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愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理 自由・愛・公平
原則 人権・平等・平和
愛と生命永続の公理
私が在る限り貴方は有り
貴方が在る限り私は有る

千年紀の思想・信仰の変革・刷り込み継承の再編で文明を再興する 3、人権

2025年04月11日 | 12禁・邪鬼天降臨
ビバEXPO2025 関西・大阪万博が開幕 SDGs実現へ、いのち輝く未来社会のデザイン
「万博」には、人・モノを呼び寄せる求心力と発信力があります。
お金を贅沢につかったあげくが入場券の高騰、迎賓館だけで数十億円
ならば なぜ 前売り券が売れない? 物に心を込めれば芸術として人に訴える力があります。言葉にも歌にも訴える力があります。1970年大阪万博での熱狂は岡本太郎「芸術は爆発だ」や三波春夫「世界の国からこんにちは」のような発信力がありました。個人の問題だけで無く、日本全体の活力の無さです。建前と本音の乖離ひどく、個人の能力が十分に発揮できないウツ状態の日本。求心力と発信力が無い、いのち輝く未来社会を提示できない。無い無い無能・万博です。
 SDGsが掲げている課題は人権です。日本語では持続可能な開発目標(Sustainable Development Goals:SDGs)としていますが、持続可能な発展目標、展開目標です。大人の事情で開発目標となっています。
 SDGsの17のゴールは人権、経済・社会、地球環境の分野がありますが、地球上のすべての人が人権を享受し生活できる世界となる目標です。人権には自由、平等などを含め全ての生きる権利が含まれています。
 EXPO2025万博は人権主義・SDGsを訴える最大の機会です。「人権、平等、平和」の言葉には人を感動させ、動かせる力を込めることが可能です。
  18世紀のフランス革命より「自由、平等、友愛」として近代社会の普遍的価値として認知される一方で帝国主義、コミンテルン、ナチスドイツ、大日本帝国と専制・戦乱を招いてきました。第二次世界大戦以後に国連が結成されるも対立・戦乱が続いています。何故?
 戦後、日本は民主主義国家として再生しました。憲法の三大原則は、「国民主権」「基本的人権の尊重」「平和主義」。戦前の国家による抑圧からの解放、自由と平等が民主主義として喝采をあびました。
 EXPO1970大阪万博は廃墟からの復興、元気のある日本でした。しかし、自由と平等が個人の能力を問う差別意識によって自由主義こそが全能として、自由と法に則る国家を喧伝しています。自由主義の劣化は目にあまります。世界中での格差拡大、貧困や飢餓、内乱や戦争、乱開発は温暖化や農業や漁業の不振が人々の人権を損なっています。
 「自由と平等、友愛」が「自由と法」に矮小化されました。そして愛の欠落です。「自由と法は拮抗して自由が保障される」?バカを言ってはダメです。収入が少なければ食事の自由も移動の自由もありません。弱肉強食の自由社会、デキの悪い人間には人権無し?機会均等?加熱する受験競争からの脱落は劣等人間であり自己責任でしょうか?
 維新の橋下徹が大阪を席巻したとき、民主主義での選挙を「勝ったもん勝ちの勝者の自由」として人権を軽視し、差別意識を増長させる専制を行いました。現在懸念されているトランプやプーチンと同様です。
 人権主義を徹底しましょう。戦後、民主主義が人々の自由と平等を叶える希望でした。戦後80年を迎える今日、経済格差が広がり、日々の食事にも困窮する弱者が増えました。
 人類が文明を育み歴史の積み重ねの中で見出した社会の原則は「人権、平等、平和」です、国連が掲げるSDGsそのものです。その原理は「自由、愛、公平」です。自由は愛と対でなければ暴走します。公平な立場で互いの自由と愛を認めなければ倫理観を喪失し、自己中の暴虐が「自由と法」によって世界を席巻します。法で禁止されなければ兵庫県で元知事を支援立候補する時代です。
 自民党(自由民主党)が落ち目です。自由主義や民主主義に企業法人が献金の自由を持つ時代です。時代のトレンドはSDGs・人権主義です。人権を旗印に政党は大同団結する時です。時流にのれば玉石混合であっても人が集まります。転向も可能とすべきでしょう。「人権、平等、平和」の原則と「自由、愛、公平」の原理が縛りです。
続く  
We are the world  日本でも発信は可能
【和訳】we are the world アーティスト名&歌詞付
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千年紀の思想・信仰の変革・刷り込み継承の再編で文明を再興する 2、愛

2025年04月10日 | 12禁・邪鬼天降臨
ビバEXPO2025 関西・大阪万博が開幕 SDGs実現へ、いのち輝く未来社会の未来社会のデザイン
 地球の誕生は46億年前、生命の誕生は35~40億年前、真核生物がミトコンドリアと細胞内共生したのが20億年前、有性生殖が始まったのが10億年前、人類の進化は猿人、旧人、現生人類と進み出アフリカは5万年前とされています。一世代25年とすれば2千世代の先祖を持つことになります。紀元後2千年の間では80世代になります。80代に渡って脈々と続いた生活の中で命をつなぎ、知識と知性を育みました。1千年2千年前の先代よりも、そして戦後の目覚ましい発達を遂げた生物学など、現代に生きる人々の方が生命に対する豊富な科学的な知識を有しています。
 残念ながら生命は一代限りの命であり、身体は卵子と精子の受精から、胎芽期の短い間に進化の過程を再現しながら人の形と成長し、未熟なまま母親から出生し、保護され養育されて社会的に18才で成人となります。言葉を始めとして知識、知性は周りからの刷り込みに負う処と義務教育や志向する学びがあります。言語の学習は幼児期の習得、反復する刷り込みですが、人は幼形成熟として大人となりますが頭脳は未熟なまま老人になっても成長が可能であり、思考が硬直しない(盲目的に価値観を受け入れない)ならば変化に柔軟に対応が可能です。
 愛は宗教の専売ではありません。一人一人の存在として愛を持つ存在です。家族や同郷、民族や夫婦間の自己拡大だけの愛でもありません。前提は有性生殖・雌雄交配の定めです、オスとメスは互いに求め合い、同性はライバルでもあり共存しなければ争って自滅します。戦後の人権拡大、女性解放のトレンドは女性の性欲(拒否を含め)を認めることです。
 第二次世界大戦後の価値観喪失(キリスト教)の中、実存主義で時の人となったフランスのサルトルとボーヴォワールは自由恋愛を認める契約結婚を始めました。 自由意志、自分が決断する自由をサルトルは「人間は自由の刑に処せられている」と表現しました。何故?
 少なくとも一対の両性が求め合う恋愛結婚は選択という競争が必然であり、逆に多くの優れた相手の中から一人に決める誤謬も起こります。基本的には性愛が人を動かす原動力ですが、それだけでは無く、異性だけで無いカタワレの孤独と癒し、人間的魅力で求める愛があり、またファンやヒーローに憧れる熱情もあります。将来的に結婚制度がどのように変遷するのか不明ですが、性の問題は個体差で多様に或いは歪に変化します。やっかいなのは支配・被支配の問題や年齢によっても幼青壮老と変化し、経験によっても文化的にも多様に変化します。一律な考えはナカナカ通用しません。少なくとも羨み・ウラヤミや嫉妬・ソネミやネタミの感情は人間の幼児性として、大人として成熟するにつれ排除される必要があります。恋愛は今の自己世界の中で一番に向ける熱情であり、選択という排他性がありますが、世の中の半分は求める異性であり、愛すべき人の一人です。親が子供を差別しない心情と同じであるべきです。
 あなたを心の底から愛します、あなたが私を愛するかは問題ではありません。人を愛さずにはいられないカタワレたる己を自認することです。それは自己中に陥りがちな欲望を制御し、自分を愛する事と同じです。世の中にはすばらしい人が数多います。あなたの喜ぶ笑顔が最高の褒賞です。無償の愛とか貴方が愛してくれるからという有償の問題ではありません。人は人を愛さずにはいられない存在であり、逆に人から愛して欲しい存在でもあるのが人間です。
 私という生命は他の命を受け継いで生きる存在です。食事で育む身体もしかり、文明文化を受け継がなければ存在しません。生命は他のイノチを受け継ぐ存在です。
 「私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る」
これが愛と生命の連続を理解する公理です。過去のあなたから私へ、今のあなたへ、そして未来のあなたへ。私という存在は過去のあなた無しには存在せず、現在のあなた無しでも存在しません。そして今は直ぐに明日へと変化する中で生命を受け渡す存在である人間です。
 これが愛と生命の公理ならば、そこから導かれる定理とは?
 生きる目的をあれやこれやと考えても袋小路に陥りますが、生物は生きることが目的であり、命のバトンを次に引き渡すことであると言えます。そして人は自由と愛を公平に享受する権利と義務があり、人権、平等、平和が保証されなければなりません。
 シャカは死後の問題に言及していません。生物は生きてナンボです。死後は死後に任せればいいだけです。死は無と考える私です。よく生き、命のバトンをつなぐことです。覚悟するだけの問題です。死後が有ってほしいと願う人を無碍にはしません。思想信条の自由です。優れた多くの先人が逝っています。死後の世界をイメージすることは自由です。しかし単純明快ではないと思います。そからの派生が神仏とは考えません、少なくとも神仏は人間の姿形をしていません。
 鎌倉時代、親鸞は9才で得度し29才のときに性欲を持て余し、修行では煩悩を解脱できないとして、聖徳太子を引きあいに磯長の夢告にはじまり、六角堂での夢告で女犯戒を許された非僧非俗・愚禿として教団の開祖となりました。性欲を抑圧することが可能な超人としての修行と信望が是とされた仏教界で画期的な成果を獲得しました。浄土真宗は日本では明治になるまでの6百年、官許僧の妻帯が許された唯一の教団でした。中でも室町末期から戦国時代にかけて8代目の蓮如は浄土真宗を山科御坊など畿内に多くの寺内町を作り一大教団に変貌させましたが、個人的には84才の生涯で27人の子沢山で80代に3人の子を作ったスーパージジイでした。彼の有名な説に「後生(ごしょう)の一大事を心にかけて」があります。私は残された人(遺族)の問題であり、愛する故人の人生を顧みて、その人生の問題を解決すべく努力することと理解します。父母は何に苦しめられたか?自分は何に苦しんだか?それが文明発展の歴史でなければなりません。
休憩   八重子 (戦友) 渥美 清

続く
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千年紀の思想・信仰の変革・刷り込み継承の再編で文明を再興する

2025年04月08日 | 12禁・邪鬼天降臨
EXPO2025に向けて日々加筆4.8
 4.13より開催されるEXPO2025でも持続可能な社会の実現に向けてSDGsを掲げ、いのち輝く未来社会の未来社会のデザインをテーマにしています。しかし、主催者自身もその理念を理解できていません。IRカジノとの並走や派手にお金を使えばお金が回る、従来の開発・成長一辺倒の構図に囚われています。
 21世紀の混迷・格差拡大、分断と差別を解決するするために、国連が主導する人権主義・SDGsの実現こそが文明の危機を救う方策です。その思想・理念とは?
 (第2次世界大戦)戦後の希望であった民主主義・自由・平等が自己中に陥った自由主義によって「自由と法」にすり替えられ、矮小化されています。最大の欠陥は愛の欠落です。自由と拮抗するのは法では無く愛です。法と権力は支配者の自由を満足させるに十分ですが、抑圧された人々にとって自由は不満足です。世界の現状はSDGsとは逆に向っています。軍拡に向かう資金でSDGsに貢献し、軍縮すれば圧倒的な余裕が生まれます。
 私は今の利己的な自由を非難します。SDGs・持続可能な社会の実現とは日本ユニセフ https://www.unicef.or.jp/kodomo/sdgs/about/クリック
人権主義です。天邪鬼の無邪気な自由から、邪鬼として四天王に踏みつけ虐げられる現実を理解した時に初めて他人を差別していると自覚しました。邪鬼天の誕生です。
 私が考える世界の原理原則、「生命の連続と愛」の公理
  原理:自由と愛、公平
  原則:人権、平等、平和
 愛と生命の公理 「私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私は有る」

 私は無神論と言えますが、信念を見出しました。
原始仏教の中村元氏のブッダの言葉に「一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ」があります。坂村真民の「念ずれば花開く」は信念の重要性を自認させます。もとよりプライベートな個人は利己的であり、小人閑居して不善をなす意志薄弱者です。空海の同行2人は先人に近づき伴に歩むすばらしい発想です。
 仏教は案外と正直です。大乗仏教成立後に編纂された法華経の第2・方便品ではウソも方便、目的が叶うなら、教条主義や金儲けのためならの豊田商事、金儲けのどこが悪い?先駆けです。
休憩
美しい虚構 多くの美しい虚構がある
 全てのものは虚構から生まれ 虚構の中で死んでいった
きけわだつみの声 宅島徳光 自由 検索ワード 八重子 渥美清 
美しい虚構 (海ゆかば)
 靖国に献上された花嫁人形は誰の涙
就職氷河期 より悲惨な 嫁無し夫無し 少子化時代
続く
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12禁・邪鬼天降臨 四天王に踏みつけられる天邪鬼の覚醒

2024年10月12日 | 12禁・邪鬼天降臨
 「邪鬼」は日本に渡来した仏教の四天王像の下で踏みつけられています。仏陀に祭り上げる前の釈迦は偶像崇拝を排していました。生きとし生きるモノの平等を旨とした原始仏教は釈迦の死後およそ5百年で大乗仏教変質しました。釈迦は世を煩い、出家遁世し思索を重ねました。得たモノは何だったのでしょうか?
 私は天邪鬼が自由でいいと考えていました。昨年、母親を亡くした時、母を苦しめたのは戦前の封建、女性差別であり、無くすことが母親への弔いであると考えました。しかし、天邪鬼の悪言で前述の幼稚園での運動会のダンス案内状の隠蔽は私が行った母親に対する明らかなイジメです。分別のない園児が母を差別していたのです。そうです、時代の中で母と同じように私自身もイジメられ踏みつけられていたのです。イジメの加害と被害は立場が違えども自由に生きる楽しい生活、人間性の崩壊です。良識や権威という社会常識です。まさに四天王に踏みつけられる邪鬼と同じだったのです。誰もが時代の中で初めは規範や価値観を受け入れて育ちます。そして社会と縁が続く限り、誰もが邪鬼の様に既成の価値観に押さえ付けられ、或いは逆に押さえ付けて生活しています。

 邪鬼(じゃき)とは、 google AIより  

仏教の世界において登場する鬼、四天王の足もとで踏みつけられている姿で表されます。四天王は、東方をまもる持国天、南方を増長天、西方を広目天、北方を多聞天の4体の守護神、邪鬼は、人に厄災を振りまく存在として、仏法のもとに懲らしめられている様子を表しています。

 天邪鬼改め邪鬼天の誕生です。釈迦はインドの小国の皇太子として育ち、妻子にも恵まれた生活の中で人生に悩みました。不平等ではないか?死とは?苦しみのない人生とは?今日のように文明が発達しない当時の人々は天変地異は神の怒りであり、死後の世界を想像し信じました。釈迦は証明のしようのない話は無記とするしか無かったのですが、自らの教えで有る「自灯明、法灯明」によって死後はあるとした大乗仏教と変化しました。
 邪鬼天は知っています。死後は感じる事が無い世界であり、少しの間は髪は伸びますが神は生きていない世界であると。つまり、あの世を信じていません。信仰は自分に対してであり、自己を創り揚げた過去から現在の他者への信頼という信仰です。自由と愛の概念の源泉は「天上天下唯我独尊」と「As far as I am you are here,As far as you are,I am there」限りある命、有限の存在である私自身の命と、命の連続性に対する希望であり絶対の信仰です。
 四国八十八カ所で有名な弘法大師・空海にまつわる同行2人という言葉があります。四国一周するのでは一人で無く、大師と一緒に廻るという考えです。それは、「私が在る限り貴方は有り、貴方が在る限り私も有る。」と同じです。クリスチャンで有ればキリストでいいわけです。自己を確立する上で信頼する特定の他者は必須です。一人では孤独であり、事に当たっては判断を迷い考える必要があります。先人と自己と同化することでアイデンティティを獲得し、迷うことなく自動的に判断できます。
 司馬遼太郎は「21世紀に生きる君たちへ」を小学生に向け、「たくましく、やさしさありて、たのもしい」と21世紀には彼は生きていない30年ほど前に残しました。たくましく無ければ生きていけない、やさしさだけでは自分を見失う、両方があってこそ自己を確立した頼りがいのある人になると
 
 今ではDNA解析も進み、生命は無の中から生じた奇跡の連続、雌雄の分離によって生命進化がさらに進み、人類は数万年の間に知能を飛躍的に進化させました。自由の概念は生存する一人一人の生命欲求であり、愛の概念は哺乳動物が授乳によって獲得したホルモンであるオキシトシンという愛情ホルモン・幸せホルモンによる欲求です。思春期になると性ホルモンによって体は一気に大人へと変貌して行きます。性衝動と人間関係の構築は一朝一夕で可能な問題ではありません。大きな壁があります。誰もが失敗を重ねて成長します。社会の習慣、形式が無ければ何らの表現や行為も存在しません。そして、個人の生存欲求と社会との均衡を保つため支配権力は神と性を活用してきた歴史があります。
 自由の概念は18世紀フランス革命で自由平等を理念として人権が確立されてきました。しかし、愛についてはフランス革命当時は友愛・博愛でした。「愛」は神の愛、家族愛、性愛、隣人愛などであり多様な意味があり統一されていません。それは私たちにとって社会生活が、人と人の関係や存在そのものが愛であるのに、神と人に愛を持ち込むからです。生存欲求として家族愛、性愛、隣人愛は人類共通であり汎用が可能です。
 なぜ私が神や仏を信仰しないか、それは偶像でありシンボルであるからです。釈迦やイエスは実在した人物です。後世の人々によって都合良く祭り上げられました。私が嫌悪する所は、社会人として生活するために個人の生存欲求と他者との調和を図る必要があります。自己の生存欲求を制御し合意すべき処を見出す社会性、幼児から成長するに従って試行錯誤の中で徐々に学んで獲得する必要があります。しかし、自己中の人は自己の生存欲求を最大にするために神や仏を利用します。成長するに従って学ぶべき社会性が無く、幼児のままに自己の生存欲求を満たします。我は神と共に有り、それが私の信仰であり、自由であると正当化します。狩猟社会での奪う愛のママであり、今日の人権や平等の概念を理解できず、平和の意義すら問はない指導者達が人権侵害の最たる生存与奪を行っています。

 12禁の理由、中学生になれば少しづつ自分の人生・世界を考える必要があります。難しい文章も少しずつ慣れる経験が必要です。12才の人には読むことはできても理解はほぼ不可能です。知らない言葉・概念が理解できません。高校になって少しは言葉の意味を理解しても実感・体感しなければ理解が進みません。しかし、18才になれば成人となり、16才には性交同意年齢になります。当時の私は自立心を欠いていました。逆に早く色気づいて自立させない、勉学に励みなさいという風潮が強くありました。現代でもそれは変わっていない人が多いかもしれません。しかし、依存から脱却し自立心を養うことは、独立した人格の形成に必須です。逆に他への依存がニートを生み自己中を産出させ、或いは脅迫自責からストレスと過労を重ねうつ病や病変を発症させてきました。米国のリンカーンは40才になれば自分の顔に責任を持てと言いました。人格形成に与える環境の恐ろしさです。
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