理です。人生経験を積めば一人の相手だけがすばらしいのでは無く、自己の存在自身が他者が好きであることを悟り、他人に優しく接することが可能になります。男性が気になる人にモノなどを持って行き、関心歓心を得るのは太古の昔からの習いです。相手の笑顔を見るだけでペイします。夫婦の一方の嫉妬や嫉みは相手を束縛する独占欲であり、夫婦の地位に安住するエゴです。女性も好きなスターにぞっこんになるケースも多々あります。トラウマや日常的に自己を疎外する環境であれば現状逃避を薦めます。良い日差しに当たることは場所だけで無く新しい人に巡り会うチャンスです。厳しい風に当たり続けると人間は疎外感で不幸になることもあります。
 自由は自己保存のエゴであり、愛は自由の延長のエゴでもあり、相手の人権、平等を尊重して初めて愛になります。子供が母親に何かすることで喜ぶことが嬉しくなれば愛の目覚といえます。逆に、私だけが何故こんな目に合うと思う自己中な人は愛情不足を感じながら育った人かもしれません。
 As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.と思える老いらくの恋をしたい。で一段落とします。

 死の怖さは知恵がある分、瞬間的な怖さ以上に想像を働かせて増幅します。又、親等が子供を従わすためにも利用します。
 死に対する恐怖を克服するのは心の問題として宗教の役割とされてきました。現在では思想哲学としてもあります。しかし、現在は形而上の真理と形而下の科学の乖離、矛盾が顕著になりました。自由や愛は形而上の概念ですが社会科学として取り扱い、ここでは生命の本能の延長として扱います。しかし、科学を称しながら、これが真理だというエセ科学が現在も蔓延しています。時代場所によって変遷してきた真理の中身、それを真理という言葉で一刀両断にする言葉を嫌悪します。人によって科学的論理的思考による究明が真理と言うならば別ですが、わざわざ真理という修飾語を使い誤解を招く必要はありません。
 仏教詩人として有名な坂村真民は釈迦が死後を説かなかったように、二度とない人生、をテーマとして多くの詩を残し、今を生きることを詩で綴りました。
 ・二度とないこの人生を いかに生きいかに死するか・・・
 ・花には散ったあとの悲しみはない ただ一途に咲いた悦びだけが残るのだ。
 ・わたしは墓のなかにはいない わたしはいつもわたしの詩集のなかにいる・・・

これが仏教?と思われるかも知れません。もとより釈迦の仏教は葬式や加持祈祷が本意ではなく、人々の現世の苦しみを解脱し、楽しく生きる術の教えです。
 冒頭で述べた As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
この生命の実体と真民の詩を合わせれば

 人間は死ねばどうなる?は
 人が死んだ後は家族をはじめとして、慈しみ愛する人の中で、人格として生きる。
という認識が誕生します。死生観の大変革です。生きている間は他者として会話が可能ですが、死後はその人の発想や表現、表情声が記憶として生者の人格を形成します。


 世界の初めを創った創造主を信仰しても生命科学と矛盾しません。釈迦が死後を無記としたように、全ては現在を生きる生命の生き様として科学として表現が可能です。新訳仏教では諸行無常・諸法無我を覚悟すれば一切皆楽
 ある人は、あの世があると考える方が人はムチャをしないとう、子供に対する脅かしと同じことを言いました。日本には武士の”名こそ惜しけれ”があり、ヨーロッパでは騎士道、紳士は名誉と誇りを重んじました。死後の世が無くても、自分の生き様が次の世代に受け継がれることの方が効果はあります。神道の中今の思想に通じます。何より虚構を様々に信じる必要がありません。
  春の夜の 夢ばかりなる 手枕に かひなくたたむ 名こそをしけれ
   周防内侍 百人一首
 春の短い夜につまらないっときのHでは、あなたの名前がすたれますよ

 西洋哲学はキリスト教神学の影響を受けて発達しました。フォイエルバッハはデカルトから始まる近世哲学は理性の神格化により哲学へと転化した神学であるとして、ヘーゲル批判からキリスト教は利己的で非人間的な宗教であるとしました。マルクス主義は上部構造は下部構造に規定される。原始共産制はモノを共有する平等な社会であった。として産業革命後の悲惨な労働者の生活からプロレタリアートを解放する階級闘争によって共産主義を目指す社会主義国家がロシアを初めとして多数成立しましたが、原始共産制の持つ族長支配の人間性無視を問題にしない共産党一党支配の官僚国家が明らかになりました。それは人権、平等、平和の確立し、自由と愛の葛藤の中で国家を運営するよりも革命を優先する、共産党支配を第一とするレーニン主義、専制国家の誕生でした。
 戦後、日本で脚光を浴びたサルトルの ”実存は本質に先立つ” 実存主義でさえ、「神が存在しないのであれば」が前提になっています。人間の本質が神によって作られたのでは無ければ、人間は自由に存在することが可能である。一方で1968年のフランス危機(革命)は自由、平等、性の解放を訴える学生運動から労働者のゼネストに発展し、フランスは争乱状態に陥り、政治的にはド・ゴール大統領が圧勝する一方で労働者の団結権、最低賃金の上昇や教育制度の民主化が実現しました。キリスト教文化の旧世代に反対する新世代の造反としてフリーセックスやフリーラブが権利として拡大。
 今日の世界でLGBTや同性婚の法制化の先駆けになりました。日本では昭和43年5月革命の前3月30日にナイジェリア内戦でビアフラ飢餓によって150万人が死亡。抗議焼身自殺した女性の歌、フランシーヌの場合が発売されました。当時は高校生で全共闘、東大闘争がありました。ベトナム戦争反対運動のベ平連は昭和40年からで未だ中学生でした。
 今回初めてフランス5月革命の意義を知りました。WIKIで調べながら書いて初めて知ったのが現実です。半世紀以上が経過していますが、日本では人権意識の確立、抑圧からの解放、性の解放が不十分であったと感じます。何故?左右の政治闘争に矮小化されてしまった結果が現在の状況では?人権意識がフランスの様に根付いていれば猿之助の心中事件はあり得ません。

 思想哲学としては人間の社会的・文化的現象の背後には目に見えない構造がある構造主義が生まれ、それも形而上学であるとしてポスト構造主義があります。
しかし、これからの哲学、科学と宗教の包括する人間世界
原理原則は
 原理 自由と愛
 原則 人権・平等・平和
の概念の確立が重要です。

フランシーヌの場合(新谷のり子)昭和44年

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生命の教え  The Religion of Life 1、目的・教理・設立趣意

2023年05月17日 | 生命の宗教
・生命の教え 目的 
 人の幸福とは自由と愛に生きる生活です。その為には人権・平等・平和が確保された世界の実現です。
 その為には空想と古い因習に囚われた思想・宗教からの解放、リベラルアーツの学習と人を愛する摂理・ラビングアーツの学習練習が必要になります。この2つによって、人権意識の確立・平等であることの重要性・平和の必然性を学び、自由と愛の調和、自由と愛に満ちあふれた生活の実現を目指します。

・生命の教え 信念・教理
生命科学の発展、知見により生命体の世代交代、牡牝・雌雄分化が生命体の変化に対応する力を向上させ、数十億年の生命を継続してきた歴史が明になりました。この事実を個々の生命、個人で表現すれば
 私が在る限りあなたはあり、貴方が在るかぎり私はある。
 As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
として生命の実相を表現する摂理です。過去の先人や離別した人は自己が生きている限り、私の人格の一部として存在し、将来、私が死んだ時は貴方の人格の一部として存在する
これを信念として信じます。
 金閣寺の棟頂部にある鳳凰、鳳は雄,凰は雌です。中国から伝わった吉兆瑞兆の鳥として想像の産物ですが、三島由紀夫は「金閣寺」の中で鳳凰は羽を広げているだけで永遠に、時間の中を飛んでいる。としました。深く愛しあった二人は不二の鳳凰に変身して時空を永遠に旅する象徴です。伝説の誕生です、よって金閣寺には一羽しかありません。

・生命の教え 設立趣意
未だに世界が戦争と飢餓、差別偏見に苦しみ、経済格差、貧困は拡大しています。歴史の経緯が有るとは言え、良い方向に向かうどころか悪化の方向に向かっているのが現状です。軍縮に向かえば浮くお金が軍拡によって苦しむのが各国の現実です。日本や世界の指導者は人権・平等・平和の重要性をどこまで理解しているのでしょか?自由と愛を理解しているのでしょうか?
対立の大きな原因に現代科学の知見からの乖離した思想宗教の後進性にあると考えます。宗教の目的は現在を生きる人の不安を除いて幸せな生活を送る教えです。この共通認識に立てば相互理解が可能です。死後の世界は不要となり、現世次世代に責任があると考えます。一神教、多神教で有っても問題はありません。しかし、信者にサタンや地獄を強調し信者を不安に落とし入れる団体はノーです。宗教の目的から離脱した団体であるからです。

 生物としての一番の心配不幸は愛する人との別離と自分の死です。太古より天変地異や病疫で多くの人が急逝しました。不安や心配の解消のため絶対的な力で支配する神仏に頼り祈祷することに救いを求めました。しかし、現在ではITだけで無く、科学全般、特に近年は生命科学の医療や生理学が加速度的に発達し、生命史と共に人類史上無かった科学知識があります。
 生命の摂理である As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there. を信じ、愛する人との一体感(不二の鳳凰)を実感すれば死の恐怖や離別の悲しみを克服することが可能です。知識だけで無く、人を愛する経験を重ねることに尽きます。
 生命の起源の知見は空想や神話の世界から離脱することを可能にしました。逆に言えば、現実と思考、思想との乖離を意味します。これも歴史上無かった現実です。日本に稲作が伝わり、或いは新しい仏教文化が日本に伝来し、思想や宗教は激変しました。同じように現代も思想や宗教が激変する過渡期であると言えます。
 単細胞生物の誕生から有性生物、人類の誕生にいたる劇的な変化は科学者でも神秘であり神のなせるワザと考える人もいます。しかし人類の数千年・数万年の変化の歴史から見れば、20数億万年の変化は。有史2千年を1単位とすれば百億倍の時間経過であり、驚くには当たらないとも言えます。
 戦後、民主主義、経済成長によって社会は激変しました。宗教界にも多大の変化をもたらしました。江戸時代の檀家制度で固定化された仏教界は葬式仏教化の収入に依存し、一方で新宗教も多く誕生しましました。危険な兆候は宗教の目的から離脱した団体だけではありません。自団体の優位性をことさら説き、信者の優越感を増大させ、差別意識を増長することです。我が宗教こそが幸福実現であり、平和の実現であると。一心になることで、おのが自由が他者の自由(人権)を侵害している事を喪失させます。

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生命体としての存在論 6、宗教の設立宣言。生命の賛歌・生きる信念 自由と愛

2023年05月13日 | 生命体としての存在論
  As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there. 
 未だに人類が戦争と飢餓、差別偏見に苦しむ中、おのが自由と富、権力支配に躍起になるバカバカらしさ、社会の良心を自負しながら、それを擁護する宗教家に怒りを持って決起します。数千年の経験、知恵の蓄積を持って、死後の世界という因習、迷宮魔界に落ち込むループからの解放を目指します。イエスが虐げられた人々に寄り添い、律法を片手に安住する宗教者に憤死する怒りを抱いた如く、現代に即応した宗教を作ります。宗教が今を生きる人々の救いならば、死後を問いません、現代の知識では単純明快な自明のことです。今を生きる者の賛歌です。
 自然科学、社会科学、人文科学など過去数千年に発達してきた知性、加速的に発展した自然科学の一方で因習に囚われた思想、宗教ギャップの弊害は対立を放置し、人類の滅亡の瀬戸際に向かわせています。さらに近年、科学的論理思考とは逆に、死後の不安と結びついたあの世、魂の不滅という新興宗教が興隆し、それを信仰することで優性意識が増幅し、偏った自信や差別意識を増幅させています。死後の世界という迷宮から脱出しても既存の体制と決別しない限り、今後も様々な虚構が産まれます。よって、現実世界を生きる賛美、信念の宗教の設立を目指します。何を信じるのか、
  私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る。
 人は人生の師として感銘を受け、感化されます。生まれてから経験し学びその時代の子その地の子として生き方を習い、知識を吸収し成長します。千年前に生まれればその時代に生きます。どうして今を生きている世界を憂えず、死後を憂う必要があるのでしょうか? 親しい人との離別、死別は生命体としての必然です、哀しみの中で死者は影響ある生者の頭の中に人格の移転、生者の頭の中に記憶を固定させると考えることが可能です。愛欲では無く、慈愛の心で縁を授受した分だけ生者の心に死者の人格が移転します。別れの後は話すことも相談することも出来ません。しかし、親しければ親しい程、愛していればいる程、彼は何を感じ想うか、何を言うかを瞬時に理解できます。そして想えば声や表情も脳裏に浮かびます。ある人の熱烈なファンは形態声帯模写だけで無く性格すらも変わる人がいます。貴方が信心しているならば今は無き先人の想いを受け継いでいると言えます。
 お遍路の同行二人はすばらしい発想です。逝った人と二人で行くもよし、新しい伴侶と行くもよし、バリエーションは様々です。愛する人を深く愛し、信じる覚悟があれば想像するだけでも死もまた楽しです。諸行無常、諸法無我を覚悟すれば一切皆楽です。
 それでも自分の死後が不安?安心して下さい、多くの先人が亡くなり良い世界を創っています。生の世界は生きている者が、死の世界は死んだ者同士が近くにいます。
 私達はなにか世の役に立つことで自活しています。貴方の想い行いが若き次世代に伝わります。あるいは集団形成の一人として社会があります。何よりも貴方が信奉している教祖の想いを貴方は受け継いでいるではないですか。冷静に現実を直視して下さい。過去に生きていた人を信じ、今あなたが信じている、次世代の人も同じように信じるかも知れません。文明の歴史です。死後の世界は誰もが証明できない大いなる虚構です。現実から目を反らし覆い隠す虚構です。
 As far as I am, you are here. 先人の心は今を生きる私が引き受ける
 私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る。 独り寂しいなら我が愛を
 As far as you are, I am there. 永遠の生命と想いを次の世代につなげる命の賛歌。
 苦しみと哀しみの中にあっても、少しでもよくする希望をみいだせば、労苦も幸せに変化します。私は現代の哀しみを受け止める。加持祈祷にすがるべからず。ダジャレ験担ぎの遊びとパフォーマンスは切り捨て御免です。八方ふさがりでも何かがあります。

 恐竜が生きていた中世代2億3000万年前から滅亡の6600万年前にやっと哺乳類が誕生し、人類の祖先が誕生したのは20万年前です。徐々に知能が発達し、言葉の発展と時間や自他の分別によって前頭葉で意識意欲を持つようになり、知能も飛躍的に発達しました。
 人権、平等、平和が人類に担保されることが幸福への前提です。幸福とは自由と愛に生きることです。ちなみに人権という普遍的な権利が誕生したのはたった250年前の18世紀後半のバージニア権利章典、アメリカ独立の時代、自由の女神のときです。
 自由は人の生存欲求であり欲望、エゴです。人を愛することも欲望でありエゴです。しかし、愛は他者の人権、平等、生存を認める知性の働きとして前頭葉で自制して愛することも可能です、慈愛:いつくしみ育てる心です。人権意識が誕生した今日では人は成長の中で失敗を重ね、経験を重ねることで人を愛する節度、接し方を学びます。孤独な一人の人生を共に歩む相手を得ることも生存競争の一つです。結婚形態が ワンオンワンで有る限りは失恋は必然です。

 有性動物として群生生活をする人類にとって、他者と共存し社会生活する中で喜びを感じます。成長の中で集団の中の自己の存在に意義を問います。選択の余地の無い固定された社会では共同体の規範、長に習い従うことが自己存在の意義になります。親に従い、親を大切にすると言う儒教の倫理道徳です。拒否はドロップアウトしかなく、当時の肉体労働はスポーツでのランナーズハイと同じ脳内麻薬による幸福感と過労死を招く過酷な労働でした。
 しかし、社会が多様化し個人の人権意識が芽生えた中では幼児に対しても人格を尊重する必要があります。今や上意下達が組織ガバナンスである時代は過ぎ去りました。ハラスメントに注意、複雑化した社会の中で自己に自信を持てば増上慢となり、逆に自信を失い疲労が重なりうつ病になる現代です。人との接し方を訓練し、学ぶ必要が重視される時代です。人間関係の拒否は昔と同様にドロップアウトですが、ニートするよりも農業や漁業など自然と付き合い、或いは芸術系を職業にする選択肢もあります。
 因習に囚われることない知識、生きるための力を身につけるためのリベラルアーツの考え方はリベラル&ラビィングアーツの学習になります。
 人を愛し愛される、自分の想いのままに生きる世界の実現はなかなか大変です。カースト制度の最下層出身でアウトカーストの父と言われるアーンベードカルはインドにおける仏教復興運動を行いました。彼が仏教に見出したのは 理性、慈悲、平等でした。名言として残されているのは  I like the religion that teaches liberty, equality and fraternity. 私は自由、平等、友愛を教える宗教を好む 日本でも鳩山由紀夫氏が友愛を訴え、友愛とは自分の自由と自分の人格の尊厳を尊重すると同時に、他人の自由と他人の人格を尊重する。
 しかし、私はそこに時代の限界があることを知りました。
 自由と愛は並立するも拮抗する概念であることです。そしてその間に平等を置いています。平等を確立する社会の概念は人権、平等、平和です。そして、自由と多くの愛は自己生存の欲望でエゴとして並立しています、仏教での愛欲です。自由と拮抗する愛とは宗教的に昇華された愛や慈悲です。人間的には愛す人の喜びを自分の喜びとする愛です。動物的には自分の分身として子供を守り育てる母親の行動があります、それは愛欲でありながら命をつなぐ生命としての必須の生存の行動です、オスには同様に群を守る生存の行動があります。しかし、戦いに明け暮れた人類は共存こそが唯一の解決策として、人権、平等、平和の概念を確立しました。自由・平等・友愛では自由だけが勝ってしまい人権、平等、平和がないがしろにされます。
 我に自由と愛を与えたまえ、それを国家が保証する権利として国民主権、基本的人権、平和があります。独りよがりに自由を求めれば、他者の自由と愛を奪い、愛を得ることができません。自由と愛の世界を与えたまえ。 

 戦後の平和憲法下で生まれ育ち、宗教は科学的合理性の中で薫陶を受けた私にとって、安倍政権下での教育改革に違和感を持っています。真理と伝統の多用です。科学を愛し希求するので無ければ、真理はすでにあるあいまいな概念の押し付けでしかありません。科学は日進月歩で進化します。戦後のスポーツでは終わりまで水分補給しないのが真理でした。体を冷やすなど外道の話でした。
私は宗教改革を進めます。人生を信じる宗教、自由と愛、人権・平等・平和、生命賛歌の宗教です。As far you're.
 もっとも親近感を感じるのは親鸞です。彼は男としての性に苦しみ、仏教の戒律を守らなくともよしとする即仏の教えを実践しました。他力本願、自力本願の問題では無く、人間の本性を抑圧から解放する、人間性解放の問題です。
 八代目の蓮如は本願寺中興の祖として教団を大きくすると共に、4人の妻とは死別し5人目の妻とは73才から7人の子、末子の3子は80代になってから合計27人の子供をもうけ85才で亡くなりました。wiki情報
 人間性解放、平等、女性差別の撤廃が今日の課題です、女性の性の解放が男女同権の要諦です。それには男女ともに性欲があることを認めることです。永らく文化的社会的に抑えられてきた女性は子供の成長にだけ夢を託す歪な構造がありました。子作りの性、子育ての性からの解放です。それが少子化の最大の原因である結婚率の低下を防ぐ方策です。夫婦は共同生活を営む最小の単位です。社会的経済的に人工的に流産させられる胎児が10万と言われています。正規出産が80万人を切った日本では明るい未来?政治的に成人年齢が18才になりましたが、経済的には成人する年齢が高学歴化と社会の多様化によって遅くなり、それに伴って結婚年齢が高齢化しています。私の半世紀前の高校大学を振り返っても悲惨でした。成人年齢を18才とする国ならば、成人としての覚悟を促し、少なくとも高校時代から恋愛訓練を重ね、結婚も順次可能になる経済基盤を保証するべきです。それが異次元の少子化対策です。
本論からかなりズレましたが宗教改革は因習に囚われた虚構からの科学的論理思考の普及です。信じる事、信念は宗教になります。
    私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る
As far I'm alive ,you're here. As far you're alive,I'm there.
 この信念に既存の宗教団体ではかなり近い団体もあれば、全く受け容れられない団体も有るでしょう、私は争いを好みません。宗教2世問題等を抱える存立危機の団体ならば、より研鑽されることを望みます。平和を第一にしながら軍拡を推進する団体は自戒すべきです。宗教団体の設立を模索します。ご指導ご鞭撻、ご協力の程、宜しくお願い致します。
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グランドゴルフレッスン

2023年05月13日 | グランドゴルフ上達法
3年前より回を重ねましたが検索ができなくなって来ました。
一度整理します。全ての検索はカテゴリー内のグランドゴルフ上達法で表示されますが重要なページを案内します。
 グランドゴルフ上達の一番は転がりのいいボールを打つことです。困った打ち方は打った瞬間にボールが跳ねる打ち方です。長い距離、強く打つボールほど大きく跳ねる打ち方は短い距離になればなる程、ミスを誘発します。基本ボールは叩くことです。
 1,2mの短いパットで直ぐに方向が変わってしまう原因はボールのすぐ前の芝生や土のデコボコ不陸や小石のためです。短いストロークでボールに当たる戦後で同じスピードでストロークするとボールにドライブ回転がかかり、目前の障害に左右される確率が高くなります。均一なストロークでは無く、ボールを叩くことでボールが直進し、地面との摩擦で順次回転がかかり転がりのいいボールになります。
 あとは無心では無く、方向性と距離に集中して打つだけです。ボールが当たる瞬間はグリップをしっかり握りましょう。ヘッドのセンター(スイートスポット)に当たらない時の被害が少なく済みます。
 ヘッドアップ禁止。ボールをよく見て打たないない人がいます。打った後のボールが気になった結果ですが、ボールを打った後はボールまかせです。

1、競技グランドゴルフ 陸王 上達法 シングルスコアへの道  ミスの少ないスイング パッティングに革命
 クリックで別ウインドウで開きますhttps://blog.goo.ne.jp/tensyouwao/e/8003a829cb85a149eb3e045ac3d15390

2、続編 競技グランドゴルフ 陸王(2)上達法 シングルスコアへの道  パッティングに革命
https://blog.goo.ne.jp/tensyouwao/e/df30de94ed8e371c45158dcb59bf1a4a

3、競技グランドゴルフ 陸王(3)初習よりも悪くなるスイングの原因
 少し難しくなっています
https://blog.goo.ne.jp/tensyouwao/e/acd20cf8ecc380a06ed6904d74ea9700
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生命体としての存在論 5、母の死を弔う

2023年05月04日 | 生命体としての存在論
2023/4/26 更新2023/5/4

 苦労を掛けた母を弔う。逆縁にならないことが親孝行として母を弔いました。しかし、死後のために供養する考えは有りません。母は私の存在の一部として、これからも私の中で生き続けます。生命体としての遺伝情報だけでなく、生き様や感情表現は単なる記憶では無く、私のバイアスを通した新しい知識、状況の中で母の考え、どう感じるかを理解することができます。人は眠りの半ばで夢想し、様々な想いが想起させ、霊験霊言とも評します。私の人生で多くの影響を受けた先人と共にこれからの人生を歩んでいきます。

 釈迦は論じても結論が出ない事は論じなかった。死後の世界を想像で論じるのは方便、ホラです。親が幼児に言う事をきかす為に言うウソと同じです。
 死後の世界を信じ、あの世に生きることを信じることが宗教の目的ではありません。余りにも過酷な人生の中で、今を生きる人々の苦悩、幸福を願って先人はあの世、天国、輪廻の思想の観念を創り上げました。私達が文明の恩恵の中で赤子より刷り込まれてきた様々な宗教は今もなお人格形成に絶対的な影響を与えています。信仰、来世を信じなくても可能です。
 私が有る限りあなたはあり、貴方がある限り私はある
 人を信じること、自己、自分であり他者、不安定であるからこそ人を信じる宗教、絶対的な人間性を信じる宗教が存在意義を発します。先人が長年に渡って創り上げてきた文明文化は科学技術の加速度的に発達しました。人間の幸福の根幹は個人それぞれの自由と愛の確立です。一人一人の人権・平等・平和の学習と各人の人格の確立が絶対条件です。それぞれ時代の文明分化と言ってしまえば終わりですが、人権・平等・平和の概念に絶対は無く、生存の厳しさの中で今でも各人の偏見差別に彩られています。不確定なことを信じる事が信仰であり宗教ならば、現在、過去、未来の人、今を生きる人間を信じる信念は宗教になり得ます。
 死を不安に思い、死後の世界を信じる人曰く 死んで逝った人に合いに逝く ならば、逝った人の弔いは貴方が信じる先人、既に逝った多くの人が良いようにしてくれています。孔子、釈迦、イエス、マホメットその他立派な先人が数多います。あの世や天国は先祖供養で生者が生き残るための方便です、多額の金子が必要な加持祈祷は明確な詐欺です。誇大広告、景品表示法で罰則を与えられるべきです。
 AIによって世界が一変します。個人のデータをデジタル化して,収集すれば、声や映像、考えも個人の特性で再現することが可能な時代になりました。記憶だけで無く、新しい情報に反応して応答することと同じです。AIが無くても番場の忠太郎の昔から、瞼を閉じれば「瞼の母」があります。離別した人を頻繁に思い出すのは老人の特性かも知れませんが、妄想であっても確実に本人の中で記憶と伴に再現が可能です。それは別れても愛する人が自分の心の中で生き続けている信念という現実です。仏教の浄土、輪廻も古いバラモンから受け継いだ思想ですが、人を含めた全ての生物は同じ生き物として共存共栄・生命賛歌と考えることも可能です。

 800年程昔、親鸞は自身の性欲と女犯の戒律との葛藤に苦しみました。当時は生きる世界と死後の世界があるされ、最新の文明であり人を救う仏道に人生を定められた公家出身の親鸞にとって、どれだけ一心に修行しても消えない性欲、煩悩がありました。やがて法然の念仏一つで救われる本願念仏の思想に出会い、人の本性を肯定するに至りました。しかし、当時としては破戒であり、朝廷から法然らと共に僧籍を剥奪されました。その後は非僧非俗の生活で肉食妻帯をし、たとえ法然に欺されて地獄に落ちようとも本望であるとして阿弥陀に頼りました。
 法然や親鸞はなぜ僧籍を剥奪されたのでしょうか?念仏を唱えるだけで救われる教えが既存の団体から迫害を受けました。修業があっての信仰成就、加持祈祷が可能になる。から言えば異端ではあります。仏教の庶民化を果たした鎌倉仏教の興隆で日々の生活に追われる庶民への普及に単純な唱名として名号・題目が生まれました。平安時代初期の空海の真言宗は南無大師遍照金剛、同行二人が始まりですが、南無阿弥陀仏、南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経、般若心教があります。江戸時代はキリスト教禁教や檀家制度の中で政権権力の支配構造の一翼を担いました。明治期になると宗教界では妻帯肉食が解禁されました。

 時代は下り、軍国青年であった吉本隆明は太平洋戦争敗戦の衝撃に苦悶しました。大東亜共栄、八紘一宇の皇国思想以外に反戦などあり得ると思いも及ばなかった。戦地には征かず、内地で研究員として勤め、皇国思想の崩壊、反省の中で総てを疑う、孤立しようとも自分だけは時代の主流になる思想を疑う孤立無援の意思を確立しました。何によって論ずるかよりも、反論すべき点は何かに注視しました。若くして死を見つめ、以後はリアリストとして現実を直視。

 哲学者の三木清は戦中時代に治安維持法違反で逮捕され、敗戦後の1ヶ月後に48才で獄中で死亡しましたが、晩年は妻の死去や近親者の死去で、会いたい人に会う可能性は自分が生きていてはゼロであり、亡くなればその可能性はゼロでは無い。死ぬ事に親近感を持つに至りました。

 三者三様の死生観を持っていましたが、死後の世界について如何に刷り込みが強いかが理解できます。単細胞生物は細胞分裂によって生命を持続させ、有性生物は有性生殖によって生命を持続させます。当然、人類も生命体として同様です。あの世の信奉者は人の心、魂を問題にします。しかし、現代ではペットの犬や猫、馬に心は有りませんか?心が通うじ合いませんか?死の恐怖は生命体としては不安定な高所に立だけで幼児の頃に転ける体験から学びます。思いとしての恐怖、不安は想像と刷り込みの産物です。
 山本有三は路傍の石でたった一度しかない人生を、ほんとうに生かさなかったら、
人間、生まれてきたかいがないではないか。
 坂村真民は二度とない人生だから、わたしが死んだらあとをついでくれる若い人たちのためにこの大願を書きつづけてゆこう

未完
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