「TV会議システムの不確定性」を乗り越えるために
テレビ会議を使った遠隔授業の困難さは、前回記述した「TV会議システムの不確定性」が現在学校の授業にはミスマッチ、相性最悪という点に尽きます。
しかしそれはあくまで、求める授業の内容が現在学校で行われている範疇を超えず、その延長線上だけで考えているからです。
会社業務のICT化でも何でもそうですが、単にそれまでの業務スタイルをIT化によって効率化する、より便利にする、という姿勢では、ほぼ失敗します。
むしろ、業務をICTに寄せていく、誤解を恐れず言えば「人間が機械に合わせる」といった姿勢と覚悟が不可欠なのです。
たとえば車やパソコンは、それに取って替わられた馬車やワープロの「完全上位互換」ではありません。
馬車はガソリンスタンドが無くても前に進みます。ワープロには「筆記用具の延長線上風の道具感」といった質感的な良さがあるでしょう。
しかしいまだに馬車やワープロを使う人がいるとすれば、それはいたって少数であり、趣味の範疇にしかなりません。 スマートフォンのソフトウェアキーボードがいまだに慣れず、ガラケーの物理ボタンを傾慕する人もおり、馬車やワープロよりは多いだろうもののこれも年々減少するでしょう。
人間が身につけるべきスキルということで言えば、昔の人のほうが達筆だったといえるでしょう。そろばんも今より普及していましたから、暗算が得意な人も多かったでしょう。それらは今でもあるに越したことはありませんが、机上にそろばんを置いたり筆を置いて仕事をするシーンはほぼなくなりました。
例を言い出せば枚挙にいとまがありません。物であれスキルであれ、新しくより時代によりフィットするものができれば必ず失われる何かがあり、 それを受け入れて進む道を我々は選んできたわけです。その中で、良いか悪いかは別として、その時代時代で尊重された物やスキルは失われ、より必要とされるものに適応せざるを得ません。
さて、「テレビ会議やWEB会議を使った遠隔授業」に置き換えて考える場合、それに対して我々が必要な適応とは何か、また、革新とは何か、についてきっちり考えなければいけません。
我々が現在会社で求められることは、いかに短い時間で多くの作業を終えるか、もしくは創造的アイディアを創出するか、に尽きます。
更には、ビッグデータとAIを駆使して、人間の想像の範疇を超えた発見をし、世の中に適用していくというフェーズに入ろうとしています。
そのような中で、勤勉で忠実な人材を大量生産することを目的とした教育だけで足りるはずはありません。
座学スタイルの授業は極力減らす
今や多くの企業で、一人一人順番に状況を報告するような会議は時間の無駄であると気づいています。
Slackなどの同時平行コミュニケーションツールでリーダーに報告して完了、というスタイルも珍しくありません。
案件の進捗などもすべてデータ化してBIツールに入力すれば、ツールが解析・可視化して人間にボトルネックや課題を提示してくれます。そのようなプロセスにおいて人間が発声しそれを書き取りキーボードで入力するという作業は2度手間3度手間でしかないのです。
つまり、「考えのまとめ方や発言の仕方を学ぶ」だとか「人の意見の聞き方・捉え方を学ぶ」「討論する」といった基礎要素自身の習得を明確な目的とした授業以外は、先生→生徒の一方的な座学や、他の人の発表を黙って聞いているといったスタイルの授業は一切やめたら良いと思います。
なお、黒板を写すことで頭に入るだとか、他人の発言を聞くことを強いられることで思わぬ気づきがあるといった従来のメリットも当然あるでしょう。ここで言うのは、それで失われる時間を今後必要とされるスキルを学ぶ教育に割り当てたほうがより有効なのではないかということです。
例えばそれは、以下のような力を育む教育です。
- 多くの情報から重要なものを抽出・整理する
- 世の中の事象を符号化する
- それらのデータから傾向を導き出し、理屈の通った提案を数多く出す
学問では統計学、プログラミング、論理学などが該当するでしょうか。ともすれば哲学や戦術学も、より容易で現代風にできたならば、必要かもしれません。
ちなみに先に述べた「考えのまとめ方や発言の仕方を学ぶ」「人の意見の聞き方・捉え方を学ぶ」「討論する」ということは全ての基礎となり非常に大事ですが、私はこれらを中等教育で「習った」おぼえがほとんどありません。結果的に身についたということはあったかもしれませんが、もしそのような成果を目的として明確に掲げてプログラムされていたとすればとても非効率なものだったと言わざるを得ません。つまり今の日本の教育にそんなに守るべきものがあるのか疑問です。
「読み書きそろばん」を上書きする初等教育の基盤を定義しなおす
上で挙げたような分野に力点をおいて新しい教育の基盤を構築したならば、子どもたちにとってICTツールは空気のようになっているでしょう。
なにせ、統計やプログラムといった授業の中身自体が密接に関連するものはもちろんのこと、全てのコミュニケーションがICTツール経由となります。
従来のように紙に書かれた連絡帳で教師と生徒・親がやりとりするなどという全時代的な儀式もなくなり、テキストチャットやマルチメディアコミュニケーションツールを使うでしょう。行事日程などのスケジュール管理やToDoリストなどのタスク管理、目標設定とそのプロセス管理などビジネスでは当たり前にPC内でやっていることです。
アナログなスタイルの授業であっても指示や説明はデータで提供され、提出もできるだけデータになるでしょう。
従来の「読み書きそろばん」は、歴史を紐解けば、庄屋が年貢諸役を遂行するのに必要とされたスキルだという説があります。つまり今で言えば役人が役人たるためのスキルです。
しかし、今や日本のお役所のやり方は時代遅れです。一般企業で入札参加でもしてみたことがあれば痛いほどわかります。
お役所仕事など遠に置き去りにして上場企業ではITにより仕事のスタイルがまったく変わっています。役所も中小企業も遅かれ追従するでしょう。つまり初等教育がそれに追随してこないというのはありえない話でなければいけません。
「読み書きそろばん」だけ信奉することをやめ、教育の礎を再定義すべきフェーズがやってくるはずです。
個人的には、「読み」はずっと必要ですが「書き」「そろばん(筆算)」の時間は段階的に減らして別のことに時間を割くべきではないかと思います。
想像する近未来のビデオコミュニケーション
この話にこれ以上深入りするとキリがないのでやめますが、そのような変化が起き教育の素地が変われば、ビデオコミュニケーションツールというのは導入する・しないというものではなく「当たり前のもの」になります。
あえて「ビデオコミュニケーションツール」と表現しましたが、ビデオ会議専用機というのが存在し続ける可能性は薄いと考えます。
確かに性能が良く使いやすいかもしれませんが、「単一機能の専用デバイス」というもの自体が淘汰されることでしょう。
電話もテキストチャットもメールもカメラもゲームも本も財布も、全部がスマートフォンに集約されたようにです。
Web会議についても、「Web会議」という言葉はなくなり、通信プロトコルや圧縮技術、UIなどの要素技術が継承された上で、「授業を行うためのボタンのひとつ」というニュアンスに近くなります。
テレビ会議システムを使った遠隔授業の近未来
ハードウェアが今の形の範疇を超えない形で存在する前提で、近未来を想像してみます。
教室内には既にマイクアレイ・スピーカーアレイがセル上に多数配置され、AIによる予測に応じてダイナミックに指向性を変化させます。音声も誰に向けたものかが予測・解析され事前に定位情報が重畳されます。
もちろんこれらの設定は全て自動です。
そこに以前のような「音声のストレス」はなくなっていることでしょう。
ネットワークはさらなるブロードバンド化が進み、冗長化コストも劇的に下がり、障害が起きても自動的に回復されます。
遠隔会議を使って実施される授業内容は、以前のような座学スタイルではありません。
海外の人と同時にプログラムを作り上げ共同作業するような内容かもしれませんし、 お互いの地域の特色を紹介するビデオを見せ合って感想を集約し、さらにはネット上にアップして全世界からフィードバックを得る、などという、1:NやN:Nを超えて1:∞, N:∞の世界かもしれません。
さらに、これらを指導するのは、上記のような教育を幼少より受けたデジタルネイティブたる先生方なので、何か問題があったとしても、「どうしたら良いか」を正しく判断できる論理力と経験的勘(IT的センス)が備わっています。
直接設定をいじれる人もいれば、ある程度原因を見定めて必要な情報を迅速にサポートに連絡し、リモートから回復してもらいます。
さらなる未来に遠隔授業はどうなるか
人間が五感を捨てない限りは人間とのインターフェースに関するハードウェアと技術は残ります。今で言えばスピーカーとマイクになるわけです。
しかしもう少し先の未来では、聴覚刺激を脳に伝播する神経細胞に直接はたらきかける技術が生まれたのならスピーカーは要りません。
同様に、発声する前段の脳の指令を符号として取り出す技術ができればマイクは要りません。それに変わる電極なりなんなりが必要なハードウェアとなり、音響工学は神経生理学に取り込まれます。
こうなってくるとそもそも「遠隔」とは何かという話にさえなりそうです。
まとまらない話のまとめ
さて、突拍子のない長文になりましたが、「遠隔会議を授業で使う」ためには、初等教育でITが空気のように使われるようなプログラムが組まれる必要があるということです。
教育の中身を変え、技術も進歩させ、ソフト面ハード面両面の機が熟してはじめて可能となります。
単なる物理的な距離感を解消するだけという目的で、今のやり方のまま補助ツールとして使うならば、成功させることは極めて難しいです。
それでも、少子化や災害による孤立化などにより相互扶助の精神で何とか使ってあげないといけない状況があるならば、役所からの補助金に頼って高コストをかけて実施するか、もしくはボランティア精神あふれる一般企業に広告宣伝費扱いで引き受けてもらうか、という選択肢くらいしか考えられません。
いずれにせよ未来への前段として、現行教員へのデジタル教育とIT道徳教育が急がれます。
一定のレベルをクリアできない教員は役職をつけないこと。
無限の可能性を持つ貴重な子どもたちに対し、現場の水準前提の教育しかしようとしないならば、全日本人にとって何よりの損失です。