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まぁ長続きしないんです。アウトドアと酒とサバゲとカスタムドールとイラスト。「めいんてなんす」再開しますた。

オカルト小噺 「祟り社」

2011-10-25 22:36:00 | オカルト

【祟り社】

よく行く飲み屋で知り合ったメグは、西の方の生まれだ。今は常磐線沿いに住んでいるそうで、飲むと笑い上戸になる彼女は、文字通りチャキチャキだ。
どこの飲み屋でも、常連になると自分の生まれのお国自慢大会になることがよくあるが、彼女はあまり自分の田舎のことを話したがらなかった。

その彼女が先日、実家のことをしんみりと話し出したことがある。

「ねえ、知ってる?祟り社って」声を潜めて言われた。
「知らない…聞いたことない」
「あのな…うちには弟が居たんよ」
関西弁はよく知らない。過去形に聞こえたのが気になったが、おいらは先を促した。

彼女、実は「訳アリ」だった。

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メグの実家は写真屋を営んでいた。明治から続いた写真館で、戦中戦後の古い写真も残っていたそうだ。写真館の隣には、一風変わった神社があり、メグと弟はその境内でよく遊んでいたという。

その神社に、ちゃんとした神主さんがいたかどうかは、わからない。写真館よりも後、終戦直前くらいに慌ただしく建立されたため、それ程伝統がある訳でもなし、何の神様を祭っているのかすら、宗派もよく解らなかった。

ただ、浮浪者のような格好をした、住み込みだかのおじさんが、ときどき境内を掃き掃除していたという。メグの両親や祖父は、あまりその神社のことを良く言わなかったといい、行事やお参りには、敢えて別の神社に行っていたそうだ。

ある年の正月明け、その神社の神殿が開けられ、大掃除というか、虫干しがあった。
手伝う人もおらず、そのおじさんが一人で掃き出しをしていたそうだ。
それをメグとその弟が見ていた。冬の寒空に野積にされた、宝物というには余りに貧相な、一見ガラクタの山。
そのうち、ちょっとした隙に、弟がそのガラクタの山の横から妙なモノを物色して、さっと持ってきて、自慢げにメグに見せた。

朱塗りの円筒だったという。丁度、ちょっと大きめの茶筒のような。それほど古い感じはしなかったが、蓋は白く粉を吹いた蝋のようなもので、どろどろに、がっちりと封がしてあった。
重さもそれほどではなく、むしろ軽い。振ってみると、紙か乾いた布か、枯草のようなモノなのか、中でカサカサ・ワサワサ、時折コトッ・コツッと音がしたそうだ。

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それを聞いたおいらは、取り敢えず口を噤んでいた。
箱の中の様子は、おいらなりの妄想で容易に想像できた。
いわゆる、「コトリバコ」系の逸品だ。

だが、カサカサ、ワサワサという音というのがよく判らなかった。
あの箱、そんな音するって言われてたっけ?

「オ○○サマに、何しとるんか!」
(○○の部分は良く聞き取れなかったらしい。あるいはトか、ツと言っていたかも…とメグは言っている)

顔を真赤にしたおじさんが、すごい剣幕で追いかけてきた。メグと弟は逃げ回ったあげく、その茶筒を賽銭箱の横に放り出し、アカンベしたそうだ。

「このばかもんがー!何が起こっても知らんぞ!」
参道を走って逃げ、鳥居の下をくぐったとき、その柱がピシィッ!と音を発てたような気がしたという。

偶然と思いたいが、その翌日。
メグが住んでいた町一帯は大きく揺れた。

早朝だった。

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「アレでうちの家も燃えてん」
火災で写真館が焼けてしまったため、写真屋はその後廃業してしまったそうだ。

…それと…
「あのとき、その隣の神社の鳥居が、うちの家の方に倒れてきたんよ」
「鳥居の笠木が、一階の屋根をぶち破って、うちらの子供部屋の半分を潰してん」
「そして一緒に寝ていた弟が、その下敷きになって死んだ」
「青い縞々のパジャマを着た足だけが瓦礫の中から見えてた」
「うちのオトンが、うぉーって叫びながら、瓦礫を避けようとしたんやけど、弟の上に乗っかった笠木がすごく重くて、全然動かへんかった…」

周りの隣家もみんな同じ状況で混乱し、手伝ってもらえるような状況ではなかった。
そうこうしているうちに、辺りで失火した火災の勢いに押され、一家は泣く泣くそこから避難した。
逃げるとき、隣の神社も火に包まれているのが見えた。
社守りのおじさんは、凄い奇声を上げながら、燃え上がる社殿に飛び込み、それっきり行方は判らなかったという。

おいらは言葉が継げなかった。
メグが続ける。
「今までこの話はしたことないんやけど…うちら、弟の遺骨、上げられへんかったんよ」

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余震と火災が収まって戻ってみると、実家の写真館は見事に焼け落ちていた。
信じられないことに、瓦礫の何処を探しても、弟の遺体が見つからなかったという。
消防も来てくれて、一緒に捜索したが、結局、骨の欠片すら見つけられなかった。
潰れた弟の上に覆いかぶさっていた、鳥居の朱い笠木も無くなっていた。

跡形もなく。

メグの家族は、仕方なく空の棺で弟の葬式を出した。
いまでも弟がここに居るからと、写真館の跡地を整地して、もう一度家を新築した。

一方、神社のあった隣の土地は、そのまま更地になった。当の神社は別の場所に移されたらしい。移転した先の場所は解らなかった。メグの家族は、神社のその後を知ろうとはしなかった。

しかしメグは一時期、弟を殺した鳥居の朱い笠木を捜そうとして、復興中の街を自転車で走り回ったそうだ。
「焦げた朱い笠木を戴いた鳥居が、きっと何処かにあると思ってた」

「それで、見つけたの?焦げた笠木の鳥居?」
「いや、うちのオトンに言われた。止めろって。知り合いのおじさんから忠告されたって」
「あの神社は普通じゃないって。これ以上追っかけるとヤバい。祟り社だって」
「あの頃はまだ厨房だったから、怖くなって…それで…諦めた」

ただ、メグは今でも忘れられないという。
妙な隣の神社。祟り社。弟を潰した朱い鳥居。弟が見せた朱塗りの円筒。

神社のおじさんが、それのことを多分、「オツノサマ」と呼んでいたこと。

-終-



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