ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧太田町横沢・長信田を往く-2⑦、終

2023年12月18日 | 旧太田町を往く

<今回歩いたところのH30年の航空写真>

●歩いた日:2023年10月8日(日)

●歩いた所

 ・国見(横 沢):桜後、川端、大釣木、新橋、小釣木、砂溜、佐幣神

 ・斉内(長信田):橇目、大久保、下堤、狐塚、鶴ヶ窪

●歩いたログ(足跡)(道のり6.1km)


 (以上の地図:国土地理院)

 (📸014から)車道を西に少し進んだところで、行く手を望む。

📸015:「桜後」の風景

 道奥の高い鉄塔の、道を挟んだ向かい側(左側)が、車を停めた「ポケットパーク」。

 その左手に建ち並ぶ家々は、「県道11号」沿いの「桜後」の家々。

 「ポケットパーク」に向かってしばらく進む。

(「ポケットパーク」付近から東を望む)

 奥から来たところ。

 道奥の家は「川端」、右端の家は「大釣木」。

 スタート直後はこの道を奥(東)に進み、道右手に見える看板のところを右折して南に向かった。

 真正面に「大台スキー場」。

 「県道11号」との角にある「ポケットパーク」に戻り、停めてある我が愛車「ラパン」に乗り込む。

 最後に、いつものように歩いたところの航空写真をご覧いただく。まずはH30年の写真。
 

 左手を南北に「県道11号」が、右上隅から南南西に「仙北平野1号幹線用水路」が走る。今回歩いた道筋を緑色線で書き入れた。

 幹線用水路の西側が旧「横沢村」の「国見」、東側が旧「長信田村」の「斉内」である。主な集落を赤で書き入れた。

 左上に「斉内川橋」が見える。前回のブログにも書いたが、橋のところで県道が右側(東側)に微妙に膨れている。古い橋の右側に架け替えられたことを示している。

 左下隅に、今回は立ち寄らなかったが、「太田北小学校」と「塞三柱神社」が見える。

 左下隅、住宅団地の北側の、今回歩いた道が、この後古い航空写真を見ると明らかなように昔の県道である。ピンク色線も改修前の県道の道筋である。

 右上、幹線用水路沿いの発電所は、今建設中なので当然ながらH30年にはない。しかし調整槽は写っている。調整槽は先行して整備されたのだろうか、それとも発電とは別の目的で整備されたのだろうか。

 家屋に付した「1」から「10」の番号は、この後の古い航空写真と比較しやすいように記入してみた。

 次にS51年の写真。


 
 左手に「県道11号」。「斉内川橋」」は川の北と南を一直線につないでいた古い橋である。

 右上隅から斜め下に濃い樹林帯を伴った用水路が写る。樹林帯があるということは、現在の用水路に整備される前ということになるので、「上堰」用水路である。

 左手、「県道11号」に近いところに「下堰」と思われる用水路が見える。スタート直後に撮った📸001:「桜後」の「下堰」跡?に写る水路は、区画整理後の水路であるが、この航空写真の「下堰」と一部重なっているようだ。

 田んぼは、「上堰」の東側、「斉内」地域では小区画ながら整然と整備されているのに対し、西側、「国見」地域は不整形で未整備である。なお、東側は先行して区画整理されたというより、S23年の写真を見るとわかるように、やっと整形された田んぼに拓かれた、というところである。

 下のピンク色線は現在の「県道259号」の道筋。

 H30年の写真に付した「1」から「10」の家屋は、この写真でも特定できる。

 当時、田んぼが未整備だった「国見」地域の道筋は現在とかなり異なっており、その道に「当時の道」と書き入れてみた。

 現在住宅団地がある場所は、当時は田んぼだったことがわかる。

 最後にS23年の航空写真。

 古い写真で少しわかりづらいが、「県道11号」と「上堰」、「下堰」の用水路が目に付く。

 写真全体を見て極めて対照的なのが、「上堰」の西側と東側の土地の形状、様子である。

 「上堰」の西側、「国見」地域は、この用水路が開削されたことによって米作りができるようになり、広く田んぼが広がっている。一方、東側、「斉内」地域には独特な景観が広がっている。道のような白い線が錯綜し、その中に森林や原野、畑と思われる土地が見える。この地域に田んぼが拓かれるには、「上堰」のさらに東側に「田沢疎水幹線用水路」が整備されてからで、開田後の様子がS51年の写真である。

 なお、今回歩いた「斉内」地域の道(右寄りにピンク色で書き入れた)は、開田される以前から通っていた道であったことがわかる。開田されていなかったので、返ってまっすぐの道を通しやすかったのだろう。
 S51年の写真と見比べながら、「1」から「10」の位置を書き入れてみた。白っぽくなっているところが家屋の建つ場所と思われるが、「3」には家屋が見えない。

 「国見」地域の田んぼS51年まで同じ区画・形状で推移しているので、道筋もS23年とS51年は全く同じである。

 左下に「太田北小学校」が見える。調べると「太田北小学校」の名称になったのはS45年で、それ以前は「国見小学校」である。

(終わり)

●これまで歩いたログ(足跡)の累計(累計の道のり:617.3km)

 今回は、家庭の事情もあって掲載間隔が空いてしまい、(終わり)までに1月半以上もかかってしまいました。今度からはそんなに間隔を空けないで掲載していきたいと思っております。が、家庭の事情と言っているうちに雪の季節になってしまい、次回から掲載するところをまだ歩きに行っておりません。

 天気の良い日を逃さず、できるだけ早いうちに歩きに行きたいと考えておりますが、いつ出かけられるやら・・・。「季節のたより」などを交えながら継続していきたいと思っておりますので、これからもよろしくお願いいたします。


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