ーー痛い…。
ーー苦しい…。
ーー寒い…。
ーー許さぬ、許さぬぞ…人間め…。
ーー嗚呼(ああ)…もう…どれほど飯を食っておらんのか…。
ーー嗚呼、痛い、苦しぃ…そして…。
ーー恨めしい。
ーー我は信じたのだ。
ーーあの、伝説を…。
我の住む公園という場所には野良猫と呼ばれる同胞がたくさんおった。
我々だけではない、鳥や、虫や、様々な生き物がそれぞれに生活をしておった。
我らはいつも空腹で、食べるものを探し、己の縄張りを死守することのみが生活であった。
だが、そんな我々を助けてくれる人間がおった。
その人間たちはよく我らに食事を与えてくれた。
我々のいる公園にはたくさんの同胞がいる故に、毎日が満たされる訳ではなかったが、うまい食事が得られることはこの厳しい世界での唯一の救いと安らぎであった。
そんな中、我々の仲間がその人間に連れ去られる事もあった。
何でも地域猫活動、とかで我らを捕獲し、避妊手術をし、許の場所に放つーー。
という活動らしい。
我らの許に戻ってきた同胞の話では、ちと狭いがそこでは食事も水もふんだんに与えられ、温かい寝床も与えられ、そして腹にちと痛みは走るが、なんの問題もなく生活を送ることができる、との話であった。
だが、中には戻ってこない同胞もおった。
ある日、一匹の同胞がやってきた。
だが、其奴(そやつ)は見違えるほど毛並みが整い、眸や爪の色艶も良くなっておった。
動きも軽やかで、何でも名をもらい、飼い猫になった、という話であった。
飼い猫とは、人間と一緒に暮らすこと。
好きなときに食事と水を与えられ、心地よい寝床が用意され、ときに人間に遊んでもらうーーという何不自由のない生活を送っている、とのことであった。
我は憧れた。
その飼い猫生活に。
我は信じた、人間に連れ去られ、この場に戻らぬ同胞は何不自由のない飼い猫になったのだと。
人間には我らに興味のない者。
興味があり、我らの幸せを願いながら、我らの生活の手助けをしてくれる者ーーコレが地域猫活動とかいうものらしい…。
そして、一緒に暮らすと決めた我らに食事と寝床を供し、責任を全うする者。
我は憧れたのだーー。
いつも、食事を運んでくれる人間…。
たまに頭や身体を撫で、我の身体を抱き上げ、その腕に包んでくれる人間。
もっと触って欲しかった。
もっと、その腕に包んで欲しかった。
だから、その伝説級の「飼い猫」という存在に憧れたのだ…。
飼い猫になれば、もう飢えることも、熱暑に喘ぐこと、極寒に凍えることもないと、そう思うておった。
だから、ワシはその籠に入った。
だが、我は知らなんだ。
人間には我が思いも及ばん人種ががおったことをーー。
公園には我らを邪険にし、時には物をぶつける不届き者も確かにおったし、たちの悪いいたずらをする者がいたことも事実じゃ。
だがーー。
我を捕まえ、このような暴虐を加える種類の人間がおったとは…。
ーー無念じゃ…。
ーー我はこの密室で、あらゆる暴虐を受けた。
ーー身体は血まみれぞ。
ーー籠ごと水につけられ、身体は冷え切ておる。
ーーもう、回復する気力も体力も残ってはおらん…。
ーーおのれ、人間…。
ーー必ず、この恨み晴らさず置くものか。
ーーいつか再び見(まみ)えたときには、我は必ずこの恨みを晴らす。
ーー今はもう、剥ぎ取られてないが、必ずこの爪でうぬの身体を引き裂き、この牙を打ち立て、引き千切り、必ず、必ずこの恨み晴らさず置くものか…。
ーーおのれ、人間…。
ーー呪って、祟って、必ず目にもの見せてくれるわ…。
ーーあぁ、もう目が見えん。
ーーあぁ、我は…われ、は…。
………。
■ ■ ■
ーー光り輝く場所、幸福感が我を包んでおる。
ーーなんじゃ、目の前に光輝くものが浮いておる…。
ーー猫さん、お疲れさまでした。お辛い目に遭われましたね…。
ーー誰じゃ、そなたは? 「お辛い」じゃと? そんな生ぬるいものではないわ。嗚呼あれ程の痛み飢餓感がない、そうか我は死んだのか?
ーーよかった、もうあの苦痛を味合わなくてすむ。
ーー嗚呼、本当に良かった…。
ーー猫さん、あなたはこのまま逝かれて良いのですか?
ーー誰じゃ、そなたはさっきから。
ーー我はこの世にはうんざりじゃ、この世には恐怖と苦痛と屈辱と空腹しかなかったわ。嗚呼ーー思い残すのはあの人間…あの人間を八つ裂きにしてやらなんだことは残念じゃが、致し方がない、我はもうあのような苦痛も恐怖も味わいたくはないわ。
ーー嗚呼、人間とは本当に恐ろしい生き物ぞ。思い出すだけで全身が総毛立つわ。
ーーあなたはそのままでいいのですか?
ーーなんじゃ、お前はキラキラしおってからに…察するにお前さんは我の導き手であろう?
ーーそうです、ですがあなたは本当はーー。
ーー本当は何じゃ、おぉ、お主、姿が消えかけておるぞ、我は、我はどうなるのじゃ?
ーーあぁ、行くでない。そなたに行かれてしまったら我は、我は…。
■ ■ ■
ーーちゃーんーー。
?
ーー猫ちゃん。
ーー誰だ、我を呼ぶものは…。
ーーちゃん。
ーーあぁ、全身が痛い、苦しい…だが、温かい…。
ーー猫、ちゃん…。
ーーえぇぃ、猫ちゃん猫ちゃんうるさいわッ、第一、それは我に対する呼びかけなのか……?
ーー猫ちゃん、頑張って…。
ーー嗚呼うるさいわッ。我にはもう考える力もないわ…。
■ ■ ■
ーーうん? 明るい…ここはどこぞ?
「あぁ、気がついた」
ーーなんじゃ、うぬは見かけぬ姿ぞ…ん、身体が動かぬ…。
「もう大丈夫、猫ちゃん今日はここでゆっくりしようね」
ーーなんじゃ、気安く我に触るでない、人間風情がッ。聞いておらぬのか? 持ち上げるでない、無礼者がッ!
「猫ちゃん、明日には飼い主さんが迎えに来るからね、もう大丈夫…」
ーー何が大丈夫であるものか、全身は痛いし、声も出ぬし、身体も思うように動かせん。あぁ、眠い、何だこの暖かさは…瞼(まぶた)を開いておれん…。
ーー騒がしい、どこだここは…。
ーー同胞の匂いがする…犬や他の動物、そして人間の匂いがプンプンするぞ。
ーーどこなのだ、ここは…。
ーーぬ?
ーー目の前にあるコレは食事と水ではないか…。
ーー我のか? 我が食してよいのか。
左右を見回し。
ーーうむ、我しかおらぬし、我が食べてもいいよね。
ーー我のだよね。
ーーあとから来ても知らないもんね。
ーーだって、この狭い場所には我しかおらんもんね。
一口ぱく。
ーーうまいッ!
ーー嗚呼、何という…この柔らかさ、こんなうまい食べ物は食べたことがないわッ。
ーー我、食べちゃうもんね。
ーー全部我のだからね、コレで何日生き延びられるか…。
ーーあぁ、うまいッ! 水も飲んじゃうもんね、綺麗で澄んだ水なんて、何年か振りかだもんね。
「ご飯美味しい? 猫ちゃん」
!
ーーいつの間にか人間がおる…あの人間ではないが…。
ーーなんじゃ、まだ我を虐め足りんのか?
ーー今度は何をするつもりじゃ、足を切るのか、それとも残ったこの片眼かッ!
ーー許さぬ、許さぬぞ、人間ッ!
「フーフー言ってますよ先生、元気になって良かったですね」
「本当に良かった、連れてこられたときは心拍が弱くて、正直間に合わないかと思ったけど、良かった」
ーーあぁ、もう一人人間が近づいてきたッ。
ーーこちらを見るでないわッ、この場から去らぬとこの爪でッ!
ーー爪で…っていうかなんであんの? あのときに引き抜かれてしまったはずなのに…そしてーー。
ーー小っさッ!
ーー我の手小っさッ爪小っさッ!
ーー縮んだ、我の手縮んだ…?
ーーっていうよりコレって仔猫の手だよね。
ーー何だコレ…?
ーー我は栄養失調と虐待で、精神がおかしくなってしまったのか…。
ーーこの珍妙な現象は何なのだ…。
「ちょうどよかった、飼い主さんが迎えに来たよ」
ーー来たって、飼い主とはあの男か…?
ーー己ーー許さんぞッ!
ーーこら、我に触るでない、我はここを気に入っておるのだッ
ーー嗚呼ーー我を掴むでないわッ!
!
ーー掴む?
ーー我、そんなに小さかったか…?
呆然…。
「おまたせしました、飼い主さん…猫ちゃん元気になりましたよ」
ーー飼い主…誰ぞこの女は?
ーー何じゃ、何を話しておるのじゃ、そんな早口で、連続して話すでない。い、意味が解らん。
ーー何じゃ、その箱は。
ーー我を、我を閉じ込めるのか。
ーーその箱を振るのか、それとも水に落とし込むのか、おのれーー許さぬぞッ!
ーー今は我も自由の身、そんな箱に押し込められる前におのれの皮膚をこの鋭い爪で…。
ーーってか小っさッ! ないはずの爪が小ッさッ!
ーーは? なにこの現象?
ーーは?
ーー我、首を摘まれておる…? 我は痩せておるとはいえ成猫ぞ。
ーーガラスになにか映っておる。
ーーそれは先生と呼ばれ、我をこの面会室とやらに連れてきた男と、看護師と呼ばれる女、そして仔猫の首を摘み、反対の掌(てのひら)でその身体を包んでいる女ーー。
ーーその掌の中にいる仔猫とは…。
ーーいやいや、そんな訳はない。
我は首を左右に振った。
そして見た、女の掌の中の仔猫も首を左右に振ったのをーーッ!
■ ■ ■
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