愛と自由に満ちた幸福な生活は公平であるべし、人権・平等・平和が生きる人の権利

原理  愛 ・公平・自由
原則 人権・平等・平和
命をつなぎ、知識を伝へ発展した文化・科学
人々の想いを伝承

宗教指導者、倫理学者に問う。自由と平等、平和に対する罪。安倍政権の新自由主義、復古主義を糾弾する。

2018年12月03日 | トップページ

 本稿は安倍自民党政権の政策の是非を問う以前の考え方、思想の是非を問うものです、
 それは日本に充満する誤解、偏見、差別意識を影響力の有る指導者、マスコミが再生産しているからです。
 安倍首相は自由の意味をちゃんと理解しているのでしょうか?一般には心のまま、外的束縛や強制がないこととされていますが、違います。憲法に記載されています。
 日本国憲法 第10章 最高法規
第97条 この憲法が日本国民に保障する基本的人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、これらの権利は、過去幾多の試錬に堪へ、現在及び将来の国民に対し、侵すことのできない永久の権利として信託されたものである。

 憲法では自由とは基本的人権としています。人類の多年にわたる獲得の成果として、国民は永久の権利として守らねばならない。
 自由主義を訴える一国の首相がこの条文のもつ意味を知らない可能性が大です。97条は自民党憲法改正草案ではバッサリと削除された項目だからです。高校の検定教科書でも教えていません。再度、自由の権利は基本的人権によって保護されています。自由とは基本的人権です。劣化したマスコミは誤解と偏見を溢れさせています。
 自由が他者の自由を侵害する二面性は濫用禁止と公共の福祉によって制限されています。しかし、より重要なことは平等です。平等は権利に集約されていますが、他者の自由を侵害しない、他者を思いやる心があります。それが平等です。平等によって自由は制限されます。社会的公正を確保するために自由と平等、自由と愛のように並列されるべきものです。平等とは愛であり、慈悲、仁に相当します。
 カジノは資本主義そのものと言われますが、公然と財を奪い合うことを是とします。富を得るの自由、失うのは自己責任。弱肉強食と運不運。聖徳太子の時代、戦乱の時代から秩序を求め、仏教が国是とされた時より賭博は御法度でした。人々が助け合う心を失なわせ、人心を荒廃させ、勤労の喜びを奪うからです。カジノ推進論者でカジノ歴50年、今ではラスベガスに一日10万ドル持ち込む実業家は「飲む打つ買う」は人間の根源的な欲望。即物的な快楽主義を公言しました。飢えに苦しむ人々等のために自分はどれだけ貢献したかも含めて自慢すべきです。きっと彼は言います、カジノでぼろ勝ちしたら、今はトータルで負けている。その日は永遠に来ないと。
 安倍の自由は他者の自由を侵害することを是とする自由です。古典的な幼児のわがままの自由です。それを新自由主義と呼びます。自由と平等、愛や慈悲、仁を自己責任に置き換えます。”自由と平等”から「自由と自己責任」です。資本主義の自由、自由主義経済とも言えます。資本のための資本の自由によって国民の自由は侵害されます。公共の福祉に反します。自由と平等に対する重大な罪です。

 安倍の友党、新自由主義の政党である日本維新の会が国民受けを狙って教育の無償化を改憲項目にしています。新自由主義の巧妙なワナです。経済格差が教育格差を産む。しかし、教育格差によって経済格差が生じるのでしょうか?
 中学、高校、大学と成績が優秀でなければ経済的に恵まれないのでしょうか?詰め込みの受験勉強、受験競争に青少年を追い込み、成績が悪ければ収入が低くなる、結婚できませんよ。それはあなたの自己責任です。何という若者に対する人権無視でしょう。荒れない方が不思議です。それを恐れる安倍政権は道徳教育に秩序を求めます。
 受験競争に追い込まれ、人間形成の大事な時期に男女の交流、交際を制限禁止され、晩婚の気配を境に親は彼女彼氏は?とペットあつかい。少子化は晩婚化と増大する未婚率と離婚率(多子家庭の減少)という男女の相互不理解、人間としての未成熟にがあります。
 年収200万以下の勤労者が1000万人以上と言われる今日、教育格差が有っても十分な収入が得られる社会であるべきです。第2次安倍政権より、アベノミクスの目指したデフレ脱却、富の拡大(バブル期以上の土地の値上がり、株価の政府系資金の下支え)にもかかわらず、年金生活者は恩恵どころか、負担増「年金の目減り」だけが進みました。恩恵は利益の上げた法人と一部社員、投資家です。需要と供給、需要が供給を上回れば上がるべき賃金が上がりません。トランプの一言で原油高となりましたが、人件費は価格に転化できない構造?富の分配に問題があります。さらに、団塊世代の高齢化で明らかな人手不足、入管法改正によって安価な労働力を移入させようとしています。

 平和に対する罪、安倍首相は8月15日 全国戦没者追悼式の式辞を述べました。首相官邸 https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0815sikiji.html
靖国神社への参拝を見送る代わりに中身は靖国神社に向けてでした。沖縄全戦没者追悼式での挨拶以上に劣化しました。https://www.kantei.go.jp/jp/98_abe/statement/2018/0623okinawa.html


 彼が米国べったり、米国の軍事体制に従い、沖縄の辺野古基地建設を初め、自衛隊の軍備増強でもって平和を維持する、積極的平和主義と称しています。日本は米国に未だ占領されているのでしょうか?ノーと言えない日本、政府と政治家は公に出来ない弱みを握られているのでしょうか?
 憲法が求める積極的な平和は他国との相互理解、緊張緩和、軍縮にあります。互いの不信感と恐怖心を煽ることではありません。他国との軋轢をマッチポンプのように選挙に利用する国に未来はありません。トランプは北朝鮮と仲良くなっては困るのです。ミサイルさえ自国に届かなければ、緊張があった方が軍事産業の雇用と利益が守られるからです。
 ノーベル平和賞を受賞したICANへの対応は彼の厚顔無恥、無神経の極みです。


 私は安倍政権の自由と平等、平和に対する罪を宗教指導者、倫理学者に問うと題しました。日本の知識、文明を担ってきたのは永らく仏教であり、漢学でした。明治期以降の富国強兵、宗教にはあらずとされた国家神道、国家主義から天皇の神格化が招いた戦争と無条件降伏、耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだ新生日本、日本国憲法が生まれました。それを由としない団体を支持母体とする安倍政権の新自由主義、自由主義経済は存在そのものが悪です。私は多くの優れた宗教家を知っています。しかし、偏見に充ち傲慢で差別的な宗教家も知っています。極端には唯物論には心が無く、快楽主義者であると公言します。安倍政権によって社会、人心が乱れることを望む宗教家はいないと信じます。しかし、権力者や資産家からの庇護?社会の動きに無関心、無知、浅学な指導者が偏見、差別を助長させています。私は市井の思想家を自認していますが、天の意思を信じない、汎神論者です。仏教の始祖の釈迦もそうで有ったと確信しています。そして唯識は個人の心に集中特化したとものと理解します。


人間社会学 原論 をアップしています。未だ個人作業ゆえ荒っぽいですが批評を受けて、より洗練されると考えます。
 https://blog.goo.ne.jp/tensyouwao/e/752993dee411aa6c81cdd3adbb94d641



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