前回、江戸幕府 老中 井伊直弼が
つづく!
水戸藩に食べ物の恨みで
桜田門外で暗殺されたかも?
というお話をしましたが
私も幼き頃、忘れられない
食べ物の恨みがあります。
私の親父はいつも夕方の5:30に必ず帰ってきます。
6:00には晩御飯です。
食卓には、多分いくつか料理が並んでいましたが、私にとっては、目玉焼きがメインディッシュでした。
もっと小さい頃は、目玉焼きの黄身の部分が大嫌いでした。
ところがある日、幼児用の雑誌の付録にウルトラマンのレコードがついてきました!
薄っぺらで赤い透明の熱で波打ち、しまい方がまずいと割れずに折り目がついちゃう、やっすいレコードのアレです!昭和〜❤︎
その歌詞が冒頭に
「君〜にも〜、見え〜る〜、ウルトラの〜ほ〜し〜♪」
そうです!まんまと騙されて、目玉焼きの黄身が大好物に!
当時の私は、「ウルトラの星が見方によっては目玉焼きの黄身にも見える」って解釈していました(笑)
なので、その日のメインはもちろん黄身の部分!
全てのご飯やおかずを平らげてから、黄身を丸々口に訪ばるのが、たまらなく好きでした。
今は半熟で醤油派なのですが、当時は堅焼きの塩味でした。
さぁ!いよいよ黄身でフィニッシュです。
茶碗のご飯を平らげてから食べようとしたら!
母に怒られました!?
「そんな卑しい食べ方やめとき〜!
ご飯と一緒に食べなさい!」
私は焦って「おかわり!おかわり!」
ご飯をおかわりして、黄身の周りについた、わずかな白身で、ご飯を平らげて!いざ!
視線を君に戻すと!
あれ!?無い!?
皿だけ!
母に尋ねようと視線を母に移すと!
怒った顔の母がモグモグしてました!!!!!
そこからの記憶はありません。
でも、事あるごとに、母にこの話をして
いつか母の目玉焼きの黄身を食べてやろうと思っていました。
そんな母も今年で七回忌
ここ琵琶湖は、母と最後に旅行をした思い出の地でもあります。
前回のブログの井伊直弼のうんちくもその旅行の時に、調べた思い出のうんちくです。
結局、母が逃げ切りって形で、黄身を奪うことはできませんでしたが、いい恨みでした…
今度は、娘の黄身を食べて、私が逃げ切ってやろうと思っています。(笑)
かなり脱線しましたが、レイラインポイントをいく原付旅!まだまだ続きます!
レイラインってなんだよ?って方はこちらのブログもチェックしてみて下さい❤︎
次回!土砂降りの鯖街道!寝床はどこだね!の巻