<歩いたところのS51年の航空写真>
●歩いた日:2024年7月21日(日)
●歩いた所
・堀見内:下東中屋布、東中屋布、赤沼、南赤沼、一ツ森、福嶋、堀堰、堀合
・板見内:一ツ森、弥兵衛谷地
●歩いたログ(足跡)(道のり6.7km)
(以上の地図:国土地理院地図に加筆)
(📸017から)さらに行くと、東西に走る道との十字路に至る。そこを左折して西に向かう。
📸018:「下東中屋布」の風景
こちらも「川口川」沿いに建ち並ぶ「下東中屋布」の家々。「東中屋布」と併せてかなり大きな集落を形成している。
道奥を右に少しカーブすると「中屋敷橋」。
水を張った田んぼを渡って来る風はだいぶ涼しく、ファン付きベストが効果的だ。昼近くなったので、橋の近くに停めてある車を目指して急ぎ足で進む。
最後に、いつものように歩いたところの航空写真をご覧いただく。まずはH28年の写真。
左上に「川口川」、下端に「矢島川」が写る。右上から南東、そして西に延びるのが「県道305号」。
左上、「川口川」にかかる「中屋敷橋」の東たもと、小さく写る桜の木の脇、「P」が車を停めた場所。橙色の線が今回歩いた道筋で、「P」から時計回りに歩いた。
左手、「東中屋布」の対岸(西側)の大きな集落が「中屋布」。この後見るS23年の航空写真で、両集落を結ぶ橋は今の「中屋敷橋」よりもっと北にあったことがわかる。
上端に「向川寺」が見える。ここの地名は文字通り「寺村」で、川に対するので「向川寺」となった、と「地名へのいざない」にある。
上端右寄り、「赤沼橋」から南西に延びる道に注目いただきたい。家並が途切れたところから南に方向を変えて、「一ツ森」のすぐ西側にまっすぐ延びている。S51年の写真を見ると、南に向きを変えずにそのままから南西に向かい、「福嶋」から北西に延びている道に接続していたことがわかる。田んぼを大区画に整備する事業にあわせて付け替えられたのだろう。
下段右寄りにこんもりと木立が密集している、円墳のような「一ツ森」の小丘が見える。古墳でもないのに、どうしてこんな小丘ができたのだろう。小丘の南側に黄色い屋根の「柵の湯」、東側に「歴史民俗資料館」、北側に「餅の館」が写る。西側に見える大きな敷地の建物群は高齢者福祉施設。
下段右寄りに、📸010に写る「早坂橋」と、そのすぐ下流(西側)にかかる古い橋が見える。
下段左寄り、「福島神社」付近をアップでご覧いただく。
「福嶋」を南北に走る道が「県道305号」と交わる十字路から「矢島川」にかかる橋の間の東側に、(「福嶋」の一角)に写る旧道の跡が見える。よく見ると、川の南側にも旧道跡と思われる土地がある。また、橋の北詰から旧道が川に突き当たる地点まで川沿いに道がある。現在の橋ができた後もここをカギ型に折れて通っていた証で、本文でも書いたように、十字路と橋の間の現道の整備が遅れたことが分かる。
十字路のすぐ西側、「県道305号」の南側に📸014:「福嶋」の一角に写る広い空地がある。空き地の西側(矢印の左上)に大きな木立が写っているが、📸014には写っていないのでこの後に伐採されたようだ。
なお、右手、県道の南沿いに大きな木立がある。(「一ツ森」の一角5)に写る墓地の伐り株はこの木のようだ。
次にS51年の写真。
H28年と比べると田んぼの区画が非常に小さい(たぶん10a区画)が、整然と整備されている。
写真に書き入れた「A」から「I」は、H28年、S23年の写真でも確認できるは家屋、十字路の位置である。特にS23年の写真と比較するために記した。
左端に「川口川」にかかる「中屋敷橋」。そのすぐそばの「P」が車を停めた場所。
「中屋敷橋」のすぐ北に、S23年の写真と見比べて昔の橋の位置を書き入れた。
写真中央、H28年のところで書いたように、「赤沼」と「福嶋」をつなぐ道が写る。この道は現在なくなっており、橙色線で書き入れた道が新たに整備されている。
中段右寄り、「H」を印した集落から「一ツ森」の小丘に向かって今回歩いたが、当時はこの間をつなぐ道はなかったようだ。
右下寄り、「一ツ森」の小丘の南側に赤い屋根の建物が写る。「柵の湯」の前にあった温泉施設の建物である。当時は西側が入口(現在は東側)になっていたようだ。小丘の東側に見える白い長方形はなんだろう。プールのように見えるが・・・。
(⑨に続く)
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