ぷっち~の気まぐれ日記

気分が向いたら書こうかな。。。

コロプラはじめました。【コロニー番号:464228】

消えゆく、夜行列車たち・・・

2009年03月13日 23時51分14秒 | 鉄道
 さて、13日も終わり14日になったばかりでありますが・・・

寝台特急「富士」「はやぶさ」:13日発(下り)列車→岐阜-京都間を走行中。(午前0時現在)

寝台特急「富士」「はやぶさ」:13日発(上り)列車→福山駅付近を走行中。(午前0時現在)

とこの2列車が、大きな目玉となりましたが、定期夜行列車としてがんばっていた「ムーンライトながら」「ムーンライトえちご」の定期廃止も忘れてはなりません

夜行快速「ムーンライトながら」:13日発(下り)列車→大船-小田原間を走行中(午前0時現在)。

夜行快速「ムーンライトながら」:13日発(上り)列車→金山-大府間を走行中。(午前0時現在)。

夜行快速「ムーンライトえちご」:13日発(下り)列車→新津駅に停車中。(午前0時現在)

夜行快速「ムーンライトえちご」:13日発(上り)列車→大宮-高崎間を走行中。(午前0時現在)

そんな夜行列車たちですが、ムーンライトシリーズの定期列車は全廃してしまいましたが、今後は臨時列車としてがんばっていくようなので、温かく見守ってあげたいですね

遠くを結んでいた夜行列車、時代は昭和から平成へと変わりつつあります・・・

さよなら、東京発着ブルートレイン・・・

2009年03月13日 21時38分11秒 | 鉄道
 さて・・・無事に東京駅を発車した寝台特急「富士」「はやぶさ」ですが、発車の約2時間前に東京駅10番線ホームへついたわけですが・・・私はこのときを甘く見ていたと思った 昨年、「銀河」廃止時は1時間30分前には機関車停車部を取れたから、今年も取れるだろうと思っていた しかし、そこが落とし穴だった 東京発着のブルトレが今日で最終。今後は見ることができなくなるのだ。そのことを忘れていた私が行ったときには、機関車部は埋まっていて列には入れたのは1号車前扉付近。

 


列車は、警笛を鳴らしながら17時21分ごろ東京駅10番線ホームに鉄道愛好家などからお出迎えされながら入線して来ました そのときは、動画にしていたために静止画はないですが、皆様から支えられている鉄道の部屋に掲載できるときが来ましたら、本日のページを動画付きで公開したいと思ってます

なにやら、本日は私の愛読書の著者の西村京太郎さんが乗ったようで、あたりからは「西村さ~ん」という言葉が聞こえてきましたが、本当かどうかは、私は見ていないので残念ながら記事を書いている最中でもわかりません

刻一刻と発車時間が迫るにつれて、撮影している人からは「お疲れ様」「ありがとう」「がんばって」など、温かな言葉が聞こえるようになり・・・

ついに、発車時間の18時03分








九州方面へ向かう定期列車のブルートレイン(九州ブルトレ)、また、東京駅を発着するブルートレイン(私的に、東京発着ブルトレ)は、定刻どおりに大分駅(富士)・熊本駅(はやぶさ)を目指し、鉄道愛好家などから見送られ、最後の運行として東京駅を後にしました




現在は・・・21時30分。 浜松駅を発車し、次の停車駅である豊橋駅に向けて走行中ですね
ちなみに、上り列車は・・・中国地方に進入し、山陽本線の柳井駅付近を走行中ですね

----- 西村京太郎さんの小説(はやぶさ編) -----

寝台特急殺人事件 (カッパ・ブックス)
西村 京太郎
光文社

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----- 西村京太郎さんの小説(富士編) -----

下り特急「富士」殺人事件 (徳間文庫)
西村 京太郎
徳間書店

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大接戦の終了★

2009年03月13日 18時30分11秒 | 鉄道
18時03分、無事に富士・はやぶさは東京駅10番線ホームを巣立って行き、それぞれ、熊本・大分に向けて発車しました。

私は、駅に併設されてるデパートで買い物をしてから帰ります

発車まで約1時間・・・

2009年03月13日 16時57分19秒 | 鉄道
現在、テレビでは10番線ホームの生放送をやってるそうな(*^_^*)

到着まで約30分といったところでしょうか!
多分、この記事が発車前、最終更新だと思います。

更新は帰宅途中に行いたいと思います

では、みなさんさようなら(^_^)/~

2時間前にして・・・

2009年03月13日 16時01分55秒 | 鉄道
さて、今日は鉄道ファンにとって、また、ブルートレインを愛する者にとって重要な日に違いないと思いますが、現在、東京駅10番線ホームにいます。

富士・はやぶさの発車までに約2時間もありますがホームにはすでに、写真を撮影する人たちでいっぱいです。

この模様を放送するであろう報道機関の方も詰め掛けています。

車両図鑑:おおとり編

2009年03月13日 03時23分29秒 | 車両図鑑
 さて、ここ最近は暖かい日が続いたと思ったら、急に寒い日が続いたり・・・体調を崩しやすい季節ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか

さて、網走旅行に関しては、リバイバル運転ということでその歴史を書いていこうと想いから、先日ははつかりに関して書いていきましたが、今回は「おおとり」に関して書いていこうと思います
さぁ、当日は函館駅から網走駅までを約15時間かけて運んでくれる「おおとり」ですが、ただ単に北海道だけの愛称だったわけではありません。

----- 東海道本線での活躍 -----

おおとりの登場は昭和36年(1961年)10月のこと。東海道本線の電車特急の増発のために東京-名古屋間で運行を開始した。

車両は、151系車両を使用し、東京を18時に出発し名古屋には22時15分に到着、逆に名古屋を7時45分に出発し東京に12時に到着というダイヤだったとある。

また、この列車を使えばほかの列車より東京に滞在できる時間が約1時間も伸びるために中京圏からの利用客から人気があったとされるが、昭和39年(1964年)10月に東海道新幹線が開業したことにより、東海道本線からは名称をはずした。しかし、遠い北海道の地で名称が復活することとなる。

----- 北海道での活躍 -----

さて、東海道本線から一気に活躍の場を移したおおとりだが、運転区間となったのが、函館-網走・釧路を結ぶ特急ということになった。
おおとりは、北海道では2番目の特急列車の名称として設定された。(1番目は「おおぞら」であった)

函館からは、おおぞらとともに本州方面からの接続を受けるダイヤとして、また、おおぞらが本州を日中に行くはつかりからの接続列車だったのに対し、おおとりは本州を夜間に行くはくつるから接続をそれぞれ受けるという昼行・夜行ダイヤのパターン化が築き上げられた。また、このときから自らの予定に合わせた列車に乗車できるといったメリットのようなものがあった。

しかし、昭和45年(1970年)10月のダイヤ改正で釧路編成をなくし、網走編成のみの運行となる。その後、国鉄民営化を経て、北海道旅客鉄道(株)(JR北海道)となり、青函トンネルが開業した昭和63年(1988年)3月のダイヤ改正を持っておおとりの幕を閉じた。
この網走編成は、現在のところ、函館-札幌間を「北斗(スーパー北斗)」札幌-網走間を「オホーツク」がそれぞれ役目を担っている。

今回も、以下の文献を参考にしました。

----- 今回の参考文献 -----

鉄道ファン 2007年 02月号 [雑誌]

交友社

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----- 以上が参考文献でした -----