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ふるさと!-秋田仙北平野を歩く-

ふるさと秋田の「仙北平野」をくまなく巡り歩き、その写真とエッセイを掲載します。

★旧千畑町畑屋を往く-3(その6、終)

2022年07月26日 | 旧千畑町を往く

<H28年の航空写真> (S51年、S23年の写真と比較するため再掲します。)


●歩いた日:2022年6月11日(土)

●歩いた所

 ・上野田(旧仙北町高梨):道合、水口、川端

 ・安城寺:太田、島田

 ・中 野:沖田、足掛、砂館、打上、川原

 ・土崎(旧千畑町千屋):久保田

 ●歩いたログ(足跡)(道のり6.3km)

 
(以上の地図:国土地理院)

 次にS51年の写真で、歩いた所の西側の部分。

 
 黄色の線は歩いた道筋であるが、その辺りの田んぼが大区画に再整備される前のため、道も整備されていなかったところである。

 「A」から「D」はH28年の写真と同様の家で、赤紫の線は同じくS23年当時の道筋を書き入れたもの。

 現在の「山崎ダイカスト」の場所の一角に、青い屋根の建物と駐車している車のようなものが見える。会社の沿革によると、「美郷町」の工場が操業を開始したのがS51年とあるので、その工場と思われる。

 「横関橋」下流側(左側)の川沿いの林はH28年とほぼ同じ形であるが、そのさらに下流や橋の上流の川沿いにも大きな木立が連なっている。この辺りはまだ堤防が築かれていないようだ。

 次に、同年の歩いたところの東側の部分。


 上端に頭首工が写るが、現在のりっぱな頭首工に整備される前の施設のようだ。

 「県道11号」沿いの石碑が建つ場所をよく見ると、現在のように石碑には屋根がかかっておらず、県道に接するようにして三角形の建物が写っている。何の建物だろうか。

 余談だが、「鞠子川橋」のそばの県道沿いに、H28年にはない家を見つける。この後、家の周辺の田んぼの区画整理に伴って移転したのだろうか。

 最後にS23年の写真。

 田んぼの区画がよくわかる。写真左上の旧「仙北町高梨」、右上の旧「千畑町千屋」の田んぼはすでに整然と区画整理されているが、中段から下の旧「千畑町畑屋」にはパッチワークのような不整形な田んぼが広がる。「高梨」の大地主、「池田」氏の所有田と関係があるのだろうか。

 未整備の「畑屋」地域の道筋は現在と大きく異なっている。当時の道筋を丹念に追ってみるのも楽しい。歩いた道で当時は無かった道を黄色線で書き入れてみた。

 H28年とS51年の写真に「A」から「D」をつないで書き入れた道は、この写真で確認した道筋である。「C」-「D」の間だけはその後の区画整理にもかかわらず今も残っている。

 右上、「横関橋」の上流から下流にかけて、「丸子川」の両岸に広々とした林が写る。堤防が築かれていない当時は、林が広がっているところは氾濫原であったと思われる。堤防が整備された現在、「横関橋」のすぐ下流側の林だけが残されたのはなぜだろうか。

 「丸子川」から取水している用水路はすでに整備されている。頭首工のような工作物はよく確認できない。

 中段右端、「鞠子川橋」のたもとに、よく見ると大きな家が写っている。S51年の写真で見つけた家は、川の改修、築堤に伴って少し場所を移動したこの家のようだ。

(終わり)

●これまで掲載したログの累計(累計の道のり:530.8km)

 緑の線が今回歩いたところ。

 次回からは、「丸子川」をさらにさかのぼったところを歩いた記事を掲載する予定です。


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