ぷっち~の気まぐれ日記

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車両図鑑:おおとり編

2009年03月13日 03時23分29秒 | 車両図鑑
 さて、ここ最近は暖かい日が続いたと思ったら、急に寒い日が続いたり・・・体調を崩しやすい季節ですが、皆さんはいかがお過ごしでしょうか

さて、網走旅行に関しては、リバイバル運転ということでその歴史を書いていこうと想いから、先日ははつかりに関して書いていきましたが、今回は「おおとり」に関して書いていこうと思います
さぁ、当日は函館駅から網走駅までを約15時間かけて運んでくれる「おおとり」ですが、ただ単に北海道だけの愛称だったわけではありません。

----- 東海道本線での活躍 -----

おおとりの登場は昭和36年(1961年)10月のこと。東海道本線の電車特急の増発のために東京-名古屋間で運行を開始した。

車両は、151系車両を使用し、東京を18時に出発し名古屋には22時15分に到着、逆に名古屋を7時45分に出発し東京に12時に到着というダイヤだったとある。

また、この列車を使えばほかの列車より東京に滞在できる時間が約1時間も伸びるために中京圏からの利用客から人気があったとされるが、昭和39年(1964年)10月に東海道新幹線が開業したことにより、東海道本線からは名称をはずした。しかし、遠い北海道の地で名称が復活することとなる。

----- 北海道での活躍 -----

さて、東海道本線から一気に活躍の場を移したおおとりだが、運転区間となったのが、函館-網走・釧路を結ぶ特急ということになった。
おおとりは、北海道では2番目の特急列車の名称として設定された。(1番目は「おおぞら」であった)

函館からは、おおぞらとともに本州方面からの接続を受けるダイヤとして、また、おおぞらが本州を日中に行くはつかりからの接続列車だったのに対し、おおとりは本州を夜間に行くはくつるから接続をそれぞれ受けるという昼行・夜行ダイヤのパターン化が築き上げられた。また、このときから自らの予定に合わせた列車に乗車できるといったメリットのようなものがあった。

しかし、昭和45年(1970年)10月のダイヤ改正で釧路編成をなくし、網走編成のみの運行となる。その後、国鉄民営化を経て、北海道旅客鉄道(株)(JR北海道)となり、青函トンネルが開業した昭和63年(1988年)3月のダイヤ改正を持っておおとりの幕を閉じた。
この網走編成は、現在のところ、函館-札幌間を「北斗(スーパー北斗)」札幌-網走間を「オホーツク」がそれぞれ役目を担っている。

今回も、以下の文献を参考にしました。

----- 今回の参考文献 -----

鉄道ファン 2007年 02月号 [雑誌]

交友社

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----- 以上が参考文献でした -----


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