たろおの小屋

昼間は「聖職者」を演じる永遠の若造「たろお」のつぶやき。
仕事のこと,家族のこと,そして脳出血や失語症のこと・・・。

「瑠奈さん」はどこに行ったのか? ~ススキノ殺人事件に係る一考察~

2024-07-07 13:53:41 | お仕事
「娘の行動をとがめると、精神状態が悪化する。」
そう証言した父は「叱らない方針」だったらしい。
 
 
また、 別記事では
「娘は『瑠奈』と呼ばわる怒るようになり、
 私のことは『運転手』、
 娘のことは『シンシア』と呼ぶようになった。」
と語っていた。
 
 
 
本質的な部分で、
この父の子育ての誤りが3点。
1点目は「無駄な殺生は許さない。」と教えなかったこと。
2点目は「他者との連携が不十分だったこと。」こと。
3点目は「良心を育てること。」である。
 
1点目については
「三つ子の魂百まで」
「子供は蟻を踏み殺して遊ぶ」
という幼児教育の基本である。
「蟻だって頑張って生きている。
 踏み殺しては可哀そう。」
という家庭教育が足りなかった可能性がある。
 
それでも、障害的な部分で、
2点目、
専門家の治療が必要な場合もある。
そういう場合は、
指導は専門家に委ねて、
複数な関係機関と
十分な連携を図っていくことが必要である。
 
そして、その教育や治療を支え続けるのが、
3点目の「良心」である。
「良心の呵責」が強く見守っている人は犯罪は起こさない。
海外では、それを「神」と呼んでいるものだろう。
 
今回の殺人犯の
「瑠奈さん」は、
「シンシア」に存在を消されてしまった。
その「瑠奈さん」こそが、
これまで両親が育ててきた
「瑠奈」という存在こそ、
両親が守るべきだった
「最後の良心」であり「社会との絆」だったのだろう。
 
 
以前に担任した児童が、
「自分の甘えは『ゾロ』と呼ばないと返事しない。」
と言い出して、返事をしなくなった子が居た。
その子は学校生活への拘りが激しく、
集団行動に付いてこれないことも多かった。
 
健康観察や授業では
返事をしなくてもやり過ごしたが、
「親が付けた思い」
「自分としての認識」
「法的な意義」
等の名前への大切さを説き続けた。
 
卒業式の直前、
卒業式練習の段階で、
半年ぶりに、その子は、
自分の名前を呼ばれて
小さく返事ができるようになった。
 
 
義理の父は、縁起を担いで、
仕事の時に名前を変えていた。
【まさ】や甥っ子たちは皆、
色付きのアイスが苦手で
「バニラ」しか食べなかった。
 
「瑠奈さんの本質は
 守り続けなければいけない。」
「命は大切にしなければいけない。」
指導や支援が必要な機会は、
毎日のように、
訪れていたはずなのに…
 
「シンシア殺人犯」の贖罪は、
「瑠奈」という人格の復活によって
始められるのだろう。
 
 
 
 

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