クマネズミの攻略法と認知症と私の日々の出来事

クマネズミの撃退法と認知症の母と愛犬の癌。

思っていた事が起こってしまいました。

2009-05-28 08:37:15 | Weblog
父が退院してホッとしたので、日帰りバス旅行、山梨サクランボ狩りツアーに
参加しました。小雨が降る中、出発したけど、どうにか、途中の見学やトイレ
休憩は雨が止み、サクランボ狩りの時も日が照る、そんなお天気でした。

まぁサクランボ狩りはビニールハウスなので雨が降っても大丈夫だけどね。
サクランボはとても甘く、ちょっとハードスケジュールのバスツアーだったけど
昇仙峡で森林浴も出来たし、リフレッシュしてきました。

ところが数日後、姉から電話で、実家に電話したら、父と母が大ゲンカしてるらしいって。母は糖尿病の持病があり、定期的にクスリをもらいにいってる。

父が入院してる時、私達が一緒について行こうか?って言ったら、
病院は近くだから一人で行けるって言うから任せた。

母の具合がおかしいのを姉にチラッと話したけど、その時は普通だと思って
いたらしい。
母は確かに病院には行ってきたけど、クスリはもらわなかったらしい。
クスリをもらわないで、検査の紙をもらってきた。

入院してる父には心配かけちゃいけないと思って、検査の事は伏せていた。
でもまた退院したら、わかる事だから私が話した。
父は母にどうしてクスリをもらわなかったのかとか、何の検査なのか
どうして聞いてこなかったのかを怒ってる。

でも母は怒られてる意味すらわからないみたいで、父が怒鳴るといつも
おとなしい母がキレて怒り出したらしい。
父は頭にきて、母に手をあげたみたいだ。

私が一番心配してた事が起こってしまった。
父に母が痴呆症かも?って事を話した。父は少しわかっていたみたいなので
話がスムーズに進んだ。
痴呆症なのかアルツハイマーなのか調べてもらおうって。

母を病院に連れていこうって話になって、これから先の事をみんなで
話し合おうって。
介護は死ぬまで続く。痴呆症は良くなるケースはほんの一握り。
現状維持できればいい方。

介護する私達がストレスにならない様、みんなで協力しなきゃいけない。
私は同居してる母や老人ホームでの経験を生かして、親孝行をするつもり。
でも頑張らないで、自分の出来る範囲でやろうと思ってる。


うつ状態

2009-05-23 08:20:00 | Weblog
腰はどうにか良くなってきました。明日はサクランボ狩りでバスに乗ってる
時間が長いけど、楽しみにしてきたので、頑張っちゃうぞーー!

私の性格はみんなに明るいとか活発そうとか、前向きとか言われちゃう。
ホントは凹んだら、どうしようもないくらい凹み、明日の事はわからないから
今日を精一杯生きるんだって言うと、明るいねとか、筋トレも5年後の自分の為に
やってるって言うと前向きとか言われる。

見た目元気そうだけど、ホントはいろんなストレス感じちゃって、憂鬱になる
事が多いのに。多分見た目と本当の自分は違うんだって、仲のいい友達は
私の事がわかってるけど、普通の友達は元気印の私しか知らない。

だからストレスを感じると一番弱い腰に出てしまう。
去年の9月、千葉に行った時、それまでは強く感じなかった心の穴が、私を
苦しめた。千葉での散歩道を一人で歩いていたら、とめどもなく涙が溢れて
きて、愛犬の名前を叫び、うずくまってしまった。

ヨタヨタ歩いて、海まで行った。波は穏やかで、日差しが眩しかった。
いつも愛犬と海を眺めていたけど、もういないんだって思ったら寂しくて
寂しくて。

あまり遅いから主人が探してたらしく、迎えにきた。
気分転換に近くの温泉に行こうって車に乗せられた。
温泉に入っても気分は変わらず。

千葉の家に戻り、
私は「もうイヤ。愛犬もいない。東京に帰ったらお母さんの面倒を見なきゃ
いけない。もううんざり」って言ってしまった。
いろんな物を投げつけ、泣き騒いだ。

主人は私が変なのに気がついていたので無言でした。
「もう東京に帰るから、車に乗りなさい」って
言われても体が動かない。「私はここに少しいたい」って言ったら
「何言ってるんだ。帰るんだよ」って無理やり車に乗せられた。

辺りは暗くなっていた。車の中では放心状態だった。
でも高速に乗り、走って行くうちに、心のスイッチが入ってみたいで、
少しずつ我に戻った。
うつの状態から抜け出していた。

最後までクレーマー患者(-_-;)

2009-05-22 07:47:12 | Weblog
父が無事退院しました。
ペースメーカーの業者が4時に来る事になっていて、その人と先生とで
患者の今までの心電図のデーターと照らし合わせてセットするんです。

まるで工事ね?っと内心思いながら。。。
だから今日はみんなで3時近くに行けばいいわねって、母や姉と話して
いたけど、朝一番で父から母に電話があり、お母さんが持ってきた
スリッパで水虫になったから、家にあるクスリを持って来いと(-_-メ)

今日退院するんだから、そんなの関係ない~~~って言っちゃえばいいのに
父が怒るから母は午前中から一人で病院に行ったみたいだ。
私達は3時に病院に行き、今度は4時近くなったら、ナースコールボタンを
握りしめて、1分でも遅れたら押すんだって!(;一_一)

「やめてよ!ナースコールは緊急の時だけよ!忙しいんだから
勝手に押すんじゃないわよ」って叫んじゃった。
「全く子供じゃないんだから、業者の人だって忙しいから、ピッタリ来る
事が出来ないかもしれないでしょ」って。

すぐに来たから良かったけど。。。それから着替えて帰ろうとしたら
クスリの手帳がないって大騒ぎ。いくら探してもないから、家にあるのかも
って。布団をひっくり返したり、看護師さんを呼んで、ナースステーションに
あるんじゃないかって探してもらったりで。
でも結局なくて、挨拶をして自宅に帰りました。

帰ってからも父は几帳面な人だから、いない間に動かしただろう?とか
とにかくうるさい。お父さんの部屋は入ってないからって言っても
ここにあった物がないとか、自分の誤解だったりしてるのに、怒鳴ってる。

私と姉は早く退散しようって帰ってきました。
腰はバリバリ。コルセットしてて良かったけど、精神的に疲れた一日でした。

ちょっと中断.. 腰痛

2009-05-21 07:43:06 | Weblog
私の父が5月2日から入院してて、今日退院します。
心臓が悪く、ペースメーカーを入れました。

父の具合はとっても良く、今では困ったクレーマー患者です。
先生の回診が遅いとナースコールを頻繁に押すし、頭がかゆいから
洗髪して欲しく、また何度もナースコールしちゃうし。
そして遅いって怒鳴ってるし。ホント恥ずかしいくらいです。
手術直後はナースコールを握ったまま、ずーーーーーーーーーーと
外さないんです。だから間違って押しちゃうことしばしば。。。

元気になったのはいいけど、退院してからが心配です。
父と母と二人だけで住んでいて、たまにしか実家に行かないので、
母が少しボケが入ってるのは薄々感じてはいたけど、こんなにひどかったのか?
と思ってしまいました。こっちの母とダブって見えてしまいます。

私の母は今年で80歳。父は年下なので元気で、家事までやってしまう程です。
多分母が少しボケてきたのは分かってるけど、それを娘の私達にあまり
知られたくなかったのかな?

私が電話をかけても、最近電話もしてこないって言われて、ちょっと変だなって
感じ始めたのは、1年くらい前です。
父が入院して、母が一人でいるので、買い物に行ってあげたり、掃除をしたり
病院に連れてったりと、姉と一緒にやってます。

昔から家事はあまり好きじゃなかったけど、ご飯を作るのも面倒みたいで、
お弁当を買ってきてって言うし。
少しは足がヨタヨタしてるけど、普通に歩けるのに、掃除とかもしない。

こっちが全部やってあげると当たり前みたいな感じで、全くやらない。
それに父は潔癖症で、神経質で、短気だから、母を怒鳴る事が多い。
父はとにかく細かい人です。そんな父を母はうるさいなって感じてて
「あれはどうしたんだ?」って聞かれると母はパニック症候群になったかの
様に慌てて、どうしていいか分からなくなるみたいです。

お母さん落ち着いてって言わないと、こっちの母みたいに思考能力が低下して
どうにもならなくなっちゃうんです。
私はこっちの母で慣れてるので、対処の仕方は姉より分かってます。
父は毎日母が病院に来ないと怒るので母は疲れてきてます。

そんなこんなで実家と病院と、こっちの母との事で私は一番弱い腰を痛めて
しまいました。整骨院に行って、3日間寝てる時があったけど、未だに
コルセットして実家通いです。きっとストレスからきてるのもあるから
今日退院したら落ち着くかな?と思ってます。

今の時代「病は気から」じゃなくて「病はストレスから」なんですって!

映画..マリと子犬の物語

2009-05-17 09:04:14 | Weblog
マリと子犬の物語の映画を観に行きました。
まだ愛犬が死んで、1か月しか経ってませんが。。

映画が始まる前から、もう涙が溢れてきてます。
犬の10カ条を読み上げてるシーンで、「うん、うん」と頷き、
私は反省する事が多々ありました。

子供達が大きくなり、散歩は親任せ。確かに暇な主婦だから散歩に
行くのは当たり前。でもね、主婦だって疲れてる時があるし、
雨が降ったり体調が悪い時はパスしたいのよね。

愛犬はそんな気持ちを察してくれるのか、そんな時は散歩を嫌がる。
でも「誰の為にこのイヤな散歩に行くの?」って綱をグイグイ引っ張って
行く時もあった。

子供達が就職してからは、仕事で何時に帰るかわからないから、愛犬を
残して旅行に行けない。
そんな事を話し始めた。それを聞いていたのかな?
自分が邪魔だと思ったのかも?動物って人間の気持ちがわかるのよね?

映画を観ながら「ごめんね、ごめんね」って心の中でつぶやいていた。

一人になると無性に悲しい

2009-05-16 18:56:14 | Weblog
愛犬の骨壺を飾り、「そうだ、お線香立てを買いに行こう」って
仏壇屋に向かった。
モダンなお線香立てとアロマ的なお線香を買いました。
そして壁にはたくさんの写真とお花を飾り、ご飯と大好きだった
ミルクとお水を供えました。

お線香の香は気持が落ち着きます。
でも夕方の散歩の時間になると無性に悲しくなってきました。
一人でいるのがとっても辛かった。

動物病院に愛犬の死を知らせました。先生までもらい泣きして下さって。
「とても喜んでいたと思いますよ」って言っていただきました。

数週間して輸血をした病院の先生から葉書が届きました。
「生命力に感心しました。大切に想う気持が届き、応えてくれたんだと
思います。悲しみと寂しさでいっぱいだと思いますが、一日も早く
素敵な想い出で包まれます様に。とても幸せだったと思いますよ」
って書いてありました。

悲しい時は思い切り泣き、我慢しない事だと思います。
自然体で生きていこうと思ってます。
そして趣味があったから、立ち止まらないで前に進めたのかもしれません。

今でも輸血した日の事や死んでしまった日がフラッシュバックします。
でも本当に本当に最期に「ありがとう」が言えた事が唯一喜びです。
最期の最期まで「ごめんね」しか言えなかったら、愛犬は悲しい顔をして
お別れしたと思う。

昔は死ぬのが怖かった。でも今は愛犬が待っててくれるから死ぬのは
怖くない。いつか会える日まで私はここで頑張るから待っててねって
言ってる。愛犬の分まで楽しく生きていくからね!

火葬

2009-05-15 08:17:33 | Weblog
明け方夢を見ました。
愛犬がご飯欲しがってる夢でした。昨日の事は夢だったの?
私は急いで起きてご飯あげなくっちゃって思って1階に降りて行きました。

愛犬は布団の上で安らかな眠りについてました。
やっぱり死んじゃったんだ。って思った瞬間体の力が抜けてきました。
眠れなかったから頭は痛いし、目どころじゃなく顔が痛くて。
泣き過ぎて口の周りの筋肉まで痛い。

みんなの食事を作ったけど、頭が割れる様に痛いし、気持ちが悪く下痢をし、
食事は取れず、布団の中で横になった。
息子が会社休もうかって言ってくれたけど、娘が一緒に火葬場まで行って
くれると言うので「お母さん大丈夫だから」って会社に行ってもらった。

起き上がって愛犬の元に行き、うんちの始末をし(昨日はそれどころじゃ
なかったので)、愛犬は生きてるかの様にまだ温かく、抱き起こし、
最期のお別れを何度もした。
そしてうんちを始末したのに、まだ臭いからおかしいなと思ったら、
愛犬の肛門にうんちがついていた。
「ごめんね、うんちがついてて気持ち悪かったでしょ?」って言って
温かいタオルで拭いてあげた。「さっぱりしたね」

12時に業者が来て、布団に寝かせたまま車に乗せた。少し動かしたから
口から血が垂れた。火葬場に着いて、お別れをする。千の風の曲が流れてた。
って私はそんな事にも気がつかなかったけど。
写真を撮りますか?って言われ、持ってきたデジカメで娘に撮ってもらい、
1時に火葬。2時、骨を娘と挟んで骨壺へ。まるで人間と同じやり方です。

本当は中型犬だったけど、骨が立派で準大型犬の骨壺に入れました。
100匹に1匹くらいの割でしか、シッポの骨は残らないらしい。
とてもしっかりした骨で、奥歯までちゃんとあって、頭の先からしっぽ
まで骨が形になっていた。

癌はあったけど、体は綺麗だし、骨もこんなに残るなんて、いい食事を
していたんでしょうと言われました。年齢を感じさせない骨らしい。
頭蓋骨もしっかりしてて、うんちもおしっこも体には残っていなかったって。
骨の量がいっぱいで驚いた。癌だったけど苦しまなかったと思いますよって
言う火葬場の人の言葉に救われました。

骨壺を持って家に帰りました。体の力が抜けて、寝込んでしまいました。
でも火葬場の人が骨を携帯ストラップに入れてくれたので、私はいつでも
愛犬と一緒でいられる様になりました。

そしてこの場を借りて、コメントを下さった方、本当にありがとうございます。
そして私のブログを読んでくれてる方々、ありがとうございます。

この続きは書かせていただきます。ペットロスにちょびとなった経験とか
そうならない様にするにはどうしたらいいか参考にして頂きたいと思ってます。
そして最期まで愛情をかけてペットと過ごしてもらえたらと思います。





永眠

2009-05-14 07:18:24 | Weblog
私がお風呂に入る時、愛犬に「入ってくるからそれまで待っててね」って
言って話しかけた。
そうしたら寂しい目で私を見つめて、それから首をぐるっと回して
虚ろな目で辺りを見渡した。

あっちこっち見て最期のお別れをしてる様だった。
息がとってもあらく、見ているのが辛かった。
私はでもずっと「ごめんね」しか言わなかったけど今日は「ありがとう」って
抱き締めた。そうしたら愛犬はじっと顔を見て「ありがとう」を言って
くれたみたいだった。

「急いで出るから待っててね」って言って、涙が止まらなかった。
2階に主人がパソコンをやってて、「もし今日か明日死んじゃったら、
私はどうしたらいいの?火葬場とかどうするの?」って現実的な話をしていた。

「パソコンで調べてみるから安心してお風呂に入ってきな」って言われて
私は湯船に入ってて出るのが怖かった。出たら死んでたらどうしようしか
考えられなかった。

お風呂から出て、主人が「この火葬場がいいんじゃない?送り迎えして
くれるから」って。そして主人が「ちょっと見てくるね」って1階に行った。
「早く来て!変だぞ!」って叫んでる。
急いで降りて行った。愛犬がベロを出して口から血を流してた。
死ぬ一歩手前だった。ハーハーってけいれんして、私の手の中で涙をポロンと
流して死んでった。

目が開いていたから閉じて、口はベロがだらっと出たままだったので入れた。
死ぬ時はちゃんと布団の上にいたし、死ぬ直前にうんちとおしっこを別の
場所でやってあった。布団は汚さない様にしていた。
最期の最期まで頑張った。我慢してわがままも言わず、とてもお利口で
優しい犬だった。それだけに可哀想でならなかった。

でもありがとうが言えて本当に良かった。悲しくた悲しくて布団の中に
入っても涙が止まらず、殆ど眠れなかった。でも明け方愛犬が夢に出てきた。


歩けなくなる。

2009-05-12 07:51:55 | Weblog
朝散歩に行き、おしっこやうんちをしたら、その場で座り込む。
だからそのまま抱っこして家に帰る。
おしっこがお尻の毛についてしまってるので、温かいタオルで拭いた。
そうしたらタオルが真っ黄色になった。それは鼻汁と同じ様。

朝ご飯は少し食べ、その後、ハムをあげたら食べたから、もう一枚あげた。
お昼はマックのチキンナゲットが好きだから買って食べさせた。
そうしたら食べないで吐き出した。
ナゲットに血がついていた。
そう出血し始めた。息がとってもあらい。

夕方散歩に行った。家の門を出たところでおしっこをし、そのまま
動けなくなった。すぐに抱っこして布団に寝かせる。

ご飯をあげても食べないし、クスリも飲まない。首をあげて伸び伸びする
動作ばかりする。何故だろう?お水を異常な程飲み干す。

少ししか立てず、倒れてしまう。左口の脇から少し血が垂れる。
これで血が止まらなかったりもうダメだと思った。

昨日今日はホントに重かった。だって抱っこすると、私の腕に
頭を乗せて、首が垂れる様にグターとなっていた。
通る人が死んだ犬でも抱きかかえてるかの様に思われた。

だから散歩から帰ってくると私も腰や腕が痛くなり、その日は疲れて
夕方ちょっと昼寝をしてしまった。
起きたら愛犬は変なところで倒れていた。水を飲みたかったけど
空っぽになってて飲めなかったみたい。

私はごめんね、もっといっぱい入れておけば良かったねって抱きしめた。
そしてお水をいっぱいあげて、たくさん飲んでいた。

散歩..行きはどうにか、帰りは抱っこ

2009-05-11 07:38:42 | Weblog
私は実家に用があって出かけた。
ちょっと愛犬を置いて出かけるのは不安だったけど、どうしても用が
あって、いい子で待っててねって声をかけて出かけた。

話が長くなってしまい帰ったのが6時くらい。
家に着いたら愛犬は暗い部屋の中で寝ていた。
「ごめんね、電気をつけとけば良かったね。遅くなってごめんね」って
言ったら、いつもは喜んで飛んでくるのに、ちょっと怒ってるかの様に
知らんぷり状態。

食欲もなく、散歩は行きはどうにか歩いていくけど、帰りは座ってしまい
動かない。でも抱っこしようとすると2、3歩歩くがまた座りこんでしまう。
それに息が荒い。

13㎏くらいの体重が腹水が溜まってるから、15㎏以上になってしまってるので
とにかく重い。それにグターってなってるから余計に重い。

でもその重みが私には嬉しい。ずっとこうして抱っこしていたいと思う。
いつか抱けなくなる日が来ると思うと涙が溢れる。

クスリは全く飲まなくなる。最初からイヤがっていたけど、ご飯の時に
無理やり飲ませる事が出来たけど、今は口の横からペッって吐き出して
しまう。もうイヤがる事は止めようと思った。

おしっこはどんどん黄色くなってる。うんちも粘っこい。
散歩から帰ると布団の上まで抱っこして寝かせ、そのまま動かない。

部屋から部屋に自力で歩く時、よろけてひっくり返ってしまった。
足が思うように動かないみたい。

黄疸で白目は真っ黄色になってしまった。


黄疸が体全体に。そして腹水でお腹は妊娠してるみたい。

2009-05-10 18:59:38 | Weblog
夕方の散歩はイヤがったので、行かなかった。
本当は千葉の海を一緒に見たかったのに。
いつも夕日が沈むのを海岸で眺めるのが日課だった。
もう歩けないんだと思うと悲しかった。

さあ東京に戻ろうって車の後部座席に抱きかかえて乗せた。
私も隣に座って、もう千葉には一緒に来れないのかなぁって思ったら
涙が止まらなかった。
そんな私の泣き顔を見て、泣かないでって言ってる様に寂しい目をしてた。
主人にわからない様にバックミラーに私の顔がうつらない様にしてた。
そして泣き声が聞こえない様に。

家に着いてご飯とイワシを食べるけど、少し残す。
少し疲れたみたいだけど、行って嬉しかったみたい。

次の朝、疲れてて元気がなかった。ご飯は食べるけど、少し残してしまう。
もう何日も前から腹水が溜まってる。
それを取るのは不可能だって言われてる。万が一出血したらもうお終いだって。
腹水が溜まってるのが原因で水を異常に飲みたがる。

黄疸が益々濃くなってる。それも体全体に。
日によって元気がなかったり元気になったりと違う。ご飯も色々と工夫して
食べさせる様にしてる。
少し広い部屋で寝かせる様にした。あっちこっち好きに動ける様にした。

そして輸血後30日が経っていた。

黄疸

2009-05-08 07:44:20 | Weblog
輸血して25日が過ぎました。散歩は近くのコンビニまで歩ける様に
なりました。食欲もあり、朝からベーコンやお肉を食べ、お昼はサンマの
フライを食べ、夕飯はご飯やお肉を食べ、おかわりをするくらいでした。

食後のケーキまで欲しがり、食べたいだけ食べさせてあげようと思いました。
喜ぶ時はお腹を出して、寝っ転がります。
そしていつもの様にお腹を撫で撫でしたら、いつもは淡いピンク色した
お腹が黄色の縞模様に少しなってました。

白目も少し黄色みがかって、黄疸が出てきてるんだと思った。
生きてるのが奇跡だと言われているので、もう時間がないと思い、
愛犬が大好きな千葉の家に連れて行く事にしました。

片道2時間弱の車の移動はちょっと心配だったけど、「一緒に行こう」って
言ったら多分わかったのか、とっても喜んで、後ろの座席に飛び乗ろうと
した。でも後ろ足が思うようにいかないので、上がれない。

抱っこして乗せて、途中何度も休憩して、とにかくお水ばかり欲しがるので
たくさんあげた。
千葉に無事着いて、とってもはしゃいでいた。縁側に座り庭を眺めていた。
「写真、いっぱい撮っておこうね」って。

吐血

2009-05-07 17:51:15 | Weblog
輸血して15日目が経った。ずっと行かなかった同窓会の返事をまだ具合が悪く
なる前に出席の返事を出していた。
でも幹事に欠席にして欲しいと連絡した。幹事はもし元気になったら少しでも
顔を出したら?と言ってくれた。

経過が良かったので、みんなが気晴らしした方がいいって言ってくれた。
私が帰ってきたら、出かけるから安心してと子供に言われ、支度をした。

朝少し血が口についていたけど、食欲もあり、すぐに戻るからと言って
愛犬を抱きしめた。

同窓会の会場に行ってお金を払って席に着くと、子供から電話がかかってきた。
「血を吐いて、息が苦しそう。死んじゃう」って泣きじゃくってる。
乾杯だけしたら帰るからって言って、30分後にまた電話。
「血は止まったから大丈夫。でも出来るだけ早く帰ってきて」って。

3時過ぎに終わり、私は2次会は欠席して、急いで電車に乗った。
また電話がかかり「何時に帰ってくる?」って。
「あと15分で着くわ」って言った私の声を愛犬に聞かせたら、電話口で
吠えていた。「お母さんだってわかったのよ。シッポを振ってるわよ」

急いで家に帰り、愛犬を抱きしめた。「ごめんね。寂しいおもいさせて」
散歩をし、おしっことうんちをする。夕飯は鳥とご飯とレバー。
まだ少し血が出る。でも夜は血が止まった。

次の日、血は止まっていた。夕方散歩に行くが、後ろ足が少し変で、
歩くのが困難になってきた。くしゃみが多くなる。


生きている

2009-05-06 09:07:50 | Weblog
朝早く起きて愛犬のもとに行ったらいつもの様に起き上がって喜ぶ感じは
ないけど、元気でした。散歩に行きおしっこをし、いつもはドッグフードだけど
全く食べなくなってしまったので、手作りのご飯をあげる。大好きなミルクは
飲まない。夜はレバーと鶏肉を食べる。うんちは出ず。

次の日の朝、ウンチをする。黒いウンチと茶色のウンチが出た。
夜少し口から出血。でもすぐに止まる。

退院してからはずっと肝臓のクスリを飲んでるけど、とてもイヤがって
飲ませるのに一苦労。

退院5日目、少しスタスタ歩く。相変わらずミルクは飲まない。
散歩は前は30分以上だったけど、歩行が困難なので、家の裏までしか
歩けず10分くらいで帰ってくる。行きは結構スタスタ歩くけど、帰りは
ヨボヨボしてしまう。

1週間半経った頃、鼻の中に血のかたまりを発見。硬くなってるので、
綿棒でとってあげる。そうしないと鼻で息ができない。

約2週間後、口から出血。

奇跡

2009-05-05 07:25:26 | Weblog
朝8時過ぎに病院から電話がありました。
「不思議なんです。すごい食欲で元気です」って。先生達が驚いてました。

私は子供と面会に行きました。愛犬は窮屈な酸素室の中でハーハーしてました。
でも手術前は目に力がなく死んだ様な目をしてたのが、活き活きした目に変わって
ました。輸血したその犬が乗り移ったかの様な感じです。

輸血に協力出来る犬は元気な犬で体重制限もあります。それに何犬?だったか
忘れたけど出来ない犬もいるそうです。もちろん小さな犬もダメです。
ストックされた血なので、どんな犬の血をもらったのかわかりません。

夜まで酸素室に入れておきましょうと言われ、それから迎えに行きました。
夕飯に肝臓にいいレバーをたくさん煮て用意しときました。
入院前は車に乗るのにも抱かないと乗れなかったのが、ピョンと飛び乗りました。

そして前はグターってなってたけど、車の中で外を眺めたりして、とても
元気にして驚きました。
でも帰り際に主治医から、覚悟はしてて下さいと。
明日起きたら死んでるかもしれないのでと念をおされました。

帰ってきてから、レバーを食べ、おかわりもしました。
白いご飯をイヤがったので、チャーハンにしたら食べました。
でも車に乗ったのは病院から逃げたかったのか?早足で元気だったけど、
家に帰ってからはちょっと歩行が困難な状態でした。