<「杉元」の風景>
●歩いた日:2023年12月25日(月)
●歩いた所
・斉内(長信田): 橇目、豊後町、南開、小曽野、杉元、胡桃台、諏訪田、樋口、段ノ腰、宝竜、長者森、河原田、高田、下斉内、天神堂、中田、北開、鶴ヶ窪、狐塚
・国見(横 沢): 川端、大釣木、新橋、小釣木、砂溜
●歩いたログ(足跡)(道のり8.3km)
(以上の地図:国土地理院)
さらに東に少し行くと、道脇に黄色い標柱が立つ。
(「小曽野」の一角3)
標柱には「白岩街道跡」とあり、説明書きには「往昔の白岩城、本堂城を結ぶ街道跡 経路は白岩より北開、小曽野、久保関、中里、三本扇、館」と書かれている。
現在の「県道11号」は「江戸時代」の「羽州上街道」に当たるので、これとは別に(より古い時代に?)「白岩街道」が南北に通っていたことになる。
経路に書かれている「館」を、「本堂城跡」がある「旧千畑村千屋」の「本堂城廻字館間」として、それぞれの地名を地図に落としてみる。
「旧太田町」に立つ標柱なので、始点と終点以外は「旧太田町」にある地名である。「北開」、「小曽野」は今回のログ地図に見える地名、「久保関」は「窪関川」が「県道11号」を横断する辺りの、川の名前に由来する地名、「中里」、「三本扇」はその南に位置する地名である。
いずれ、「旧太田町斉内」のこの辺りを南北に走っていた「白岩街道」、「北開」から標柱の立つ「小曽野」の間には広い道があるが、標柱の南には道らしい道がない。写真に写る家への通路のような小道が街道跡なのだろうか。標柱の向きを考えるとそうとしか考えられないが・・・。S23年の航空写真にはそれらしい道が写っているか、確認してみたい。
なお、「斉内川」を挟んだ「北開」の北側、「旧中仙町豊岡」に「白岩街道ノ下」という地名がある(「★旧中仙町豊岡を往く」で歩いた)ので、念のため付け加えておく。
建ち並ぶ家々を両側に見ながら県道を東に進む。「小曽野」から「杉元」に入る。家並が途切れかける辺りで振り返る。
📸004:「杉元」の一角
「小曽野」から「杉元」にまたがる集落は大きな集落で、県道の両側には商店や呉服店(今は閉店)、ガソリンスタンドの看板も見える。「斉内」の中心部に当たるようだ。
集落を抜け、県道をさらに東に進む。
📸005:「杉元」の風景
中央奥から来たところ。
「杉元」、「杉本」はほかの地域にもある地名だが、「地名へのいざない」によると、「スギ」は砂礫地、浸食崩壊地を意味し、川に関連することが多いようだ、とある。
(④に続く)
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