5月の第2日曜日は《母の日》
小学生の頃、学校から赤いカーネーションの造花が配られたことを覚えている
全国的なことだったのか、私の小学校、あるいは地区、県、などの括りの中で行われたことだったのか分からない
母の日は母に感謝する日、家に帰ったら“おかあさんありがとう”と言ってカーネーションを胸につけてあげましょう
というようなことを言われて手渡されたと思う
カーネーションが配られた日は、赤いカーネーションを胸につけて下校した
強く印象に残っているのは、お母さんのいない人は白いカーネーションだったこと
通学班が一緒でクラスも一緒だったT君はお母さんがいなかった
T君のおかあさんは病気で亡くなった、と母から聞いた
T君はいつも白いカーネーションを先生から受け取っていた
私は子ども心に、T君の白いカーネーションを見るのが辛かった
どうして全員赤いカーネーションにしないの?
あー、お母さんがいないから“おかあさんありがとう”って言えないものね
やっぱり赤じゃダメなんだ
と自分の中で自問自答したことを覚えている
母の日って(T君にとっては)悲しいなと思った
T君本人はどう思っていたのか聞いたこともないけれど
数年前、同窓会でT君と会った(卒業以来!)
普通のおじさんになっていて安心した
私が密かに白いカーネーションを見て心砕いていたことはもちろん内緒
私は小学校の時から既にお節介BBAの素質があったのだ