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舘一番 獅子保存会

2011-07-23 21:00:00 | 古代・民俗・宗教


私にとって、一年でもっとも体力を使う二日間が毎年、この時期にある。

石岡市(旧八郷地区)祇園祭という祭典である。



通常「石岡のおまつり」と称される「常陸総社祭」と、
地域として似た特質を持ちながら、規模や歴史的観点から
やや異なるものである。


さて、この祇園にあたって、獅子がいかなる役割を果たすか。

昨今、解析的な研究が進み、
この獅子の頭部が室町時代にはすでにあったであろうことが指摘されている。

獅子頭の内部の印、納めている箱の銘、また古文書などにより
かなり歴史的な古さがあるものであることが知れた。



獅子頭といえば「常陸総社祭」といわれ、
時として関東三大祭りともいわれ、
また日本一の獅子頭といわれる巨大モニュメントも石岡市にあるのだが


実質的な歴史として、旧八郷の獅子のほうが古いものであるようだ。


そこで、
通常は、この八郷地区から石岡地区へ獅子が伝播したものと考えられるのだが、
それだとつじつまがあわない形状を八郷の獅子はもっている。



全国一般の獅子頭とも比較してみると、
形状に他にはみられない特徴があるのである。



まず、通常の獅子舞といえば、
たむらけんじさんの姿を容易に想像することになるが、


八郷獅子は、
とても一人や二人で舞いまわせるものではない。

杉や竹で井に組まれた5~6mほどの胴体、
およそ200kgはあるだろうか。

これを、大の大人が何人もで
肩に担いで、厳かに町を練り歩くものなのだ。


石岡市総社の獅子は、車輪があり乗り込み型の山車形状をとるが
八郷祇園の獅子は、人が担ぐことで徒御を可能とする。

通常の神輿よりは軽いものの、
筆の穂の形状をした胴体の、
筆でいう根元部分(太くなっている部分=頭をつける部分)は
かなりの重量があるものである。

さらに、胴体の中央よりやや後ろに、和太鼓が吊り下げられていて
これもまた、この付近だけやや重い。


子供の描く、夏休みの絵画でこの獅子がモチーフとなると
胴体から人の足がぞろぞろと生え出て、ムカデのようになっている。

多足はある一点で神性をしめすものであるから(ときに妖性も示すが)、
この獅子は多くの脚をもって地を駆ける力強さを示すものであろうか。


さて、この胴体に、紺地に白抜きの獅子巴紋をほどこしたながい布がかけられる。

獅子頭は、この布の先端に結び付けられ、
地の匂いをかぐように左右に首をふりながら歩くこととなる。

この獅子頭も特徴が満載である。

通常の獅子頭は、下あごがしっかりしている、
あるいは、歯並びが整然と、歯列を輝かせるかのようであるが、

八郷の獅子は下あごが薄い。
また、この獅子の舞は、通常、みだりにクチを開かない。

クチを開くのは、もっぱら、子供に噛み付くときである。



この地区に住むものは、かならずと言って良いほど知っている儀式だ。


町を練り歩く獅子の前に歩み出て、
賢く健康であるように、という祈願をかけて、
子供の頭を獅子にあんぐりと噛ませるのである。


この獅子頭も相当な重量がある。
交代はするが、これをひとりで持ち、舞い、子をアマがみするという動作は
なかなかに疲労のたまる動作である。

また、舞い手は布を常時頭にかぶせているカッコウで
息苦しく、暑苦しく、たいへんなものである。



さて、頭の特徴を続けると、
この獅子頭は、アゴヒゲではなく、クチヒゲをはやしている。
これもまた、珍しい特徴であるといえよう。

髪の毛もある。
あるいは、細かい技術で耳が動く。

毛はもとは馬の毛であったのだろうか。
黒一色であり、頭の朱の漆に濃い陰影を描いている。


重要な頭の特徴として、頭部、中央に、ツノがあることがあげられる。

通常、オニであるならば、丑を模すので、耳近くに二本となるのが普通である。
(鬼門すなわち丑寅の方角、いわく丑のツノと寅の毛皮)


なぜ眉間に一本のツノであるか。
実に珍しい特徴である。


タテガミといえるほどの髪ではないことや
クチを開かないこと、

諏訪神社からの徒御であること
(主神はタケミカヅチのミコト)


あくまで推論の粋をでないものであるが、
獅子と呼びながら、あきらかに獅子とは違う形状、
むしろ水の系譜の神に近いのではないかと考えられる。


古来の日本人にとって想像上の生き物であった
サイを模したものなのではないか?
と、思うのだが、決定的な古文書は存在しないと思われる。




諏訪神社から、祭りの開始を告げるべく、
もっとも最初に動き出すのが八郷獅子である。


舘(たて)一番という言葉がある。
獅子のある諏訪神社のある地域を特にこういう。

もっと正確を期すならば
舘(やかた)、すなわち武士の砦があった地域である。

江戸時代序盤には
春日の局の実子のひとりである稲葉正勝が治めていた地方でもある。


この祭りの始まりを告げる役割、
すなわち、神輿が町へと繰り出す前に、町をねりあるき
露払いをする、というのがこの獅子の祭典としての役割である。


この地区には、もうひとつ、同じく露払いをすべく、
「ささら」と呼ばれる三匹の龍頭も練り歩く。


ささらも獅子の一種と言えるようであるが、
頭に鳥の羽根冠があり、
こちらは残念ながらあまり詳しくはないのだが
風の神の系譜の雰囲気がある。

ささらは八幡神社より繰り出される。


獅子とささらは、
長年の伝統にしたがって、徒御の際、おたがい出会ってはならないという不文律がある。

推定された水と風の神であれば、
これが出会うと嵐となるゆえに、忌避するものかと思われる。


さて、八郷獅子は、道が分かれているとき、暴れに暴れる。
これを「揉む」と呼び慣らす。

獅子頭は、地を掃くように、方向を見定める匂いをかぐように、
あごを落とし、ゆらり、ゆらり、と舞うのだが、

胴体のほうはその際、
担ぎ手たちが頭部を円心にして、左右にワイパー運動するのである。



八郷の祇園祭で、唯一事故がありうる荒っぽい部分であると言われる。

史実として、不名誉なことであるが、30年ほど前に
胴体によって胸を強く打った人がおり、
近年の傾向として、揉むのは比較的穏やかである。

そもそも、この揉むという動作は、
担ぎ手にとってとんでもない体力を消費する。

担ぎながら走り、走りながら持ち上げ、
地元の底力を見せ付ける大暴れっぷりである。

少し時代をさかのぼれば、農家の多い地であるから、
米俵を担ぐよりは安易なものであったろうが……、
しかし、この揉む動作、やっているほうはかなり興奮するものである。


獅子としては、これは時間稼ぎであるかしらん。

年に二日しか日の目をみることがないため
(最近は文化財として出張機会もふえたが)
開放されて暴れまわる、という構図なわけである。


また、諏訪、タケミカヅチの神の性質からしても
武神の部分があるわけで、地区の若者の力試しという点もあるのだろう。


祇園であるから、露払いの獅子は、八坂神社へと舞を奉納する。
また、八幡神社へも舞を納め、帰途につくわけである。




さて、この帰途。

道の途中で、胴体を覆う布と、それに付属する頭部が取り外される。



ここからが、本当の暴れ獅子である。

初めて観るひとは、何が起こっているかわからぬかと思われる。

木で組まれた、観るも無残な胴体だけとなって、

これより獅子は荒御霊の振る舞いをするのである。


「千と千尋の神隠し」という映画で、
「おくされさま」なる神様が油屋に湯治に来たとき

カエルたちが提灯をふるって、
めいめいに「店じまいでございます」とやっているシーンがあるが、


この獅子の胴体も同じような扱いを受ける。



当番提灯が道の端と端に陣取り、

まだ神社に帰りたがらない獅子の胴体を
「終わりだ! 終わりだ!」
「かえれ! かえるぞ!」
と囃し立てるのである。


これを、担ぎ手たちは、
うまくすり避けながら、街道を爆走したり、揉み乱れたりとするわけである。

抑えようとする力と、進もうとする力がせめぎあい、

町のものは、これを見るために
パイプイスや縁台を、この圧し合いのスポットに陣取るのである。



荒手として、当番が、胴体の上に乗っかり静止しようとし、
それに負けじと、若手たちは胴体をさらに持ち上げる。



この暴れはっちきで、
ささらが帰るに帰れない(獅子がいるうちは街道にでられない)状態を
続けさせることが、狙いといえる部分があるのかもしれない。


暴れ疲れるまで。
これは、若手が、という意味でも、獅子が、という意味でもそうだが

疲れ果てると、すごすごと神社へと帰っていく。




帰りを待つ頭部のもとへ帰り、一本締めで獅子は終了。

ここから、祇園祭り

各町内の舞い手が凌ぎを削る、排禍(はいか)ばやしなどの山車がいできて
賑やかな様相となる。




この山車、車輪で移動したり
車輪を固定して舞台を猛スピードで回転させたり、
これはこれでけっこう危ないが、

観賞に美しくゆかいなものである。





ところで、
今年(今日)は涼しい陽気だったものだから、





例年にない揉みっぷりで、

私は酸欠ぎみである。








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