たろおの小屋

昼間は「聖職者」を演じる永遠の若造「たろお」のつぶやき。
仕事のこと,家族のこと,そして脳出血や失語症のこと・・・。

再起動編【市教育委員会の指導主事のお仕事は…】

2024-04-08 21:14:07 | 脳出血・失語症
「教育委員会に訴えます!」
なんて、テレビドラマで見たことがあるが、思わず家族で笑ってしまう。
そんな偉いものではない。

 私が指導主事として行った仕事は、
「国や県から降りてくる文書の担当の割り当て」
「東日本大震災直後の学校敷地の放射線の測定」
「交通安全教室や防犯教室の割り振りと市担当部局・警察のお手伝い」
「就学時健康診断のお手伝い」
「給食センターに掃除」
「陸上大会や駅伝大会、児童生徒コンサート等の駐車場係」
「閉校式典のお手伝い」
「入学式や卒業式で教育長に代わって『教育委員会告示』を読み上げる」
「職員研修の整理や運営」
……等々、ほとんどが地道な文書仕事や学校のお手伝いである。

 そんな中でも楽しかったのは
「授業研修会の講師」
である。これは、授業について研究をしたり、感想を言ったりする仕事である。
 教員の時代に
「勤務時間に授業について研究して、偉そうに意見を言って、あわよくばお弁当や給食を食べて、デザートも出たりするんだから、いいご身分だよなぁ…
 一般教員は、児童を下校させて、文書仕事を終えた後、夕飯を我慢しながら指導案を考えてたり、研究主任として休日に他の先生の指導案を見ているのに…
 秋の空手大会の時期は、子供たちの試合の合間に他人の指導案に朱を入れているのに…。」
などと思っていた夢の世界。

 確かにクレーム対応もあったが、教育委員会は元々が教員の仲間だから、
「地域の方や保護者からクレームがあって『指導します』と言っておいたから電話しています。気持ちは分かるけれど、注意してください。」
と電話で話をして終わる。
学校が失敗して話が拗れて、指導に行くことはめったにない。私が居た6年間で2~3回
であった。教育委員会と学校は根本的には「子供たちを大切に思う仲間」である。

 確かに指導主事は「夢の憧れの仕事」だった。
 その頃は、我が子の入学式や卒業式、運動会等にも参加できた。
しかし、大きな大きな誤算が2点…

 1つ目は
「児童からの距離が遠い」
のである。教育委員会指導主事は、県の教員を退職して、市役所に出向する立場になる。
 「大人だけの世界」は厳しく楽しみが少ない。みんなが
「早く学校現場に帰りたい…」
と愚痴を言っている。
 ドッジボールもできないし、夏休みもない。
 遠くで子供たちの学校生活を支えていると信じて、現場に戻れる日を夢見ていた。

 2つ目は
「教育委員会は一方通行…」
ということを知らされていなかった点である。
「今年は教頭選考を受けるか?」
と教育長に言われて、選考を受けて、初めて現場に戻れる。
「イエスとハイしか無い世界。」
と言われている。

 つまり、教育委員会を出てしまった場合には、本人んが強く要望する以外は、現場へ戻るには教頭になる道しかないのである。
 当時、封建社会に洗脳されてた私は教頭選考を受けることが当然だと思っていた。
「一般の教諭として担任に戻る」
という方法は考えもしなかった。

 そのために勉強し始めた矢先に、私は倒れた。
 今から思えば、あれが私の「キャリア組」としての到達点だったのだろう。
 公務員としての「歯車」に成り下がっていたあの頃。
倒れたことで、人生を軌道修正する機会を頂いたのかもしれない。


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